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筆録・鬼ノ目  作者: pixivにて~187話まで掲載中
五節・梅子黄、破られし縁
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三十六話

「……嫌、です。」

 声は震えていた。

 はっきりと、(はっ)した自分だって分かるぐらいの震えを、相手が見逃すわけがない。しかし予期せぬ答えが返ってきたことに少々驚いた表情を見せる相手を、雪那も見逃すことはなかった。

「私……はっ、」

 先の相手の言葉を受けて、もしや自分は彼女から弥代を、大切な家族と過ごす時間を奪ってしまっているのではないか、という考えが浮かんだ。それは同時に自分が長年共に過ごしてきた、自分の傍にいてくれた彼の存在も思い起こさせた。

 家族と呼べる繋がりはなくとも、自分と彼の間に横入りする存在が(あらわ)れれば、目の前の彼女同様に止めてほしいと口を挟むのかもしれない。 弥代がそのような素振りをこれまで見せたことはなかったが、一昨日のやり取りを思い返せば、たとえ前もってこちらが約束をしていたとしても、家族水入らずを言葉通り邪魔してしまっていたのかもしれない。怒らせてしまっても仕方のないことだ。

 だがそれは、それだけの理由で雪那は易々(やすやす)と、易々引き下がること出来なかった。

 決して正しくない選択をしたことを理解しながら、今宵、この屋敷を、この榊扇の里を発つ彼を思えば、これ以上一人でも、たった一人であっても自分が心を許せる身近な相手を失いたくないと雪那は、自分の中の(まさ)った方を選んだ。

 悪いことをしてしまったという自覚が芽生えつつも誠意を持って謝れば、向き合えば許してもらえるのでないか、縁を切れというその言葉を撤回(てっかい)してくれるのではないか、と淡い期待を抱きながら言葉を紡ごうとした。

 けれども、

「あぁ…あー、いやいやいいよそういうのはさ?うん、要らないからちょっと黙ってて。」

 頬を掴まれる。

 自分のものと較べても一回り二回りは小さな掌が、ほっそりとした指先がやや皮膚に食い込んだ。小さな痛みを生むのに雪那は眉を顰めたが、当然相手はお構いなし。話をしようと言って訪れたというのに、交わした言葉の細部までは明確ではないものの、会話らしい会話は行えていない気がしてやっと…やっと、冷や汗が流れた。

「おかしいな?おかしい…よな?違くないか?そうじゃない、そうじゃないだろ?お前に選択肢はない、ただボクの言葉に大人しく頷いていればばいい弱者の分際で、なんで楯突こうとするの?絶対にこんなのおかしいだろ?分かりましたって言えば何もしないで帰ってやろうって思ってたのに、ボクの厚意を無碍(むげ)にしやがった。

 信じられない、本当に信じられない失礼な、気持ち悪い女だなお前は‼︎」

「そのようなつもりっ、は!」

「違わないだろっ!自分の母親殺した相手とお友達ごっこ続けたがってる、ただの気持ち悪い女っ!」

「――ッ、」

 一度を目を背けた、聞こえなかたことにしようとした言葉は二度目を許してはくれない。だが相手の、その言葉の意味を理解するのに時間を(ゆう)したわりに、それほど驚かずにいる自分に、雪那は何よりも驚かされた。そして、話し合えば分かってもらえるのではないかと思った相手から向けられた心ない言葉に、一瞬だが息を詰まらせた。

「何もボク間違えたこと言ってないよなぁ?何だよ、その傷付きましたと言わんばかりの顔は?そうやって被害者ぶって同情心を煽ってきたんじゃないかなぁ!性格まで悪いのかよ、反吐が出る。」

 視界が反転する。

 頬を掴んでいた手が離れたと思った時には、もっと違う痛みに雪那は襲われた。

「ぁ……うぅ、」

 畳に擦れる部分が熱を持つ。

「全くさぁっ!性に合わない事をしなきゃ良かったよ!大体にして得意じゃないんだよこんなまどっろこしいことボクはさ!あーぁ、時間を無駄にしたぁ‼︎折角弥代と花火一緒に花火見れると思って楽しみにしてたのにさぁ‼︎やってられるかってんだよこんなの?手っ取り早く……そう、もう手っ取り早く終わらせようよこんなことさぁ‼︎」

 長い髪を強引に掴まれ引き摺られていく。思いもしなかった痛みに小さく喘いで、無意識に相手の手から逃れようとしたのだろう無意識の抵抗は意味はなく、払い除けられた手は行き場を失い、畳に跡を残すことしか出来ない。薄ら開いた(まなこ)で唯一、雪那の視界が捕えられたのは離れの引き戸、縁側との境、そして――

「ぁ」

 背中に受ける衝撃と大きな音のわりに、口から漏れ出た声はあまりにも小さかった。何が起きたのか分からぬまま、痛みに耐えながら辺りを見渡す。

「慣れないことはやっぱりするもんじゃないねぇ!手っ取り早く終わらせたいなら慣れた方が絶対にいいもん!」

 自分の長い髪が床板に散らばっている。一枚しか開けていなかったはずの引き戸は、どうしてだか二枚分がなくなっていて。それまで部屋の中にいたはずなのに縁側に放り出された体は力が入らずに転がるだけ。

 痛みを、自身の身に何が振りかかったのかを彼女が理解出来たのは、満面の笑みを浮かべて屈む相手と目が合ったその時だった。

「抵抗しないってことはさ、そういうことだよね?」

 目元に掛かった髪が優しく払われる。

「分かるよ、自分じゃどうにもならない家の事ってあるよねぇ。生んでくれって頼んだわけでもないのに、勝手に囲われて面倒なことばっかり押し付けてきてさぁ。」

 近寄り、差し出された手にまたしても髪を掴まれ、無理やり上半身を起こされた。何がしたいのか分からない相手の行動に、雪那はただ耳を傾けるのに精一杯で、振るわれた暴力に萎縮してしまった喉は呼吸すら満足に行えない。

「馬鹿だねぇ。でも、ボクは優しいから機会をあげる。弥代との縁を切って?痛いの、もぅ嫌でしょ?」

 生え際を掴まれる。逃げ場はどこにもない。

 一番深い皺を眉間に刻んで、それは自然とそのまま相手を睨みつけるようになってしまうのは運が悪いとしかいいようがない。

「…………うん、そう」

「やっぱりボクはお前のこと、好きになれそうにないや。」

 掴まれたことで保てていた体は支えを失えば容易に傾いた。思わず床板に付いた手首に小さな痛みを覚えて、おそるおそる見上げた相手の表情はこれまでで一番分かりやすく、でもその心意がまるで読めない。

 ただ、それでも

「さようなら、扇堂雪那――」

 迫り来るそれはやけにゆっくりと雪那の目に映りこんだ。それはどこか、……どこかあの晩に目にした雷のように。死を、連想する。得体の知らぬ、どのような衝撃がまた襲ってくるのか分からない、痛いことにきっと変わりはないのだろうが、それは以前の、これまでの自分なら取り乱すことなくすんなりと、甘んじて受け入れていたであろうもので。

 今、この時――、それを拒もうとするその気持ちだけが、自分は変われたのだと思える、何よりの(あかし)だった。






 鬼ノ目 八十六話






 夜空を覆っていた雲間が晴れるのと同時に、視界いっぱいに飛び散った色と、突き飛ばされたのだろう熱を持った肩口。後ろに倒れ掛ける体とは反対に、まるでその場にまだと留まろうとするように靡く髪が、未だ声の出せない自分に変わって叫んでいるみたいに映り込んだ。

 本当に傍にいてほしいはずの、掛け替えのない存在だと、突如相手との間に割り込んできた相手がまごう事なき彼だと、見慣れた(ススキ)のような色褪せた髪を、その広い背中を間違えるはずがないというのに、(ちゅう)を掻く指は望んだものを何も掴めない。

 それどころか状況を飲み込めぬまま、いつからそこにいたのかも分からない、よく知った友人の肩に担ぎ上げられる。

 違うの、待って…、と背に爪を立てて、無理な体勢だと分かっているのに自分よりも小さな体の上で藻がいて、一度既に掴むことが出来なかった、叶わなかった手を伸ばす。伸ばさずにはいられなかった。

「いや…………、なんでっ、どう、して?」











 腰に吊るしていた刀を抜き、静かに構える。

 そこには一切の迷いはなく、どのような姿勢であろうとも寸分の狂いもない。もうずっと体に染みついた所作の一つでしかなかった。見据えた相手は距離を取る。警戒されているというよりは、ただ様子を見ているのだろう。

 痛みがないわけではない。ただここに来ても男は己の運の良さを、(いや)、一周回って悪さを恨みそうになる。今しがた彼女を突き飛ばすことで受けた傷の深さを考えれば、それはやはり常人であれば致命傷であったに違いない。渡せることがないまま長年埃を被り続けた、失くしたと思っていたものが彼女の部屋の机から出てきた(かんざし)で、偶々運良く命拾いすることになるとは少々出来すぎた話だ。自分がこの屋敷に、この里に縛りつけられる原因を作ったといっても過言ではない、彼女への想いを象徴でもあったものが今この場において、折れるのはなんとも……

(だからこそ、迷いはない。)

 自身が今構えている刀は、やはり全て討伐屋に属する、鍛治士を祖父に持つ男に、無理を承知で打たせたものだ。本来であれば予備に数本欲しかったものだが、怪我の治りに時間がまだ掛かりそうで難しいと返されてしまった、それでもそこいらにある刀とでは備わる性能がまるで違う、(えにし)を断ち切りことが叶う代物だ。

 ()しくも、これより約束を交わした因縁の相手と共に向かう算段を立てていた、西を断つ気の込められし刀と、見据える相手がそちらに所縁(ゆかり)がある事を思い出し、しかし即座にそれを振り払う。

 驕りと過信は刀を振るう上では無縁のものだ。

 相手の力量を決して見誤ってはならない。

 傷口を塞ぐ間など当然ありはしない。

 間違って屋敷にいる者が異変に、物音に気付き東の離れ(此処)まで来てしまわぬように注意もせねばならない。決して勝てるという算段はない。けれどもそれは、この場に沈む未来は容易く浮かぶ一方で、自身が相手に勝利出来る結末は見えぬまま。

(たとえ倒すことが叶わなくとも、それは私が逃げていい理由にはならない。)



「いやいや、何を張り切っちゃってるのさ、笑えない冗談は止せよ、人間。お前にこのボクが倒せる筈がないだろう。」

 余裕が滲み出ている。

 こちらをまるで警戒せぬ様子は変わらぬまま、耳障りに感じる笑い声を交えて相手から男は目を離すことはない。

「熱くなっちゃってない?バッカみたい!ムキになるの違くないかなぁ?その頭は飾りじゃないだろ?使わない手はなくないか?勝てないと分かってる相手に挑む理由なんかあるわけないだろ?挙句お前はもうボクの一撃を受けてるんだから止めておきなよ……、そういうの、好きじゃないんだぁ。」

「減らず口を……。」

「口が悪いんだよ、ボク。でも、今に始まったことじゃないから大目に見てよ。どうせこれから死んじゃうんだしさぁ?」

「……」

 踵を地から離し、距離を計る。死を予期した焦りに映ったであろうか、笑みが深くなるのを見て、それに乗るように男は駆け出した。相手の目にその様に映った可能性が少しでもあるならば利用しない手立てはない。死を恐れた者の動きは単調に、余裕を掻き、隙が多くなることがあり、それがどの様な動きであるかを男は、氷室は知っていた。

 昔から何事も真似をするのは得意であったのだ。ただ見た相手の上達よりも、見てものにした自分の上達の方が上で、そうであるということを知っている者がほとんどいないだけで。

(いや、一人いた。)

 張り扇などと、武器にならぬものを気侭に振り回す年老いた男は、氷室の性格(性質)一等(いっとう)気に入り誰よりも理解しいていた。

 一時(いちじ)は帰る場所が分からなくなってしまったのだと相談を持ちかければ、余所者の介入にあまりいい目をしない鶴見の人間、一族総出で迎え入れられたこともあった程の気に入られようで。

わざわざ親族の腕のある者達を集めては手合わせと称し、盗めるものは何でも盗んでしまえと無理難題を提示してきた。しかしそれで得られた手は多く、無駄と呼べるものは一つもなかった。

 その全てを、これまで得たものが自身にはある。

 それがどれだけ姑息(こそく)な手であろうと、使えるものは全て使わねば足元にも及ばないことがあることを氷室は誰よりも理解し、そして、

 こちらの打つ手に気付かぬ相手が、片足を引き、迎え入れる姿勢を見せる瞬間を見逃すことはなく、強く踏み込んだ次の足で氷室は塀の影へと身を潜めた。

 喉元に噛みついてやろうとした先手から距離は空いたままであったが一気に距離を詰めることに成功するも、それだけでは何も意味がない。あくまでも自分に出来ることがなんであるかを、他ならぬ彼は理解し、そうして


 塀を強く蹴り、影より飛び出す。

 その一歩は並の十歩でも及ばぬ距離を稼ぎ、一足で居合いの間合いへと相手を捉える。影の中で一旦納めた刀を抜き切る。息衝く間もない、瞬きですら見逃してしまいかねない刹那の動作。それさえも相手の不意を突かねば大して意味はない。

「デカい図体のくせしてすばしっこい奴だなぁ、お前っ

 ‼︎」

 掠った胴を抑える手元を見るも、血が流れているようには決して見えない。変わりと言わんばかりに庭へと小さな音を立てて落ちる、黒塗りの小箱は、どこから出たなど明白で、全力の自身の不意打ちはたかが相手の帯を表面的に(かす)めただけに終わった結果に嫌気が差す。

(違う、私はもっと出来るはずだ。)

 言い訳が許される状況ではない。時間を稼がねばならない。(にが)したあの子が、少しでも遠くへ逃げることが出来るように。

(私は、)

『――氷室、』

 迷いだけではなく、絶つのは他の全てもそうだ。

 これが自身にとっての最後の贖罪になるのならと、そんな事を考えて刀をまたしても構える。

 通じぬ手を何度も繰り返す意味はどこにもない。しかし打てる手が、講じる手がある内は諦めない。倒すことが目的ではないのだから。それを忘れてしまわぬように、ただ静かに相手だけを真っ直ぐにその目に捉えた。

「まだ私は、生きているぞっ!西の鬼よ…‼︎」

 赤い瞳が大きく見開かれた。それまでの涼しげに細められた目尻は、表情そのものが仮面であったかのように崩れ落ちる(さま)を、氷室は目の当たりにした。

「おいおい、何がどうすればお前みたいな人間の口からそんな言葉が出てくるっていうんだよ?それは、」

「それは、話が違うだろうよ?」










 ただの下駄であるはずだというのに、小さな火花と甲高い音を立てて刀を弾く。一度ならず二度、三度と響く音は、当たる部分によって音の鳴り方に違いはあったが、部分的に鉄が仕込まれているというよりは、下駄そのものが木ではなく鉄製という答えの方が自然であった。

(あるいは本当にただの木製か、)

 弾かれた際に生まれる隙を、体を大きく捻り距離を取ることで狙われることを避けるが相手も馬鹿ではない。こちらがどう動くかを、あらかた想像した上で足払いを仕掛けてくる。それを受け身を取ることで転がりそうになる勢いを殺すも、膝を着けば距離は詰められる一方。刀身の幅だけでも間合いが欲しい氷室に対し、対する、氷室が西の鬼と呼んだ彼女はそれほど間合いがなくともお構いなしに自身の足を振るい続ける。

 その足は距離を詰めるだけでなく、刀を握る氷室の手元目掛けて踵を落とすことも、至近距離まで詰めた上で既に深傷(ふかで)を負っている相手の腹に膝を打ち込むことも、そのまま顎を撃ち抜くことも、落とし掛けた刀を拾おうとした手を踏みつけて地に縫い付けることも、たったの二本で全てを容易くこなしてみせた。

「おいおいおいおい?まさか、まさかこんなもんじゃないだろう?自分から首を突っ込んできておいて、こんな……この程度はいくらなんでも笑えないよ。冗談がキッツイなぁ本当にさ?何、何で?さっきまでの威勢はどこにいったんだよ?呆気ない…呆気なさすぎて飽き飽きしてんだよこっちはさぁ‼︎」

「……、」

「なんとか、言えよっ‼︎」

 憤りを露わにする、優勢であるはずの相手の余裕の一切見えぬ態度を見て、氷室は妙な安心感を覚えた。

 それがなんであったか、覚えがあるようでないような中途半端なもの。けれども、

「関係のないことだ。」

 嘘を、吐いた。

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