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筆録・鬼ノ目  作者: pixivにて~187話まで掲載中
五節・梅子黄、破られし縁
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四十一話

 灰となり散った男の終わりを見届けた(のち)、捥がれた片脚の元へと詩良は(あゆ)みよった。

 それほど時間は経っていないものの、これ迄と較べれば生えるのが遅くなった脚に対し、やはりかなり()がれてしまったものだ、と。最早、自分に残されたものが後どれぐらいなのかも分からない中、庭先に転がる、血の気の失せた、ほんの少し前まで自分の体の一部であった脚を見下ろして、静かに履物と下駄を()いだ。

 素足に纏う足袋(たび)は、そちらの方が綺麗に見えることを分かった上で、わざわざ値がいくら張っても構わないからと、腕のいい針子に頼みこんで作らせたものだ。捻れの一つもない、等間隔の縫い目は遠目からでは合わせ目が目立つこともなくお気に入りだったのだが、所々に穴が空いてしまって見栄えは悪くなっているが目を瞑る。

 草履にしたって、どのぐらいの高さが一番映えるのかを確かめた上で作らせたもので、自分がどう相手の目に映るのかを考え尽くした結果の特注品だった。そうだったというのに、向けられた刀を弾く際、やはりこちらも所々塗装が()げていて。けれどもそれらを手放すのはどうしても惜しい。

 時間があるのならば一度宿に戻って、身なりを整えてから出直したいものだが、それが許されない状況にあることを彼女は誰よりも理解していた。

 今宵、この時を逃せば、次に機会が訪れることは恐らくは無い。

何よりも、あの忌々しい女を仕留め損ねてしまったその時。

横入りしてきた男の、更に後ろに、彼女はそれを見た。

 それは間違いなく、彼女が今、心の底から望んで()まぬもの。

 見られた。見られてしまったからには時間はない。追わねばならない。

 追って、繋ぎ留めなければならない。どんな手を使ってでも次こそは、逃してはならない。

 元々もうそれほど自分に残された時間が少ないことを理解していた彼女にとっては尚更。先程の交戦で削られた分も含んでしまえば、その訪れはきっと、もうそこまで来ているだろう。

 一人、その訪れに怯えねばならない、それだけは何としても、それだけはどうしても、避けたかった。






『  』

 初めてそれを耳にしたのは、落雷が降り注いだ去年の秋だった。

 鳴り止まない轟音に、それだけで耳が馬鹿になってしまいそうな中で聞こえたものだったから、上手く聞き取ることが出来なかったのだと、弥代はそう自分に言い聞かせて、それほど気にするもなかった。


『――、』

 以前よりもはっきり、その輪郭が薄ら掴めそうになったのは春。

 一時(いっとき)だが、共に過ごす時間が一番多かった頃。

 それは、少なくとも何度かあった。

 数えるのが手間であったし、一々覚えていてはキリがなかったのかもしれない。

 誰かと呼び間違えているのだろうか、という不安が弥代の中に芽生えた。

 でも彼女は、詩良は真っ直ぐに弥代を見て、弥代に弥代ではない名前で呼び掛けてくる。

 それは同時に、彼女が見ているのは本当に自分なのだろうか?という疑問が生まれるきっかけでもあった。


『ゆい』

 冗談混じりに、何も取って食いはしないから、なんて零す彼女に腕を引かれた。何事もなかったかのように振る舞う、少々の(わだかま)りを感じつつも一方的に引っ張られ、立ち寄った茶屋でのこと。


 優しく…、優しく頭を()きかかえられた。

 嗅ぎ慣れた香を纏う、聞き馴染んだ声と温もりであるはずなのに、見慣れぬ色と、聞き間違えを疑うことなくすんなりと耳に入り込んできた、聞こえた、聞こえてしまったやはり覚えのない、知らぬ名前に、弥代は一人、胸を痛めた。

 これまで必死に、気の所為だと蓋をしていた。見ないように、意識してしまわないようにしてきたものを、目の前で逃げられないようにされた状態で、勝手に、()じ開けられてしまったかのような気分を味わい、

『ゆい』

 呼ばれる。

『ゆい』

 また、呼ばれる。

『返事、してよ。

 ボクばかり、淋しいだろ?』

 ゆっくり、覗きこまれる。

 深く絡んだ瞳の奥に、自分のひどい顔が映り込んでいる、彼女の視界には自分が居るのは違いない筈なのに、向けられる言葉が、その先に、そこに込められたものに自分は一切含まれていないような、気がして。

 けれども、多分ずっとそうであった。

 最初から彼女は、詩良は弥代のことなど見ていなかったのかもしれない。

 


 弥代は全く彼女のことを覚えていないというのに、一方的に血縁者を、家族を名乗りその姿を現した。まるで似ていない容姿と、持ち合わせた“色”を前に疑わないわけがない。

 勝手に世話を焼かれ、面倒を見られ付き纏われる。そこまで好きでもない味付けの飯を自信満々に差し出して、好きだったよねこういう味付け?なんて言ってきたり。

 昔はこうやって抱きしめてあげないと、中々キミは寝付けなかったんだよ、なんて言いながら頭を抱えられたり。

 髪を()く手付きが、弥代のそれほど長くはない髪にしてはおかしく、分かりやすいぐらいに長い髪を漉くような、それだったりした。

 それは日常の些細な、本当に些細な言動の一つ一つの積み重ねで。徐々に徐々に、目を逸らし続けてきた違和感が浮き彫りになって一気に襲いかかってくる。望んでいない辻褄が合ってしまいそうになる感覚。



 もし本当に彼女が、詩良が弥代のことを、“ゆい”という相手と間違えていたとしても、弥代はその人物には心当たりがない。

 ただ一つ分かっているのは、

『ゆい』

 弥代は、それが堪らなく嫌だということだ。

 間違えないでくれと言えたのならどれだけ良かったか。知ってしまった、はっきりと聞こえてしまった、その時からずっと、彼女を前にすると胸が痛む。

 その名前で呼ばれることが、自分ではない誰かを思い浮かべて口にされることが弥代は、

『俺は、』



 あれから、間違ってなければ一月(ひとつき)ぶりぐらいになる。

 鼻先があと少しで触れ合ってしまいそうなほど近く、何があっても彼女の言葉を聞き逃すことのない、偽れない距離。

 またしても耳にする、“ゆい”という名前。

 弥代は我慢ならず、詩良の腕を掴んだ。






 鬼ノ目 九十一話






 途端、体が傾いた。

 あまりにも突然のことであったが、自分の体がそうなることに対し、他に思い当たる節はなく。咄嗟に傾いたのとは逆、右手を地面で突いて弥代は体を支えた。

 直ぐに体を起こそうとするが、肩口に堅いものが触れる。木々が多く植えられた境内はに光源はなく、あるものといえば夜空に淡く見せる月明かりのみ。それも、雲によって陰ってしまうことが多い。

「誰の、話?」

 彼女の声が弥代に届いた時、丁度月は雲に隠れてしまったのだろう。

 見上げる表情は、夜目が馴染もうとも簡単には窺えない。

「お前が、言ったんだろ?」

「覚えがないな?返しようがないよ?」

 よくよく目を凝らせば、見慣れた白い装いをしているだろうに、彼女の今の恰好は随分と酷い有様に、弥代の目には映った。

 白などと、汚れば一目瞭然となる目立ってしまう、染まりやすい色を纏う故か汚れそうになる事に対し敏感で、それを意図して避けるような動きを見せることが多かったのがまるで嘘だったかのように、暗くてしっかりとその色までは見えないが、汚れが見受けられる。

 恐らくは、等と並べるだけ意味のない。東の離れで一時すれ違った際、氷室が手にしていた刀を見ていた、先ほどの雪那と彼女との一方的なやりとりから汲めた内容からするに、争いがあったに違いなく。その時に負ったものであるならば怪我を、していることになる。

 こんな時だというのに、彼女がした事は決して褒められることではないというのを弥代は分かっていながらも、それでもその身を按じてしまう。どうしても按じずにはいられない。

「詩」「弥代」

 呼び掛けは遮られる。

 

 

「前々から思ってたんだけどさぁ、キミのそういうところ本当に鬱陶しくてボク苦手だなぁ。この後に及んでよくそんなこと考えられるね?

 ……あぁ、違うよ。キミは顔にとっても出やすいから、分かりやすくて困ってる、呆れてるだけ。ボクがした事を分かってて、そうやってボクの事を気に掛ける。

 ねぇ、痛くないの?」

 肩口から重みが消えて、次の瞬間には体を支える右手の、その甲に似た硬さが押さえつけられた。

 それまでと変わらぬ声色で淡々と、弥代に対する不満を並べる彼女。時間の経過と共に手の甲に掛かる重みは増し、痛みを伴う。押し掛かる圧に、逃げようにも逃げる術が思い付かず、弥代は堪えるのに歯を食い縛ることしか出来ない。

「可愛げがないね。声の一つぐらい聞かせてくれても良いじゃないか?」

 彼女がそう言うと、弥代の手の甲全体に掛けられていた重みは、一点に集中した。

 素足ではない、冷たく、堅い感触は普段の彼女が好んで履いている、厚みのある下駄に違いないのだろうが、踵の反りだろう部分で一点に負荷を掛けられるのには、思わず望まれた声が漏れた。

「うん、それで良いんだよ。そっちの方がお似合いだよ。」

 どこか満足気に微笑むその様は、この場に似つかわしくない。額に滲んだ脂汗か冷や汗かも区別のつかないものを(ぬぐ)う余裕はなく、彼女の足が離れていく、それからやっと弥代は浅く呼吸を繰り返した。

「ボクはね、キミに心配されるほど落ちぶれちゃいないんだよ。」



 生意気な、その目が嫌い。

 何度も何度も折ってきたはずなのに、暫く時間をおいたら性懲りも無く、折れたことそのものを忘れたように、そんなことは無かったとでも言うような態度で変わらず、ボクを見てくる。

 弱いくせして、一人じゃロクに何も出来やしないくせして、馬鹿の一つ覚えみたいに、立ち上がってちゃう。

 その、その姿勢が本当に嫌い。

 早いところ全部折れちゃって、それで自分じゃ何も出来ないってことを理解して。ボク以外に自分を受け入れる場所がないんだって分かって、それでボクだけを見てくれれば十分なのに、手ばかりがどうしても掛かる。

 好きでこんなことをしているんじゃない。それしか手がないからこうするかないだけで、こんなのしたくないに決まってるのに、どうして、どうしてこんな、こんな、こん、な?

「悪い子。

 やっぱりキミは、悪い子だ。」



 駿河より戻ってきて以降の弥代は、それまで腰に吊すことの多かった刀を持ち歩くことが減った。

 日々、里のそこかしこで小さないざこざ、口喧嘩が起こるなんてのは当たり前のこと。絵に描いたような平和、穏やかな一日一日が紡がれている里の中で、今更になって刀をぶら下げるのも変な話だと気付かされた。

 何より、駿河から戻ってきた弥代の周りには、それまで居なかった桜という存在がいた。

 元々妖怪討伐を生業(なりわい)とし、それで飯を食ってきた、どちらかといえば武闘派が揃っているだろう討伐屋。

そこに形だけでも籍を置いてはいる弥代だが、それでも桜と一緒にいる時はそのような血生臭い、たとえ自らの意思で刀を抜くことがなくとも、彼女にそれを見せたいという気持ちはどうしても沸かなかった。

 何より今日この日、弥代は花火を観ようと声を掛けられて朝から動いていたのだから、折角の飲みの席に刀を持ち込むのもおかしな話だと。だから――刀を家に置いてきていた。


「覚えの悪い子はさ、一回ちゃんと躾直した方がいいことってあるよね?実際、ボクはそう教わったし。」

 もう何度目になるかも分からない、腹に深くめり込む膝に、振り回され続けた腹の奥はとっくの昔に空っぽになっていて。穴が空いた濃い色をした風変わりな彼女の足袋の、その一部分をより一層、色濃く染めることしか弥代には出来ない。

 初めの内は、しがみつくように彼女の太腿に爪を立てようと、体が勝手に動いてみせたのだが、それも次第に出来なくなっていた。

 吐き出すものがなくなって、唾液なのかも胃液であるのかも分からないものが口周りを濡らして不快でしかない。

「もぅここまで来たら、キミが頷いてくれるまで、ボクと来てくれるって言ってくれるまで止められないんだ。ゴメンね、弥代。」

 鼓膜を揺らす、その声はどこまでも柔らかいものであるはずなのに、彼女から与えられる衝撃は弥代に痛みしか与えない。

 最早支えとなっている状態の膝が遠ざかれば、それだけで自分の脚で立っていられなくなり、地面に膝をついて、まだどうにか少しだけ力を込められる、腕を伸ばして砂を掻くだけ。

 痛みが、その波が収まるのを間が欲しいのに、彼女はそれを待ってくれない。つい最近短く切り揃えられたばかりの髪を、生え際を掴まれて無理やり立たされれば、また膝がのめり込む。

「ダメだよ?

 ねぇ、ダメだよ。そんな、そんな優しいものじゃないの。お仕置きっていうのはね、躾っていうのはそんな直ぐに終わらないんだよ。分からせなきゃダメ。分かるまで叩き込むものなの。口先だけじゃなくて、ちゃんと骨の随まで教え込んで、それで初めて覚えられるものなの。ずっとずっとボクはキミにこういう事をしないように、してしまわないにって我慢をしてきたけどね、もうダメ、ダメなの。

 キミはボクと来る。キミが、キミの言葉でそれを言ってくれるまでボクは止めない。ずっと、()めないよ。」

 ほら、立って――と、また倒れた体を起こされる。彼女の言葉をそのまま借りるのならば、これは躾なのだろうか。これが始まってどれほど時間が経ったのかが弥代には分からなかったが、彼女の背後で、空が微かに明るくなった数はどうしてか分かる。まだ、たったの三回。三回しか、花火は上がっていない。

 これが後どれだけ続くのかも分からないし、抵抗しようにもそんな気力はもう残っていない。何も出来ぬまま、為されるがままの状態が続く。

 いっそ、彼女が言っている通り、自分が彼女に付いていくと、そう口にしてしまえば全て終わるのではないか?と考えだけが浮かぶ。きっとそこに嘘はない。現に彼女は、詩良は先程からずっと、二人になったその時からそんな事を口走っていたはずだ。

 彼女はいつだって言葉が多くて、でも多分その奥にあるものはずっと単純なもので。余計なものをいっぱい身に纏って、それで見え難くなってしまっている、だけで。

 多分、そうなのだと、弥代は思う。

 分からない。分からないけど、そうだと思いたい。思いたいから、だから……、

「詩……良、」

 声を絞る。

「一人に、して……ごめ、ん……な」






「は?」

 地面に、その顔がのめり込んだ。

「いや、いや……、いやいや……?」

「何?何だって?ねぇ、今なんて言った?お前、今ボクに自分が何言ったか分かってんのかよッ⁉︎」

 何かが、一斉に込み上げてくる。

「なぁ、お前さ…?

 お前、ボクの何を分かった気になってんだよ?一人にしてゴメン?何で一人にされて、それをお前にゴメンって謝られる理由があるっていうんだよ?ないだろ?どこにそんな理由があるんだよ?そういうのはな…そういうのは自分に非があるって認めたヤツしか口にしちゃいけないんだよ!

 ボクに対して、悪かったなんて思ってもないようなヤツが、お前みたいなボクの事なんか全然見ていないヤツがそんな言葉口にしてんじゃねぇよッ‼︎何も見てこなかっただろう?ボクの、何も見ようとしてこなかったヤツが今更…、今になってそんなことっ、()かしてんじゃねぇよッ‼︎」

 起き上がらない頭を掴みあげる。

 揺すぶって、何度も叩きつけて。

 黙らせなくっちゃ、黙らせなくちゃ、黙らせて、黙らせて、静かに、静かに、静かにさせ、て……それで、

 見下ろした場所に、随分とあちこちに飛び散った血に、掴んだままの合わせ目と、だらりと力なく伸びた腕が見えて。それから、

「……ありゃりゃ!」

 半開きの目と、口と。

 真っ赤に染まって、ちょっとだけボコボコになった頭を撫でてあげて、抱え上げた胸に耳を当てる。

「うん……、うん……、うん……?大丈夫だね、ちょっと待てば全部元通りだ。」

 抱き(すく)める。

 微かにまだ聞こえる、すっかり小さくなってしまった心音が、それでもどうにか続いててるのが分かったから安堵する。

「ウフフっ、キミがボクと同じ鬼であってくれて良かった!本当によかった!」

 それは(たま)らなく彼女にとって嬉しい、事。

 与えられるだけ与えられた玩具を、その扱い方を少しも知らなくて直ぐダメにしてしまう、その度に手の甲を何度も何度も叩かれて育った彼女にとっては嬉しい事。

 叱られなくて済むからじゃなくて、気に入った玩具が新しいものになってしまわなくて済むから。

「ちょっとだけ、ちょっと待ったらそれで大丈夫。それで、元通り。次はちゃんと、ちゃんとボクと一緒に行きたいって言わせてあげるから、だから、早く目を覚ましてね、結。」

 キミがあやすのがボクは好き。

 揺籠に揺られるだけじゃ中々寝付いてくれない、小さい頃からずっとずっと寂しがり屋で、誰かの温もりを求めている。ちっちゃな手がぎゅって、まだ弱くて小さいのに握り締めてくる。他の誰でもない、ボクと同じ、ボクと同じように生まれて直ぐ見捨てられちゃった、こんな場所に追いやられてしまったキミに、ボクと同じ思いはしてほしくて。だから、だからずっと、ずっと、ずっと傍にいてあげなくちゃいけなくって。寂しがり屋な、甘えん坊な、頭が弱くて、一人じゃ何も満足に出来なくて、誰かの手を借りないとダメダメな、ダメダメなキミ、キミは……キミは、えっと……

「どんなだっけ?」

 早く良くなってほしくて、いっぱい、いっぱい抱きしめてあげて。目が覚めたらおはようって言ってあげて。それで、それで、

「それで、どうしたいんだっけボクは?」

 多分何か、何か大切なことをボクは忘れてしまっていて、それが何なのかもよく、思い出せなくって。

 でも…でも?

 ただ一つだけ、ただ一つだけ間違いないものがあって、それは、それは確か

「あっ、ダメだ?」

 それさえも、何であったか思い出せない。

「何だったけなぁ……分かんないや、」

 またそうして、胸元に耳を当てる。

 ずっと昔、

 ずっと昔から知っている、キミの心臓の音。

 それが消えない内は、ボクは、ボクはまだ、

「ボクは、誰だっけ?」










 

 元より準備をしていたかのように身構える、討伐屋の若頭(わかがしら)・春原千方。

 その動きの迷いの無さを前にし、館林はふと先の冬の事を思い出す。

 榊扇の里に住まう、凡そ一万にも及ぶ民によって祀りあげられる存在、神仏・水虎。神仏と直接的な関わりを、繋がりを持つ扇の一族。

 現行当主として知られる、里に住まう者にその名を知らぬ者はいないとされる七代目当主・扇堂(せんどう)杷勿(はな)の孫娘にあたる扇堂雪那が、自ら友人である、弥代を探してほしいと依頼にやって来た時だ。

 あの時も確か春原は、詳細を直接耳にしていたわけでもなかったのに、頃合いを見計らったかのように、それまで床に臥せっていたのが嘘であるかのように姿を見せ、迷う間もなく依頼を引き受けていた。

 春原が、彼女の友人である弥代に対して、妙な執着、関心を示していることは、その時点で里での生活が始まってから半年程が経っていた為に、不思議に思うことはあまりなかったが、捜索が始まって彼がすぐに見せた、その行動に館林は驚かされた。

 討伐屋に加わったのが一番遅い館林からすると、普段からそれほど春原の様子に目を配らせているというわけではなく、あくまでも彼の側に他に誰もいない時の目付け役として過ごすことが多い。

 自分よりも彼と付き合いの長い、相良志朗という男が春原の(かたわ)らにいる事が多く。予め二人で外へ出るとなった際には、彼の特性を誰よりも理解している相良の口から話を聞かされてはいたのだが、実際目にするものはそれを凌ぐものばかりで、その都度(つど)頭を捻ったものだ。

 しかし此処の所、相良の負傷が相次いでいる関係で、春原の近くには自分が立たされることが増えた。

 館林は何も、春原に対しては相良のような感情は持ち合わせていない。あくまでも自分は春原千方の目付け役。

 彼が何を思い、何をしようとしているのかその真意を、それが齎らす結果を見届けるのみ。必要以上の干渉は本来であれば、館林が望むところでなかったが、それはもう過去の話だ。

 それでも変わらずに彼の後ろ姿を追うのは、ただ……、

「屋敷へ、向かわれるのではないんですかい?」

「……違う。

 向かう場所は、そこではない。」

 揺るがない、青を見た。

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