表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
筆録・鬼ノ目  作者: pixivにて~187話まで掲載中
五節・梅子黄、破られし縁
69/186

十七話

 距離にしてしまえば五間(ごけん)足らず。

 もう少々離れた位置に落ち着かせた方がいいのではないかと春原は考えたが、それでは見据えるべき相手が(けむ)に巻かれ見失う可能性に至った。

 自ら意志を持って関わろうと、歩み寄ろうとする弥代からは常日頃、もっと頭を働かせろ、考えてから動け等々(とうとう)叱言(こごと)を浴びさせられることが多かったが、何も春原は考えなしで普段から動いているわけではない。

 それが表に出ることがないだけで、彼は彼なりの物の見方をしている。それを理解する者が多くはないというだけで、考える頭が無いなんてことは決してなかった。

 横目に意識を手放したのを確認すると、土に掻き立てられた指を解く。そしてその傍らに相良から渡すようにと託された、昨日の内に預かっていた弥代の刀を置いた。

 焚き火のあった場所より弥代が駆け出した(のち)、まだ怪我が完治しているわけではない相良を背負った春原は、駆け足とは呼べない速度ながらも人を一人抱えた状況でその後を追った。初めから分かりきっていたことではあるが、最後の最後まで追いつくことが叶うことはなかったのだが、駿河の集落まで(あと)一息といった時、遅れていたからこそ遠目で二人は(先に気付いたのは背負われ前方を見渡すことが出来た相良だったが)その異変に気付くことができた。自分たちが正に今目指すその方角から、火の手が上がっている事に……。

 陽が沈み、夜が世界を覆い隠す時であろうとも、人間は火を焚べ、些細な営みを紡むいでいくものだが、それがどうしても自然の流れから反っているように感じれてあまり夜に火を焚べるのは好ましくないのだ、と。そんな事を先の津軽への道中、火起こし役を名乗り出た館林が零していたことを思い出しながら、春原は相良に言われた通り彼をその場に置いて、駿河の地を先に踏み締めることとなった。

 遠目に見ても分かる燃え盛る火の手に気付かぬわけがない。過去に一度足を運んだことがある、寂れた海沿いの集落の、目を覚まし家から慌てた様子で飛び出してくる弱い人波との衝突を避けながら、春原は着実にその足を進めた。

 そして春原は今、(くだん)の宿のただっ広い庭で一人、弥代が救いたいとその意志を示した子どもと、その子どもの首根っこを掴み茫然と立ち尽くす、意識がどうにもあるようには見えない男を正面に見据えて立っていた。

 左腰に常に差している刀の鯉口を春原は切った。これをせねば鞘から出た刀身で親指の腹を切ってしまう。痛みに多少なりと耐性があろうとも、刀を握る、振るう上で親指に力が入らぬのは満足に振るうことも出来なくなる。

 つい先日まで榊扇の里を治める、扇堂家が用意したとされる屋敷脇の道場において稽古事に勤しんでいたが、五年以上掛けて身に染み付いた習慣と癖を持つ春原にとってそれは、本来彼が持つ実力の半分たりとも発揮することが出来なかった。

 扱う道具がそもそも違うのもそうだが、慣れ親しんだ土を掻く草履でもなければ、四方を壁に囲まれた空間でなど刀を彼は振るったことがない。稽古をつける屋敷の男に意識を集中させればいいと、言葉の意味は理解出来てもそれを実行に移すことが春原にはひどく難しい話であった。

 最後に彼が本気で刀を振るったのは、先ほども一度思い出すことがあった、先の津軽での一件の以降一度たりともない。狙った獲物を捉えることが出来ない太刀筋に意味はない。昨日(さくじつ)の、また得体の知らない声ばかりの存在へのそれを春原は数に含むことはしない。

「………駄目だ。」

 一巡を経て、彼は出したばかりの刀身を、その(はばき)を鞘の中へと納めた。

「ただの人間に、刀を向けてはいけない。」


 改めて春原は正面の男と、赤髪の“色持ち”の子どもを意識を向ける。火の手は徐々にその勢いを増していくというのに、男はそれに全くと言っていい程反応を示すことはない。

 仲間……、と(おぼ)しき存在がいたとして、既に姿を見せていてもおかしくはない状況に違いはないだろう。誰一人として火を消しに動く気配は感じられない。時間が経てば経つだけ火の手は広がり、終いにはこの場にすらいれなくなるだろうが、それでも現れないというのは一人に違いない。そしてそれが大きな拭いきれない疑問へと繋がる。

「何が狙いかが、分からない。」

 相良が間に合っていれば恐らくは、その疑問を口にしただろう。

 共に過ごしてきた年月が長い為にか、あまり他所への関心がないと言われることが多い春原であっても、彼の中には相良という男ならどうするか、という予想がいくらか立てることが出来た。

 そして頭の中の相良に春原は同意の姿勢を示す。

 春原には見据えた男が、何を目的にこのようなことをしたかが、まるで理解出来なかった。

「違う。」

 (いや)、そうではない。春原が理解出来ないのは男のそれではなく、男の背後に纏わりつくように浮かぶその存在(、、、、)だ。細長い胴は(さなが)ら蛇のよう。しかしそれは地を這うことはなく(ちゅう)を漂う。

 頭部と思しき箇所は不定の、形が定まらない何かがによって覆われていた。

 そしてその存在を知覚した途端、春原は今度は迷いなく抜刀をした。今の今まで見ることが出来なかったそれ(、、)は、あまりにもごく自然にその姿をその場に見せたのだ。これが人ならざる存在(モノ)でなくてなんと言うのだろうか。それと対峙した春原の刀に迷いは一切なく。

「……そうか、それなら構わない。」

 ようやっと彼は刀を構えた。






 鬼ノ目 六十七話






 刀を握り、大きく一歩を踏み出すも、春原は狙いを見誤ることはしなかった。

 あくまでも彼の目的は、弥代が救いたいと望んだ赤髪の少女・桜を助けること、それのみ。

 その目的のために邪魔になりかねない存在へと、刀を振るうことになるのは多少なりとも、次第に仕方のないことなのではないか、と思えてきてしまう。相良が今この場にまだ辿りついていないことを好機と捉えるかは少々判断の難しいところではあるが、そんな悠長なことも言っていられないのが現状だ。

 春原が斬り伏せるべきと見た対象は、男の背後に突如姿を見せた、(まご)うことなき“人ならざる存在(モノ)”。相手が何者であるかも、その出方が分からぬ内にこちらが仕掛けるのはあまり賢い選択でないことなど分かりきった話だが、そちらを選んでいる時間のほうがなさそうなことを春原は理解していた。

 しかしいざ距離を詰めたところで新たに分かることなど何もなく、ただ憶測が確信へと変わったのみだった。

(……実体が、ないのか。)

 男の体に纏わりつく、長い胴は後ろ手に広がる火の手が微かに透けて見える。人ならざる存在であろうとも、実体をなくしては何も起こすことが出来ないというのは相良の言葉だ。そしてそれを見極める術の一つに、その足元へと視線を落とす。

「影が、ない。」

 それは、意識のない男がその存在によって操られている、もしくは取り憑かれているだろうことを意味していた。



 まだ熱を持つ、その体に鞭を打って相良は走っていた。

 ジクジクと、その熱は今になってぶり返す。何も今でなくてもいいではないかと軽口を()くも、なにもそんなことが言ってられる状況でないことは相良が一番誰よりも分かっていた。

 昨晩、得られる限りを得て、春原が待つ場所まで戻った相良は、それだけではあまりにも不十分に感じ、一人では多少不安に感じる部分もあった為に先ほどまでと同様に、今日(こんにち)の日中は彼に背負ってもらい移動を行っていた。

 本来ならば直接、寂れた町を抜けた先に位置する久能山。そこにある極彩色に彩られた社殿にて、この土地についての話が聞ければよかったのだが、どうしても町を避けて向かうには遠回りが必要となり、麓に着けたとしても潮風に長年晒され続けた石段は、決して人を一人背負った状態で登ることができるほど生半可なものではないことを相良は知っていた。

 多少の無理をさせてしまってでも、目指すべきではなかったのかと、今になって先の決断を後悔するもそんなことに時間を割くことさえも今は惜しい。

 何事もないようにと、自分が辿りついたところで何の役にも立てないと分かっていても、向かわずにはいられない。これは自分が始めたことなのだから、巻き込んでしまった二人だけに無理を強いていることを彼が悔やまないわけがないのだから。

 表面上の腫れは退いたもののまだ内側の痛みが消えてはくれない。それでも、相良は前に進むしか出来ないのだから。

 しかし、

「相良」

「ぇ…?」

 驚き、前のめりに倒れそうになる体が支えられる。

 右肩に食い込んだ指先がそのまま、進もうとした方向とは真反対へと押し退けられる。突然の出来事に思考が追いつかず、縺れた足も数歩そんな状況に晒されれば頭が理解するよりも早く体がの方が順応していった。

 そして煙の中から飛び出してきた、春原のその手が相良の肩から離れた頃、彼は僅かに遅れながらも春原に並ぶように走り出していた。

「春原さん…っ⁉︎これは一体…どういう状況ですか⁉︎」

「知らない。俺はただ、弥代が望んだから子どもを引き剥がしただけだ。」

「弥代さん…?子ども……?」

 そして相良はハッとする。自分が走る彼の左手からは見え辛いがその小脇と肩口に器用にもぶら下がった、対極な髪色をした二人の存在に。

「暴れられては面倒だったから大人しくさせた。」

「傷が残るようなことじゃないことを信じますからねっ‼︎」

「……問題ない。」

「目を合わせてからそういうのは言いなさいな‼︎」

 それどころではないのは分かっているのだが、誰一人欠けずに(二人は意識がないようだが)合流が出来たことに相良はひどく安堵した。痛みから一時でも意識を逸らし、並んで走る春原へと意識を向ける。

「どこか宛てがあるんですか?」

人気(ひとけ)のない……、拓けた場所が良い。」

「一度状況を整理する必要もありますでしょう。高い場所を目指しましょう。」

「………分かった。」











 蓋が、少しだけ開いてしまった。

 それが何の蓋なのかは分からないが、そういえば覚えているだけでもその蓋が開いていることを弥代は一度も見たことがなかった。

 何が中にあるかなんて今の今まで一切考えたこともなかったのに、誰も邪魔をすることもない、余計なしがらみも、面倒臭い悩み事も全部、全部。何もないこのまっさらな場所でぐらいなら、少しぐらい中を覗いてもいいんじゃないか?と、本来まだ持っていても何ら可笑しくはない、幼い好奇心が擽られてしまった。

 誰に咎められることもなければ、何を気にすることもない。こんなまたとない機会はもしかしたら二度とないんじゃないか?と思えるぐらいに軽やかな心で、少しだけ、ほんの少しだけ…、と開きかけた蓋に手を、掛けてしまう。

『まだ、駄目だよ。』

 と、それは後ろから伸びてきた、自分よりも一回り小さくしなやかな手に制されてしまう。頬を掠める、青い髪に気付き振り向けば、そこには随分と小柄な少女が立っていた。それでも背は自分よりはありそうだ。

 胸の前で小さな掌を、ぎゅっと握り締めている。くっきりと瞳を縁取る睫毛の、その奥で明るい“色”が小さく震える。重たげな前髪で作られた、薄い影の中で揺れるその瞳が、どうしてかあの男を弥代に思い起こさせた。

(あの、男……?)

 それは、誰だろう。思いだそうとすれば直ぐにでもどうにか思い出すことが出来そうな気がするのに、今この場においては、それ《、、》を、思い出してはいけないような気がする。

(俺は、何をしてたんだろう?)

 誰もいない。しがらみも、悩み事もなにもない。そんなものに雁字搦めになっていた筈なのに、それが何だったのかが、今の弥代は思い出せなかった。

 自分は、ここに来るまでの間、何をしていたのだろう。

 少女から、意識が逸れる。そしてまた、あの、開きかけた蓋に目が行く。あれを開ければ(、、、、、、、)、開けて、しまえば、何かが、忘れてしまった何かを、思い出せるような気が弥代はした。そして素直に、またその蓋を開けてしまおうと手を伸ばす。

『駄目。』

 強く、先と同じ声で制されてしまう。

『駄目、だよ。まだ…、駄目なの。貴女はまだ、それを見ちゃ駄目。』

 蓋が、閉められてしまう。その小さな手で、しっかりと、抑えつけられれてしまう。そこまでされて、駄目だと何度も言われてしまえばそこでおしまい。それ以上は何もない。何もないのがどうしようもなく、寂しくて。

『じゃぁ、いつなら良いんだよ?』

 弥代は少女に、問いかけずにはいられなかった。











 曰く、それはまるで初めからその場にいたかのように突如、姿を見せたのだという。

 話に聞いていたところの、宿屋の主人だろう男に取り憑いたかのよう。影がなかったことから、春原は実体を持たない相手と判断し、弥代から託された子どもを救おうと距離を詰めたそうだ。

「攻撃を、仕掛けられているというのは分かったようだ。目を見ることはなかったが、視線のようなものを感じた。取り憑く体が動けなくなればと思い、腹を柄で打った。」

「それで?どうしたんですか?」

「……、子どもを男から引き剥がした。」

「それから?」

「……それから、…そしたら、アレ(、、)が暴れ始めた。」

 そうして春原は息を潜めながら拓けた街道の方へと視線を向けた。同じように意識をそちらへと相良も向ける。

 そこにはずるり、ずるりと音を立てながら長重い胴を引き摺る、首より先は広げた後の傘のような風貌をした、()ならざる存在(モノ)(あやかし)や妖怪と呼ぶには纏うその空気がどこか異なる、自由自在に実体を持つことが出来る、それは(ことわり)から恐らくは外れた存在。

(彼女は、あの存在に気付いていたのでしょうか。)

 この地に一人赴いた自分に、春原と弥代が向かうように仕向けた、提案を弥代に持ち掛けたのは彼女だという。数年前にこの地に一度訪れた際、彼女の様子が優れなかったのははっきりと覚えている。もしあの存在と接触することを見越して二人を寄越してくれたというのなら、帰ったらすぐに感謝をしなくてはならない。自分一人では、彼女と近しいあの存在を退けることは、天地がひっくり返ろうとも無理な話だ

(ですが…何故?桜さんを主人から引き剥がしたのがきっかけとするならば、あれが在り続ける為に桜さんが必要ということになりますが、桜さん自身にそのような、信仰心があるようには私には見えなかった。何故…、何故、桜さんを?)

 横目に、鋭く尖った嘴のようなものを見る。

 先日当時の詳細を、覚えている限りで構わないのでと求めた独り身の漁師の言葉からは得られるものがなかったが、届いた文に記されていた化物の、容姿を思い出す。

『鋭く湾曲した大きな鷲のような嘴に、宙に浮いた長く細い胴はまるで蛇のような。それは…、』

「それは、奇怪な姿をしていたそうだ……ですか。」

 ともなれば化物が姿を見せるよりも前の、ここら一帯に住まう者に同じようにその身に降りかかったとされる記憶の喪失の件も、今、自分たちを探し周囲を見渡す存在が関わっていると考えられてくる。出来うるなら関わりのないことを願いたいものだが、状況がそれを許してくれそうにない。

 何故ならこれらの異変は、あの漁師の言葉通りなら、桜があの宿屋に住み着いた頃から起きるようになったと言っていたのだから。

「………ぅ、」

 と、横たわらせていた二人の内、天邪鬼の方が先に目を覚ました。

「身は起こさずそのまま静かに願います。少しでも離れたら説明をしますので。」

 無意識だろう、肘をつき体を起こそうとするのを片手で制しながら相良は弥代に小声で語り掛けた。

「……()くか?」

「いいえ、わざわざ刺激をする必要はありません。今は、やり過ごすのが得策かと。」

「……そうか。」

 先ほどまでに比べれば落ち着いたように見える様子を尻目にそうは返すものの、人ならざる存在(モノ)に人の感じたままが通ずるとは当然ながら思えない。まだ人の形に似た姿を(正しくあの薬師のような)していれば想像がつくこともあるが、人からかけ離れた異形の存在に通ずるとは思えない。

 ずるり、ずるりと今もその長い体躯を引き摺る音が、夜の街道沿いに響く。

 

(いつまでもこのままここに留まるわけにもいきませんでしょう。ですが何処へ?何処へ逃げますか?逃げたtところで追ってきたような存在に、どこまで逃げろというのですか?)

「相良、」

 春原が呼び掛けてくる。また何か手を思いついたのやもしれないが、やはり相手にする余裕は今はない。

 申し訳ないと思いながらも軽くあしらい、相良は考える。

(この地に縁のある存在?……いえ、私の知る限りあのような異形の存在は聞いたことがない。やはり寺にて少しでも話を伺っておいた方がよかった。)

「相良、」

 暗がりの世界にいようとも、やはり彼の瞳はどこか浮いて見える。微かに差し込んだ月明かりを受けて、青い眼差しと目があった。気に掛けてやる余裕すらない。

(目的が、何が狙いなのか分からない今、こちらに打つ手があるようには思えない。せめてその起源が、発祥となった謂れがあれば……、敢えてここは春原さん頼りに力押しで……、いや、駄目です。彼を必要以上に危険に晒すことを私は望まない。私は、)

「相良、」

 先ほどと同じ右肩を掴まれる。普段であれば口にしていることが多い考えを、今この時はなるべく息を殺すために深く潜っていた彼の思考が、それによって一気に浮上した。視界にチラつく、彼の存在(こと)を見てはいたが注ぐことが出来ずにいた意識が瞬時に彼へと、彼が向けてほしいだろうものへと傾いた。

 そうしてゴクリと、あまりにも分かりやすすぎる異変にやっと彼は気付くのだった。

『鋭く湾曲した大きな鷲のような嘴に、宙に浮いた長く細い胴はまるで蛇のような。』

(鷲に、蛇…)

 存在が曖昧な、定まっていないもの程それは齎される、与えた印象によって生まれた方へと、その指標が定まることがある。(ことわり)から外れた存在であれば尚更に、人間に抱かれたそれへと偏る傾向があるのだ。無意識に、それによって存在を、その生を保とうとする在り方そのものは、死を恐れ足掻く人間と似ているというのに、それ(、、)はあまりにも人間から程遠く離れた存在でいた。

 一概にそうであるとは言い切れないが、もしそうだったとして、優先される印象は、この場に居合わせた自分達が恐らくは抱いている、よく知った存在(モノ)が勝手に影響を及ぼすとしたならば、導き出される存在は、

(――アレは蛇の特性を得ている。)

 ずるり、ずるりと今も聞こえる音は、しかし街道の通りからは外れ、相良達のいる林の中から聞こえる。そしてその音は一方からだけではなく、四方から、自分達を取り囲むかのように音を立てていた。

「―――ッ!」

 失態だ。状況が悪い方向にばかり傾いている、上手くいかないことが多いことを相良は自覚していた。運が味方をしてくれないのなら、最大限の努力を持って、自らの手で得る必要があった。そう、(つと)めねばならなかったのだ。決して気が抜けていたわけではないが、彼の思考は深い。それを普段言葉として口にし並べるのは、悪い癖とも呼べる深く入りこんでしまうのを避けるためであった。自らに語りかけ、他者の反応を見て、そうして並べ替えていく。それが、叶わなかった。今するべきことではなかったと焦るのに一瞬、腰を浮かせるのに立ち上がろうとするも同様に、しかし途端忘れていた痛みが走る。身の内に張り巡る痛みに声を押し殺して直ぐ、自分からはずっと目を合わせずにいた春原と視線を交えた。

「二人を抱えて、この場から離れ―――」

 最後まで言いきることが出来ないまま、眼前に迫りくる白く長い胴に目を見張る。防ぎようのない衝撃を予期し、後ろ手の幹にでもぶつかることで飛ばされすぎないことを願いながら相良は強く目を瞑る。が、一向に恐れていた衝撃は訪れず、薄ら瞑った目を今度は開いてみると、中途半端な立膝の姿勢で刀を構えてみせる、春原の姿がそこにはあった。



 振るい落とされた一閃が、相手の長い胴を両断して見せた。

「斬れるなら何も問題はない。」

 相良に制されてからそのまま、体を起こしきることなく過ごしていた弥代は、春原が丁度刀を振るう、その間合いにいたからか、一方的にその腕の中に抱えられるように持ち上げられていたが、未だ状況がどうなっているのかが分からないままでは動こうにも動きようにがない。

「斬れるならって、貴方……」

 どこか呆れを混じえた声を漏らす相良を尻目に、それからふと、弥代はあれ?と疑問を口にした。

 今の一連の出来事が起きる前まで、自分が横になっていたすぐ隣にいたはずの、先ほどまでの自分と同じように意識を手放していただろう彼女の姿がそこになかったのだ。

「……桜?」

 居ない。そこにいた筈の彼女の姿がそこにない。動揺が体を伝わる。身じろいだ覚えのない体が春原の腕の中から滑り落ち、地面を小さく叩いた。



「桜っ‼︎」

 弥代のその声に二人もやっと気付いたような反応を示す。月明かりが僅かにしか差し込まない林の中では、たとえ夜目が馴染んでいようとも見過ごしてしまうことが多い。

 なによりも今は気にすべき点があまりに多すぎた。誰を責めるわけでもないが、自身の気の緩さを相良は恥じた。そして今度こそ立ち上がり駆け出す。春原の手によって両断された、頭部と思しき部位に繋がっているだろう片方が、大きく暴れながら遠のいていった方へと走り出した。

「桜さん……っ‼︎」

 奥へ奥へと進む程に、光が届きにくくなる。行手を阻む草木を必死に掻き分けて、鋭い枝木が皮膚をいくら掠めようとも、消えない気配を相良は追う。そして……、


 いつの間にか林から森へと移っていたのだろう。その境目がどこにあったかと分からない。木のただ連なり身を寄せ合う、それに違いはないだろうに言葉を分けるのは人の都合に他ならないだろう。

 人気(ひとけ)を、まるで感じさせない鬱蒼と生い茂る森の中、やや拓けた池の(ほとり)に、ポツンと岩場が存在していた。

 それまで森の中に差し込まなかった月明かりがまるで嘘のように、煌々と降り注ぐ。水面に反射した光が一層、夜を忘れさせるほど輝かせてみせる。そして月明かりとは別に、無数の蛍火が辺りを飛び回る光景を、人の手が加えられなかったからこそ存在する美しい景色を前に、一瞬だけ相良の意識は囚われてしまった。

言葉を失い、足を止め、思考が鈍く動きを遅らせる。

 が、それも後ろから自分を追ってきたであろう二人の呼び掛けに引き摺り戻された。怪我が治りきっているわけではない自分がいくら走ろうとも、あっという間に二人には追いつかれてしまっただけの話だ。何もおかしなことなどない。

 弥代が目を覚ますまでの間に春原の口から、酷い怪我をしていたと聞かされていたが四半刻にも満たないだろう時間で、横になっている間にそれらの怪我や不調と呼べようものは綺麗さっぱりなくなったのだろう。今ばかりはそれを羨んでしまう自分がいることから相良は静かに目を逸らした。

 そうだ、今向かい合うべきは、目を向けるべき存在はそれではない。

 この拓けた場所で、岩場を中心に長い、あまりにも長すぎるその胴で(とぐろ)を巻くように、そしてこちらを威嚇するように頭部と思しき部分の、その傘のような襟を奮い立たせる、異形の存在を正面に見据える。

「春原さん、弥代さん。私では足を引っ張るのみでしょう。場合によってはアレのお相手を願えますでしょうか?」

「んなもん、言われるまでもねぇよ。」

「……分かった。」

 無力に等しい自分を自覚する。結局のところ二人に頼らざるをえない状況に、今はやはり目を逸らす。どうしようもなく、ただの人間だ。


 そうして対峙に至る。

 其れは駿河・久能の地に顕在する、(ことわり)から外れた人ならざる存在(モノ)との遭遇。

 自身らの中にある、“蛇”という認識そのものが、彼の(モノ)にその在り方を与えてしまう。(こう)か不幸か、“蛇”という生き物の特性を相良はある程度熟知していた。

 あの薬師を名乗り人の営みに寄り添う、人間の都合によって信仰を失った神の末路を辿る彼女には、感謝をしてもし尽くせないものだ、と相良は考える。

(おの)が意義を…、

 “在り方”を忘れし存在。」


 それは一人の少女を救うための、無力な人間の我儘の話だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ