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筆録・鬼ノ目  作者: pixivにて~187話まで掲載中
五節・梅子黄、破られし縁
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二十九話

 思わず桜は自分の耳を塞いだ、という。

 右手に持っていた箸をお盆に戻す余裕もなく、そのさまま先っちょが頬に触れて。左手で持ち上げようとした(わん)は指先が掠ってしまった為に小さく揺れ、ちゃぷんちゃぷんと波打った味噌汁が少しだけ(こぼ)れて、お盆の上を濡らしてしまったそうだ。

 なんてことをしてしまったのだろう、こんなの叱られるに決まっていると、恐る恐る隣に座る相手を見遣ったそうだが意外にも彼女、討伐屋の薬師と目が合うことはなかったと話す。

 そもそも何で耳を塞いだのかを弥代が訊ねてみると、そうなの!なんて、何がそうなのか全く分からない反応を見せた後、桜はより一層嬉しそうに口を開いてみせた。

「弥代はよしか(、、、)さん(、、)って知ってる⁉︎」

「黒介の事だろ?知ってるも何もお前よりもずっと討伐屋(あそこ)なら付き合い長いんだから、知らねぇ方がおかしくねぇか?」

「ん……、………んぅ?そ…そうね?」

「何も分かってねぇのに分かった顔すんの止めろよ?」

 やや釣り上がり気味の目尻が随分と元気そうなもので弥代は安心した。

 桜を春原討伐屋の伽々里(かがり)に托してから今日で五日目。誤解を生まぬようにと気を効かせた伽々里(彼女)によって、どのように聞かされたのかを弥代は聞かされていないものの、知っているものが偏っている桜でも理解出来るように説明があったそうだ。

 元々数日経ったら様子を見に行くとは言っていたのだが、先日の辰味噌屋(たつみそや)の化け猫亭主・辰五郎(たつごろう)に話を聞きに行くと声を掛けてしまったからか、翌日の朝にはまた長屋()の前の土を掘り起こされ小憎たらしい狐坊主に朝っぱらから叩き起こされたり、一番気掛かりだった事の顛末を聞けたのだから帰ろうと支度を始めた辺りで、別件でまた頼み事があります助けてください〜っ!と足にしがみ付かれたりで散々な目に遭っていた。

 早ければ一昨日には来たかったものが気付けば今日で五日目だ。

 伽々里(彼女)から説明を受けたという話も聞かされたのはつい先程の事。こんなに時間が掛かってしまったものだから、最悪なにかしら言われるのだろう、と。もしくは桜に殴られでもするだろうかと心の準備をして()ていたものだから拍子抜けしてしまったのは秘密だ。

「そんで、黒がどうしたってんだよ?」

「うん、あのね!」

 桜が耳を塞ぐ原因となったのはどうやら討伐屋に属する、討伐屋を抜きにしても普段から(つる)むことの多い芳賀(よしか)黒介(くろすけ)のようだ。それはあまりに突然の事で。吃驚(びっくり)してしまったものだから彼が何を言ったのかを桜は聞き取ることは難しかったようだ。何となく心当たりがありながらも触れはしない。だが翌日の朝には向こうから名前を教えてくれて、薬師が近所の家々を診て回るのに同行して、あそこの家にはどんな人が住んでいるか、とか。鶏冠(とさか)のやたらと立派な鶏はあっちの家で飼われているが、しょっちゅう逃げ出す事が多いから騒がしいのだ、とか。聞くよりも前に色んな事をいっぱい教えてくれたと言う。

 お節介焼きで人懐っこい彼らしいと言えばらしいのだが、幼い少女にどう接するべきかが分からないと泣きつかれたのだと、芳賀同様に討伐屋に属する館林が愚痴を漏らしていたのを思い出す。四六時中付き合いがあるわけではない自分が彼らの関係を全て知っているはずもなく、色々とあるんだろうなと区切りを付けた。

「相良さんに似て声がやたらと最近大きい事があるけどよ、まぁ悪い奴じゃねぇのは違いねぇから安心していいと思うぞ。」

「そうね!よしかさん(、、、、、)はとっても優しくしてくれたわっ!でもね…でもね?」

 たてばやしさん(、、、、、、、)は手強そうでね!と、桜は次の人物へと話を進めた。

 初日は入浴の手順(やり方)から始まった。自分が着ていた、弥代から貸してもらった服を洗い干して、天気が良かったので二刻もすれば乾くだろうが、待っている時間が勿体無いので昼餉にしようという伽々里(彼女)の後ろに続いた。

 これから何を教えてもらえるのだろうと身構える桜に伽々里は暫くは見ているだけで良いと言ったそうだ。

『いきなり学ぶにしても自分が何を知っていて、何を知らないのかを知るところから学ぶ方がいいでしょう。いきなり全てを覚える必要はありません。流れがどうであるかを理解して、理解出来たところまでを一つずつ覚えていきましょう。

 ですから、何も焦る必要はありません。』

 そう言われてしまえば前のめりになっていた姿勢も落ち着く。肩の力を抜いて、体を休めて。

 食事の用意が終わるまでゆっくりしていてくださいと声を掛けられて、庭に面した縁側でボーッと足を揺らして過ごしていると、彼等(かれら)が帰ってきたそうだ。

「春原と一緒だったわけな?」

「なっ……⁉︎何で分かっちゃうのよ‼︎」

「いや、今の流れでその二人以外出てくるのは考えられねぇだろ?討伐屋、なんて言ったって人手はたかが知れてるからな、それで全員だし。」

「そ……っ、そう、なの?」

「そうそう。」

 自分でなくても討伐屋の事情を知っている者なら、誰でも言い当てることが出来るだろうと自信満々に胸を張って言えるものだと弥代は(こぼ)した。 

 さっきの芳賀に続き館林の話となり、相良はまだ怪我の影響か安静にするように伽々里から言われ、部屋から未だ出せてもらっていないのだろう。おかげで討伐屋()は静かだ。伽々里とは今の話の時点で、もう幾らか言葉だけではなくやり取りはしていることだろうし、芳賀の話が夕餉の時だとすれば、自ずと館林と一緒に帰ってきたという相手も想像がつく。そして弥代は先日の春原との別れ際を思い出し、彼が帰ってくるよりも早く今日は帰ろうと胸に誓う。

 縁側から見て右手の正面口からではなく、左手から中へと入ってきたのだという二人。その内の一人、春原をしっかりと覚えていた桜は、気付いた時には体が勝手に動いており。丁度履ける草履がなかったので下に降りることは出来なかったが揺らしていた足を持ち上げ、膝を床板に付けて彼に挨拶をしたらしい。

「どうせ返事なかったろ?」

「ふふんっ!もう驚かないんだからね!そうよ、そうなのよ!春原さん何も喋ってくれなくって!でも榊扇の里(ここ)まで来る間に相良さんがそういう人なんです!って教えてくれたから全然気にしなかったんだからね!」

 でも、と桜は続けた。

「一緒にいたたてばやしさん(、、、、、、、)が慌てちゃって……、」

 桜と館林が顔を合わせたのはそれが初めてだったのだろう。弥代が桜を討伐屋に連れていったのもその日が初めてだった。日が登るか登らないぐらいの夜更けに敷居を跨ぐも、物音に気付いた伽々里によって迎え入れられたのみ。

 春原の後ろにくっつくように、朝餉を終えた彼が外へ出ていくのを横目に、弥代は居間に敷かれた布団で横たわる桜の手を握って過ごしていた。

 弥代が目を離してから少しの間、玄関口の方から微かに視線を感じたので向こうもこちらを見ていたのかもしれない。

『坊……いくら何でもそいつは……っ、』

「春原さんは坊さんなの?」

「え?……あっ、いやぁ?気にしたことねぇけど、館林さんからしたらそうなんじゃね?」

 今までまるで気にした事がなかった事なだけに弥代は首を傾げた。そこまで歳が離れているようにも見えない上に、いつだったかは覚えてないが芳賀(よしか)から、館林と相良は歳が同じだと教えてもらったことがある。つまりは相良と同じしか春原と歳が離れていないことになるが、五つか六つしか違わない歳下を普通は坊、などと呼ぶだろうか。

「まぁ知ったこっちゃ無いけどさ。…そんで、何が手強かったんだよ?」

 わざわざ聞くまでもないことを、それでも弥代は桜に求め続けた。

 

 話し相手がいて、誰かと話すのが桜は好きなのかもしれない。

 数年前にあの宿屋で、一年にも満たない時間をただ過ごしただけだったが、他にすることがなかっただけかもしれないが、桜は兎に角お喋りが多かったのを覚えている。

 冬の足音が近づいてくる、色褪せた山間(やまあい)を手を引かれた。もう随分と誰かと言葉を交わしたことが無かったように思えるほど弥代にはそれまでの時間が長く、ゆっくりとしか動かせない口でどうにか言葉を紡ぎはするも、自分がやっと一つ返事を返す()に、桜は矢継ぎ早に色んなことを話していた。

 二月(ふたつき)も一緒に過ごすようになれば舌もよく回るようになったが、何でもないことを逐一、さぞ面白かったのだ!と言いたげに話されてしまえば、桜以外と接することもない自分には話すことが何もなく。静かに耳を傾けるばかりだった。

(けど、今は違うんだな。)

 同じものを見て、似たようにも違うようにも感じたものを互いの言葉を持って交わし、共感をすることが出来る。たったそれだけの事がどうにも胸を熱くさせる。

 自分はこの子を、この子の為に何かをしてやることが出来て、それによってこの子をあの場所から救ってやれて、それで、

(多分、普通ってやつを与えてやれてる。)

 そう思いたいだけなのかもしれない。自覚はある。それにこの場所が決して普通とは呼べない環境なのも弥代は理解している。それでもまだ知らないことが多いばかりの自分の傍に置いてやるよりは、少しばかり頼ったりする機会が増えてきた彼らのほうが桜の為になると弥代は考えていた。

 それでも本当は、もう少しだけ二人だけで過ごす時間があっても良かったんじゃないかとも思えてしまう。弥代からすれば難しい話だ。






 鬼ノ目 七十九話






「そういえば弥代、お姉ちゃんがいるってホント?」

「は、えっ?姉?」

 もう随分と長い時間が経った気がするのだが、誰に割り込まれることもなくあんなことがあった、こんなことがあったと他愛もないお喋りを、弥代は桜と続けていた。

 それでも日頃の癖からか、意識せずポロっと出てきてしまう悪態や、悪い言葉に桜が頬を膨らませて叩いてくることも多く。だというのに気が済むや否やコロっと表情を変えて、そういえばね!と弾んだ声がすれば弥代はただ釣られるだけ。知っている話題であればやや食い気味にそれは違うだろ、と返したり、それよかこっちの方が良いと食べ合わせの話を勝手にし始めたりと、かなり自由な会話を続けていた。

 昨日の内から今日は討伐屋へ出向いて桜の様子を見ると意気込んでいたものだ。討伐屋を目指す道中、進行方向からやって来た伽々里(かがり)と桜を見て、彼女に会い様子を見るという目的は果たされたのだから、暇だから薬師の訪問に付き添いでもしようかと名乗り出たのだが、あっさりと断られてしまった。

『貴女のような方を病人の近くに?冗談は止してください。良くなるものも悪化してしまいますわ。

『当たりが強くねぇか⁉︎前に一回着いて来いって荷物持ちさせたことあったろっ⁉︎何でだよっ‼︎』

『桜さん、今日は先に戻っていていただけますか?彼方(あちら)の騒がしい方と一緒に私が帰るまで待っていてください。』

『まだ話は終わってねぇぞっ‼︎』


「…………あっ、で?何だっけ?え、姉ちゃん?」

「そうよそうよ!よしかさん(、、、、、)が言ってたわ!弥代にはすっごくすっごくキレイな?弥代と似全然似てない可愛いお姉ちゃんがいるって!」

「ぉお……、アイツ、言うじゃねぇか?」

 別に何もしてやるつもりは全くこれっぽっちもない。弥代自身は確かに男か女で言えば女ではあるが、その日頃の立ち居振る舞いは言うまでもなく男勝り、なんなら男さながらのものが多い。長年それが当たり前のよう身に染み付いているし、今更改める気も沸かないし、男のような振る舞い(それ)で自分が何か損をするという事もない。なんなら身の回りの女共の様子を見ていれば言動の一つで面倒事に巻き込まれている様子も見たことがある程だ。似たような目には遭いたくないものだ。

 だから別に…、別になんと言われようとも気にしたことがなかったのだが……

(何だ?知った相手に他所(よそ)でそんな風に思われてるわけ?……あっ、いや違くね?今のは俺のってーよりは詩良(アイツ)のことであって…、だから、えっと?)

「姉……姉かなぁ?」

「お姉ちゃんじゃないの?」

「いや……えぇ?姉ってよく言ってるけど、アイツ……、」

「違うの?」

「だって……血の繋がり、あるわけじゃねぇし。」

 ここにはいない本人を思い出して、弥代は急に居心地が悪くなったように口をもごつかせる。さっきまで晴れていた空模様が一変して暗雲が立ちこめたようになったが、それは心の内の話。実際の空は雲一つない夏晴れを見せている。一瞬でそれが憎たらしく感じた。

「姉って、まぁ…当人は言いはするけどよ、」

 歯切れが悪い。

 自分の双子の姉を名乗る奇妙な彼女と出会ったのは昨年の秋のことだ。友人である雪那の厚意で扇堂家の屋敷で春先から初夏ぐらいまで過ごしていたのだが、いつまで居座るのも変だと、この里で一人で暮らしてみようと思うと話を持ち出した僅か数ヶ月後のことだった。

 実りの秋の榊扇の里は東の江戸、西の京に大阪から立ち寄る商人も多く、滅多にお目に掛かることのない食材に出会え、飯屋が今日は偶々(たまたま)さ、なんて振る舞う飯にあり付けると聞いて、気持ち多めに飯処(めしどころ)を利用していた。

 おかげでツケ払いが溜まりに溜まり、何軒か回っても店に入れてすらもらえず、屋敷から出て来ていた雪那の奢りで茶を飲んだ、あの日はその帰り道で……

『あぁ…っ!会いたかったっ‼︎会いたかったよ弥代!ボク、キミに会いたくて居ても立ってもいられなくて来ちゃった!』

 遠目に見た、秋の夕暮れ時の赤々と燃ゆる空を見つめる横顔を、(かす)むことをまるで知らない“色”を目にした、すれ違い際。あまりに自然と腕を絡め取られ、改めてそのその“色”を間近で目にした。

 あたかも面識のあるような、自分は一切知らない相手にそんな風に接せられるなんて普通はありはしないことだ。驚きすぎて空腹を紛らわすために咥えていた草を落として、唖然とすることしか弥代は出来ず。それで

『だ……っ、誰だよ…アンタ、』

 やっとの思いで絞り出した声は、きっと若干は震えていたはずだ。



「あんなの、姉じゃねぇよ。」 

 どうしてかな?と桜は考える。

 理由は分かりきっている。きっと弥代にとって、そのお姉ちゃん(、、、、、)という存在はあまり触れられたくない話なのだ。あまり多くの物を知らない桜でもそれは分かった。でも、どうして弥代がそんな嫌そうな顔をするのかが桜には分からない。

「お姉ちゃんの事、好きじゃないの?」

「すっ、好きぃぃい?な……なんで、俺がアイツのこと好きになる必要があんだよ?」

 やっぱり変なの、と。そう思う。

 だって弥代にとって、そのお姉ちゃんという存在は別に血の繋がり?がなくても家族に違いはない筈なのに。

 でも、きっと自分がそういう風に考えてしまうのは、自分にそう言ってくれる存在()がいたことがないからなんだろうな、とも桜は考える。

 私は旦那さんのこと、お父さんってこういう人の事を言うのかな?ってずっと思ってたけど、旦那さんには女将さんだけじゃなくて私よりも()っちゃな子どもが二人もいて。だから、

「自分が家族って思ってる人に家族って思ってもらえないのって、とってもきっと寂しいことだよ。」

 桜は思わず言ってしまった。



「自分が家族って思ってる人に家族って思ってもらえないのって、とってもきっと寂しいことだよ。」

 他人の言葉でこうも簡単に掻き乱されてしまう。

 何だったら彼女をよく知る、彼女が贔屓にしているという呉服屋夫婦に対しては、先日だって自然と彼女の話をすることが出来たというのに、だ。

 自分が気に掛け続けている(この子)の言葉だからこうまで気にしてしまうだけなのか?と答えが見当たらずに考えあぐねていると、桜のそんな言葉に一気に意識が引かれた。

「え?」

「……え?」

 今の…、と弥代が切り出せば、口にした当の本人は自覚がなかったのだろうか。途端に慌てた様子を見せた。それこそさっきの会話にあった、春原の返しに取り乱した館林のように。

「あぁーーっ‼︎だからっ…!その…っ、えっとぉ‼︎」

 何か言いたそうに、グルグルと右往左往する目を追う。

「わっ、私は!寂しかったっていうことなのっ‼︎」

「誰に?」

「そんなのっ!言わなくたって分かってよっ‼︎」

 胸元を強く叩かれる。握った小さな拳がプルプルと震えていて、少しだけ察する。弥代があまりいい印象を抱くことなく別れることとなった(恐らくはこの先、二度と会うことはないだろう)、桜が暮らしていた宿屋の主人だ。

 彼は決して自ら好んで人買いを生業(なりわい)とはしていなかったのではないか、というのは相良の見解だ。弥代に桜の事を頼み、春原を待たせた街道まで戻る最中、海沿いの町に住む年配の者にいくらか話を聞いて回ったという。その話と、自分の目に映った宿屋の主人を照らし合わせた結果だと話していた。

『桜さんの話を聞く限りでも、彼が本当にあのような事を進んでやっていたとはどうにも考えられませんね。人には皆、誰にも言えぬ秘密の一つや二つ、どころではなくなんでしたら五、六個ぐらいあっても可笑しくはないですから、何らかの事情があったのではないでしょうか?』

 弥代さんがどう思われるかはご自身の自由ですが、という言葉と共に。

 桜は、決して勘の悪い子ではない。

知っている物はどうしても偏ってしまっているし、覚えている言葉も時折、その使い方はおかしいな?と感じることもあったが、伝えようとしていることは何となく伝わるし、自分に向けられた言葉に対し、何となくでも返事をしっかりと返せる。ただ、弥代と相良がそんな話をしているのを、薄ら意識がある中で偶々聞いてしまっただけかもしれないが、一日目以降は弥代の前で宿屋の主人の話をするのは止めた。その変わり、初めて目にするものに対しあれは何で、これは(なん)なのか?と相良へ質問をする事が増えた。(都度、相良はしつこいぐらいに言葉の意味を半分も理解出来ていない桜に説明を繰り返していたが)

 今だってそうだ。桜はその人物を呼ぶことはないが、きっと弥代にそれ(、、)を伝えようとしている。

『自分が家族って思ってる人に家族って思ってもらえないのって、とってもきっと寂しいことだよ。』

 より鮮明に、まだ聞いてそれほど時間も経っていないからこそ、その声色ごと思い出す。



『桜さんに比べれば確かに弥代さんは多くの事を知っていますでしょう。でも残念なことに、弥代さんはどうにも何事からも逃げる癖があるようでして。面と向かって何かと向かい合ったことが、恐らくは数える程しかないのですよ、きっと。』

 春原討伐屋に居座って三日目のことだった。

 昨日は薬師として近所の家々を回っては病人一人一人の体調を見た上で薬を用意する、伽々里の後ろにピッタリとくっつく形で。普段は手伝いもしないのに不思議ですね?という言葉に冷や汗を掻きながらも桜に隣に並び、伽々里(彼女)の重たい薬箱を持ってくれる芳賀(よしか)と三人で過ごすことが多かったというのに、その日は打ってかわり、自分を助けてくれた三人の内の一人である、相良の部屋へと桜は呼ばれていた。

 例のアレを直接倒したという春原に対する憧れが強く、数年ぶりの再会を果たした挙句自分を連れ出しに来たのだという弥代には感謝は勿論の事。二人にはそう思いはするというのに、正直なところ桜は相良をどのように見ればいいのかが分かっていなかった。

 優しい人なのに意地悪なことを言う。桜はよく分かっていないが多分それは(わざ)となのだと、感覚で理解出来る。大人なのに意地悪をいっぱいする。まるで女将さんみたい。

 助けてくれた、助けるようにと色々と一番頑張ってくれた人。ありがとうございますって言っても受け取ってもらえないで流されちゃう。だからよく分からない人。

 笑ってるのことが多いはずなのに、全然楽しそうじゃない、変な、人。

 伽々里が戻ってくるまでの間だけでしたら話してもいいと言ってくれましてね、なんて言い出すから何を話されるのかな?と桜が身構えていると、彼は突然、やっぱり難しそうな、桜があまり分からない事を言い出した。

『きっと伽々里(彼女)はそれが許せないのでしょうね。でも見なかったことにして見捨てることは出来ない。そういう方なのですあの女性()は。あまり過干渉もよくないと、距離を置くのも時には必要でしょうが、ただそれをするにしても弥代さんはそれにさえ気付けないぐらい未熟で。下手をすればその点に関してのみ言えば桜さんよりも幼いままでしょう。』

『弥代が?私よりも幼い?』

『えぇ、はい。』

 そんなことあるのかな?と思いながらも桜はあまり口を挟むことはしなかった。それはあまり光が入り込まない薄暗い部屋の中で、話している相良がどんな顔をしているのか分からなかったからではない。なんとなく、私はこの人の言葉を、今だけでもちゃんと聞いていてあげなくちゃいけないんだな、とそう気付いたからだ。

『弥代さんは桜さんの事を大切に思っています。それは違いありません。あの地にいる時は、少なくとも私が見ている限りではずっと貴女の事を気に掛けていました。貴女は彼女に、弥代さんにとって今後もずっと、掛け替えのない存在であることでしょう。だからこそ、どうしようもなく逃げ癖のある弥代さんを、貴女は繋ぎ止める事が出来る、と。私はそう考えております。』

『………、』

『時にそれは、弥代さんの知らないことを桜さん、貴女の言葉で伝えて教えてあげることだって出来るはずです。きっと、貴女はそれが出来てしまう存在(ひと)です。ですから、伽々里が言っていたように、今はどうか焦らず、自分の知っていることを、知らないことが何なのかを見極めて……、』

 でもね相良さんと、桜は心の中で呟く。

 今はまだ、と伽々里と相良は桜に優しく語りかけてくれたが、多分それが指すのはきっと今のような事なのだろうなと、桜は一人思うのだ。

 これが正しいとも間違っているとも、早とちりや気にしすぎただけかもしれなくても良いから、それはきっととっても(さび)しいことだよ、と弥代に伝えたい。

 桜は、



 不思議な感覚だった。

 特段、それを嫌という風に感じたわけではないのに、先ほどよりも近い場所でハッキリ突っ掛かりを覚える。今も消えずに残っているこの感覚が正しくそれだ。

 あんな事、一々誰かに言われなくても分かっているつもりだったのに、何故だろうか彼女の、桜の言葉は深く残っている。

 弥代は桜の事を綺麗だと思う。それは何も外見や見た目の話ではなく内側の話だ。多分誰もが誰かを恨まずにはいられない、目を瞑りたくなっても不思議ではない環境にずっといたというのに、その心はひどく澄んでいる。まっさらで、真っ直ぐ。だからこそ数年前のあの出会いが、過ごした時間がずっと自分は忘れることが出来ず、だからあの地では常に意識を鋭くさせ続けていたのかもしれないが。

(家族……か、)

 弥代にその感覚はどうしても分からない。

 先の春には半年ぶりに帰ってきた榊扇の里で、詩良(彼女)が見立ててくれた、自分らしからぬ装いで芳賀(よしか)と一緒に茶屋で時間を潰したことがあったが、家族なんてものは四六時中同じ屋根の中で顔を見合わせているだけの、そんなものとしか考えていなかった。

 (いや)、そんなことはない。

 弥代にだって家族と呼べる、そう思える存在はいた。忘れもしない、忘れていい筈がない、あの、名も知らぬ老夫婦だ。片時(かたとき)だって忘れたことはないさ、なんて綺麗事は並べはしないものの、数年前の出来事だというのに先ほどの桜の言葉同様に、なんならさっきよりもずっと色鮮やかに覚えている。

『寂しくないように。寒くないように。傍に、いてあげたいんだよ。』

(そういう、もんなんだよな。家族って存在は。)

 桜が弥代に伝えたかったのはきっとそうではないかもしれない。それでも今は、

(あぁ…、でも、元気そうで良かったや。)











「アレ?」

 一歩、思わず踏み出した足を元に戻し、路地裏を覗くように顔を向ける。

 傾いた夕陽で出来た影のせいで、後少しで気付かずに過ぎ去ってしまうところだったと、目を見開いて表情を緩めた。

「……詩良(しら)っ!」

 少々入り組んだ路地の奥、こちらに背を向けている見慣れた後ろ姿が一つ。それから、

「弥代?」

 見知らぬ男が、三人ばかし。


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