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筆録・鬼ノ目  作者: pixivにて~187話まで掲載中
五節・梅子黄、破られし縁
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三十一話

「ちょ……っ、まっ、待てよ、詩良(しら)ッ‼︎」

「うるさいなぁ……、付いて来ないでよっ‼︎」

 ついさっきまで見知らぬ男等に絡まれていた彼女の背を、弥代は迷うことなく追った。

 先の春に榊扇(さかきおうぎ)の里に戻ってきた時は、討伐屋と古峯の連中と別れて間も無く、大通り沿いで痴情の絡れによる口喧嘩に巻き込まれるなんてこともあった。

彼女が自分の知らない相手(特に男)と顔を合わせているところなんて、多分数えきれないぐらい。

 一緒に過ごした時間の割には多く見てきた筈なのに、あんな風に数人に囲まれ、胸ぐらを掴まれ詰め寄られという場面に出会(でくわ)したのはこれが初めてだった。

 思えば初めて顔を合わす相手にさえ、彼女はあまりに慣れた様子で接するもので。それが普通とさえ捉えていたことに今になって弥代は気付き、どこか感覚が麻痺していたを知り、だからこそあんなことがあった後でまた一人で彷徨(うろつ)くのは危ないと苦言を呈した。

 しかし、

「そんな何度も何度も絡まれる覚えはないよ…っ!」

「で…、でもっ!」

「理解の遅い奴だな⁉︎いい加減気付けよっ‼︎お前が鬱陶しいから離れたがってることっ‼︎」

 薄々ながらそんな気はしていたのだ。

 だから弥代は彼女にそんな言葉を投げ掛けられても特に傷つくことはなかったし、その程度で凹むこともしなかった。

 嫌がる彼女の傷痕を自分が撫でた、あの日向けられた言葉は今まで送られたどんな言葉よりも、自分に真っ直ぐ向けられた言葉のような気がして。

 それ以前よりも彼女は自分に対してそう思っていたのかもしれないと納得が出来てしまう程だった。

 だからあの時は振り払われてしまった手を、今は話すつもりがない旨を伝えれば、返って来るのは自分以上に張り詰めた、今まで聞いた事もない声量による拒絶だ。

「嫌がってんの見て分かんないのかよっ⁉︎(たち)が悪いヤツだなお前はっ‼︎」

 意地を張り合いをそのまま暫く続けた。

 弥代はどうしてか。ここで彼女の、詩良の手を離してしまうようなことがあれば、それが何故かは分からないが、二度と彼女に会えないような、そんな気がしたのだ。

「渡してけぇモンがあるって。俺、前に話しただろ?」

 その肩が、小さく揺れるのを弥代は見た。

 いつまでも俯いて顔を見せぬまま身じろがれるのも、暗くなった外で声を張り上げる付けるのもどうしても目立ってしまう。

 此処(ここ)(ところ)に比べれば今日はほんの少しだけ肌寒い為に、春先に彼女が見立ててくれた装いを選び、普段時よりも女物で身を包んでいる為に男と見間違われる事は多分少ないだろうが、それでも(はた)から見て自分たちのしているやり取りはどういう風に映るだろうかを弥代は考えた。

 声を出来る限り抑えて、これ以上の人目(ひとめ)から逃れるように、掴んでいた彼女の手首から下へ、白い(たもと)へと皺を作った。

 するとそれまでとは一変。今の今まで全身の毛を逆立てて威嚇する猫のようだった様子が途端に落ち着きを見せた。そして声量を抑えた弥代に、まるでその意図を汲んだかのような反応を、()を挟んだ(のち)、直前までからは想像もつかないぐらい静かに言葉を紡ぎ出した。

 思い返してみれば先の路地での出来事も、前のめりに倒れそうになる彼女を後ろに引き寄せ、自分も一緒になって地べたに座り込んだ時。抱えた肩のその奥で、自分はずり下がった彼女の袖口から、内側へと向けられたあの傷痕を見ていた。

 恐らくは彼女はそれに気付いてしまったのかもしれない。

 自分が触れられたくないと思う、見られることさえ嫌う、撫でられるのなんてもっての(ほか)。そんな場所を何度も同じ相手に見られてしまうことが、ひどく、ひどく……、



「……ただいま。」

「おぅ、おかえり。」

 正直それを(いびつ)だと、自分の都合に相手を振り回しているという自覚を弥代は持ち合わせていた、

『自分が家族って思ってる人に家族って思ってもらえないのって、とってもきっと寂しいことだよ。』

 それでも弥代にはどうしてもやっぱり、家族という感覚がイマイチ分からない。けど、同じ屋根の下でただいま、だとか、おかえりだとか、そんな他愛もないきっと普通の、ありきたりな言葉を交わせることはとても大切で。失いたくないと思ってしまう。

 弥代のよく知る討伐屋だって血の繋がりはない他人同士が身を寄せ合い過ごしているのだから、それとそこまで大差ないではないかと都合よく捉えたくなる気持ちに襲われる。

『悲しかったね。寂しかったね。辛かったね。きっとありきたりな言葉だ。ありきたりな経験だったろうけど、そんなありきたりな事を、キミはこれまできっと知る事が出来なかったんだ。良いんだよゆっくりで。焦らなくて良いんだ。キミは、ボクらはまだ先が長いんだから。何も、急ぐ必要なんてありはしないんだよ。』

 あの日、抱き竦められた、触れた温もりは弥代がずっと求めていた、いくら望んでも得ることが出来なかったものだった。その温もりを手放すのはどうにも惜しい。

 それは討伐屋に、伽々里という信頼にたる相手に桜を托すことにした時に感じた、もう少しだけ、というそれと似ていて。

 大人しくなった彼女の手を引いた。

 肌寒さを感じる一日ではあったが、どんな日だって湯に浴びてその日の疲れを洗い流すことは必要なことだ。

 汗が纏わり付いたまま寝床に付きたい物好きを弥代は知らない。

 すっかり身に染みついた生活を、今まであまりこういった時間は一緒に過ごすことのなかった彼女と共に過ごした。そうして一時は一緒に暮らしていた部屋に二人で戻って来て、一人では何もしなさそうな様子を見せる彼女の諸々を手伝い、床に敷いた布団の上で、他にどうすることも出来なくて、意味はなくとも良いからと、彼女を、詩良を抱きしめた。

 それはこれまでの弥代には到底出来ないことだったが、今の弥代にはそれが出来てしまう、小さな後押しがあった。






 何となく、全てがどうでもよくなってしまった。

 だらんと力が抜けた腕で、何をそんなに必死になってたのかも、直前までの自分の気持ちさえ分からなくなって、ただ弱々しく相手の裾に指を立てることしか出来なくってしまって。

 きっと目の前の相手が、向けられる視線を気にしていることは理解出来たというのに、そうではなく声を荒げる理由も今は何もない。

 ただ、引かれれるが儘。もうどうとでもしれくれ、どうにでもなれと身を委ねた。

 

 大人数の前で無闇矢鱈に肌を晒すのは好きじゃないし、物珍しさからいつまで経っても向けられる“色”に対する周囲の意識が何より嫌いだった。

 湯汲みは金を積めばいくらでも、狭くとも宿屋の物をずっと使ってきたものだから、一人じゃ何も出来ない赤子(あかご)のようにされるがまま脱がされて、体を勝手に洗われとするのは気持ちのいいものではない。

 湯が立ち込める湯船に肩まで浸からされるも、中身のまるでない世間話に耳を傾けること義理もないのだから早々に出てやることにした。付き合ってられない。


 汚れを洗い流したというのに同じ服に袖を通すのは中々嫌な話だ。肌触りのいい布地に身を包んで、眠れずとも形だけ床の上で体を横たえる、その瞬間にその日一日で感じた疲れが抜け落ちるような気がするというのに、これでは意味がない。

 早いところ家に帰るのかと思っていたのに、次に連れて行かれたのは多分相手の行きつけの飯屋。腹が空いたままじゃ眠れるものも眠れないだろ、なんて言って自分が食べることに集中すればいいものを、一口挟む度に、米を乗せた箸をこちらへと向けてくる。目の前に差し出されたものを無視して落とす気にはなれず、渋々ながらも口を開いてそれを受け入れた。味は、分からない。


 軽い食事を終えてやっと長屋に帰れば、いつまでも下駄を脱いで上に上がらない手をやはり引かれた。

 最早それが今は普通であるかのように、勝手に世話を焼かれる。いつぞや……といってもつい二、三ヶ月前にこれと逆な事を自分がしていたのを思い出しながら、やはり好きに、やりたいようにさせた。止める理由なんて一つも浮かばない。敷かれた布団の上で、意味があるのかも分からないけど、ギュッと抱きしめられて。頭を抱えられるようにしてたった一枚の布団の中に二人潜りこんで。だから、だから何だというのかという考えが過ぎるのに、それでも何故か、とても触れる温もりが今まで感じてきたどれよりも温かく、感じられて。

 きっと気のせいだと分かっていたのに、それでも、ついその背中へと手を回した。

 いっそこのまま、なんて事を願ってしまったのは自分だけの秘密だ。



 気付けば寝ていた。

 随分ぐっすりと、深く眠りについていたみたいで、寝起きの頭はどうにも重たい。今まで寝れてなかった分を、その積み重ねを体が取り戻そうとするかのように、またしても落ちそうになる瞼を、途切れてしまいそうになる意識を繋ぎ止めて、まだ狭い視界いっぱいに広がっている肌へと頭を寄せた。

 寝る時の姿勢のそのままなのは何も相手だけではなく自分もで、体勢がそんなだったものだから体がまだ疲れてしまっていて眠たいのでないか?なんて考えが過ぎるも興味はそこまでない。

 今はただまだ触れられる、腕を伸ばさずとも既に腕の中にある温もりを、触れる体温を感じていたかった。

 一夜を過ごすだけの相手に抱くのと同じことを考えてしまうのは癖で。体を重ねているその時はそればかりを考えて、四六時中付き纏っている、主張のただただ激しいばかりのソレ(、、)から目を逸らすことが出来て。どうしても埋まらないそれが一時でも埋まる感覚が何となく心地よくて。でも朝を迎えればそれともおさらば。穴がポッカリ空いたままの感覚は好きじゃなくて。それは、今も同じ。

 そう、思っていたのに、

「おはよ、詩良(しら)。」

 くっついていた体が離れることを惜しむわけではなく、腕の中で抱え直される。じんわりと広がったその熱だけは、多分、嘘じゃない。






 鬼ノ目 八十一話






 自分の考えのなさを、その浅はかさをここまで恨んだことはない。これが初めてで、出来ることなら二度と、金輪際こんなことは起きてほしくないものだと頭を抱えながら弥代は項垂れた。

 大丈夫?なんて膝を抱えて覗き込み、こちらを気遣ってくる相手に感じるのは当然の事ながら罪悪感で。お前は本当に優しくて良い子だな、などと返したくなるのにそれも今は出来る余裕はない。そんな余裕があれば弥代は頭を抱えてないし、ただの口約束一つでここまで後悔をすることはない。そう、所詮はただの口約束なのだが。

「ボク、もう行っていい?」

「いやっ!だから違うんだっ‼︎これ……っ、これには深い意味がっ‼︎」

「意味?意味があれば何でもしていいと思うなよ?その場の勢いで動いて、実際にこんな事になってるわけなんだから呆れちゃうね。次は同じ事にならないように頑張りなよ。付き合ってられないからボクはこれで失礼するけどね。」

「だからぁあっ‼︎違うんだって……っ‼︎」

 こんなのそう返されても当たり前だ。自分だって逆の立場を味わうようなことがあれば、同じように立ち去ろうとしたに違いない。それでも…、と縋り付くように情けない声を漏らしながら弥代は詩良の袖を引っ張った。

「話を聞いてくれっ‼︎」

「言い訳を聞くのが好きな人っていると思う?」

「んな物好きはいねぇだろうなっ‼︎」

「うるさ…耳元で大声止めろよ。」






 弥代がその事を思い出したのは詩良と一緒に家を出て暫く経ってからだった。

 数日前に桜に振る舞っていた飯は、いくら自分は食べれるといってもそんなものをいつまでも食べるのは止めてください、という伽々里(かがり)の言葉で捨てることになった。それから一昨日までは辰味噌屋の手伝いに四六時中振り回され、ある程度時間が過ぎれば用意された飯にありつくことでどうにか凌いできた。

 長屋へ帰るのはどっぷり日が暮れてからの事が多く、適当に近所の飯屋に転がりこみ、あまり物で良いから何か食わせてくれ、という言葉通り、金を出すのが渋りたくなるような飯を出され平らげてと過ごしていた。

 その為、家の中に満足に食べられるものはなく。夜の呑み屋帰りが立ち寄る、朝早くから商い中の証拠である暖簾が出た店に、早々に足を運んだ。

 昨晩の、まるで一人じゃ何も出来ない赤子のような様子はもう見られなかった。二本の箸で器用に焼き魚の骨を取り除いたりと、自分じゃ出来ない細やかな芸当を前に安心するも、食べ終えて勘定を済ましてから店を出たところで、弥代は自分を呼ぶ声に交わしていた約束をやっと思い出したのだ。

「それでね!伽々里さんからおだちん…?を貰ったの!好きなもの食べて良いって言われてね?……でも弥代はさっき朝を食べたばかりなのよね?まだ後の方が良いわよね?」

「ぉおお?この状況でもしかして俺に話し掛けてる⁉︎ちょ…っ、ちょっと待って桜っ⁉︎空気の読み方は教わったか⁉︎」

「詩良…さん、ですよね?いつも弥代ちゃんから聞いてます!とても可愛らしいですね!」

「お前も何ちゃっかり話し掛けちゃってんの⁉︎状況見えてるか⁉︎こっちがどんだけ焦ってるか分かっちゃいねぇな⁉︎

 和馬ーーっ‼︎お前の出番じゃねぇのか和馬ーーーーっ‼︎」

「揃いも揃って騒々しい奴らだよ、全く。」

 それは昨日のことだ。

 昨日朝早くから桜と長話をしていた際、そういえば先日友人から祭りの話を聞いていた事を思い出した。

 大きな桐箱を抱えて帰ってきた薬師が、昼餉の支度をすると声を掛けてきた頃だった。

 春原が帰ってくる前には帰ろうと、飯時には戻ってくると聞かされていた為に帰り支度を始めながら、弥代は桜を誘ってみることにしたのだ。

 まだこの里に住み始めて日の浅い彼女は当然、自分や討伐屋の顔ぶれ以外に知った顔はないだろう。弥代の友人である雪那や、当たり前のように付き人をしている和馬を始め、四月の暮れにあった花見酒の席の面子(めんつ)に声が掛かることは想像が出来ていたし、同い年が誰もいないのは悪い気もしたが、歳が十も離れているわけでないのなら多少話したり、交流を広げられるのではないかと考えての提案だった。

『おまつり…?』

 聞いただけで自分が見たことがあるわけではないものを、大層楽しそうに語っていた和馬を思い出しながら語る。暗い夜空がまるで昼と間違えてしまいそうになるほど明るく染まり、空に大輪の花が一瞬だけ広がる様がうんたらかんたら。誘い文句にしては薄っぺらい言葉で、興味を引けるとは思っていなかったのだが、弥代が一緒に見ないか?と声を掛ければ、大きな目を一際輝かせて桜は分かりやすく頷いてみせた。

 その足で先日の二の舞にならぬよう、風呂敷に包まれたままのそれは家に置いてきて、弥代は数日ぶりの自由な時間を使って里を練り歩いた。

 そしてお天道様が僅かに西の空に傾き始めた頃、偶々近くに用事があったのだろう、里の中では滅多にお目に掛かることのない扇堂家の家紋が飾られた牛車(ぎっしゃ)を見つけ。ともなれば中にいる相手は友人である雪那以外に考えられず距離を詰めた。

『ってことでさ、桜っつー子を連れて行くとおもうんだけど良いよな?』

『討伐屋さんに新しく入られた桜さん…ですか?

 でも弥代ちゃん以外に知った方は…芳賀(よしか)さんも来られると言っていましたけども、不安にさせてしまいませんか?』

『へ?』

  前もって顔を合わせて仲良くなっておいた方が安心させられるのではないか、という雪那の提案を受けて、でも祭りまでもうそんなに日数はないし、なんて弥代が返せば、では早速明日会いましょう!と強引に約束を取り付けられた。

 これで明日桜の方に前もって予定があったら意味がないじゃないか、と行ったり来たり。案の定雪那と一緒にいた和馬に牛車まで近くの茶屋で待たせることにして、えっちらほっちら弥代は討伐屋まで再び足を運び、雪那のいきなりの提案を桜に告げたり。でも桜は自分一人じゃ答えられないからと、弥代の背中にくっつく形で伽々里の元へ行き、祭りに桜を連れていきたい旨も伝えて許可を貰い、明日の約束を取り付けた足で次は雪那達を待たせている茶屋へ走り、明日が大丈夫そうであることを伝えながら用意されていた団子を(むさぼ)り、では明日は討伐屋まで桜さんを迎えに行きますから忘れないでくださいね、なんて言われて、冷えた茶で一気に団子を腹に流し込んでから、明日討伐屋まで直接桜のことを迎えに行くって言ってたとかなんとか、かんとか……。

「まぁ、そうこともあるよな?」

「いや、そんな事あってそう簡単に忘れる奴が他にいてたまるかよ?馬鹿なの?」

「……何も言い返せねぇ、」

 雪那の常に傍にいるはずの付き人である和馬は少し離れた場所からこちらの様子を窺っている。

 恐らくは昨年の秋口の出来事を気にしているのだろう。弥代はそれが何であったのかを結局教えてもらったことはないが、雪那を交えて三人で話す時、決まって詩良の話題になると和馬は眉間に皺を寄せて見るからに嫌がっていた。誰にだって苦手な相手の一人や二人いてもおかしくないのはそうで、だからまぁそういうこともあるだろうと思ってはいたのだがここまで露骨に距離を取るとは思っていなかった為に、それが変で少しだけ笑ってしまう。

「ふふっ、弥代ったら昨日あんなこと言ってたから心配したのに、口ではあんなこと言っておいてお姉ちゃんのことが大好きなのね!」 

「本気で言ってんのか桜?俺がコイツを?んな馬鹿な?」

「そうは言いますけどずっとくっ付かれてますよ弥代ちゃん?」

「いや…っ、だからこれは、別にそういうわけじゃ…っ、」

「……、」

 顔を合わせてもすることなんてあまりにもない。

 討伐屋の敷地にお邪魔するとなれば詩良(彼女)はきっと踏み入らないで本気で立ち去ってしまいそうで。

 今日はこのままずっと二人でいれると考えていた弥代だが、それが難しいと分かれば絶対にどこにも行くなよ!なんて言うだけ言って、例の風呂敷包みを背中に背負う形でその場に戻ってきた。

 近所で朝からやっている店があった事をこんなに感謝したことはない。

 前もって約束をしていた雪那と桜をお邪魔虫と思いたくないのに、どうしても詩良に渡したいものがある、その機会を狙っている弥代からすれば少しばかり二人は邪魔で。いっそ痺れを切らした詩良(彼女)がこの場を離れて、自分がそれを追う形で二人きりになってやっと渡せる、なんて場面がやってきて来れることを願いながら弥代は数刻の間を過ごすこととなった。






 どこからどう見ても自分は場違いだ。

 そもそも住む世界が違いすぎることを今になって痛感する。いや、これまでそんな機会に巡り会うことがなかったから確信を得られなかっただけで、分かりきってはいたことだ。

 これまではこちらから絡めるばかりだったのに立場が逆転したように、相手の方から腕を絡めてくる。違和感が、拭えない。

 今までされたこともない距離の詰められ方や、接し方をされているからなだけかもしれない。それが不愉快で仕方がないはずなのに、それなのにその腕を払うことがどうしても出来ない。

 調子がおかしいのはそれだけじゃない。

 今までの自分がどう過ごしていたのか、そのやり方を忘れてしまったように、出てくる言葉はどれも棘のある(自覚はある)ものばかりだ。

 そんな昨日今日のものではない。何年、何十年と続けてきた、(よそお)い繕い続けてきたもののはずなのに、そのやり方を忘れてしまったというのだから一大事だ。

 こんなことはこれまで一度もなかったし、こんなことが起こるなんて考えたこともなかった。

 せめてもの抵抗に焦りを隠す。決して気取られぬように、適当な返しを並べる。

 そこには少しだけ、ほんのひと摘みの悪意が込められているというのに、やはり住む世界が違う。それが悪意であることを、嫌味であることに気付かぬまま笑みを浮かべられる。キミの、キミの友人であるから我慢をする。その長ったらしい髪を掴んで、引き摺り回しでもすれば多分気分は晴れるのだろうけどそれをしない。いつもの顔がどんなだったかを思い出せないのに、それでもキミの横でだけは少しでもイイ子を装おうとする自分がいることに気付いて驚きを隠せない。結局そう。そうなんだ。キミ、キミがいる限り、ボク、ボクは、ボク…は、

「狡い、よ。」

 何が、狡いんだろう。

 自分が口にした言葉の、その矛先さえ分からなくなる。ぐらぐらと歪むのは何だろう?足元?昨日みたいに立ってられなくなっちゃうのかな?あぁ、そう考えたらそれはとても、

「大丈夫か?」

 顔色悪いぞ、なんて言いながら屈んで顔を覗き込まれる。櫛を通してない、何も整えてない髪がハラリと垂れてきて、それさえ鬱陶しくて仕方がないはずなのに、昨日とは違って、どうしてか向けられた言葉が嫌に感じなかった。

 昨日は突っぱねようと必死だったのが嘘のように、垂れた髪を払い、頬を掠めるその指先の熱が、直ぐに離れていった熱が途端に恋しく感じる。

 外であるのを忘れたように、昨晩の横になった時と同じように、背に腕を回してしまう。

 凭れかかっていないと今は、また直ぐにでも、いつ倒れても不思議じゃないぐらいで。

 それが、無性に怖い。

 今まで培ってきたものが全部全部なくなってしまったような喪失感がどこまで付き纏って、足元で瓦礫になって広がっているみたい。今まで自分を保つためにあったものに牙を剥かれたような、誰も助けてくれないことを知っているからこそ、余計に。

「……詩良、」

 呼ばれて、顔を上げる。

 いつの間にか騒々しい連中はいなくなっていて、見ていなかった間に陽はもう沈み始めている。

 引き寄せた袖口にくっきりと刻まれた皺が、どうしてか今日一日ずっとキミが離さないでいてくれたから刻まれたものに見えて。今さっき頬を掠めた熱同様に、それ以上に愛おしさを覚える。

 そして、

「渡したいものがあるって。俺、言ったよな。」

 背負っていた包みをその場で解く。そういえばもう随分とキミはボクに渡したいものがある、と。そればかりを伝えてきていた気がするけど、でもそれが何なのかはずっと教えてくれなかったから分からなかった。何が出てくるのかと、その様子をジッと見ていたら、一瞬、淡い色が視界を(おお)う。

 ふわり、と上から降りてくる薄手の羽織。

「やっぱり、お前の方が似合うよ。」

 キミは、そう言って笑った。











 夜空に浮かんだ、日々見せる顔を変える月を、誰かが黄色と指差して言っていたとか、言っていなかったとか。取り止めもない、結局どっちが答えなのかも分からない御託を、意味もなく並べる男の姿を長く見て育った。

 夢は深い眠りについた時ほどよく見ることが出来るとか、浅い眠りの方が夢は見やすいのだとか。いつもそんなことばかりを言うもので腹を立てた数は数えきれないほどだ。

 それだけ近くで過ごしたのだろうが、見てきた姿はどれも威厳とは程遠いもの。自分たちに見せないようにしているだけなのかもしれないが、それは同時に信用されていないのではないか?と思い至ってしまい不安になった。

 貴方がいて初めてボクら二人はあの場所から抜け出すことが出来た。貴方がいてくれたから今の生活を送れている。貴方が、貴方がいてくれたからここまで来れたというのに。

 まるで役に立たない自分を少しだけ恥じた。

 貴方がボクらに見せるその一面が、ボクらにとっては全てで、狭い、世界だった。

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