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筆録・鬼ノ目  作者: pixivにて~187話まで掲載中
三節・津軽、北の大主編
28/186

六話

「本当に驚いたな。こんな辺鄙な土地に、まさか雪が降り積もる時節に外から人がやってくるなんて。」

「俺も驚いたよ。まさか同じ島国の中でこんなにも言葉が通じねぇ土地があるなんてよ!」

不機嫌、といった様子は見られない。どちらかといえば気前よさげに、そう言葉を交わす相手のその髪は、きっと青いのだろう。

色褪せた。一年の大半といっても過言ではない程に雪が降り積もる、自然の脅威と常に隣合わせのこの土地では、生まれてこの方一度たりともお目にかかることのなかった色だ。

灰色の分厚い雲間から時折姿を見せる澄み切った晴天よりは重たげな、遠目に見る南の方角に広がった山々が芽吹きの時節に見せるそれよりも鮮やかな。

瓢の知るどの色とも違うはそれは、恐らくはそう、もうずっと昔に母が自分に読み聞かせてくれていた書物に記されていただろう、実際に目にした事は一度たりともない、“浅葱色”と呼ぶのが相応しいのかもしれない。

多くその“色”は用いられる事が多かったと、母は瓢に優しく教えてくれたものだ。

その優しさも、もう長く感じることはない。

 三人の内の二人は、寡黙というよりは無口に近いだろうか。口数は極めて少ない。

瓢自身がその浅葱色の彼と、言葉を交わそうとも特に口を挟んでくることはなく。

浅葱色のその髪にばかり視線が奪われてしまう瓢だが、彼等は三人ともその特異な“色”を持ち合わせていた。

彼と比べれば後ろの二人は随分と体格が恵まれていることは印象を抱く。

静かに後ろを着いて歩くさまだけを見れば、二人は付き人、あるいは従者のようなものかと考えが至ることだろう。

初対面の相手にあまりそこまで踏み込んだ話をするのも不躾かと、顔に出さないでいたつもりだったが、目敏く勘付いたのだろう彼が自ら口を開いた。

「違ぇよこいつら二人は勝手に俺についてきてるだけで、下手な関係じゃねぇから。」

「あー、ぁー…自分は、坊のお供でして。」

「…」

「流れを理解しろよ!坊って誰だって思われたらどう見ても俺になるじゃねぇか!?違うだろうが!誤解させんな!!」

「俺か…。俺は、弥代を探しに。」

「そう!そしてその弥代が俺だ!」

「……そうなのか?」

なんとも、愉快な連中だ。

それまで一切口を開くことのなかった黒髪の男の襟巻きを、弥代とそう名乗った彼が引っ張って背を屈めさせる。

もがき苦しむことのない様子から首が締まっているという事はないのだろうが、少なくともそんな事を出来るぐらいの信頼関係は互いにあるのだろう。

一斉に賑わう三人を少し引いて見やる。

そうして気付いたのは、背後の二人の意識は自分に向いていないということだ。

今の会話にしたって、彼等は弥代の言葉に続いただけに過ぎないのだろう。

「今のなし!やりなおさせろ!」

「ん、あぁ…?好きにしてくれて構わない。」

何をやりなおす必要があったのだろうかはわからないが、瓢は弥代に自由にするように託した。

「俺の名前は弥代。で、後ろのこっちの何考えてるか分かんねぇ顔してる奴が春原で、一番でけぇのが館林な!」

「館林、です。」

「春原だ。」

「弥代に。館林、春原か。」

何となくだが馴染みのないその名前を口にして、それを口にするだけでどことなく心が軽くなるような、そんな気分を味わう。

変化の何もない、長年変わらぬ日々を過ごしていた瓢にとって、たったそれだけの事が胸の内を暖かくして止まないような、そんな気がした。

見知った顔ぶれの名前ばかり口にしていただろうか。その新鮮さを口にして噛み締める。

こんな些細な事で自分は喜べるだけ、まだ心は死んではいなかったのだなと、思考が傾いてしまうのはきっと余計だろうに。

行く宛がないという三人を、瓢は屋敷に招き入れることにした。

今しがた自分が出てきた宿屋を紹介でもしようかと思ったが、長く宿屋として機能していないそこへ、連れていくのは憚れた。

何より歳のいった夫婦に無理をさせるのは良くないと、今朝の様子を思い返しながら思うのだ。

きっと自分たちの食事でも手間だったろうに、知らず世話になってしまった事を少しだけ悪いと、心の中で小さく謝った。






自らの棲まう南部の屋敷へと三人を招き入れる。

客人をもてなすのなら床の間が適しているだろうが、三人は長くこの寒空の下で過ごしていたのだろう。

弥代のその瞳程ではないが、襟巻から覗く肌の、血の巡りの浅い箇所が赤く灯っていることから容易に想像がついた。

屋敷に長年仕える乳母に、畳のある部屋を用意するように伝えると、部屋には火鉢があったかと記憶を遡るが、あまり瓢は思いだすことができなかった。






畳の部屋を用意するようにと伝えた時の乳母の表情がどこか訝しげになった理由を、瓢は目の当たりにする。

思えばここ数年、父が他界してからというものこの屋敷も寂しくなってしまった。

以前はこの地、南部に限らずそれこそ一部の津軽の者達が頻繁に足を運んでいた。

住む場所を追いやられてこの地に流れ着いた者も多く、今も行く宛がないまま屋敷の隅に居座り自生をしている者達だっている。

屋敷の中で日中から動く者といえば、自分と、付人の瑠璃、乳母の三人であったことを今になって思い出させられた。

ともなれば普段三人が過ごす場所など限られているのは当然で、先ほど火鉢があったかというのを思い出せないのも納得がいく。

四方を土壁に囲まれた畳の間は他の部屋に比べ暖かいのだろう。

各々がそれぞれ過ごしたいように時間を潰していたものだから、長年この部屋に踏み入ることはなかったのだ。そんな部屋この畳の間以外にもごまんとある。

立て付けの悪さ以上に、襖を開けたその先の部屋は薄暗く。久方ぶりに開け放った事で新鮮な空気が取り込まれるも、軽い綿埃が浮かび上がった。

天井の四隅には目を細めなくたって分かりやすい程の蜘蛛の巣が張り巡らされている。

「畳の間が、よろしいのでしょう?」

「お前は本当に、意地が悪い…。」

咳払いを一つ挟む。

折角冷たい廊下を進んでもらって悪いが、と。

瓢は別の部屋を、普段から手入れの行き届いた広間に改めて三人を案内することにした。

「冷たくてすまない。せめて、座布団を使ってくれ。」

「いやすげぇな座布団。久々にこんなふかふかのもんお目にかかったぜ。」

「道中の宿の薄さは骨に響きやしたねぇ…」

「本当にな。」

囲炉裏に火を焚べる。

昨晩は夜遅くに呼び出された為、普段なら絶やすことのない火種は冷え切ってしまったようだ。

灰を火箸で掻き崩しても、そこに熱はなかった。

なんの変哲もない、座布団一つにそんな感動されては失礼だろうがどこか境遇を憐んでしまう。

今日は心が忙しい。普段では絶対に味わうことのない感情の起伏は、父が他界して以降忘れていたものだろう。

真新しい刺激に沸き立ってしまいそうだ。いや、現に瓢は少々高揚していた。

年甲斐もなく、落ち着きがないとそう思われたくはないと、癖づいた咳払いを零しながらも改めて三人に向き合う。

「でも、そうだな。どうして本当にこんな辺鄙な地に?」

腰を下ろし息つく間もなく。目の前に差し出される湯呑みは本来であればありがたいだろう。

だが今は客人として招き入れた彼等(主に関心を寄せている、向いているのは弥代一人だろうが)と言葉を交わしたいのだと、やはり意地の悪い乳母を軽く睨みつけてしまう。

「御父君の真似はお止めなさいな。」

一言。

言い残してその場を後にする乳母のその言葉に、無意識に自身の眉間に手を伸ばす。

似たかったのは、そんなところじゃなかったんだ。






「いやほんとうに辺鄙なここ!失礼なのわかってるけどまじで!来る道中冬は儲けもんにならねぇからって、宿利用しようにも入れてもらえない事が殆どでさ。泊めてもらえても飯出てこねぇのに宿代馬鹿高ぇしで、苦労したぜ全く!」

「人の多い都にくらべれば、立ち寄る者も少ないからな。その分きっと相場は高いんだろう。少なくとも土地の者は他所を使うことなんて滅多にないだろうから。いや、実際の所がどうなのか俺は知らないんだけどな。」

「瓢さんだっけ?その口ぶりじゃぁずっとここに住んでるわけ。」

「そうだな。生まれ育ちも変わらずこの土地だ。」

「てっきりこんなに普通に話せるもんだから他所から来たのかと。」

「父は生前交流的な方だったから、為になるからと同席をさせてもらう事が多く。俺にはこちらの言葉の方が馴染みやすかったと、それだけの話さ。」

取り留めのない言葉を交わす。

何とも中身のない会話だが、それは今まで体験してきたどの会話よりも滞ることはなく、自然と言葉が滑った。

調子づいた舌はいつの間にか言わなくていいことまでケロッと吐き零してしまいそうな気がして、でもこんな快調な交わしなら少しぐらいなら悪くないな、なんて弥代は感じていた。

ようやく島国本土の北端、津軽の地まであと僅か。一つ手前の南部に足を踏み入れたばかりの時は、道を尋ねようと道ゆく町人らしき者に声を掛けたが、どういうわけか訛りが強く言葉が何も通じなかったことに不安を覚えたものだ。

訛りといえば本土の西の方には、和馬のように独特な抑揚を織り交ぜられる事もあるらしい。

館林のどこか間延びした語尾もあまり聞き慣れるものではなかったがこの道中でそれも耳に馴染んだ。

なので全くこれでもか?と通じる気配のない言葉に、思わず下唇を噛み締めるぐらいには焦った。

近くを他にも通りかかった少ない町人らを呼び止めては、身振り手振りでどうにかこうにか伝わらないものかと試みるも失敗が続き。

望み薄しと思った矢先、遠目でも身なりの良さが見てわかる、黒髪の青年に声を掛けた所、それが今眼前で言葉を交わす男・瓢だ。

通じるだけでも十分に安堵したというのに、まさかこうまで流暢に喋れ、自分と会話を続けることができるなんてやや驚きだ。

弥代自身、意識的に会話の中で牽制を図る事がある。失言とも取れる虚勢を張りがちだが、通じる相手と通じない相手がいる。

彼は、瓢は恐らくは通じているのだろうがそれを意に返さない、すんなりと受け入れた上で話を進めるのだ。

それを相性が良いなんて片付けていいものか。招きいれられたこの屋敷の主人である瓢に対して、弥代は少なからずとも好印象を抱いていた。

その装いからして町人らとは異なっていると思っていたが、一人背筋を伸ばし正面で湯呑みに口をつけるさまからは育ちの良さというものが十分に伝わってくるだろう。会話の合間を縫うように静かに茶を嗜む。決して話の腰を無理に折ろうとしない。

 外見だけなら後ろにいる春原よりも年若いだろう。

どこかあどけなさの残る顔立ちには不釣り合いにも眉間に皺が刻まれている。その皺がなければより若く見られてしまうのやもしれない。

育ちの良い人間はこれまでも周りにそこそこいたが、それを嫌味に感じないと。言えば癪に触らない気立ての良さすら感じれた。

例えばそれは雪那と初めて会った時のような、あの気に食わなさは一切感じない。

春原のように育ちは良くとも曲者で、何を考えているのか分からず会話に詰まってしまうようなこともない。

芳賀のように“色持ち”に対する偏見もこれまでの様子からないのだろう。どちらかといえば好感触の会話は、今までのどの相手よりも話していて心地いい。そう思う。

最近はそれまでに限らず、和馬や春原討伐屋の面々とも交流を深めよく言葉を交わすようになったが、これには核心を持って断言ができた。

だからほんの少しだけなら、ぽろっと零してしまって良いかなと、そう弥代の口もとは緩んだ。

「それで俺らさ、津軽の方に用があんだよ。」






別に意図したわけではない。

会話の流れ的に言うことを拒むのはおかしいと、これだけ友好的に言葉を交わしてくれる相手に向かって答えないのは悪いだろうと、そして零しただけだった。

津軽がどのような地であることを知らない自分たちは、この南部において最も津軽に近しい位置に建てられたというこの屋敷の主人に、それを訊ねた所で何ら不思議ではない筈なのだから。

屋敷が津軽に最も近いと、そう瓢自身が既に説明をしてくれていたのだから問題はないように感じれた。

が、その考えは読みが甘かった事を弥代はすぐ様知ることになる。

「津軽に?」

一瞬にして、彼の顔に陰が差した。

眉間の皺がより一層深くなる瞬間を目にした。

「津軽へ、何の用があると。」

空気が、重たくなった。

元々冷ややかだった空気に変わりはないのだろうが、それは直前までこの場に流れていたどれよりも冷え込んだのが分かった。

人には当然触れてはいけない話題というものがあるだろう。

弥代であれば必然的に“色持ち”に関しては触れられたいとはあまり思わないものだ。

これは彼、瓢にとってそれがその、“津軽”であったというだけの話だ。

知らず踏み抜いてしまったそれに、急激に纏う空気の変わった彼に対し、まるっきり気付かぬフリを、何食わぬ顔でやり過ごすのは難しいだろう。

下手に誤魔化せば悪化しかねないと、嘘ではない範疇でやり過ごせと自分に言い聞かせながら弥代は静かに答えた。

「野暮用だよ。ちょいと、そこらまで。会いたい奴がいるんだ。」

「野暮用であるのなら、必ず行く必要はないのではないか?」

「そうかもしんねぇな。でももしかしたら相手は来るかもって待ってるかもしんねぇだろ?」

「約束でもしているのか。食糧も限りのある、冬口に訪ねるなんて相手にも迷惑になりかねないぞ。」

それはたとえ屋敷という土地を持っている彼だって同じだろうに。

「たまたま行こうって思い立ったのがちょっと前の時期だったからこんな冬になっちまっただけだよ。」

「そうか。」

何も、嘘は言っていない。

榊扇の里にて秋雨の降る夕暮れ、飯屋を出たばかりの所で対面したあの小雨坊を名乗る妖怪に会いに来たといっても過言ではないだろう。

弥代の正体、“鬼”とは何であるかを知るためにこうしてやって来たのだから。それはきっと自分が失っている、自分のが過去に何をしたのかという末路に繋がる筈なのだ。

彼女・扇堂春奈の事はやはり気掛かりであった。彼女の死に自分が一切関与していないという自信はない。それを知らない限りは、

(雪那の顔、見れるか分かんねぇからよ。)

一人で里を出てからは、自身が人間とは明らかにかけ離れた存在であるというのを嫌という程思い知らされた。思い知らされてそして一時でも歩みを止めてしまった。

もしあの時、歩みを止めなければもっと早くこの地に辿り着いていただろうが、それでもこの時節に変わりはなかっただろう。

古峯神社で下野国の兄妹と触れ、自分を探しに追ってきた春原と館林をきっかけに今こうしてここに弥代はいるのだ。

ここまでの道中を振り返り、何の収穫も得られずにのこのこと帰る気などあるわけがない。

もし聞き出す事が出来ずともせめて一太刀、あの小雨坊を名乗る妖怪にここまで掻き乱してくれた事に対してお見舞いしてやらない事には気が済まない。

「それなら、せめて春先まで待つことは出来ないだろうか。」

「ここ屋敷にいてくれて構わないから。」

「冬口は危ない。」

半ば強引な申し出を前に、これまでの話が本当の意味で意味を成さなくなるような提案に驚きを隠すことは難しい。

「なんでそんな「待ってほしい」

今までの言葉より少しだけ強い、それに覆い被された。

そう発声した彼に、自分がこれ以上何を言ったところで意味がないだろうことは、試すよりも明白で。

これまで何も痞えることなく会話を進めていたのが今になっておかしかったのだと気付く。

気立てが良いとか、育ちが良いとかそうじゃない。

あまりにも自分と自然と言葉を交わす。

そこにどうしてか彼自身の意見や言葉が感じれなかったと今になって分かったからだ。

その態度や言葉選びは、言えば相手の望んでいる言葉を吐き出しているにすぎない、本当に伽藍堂な、中身のない言葉だったのだ。

聞こえのいい言葉に、なるほど嫌気が差すわけがない。都合のいい言葉に耳を傾けるのは、気分が良いだろう。

でも、そこで触れた彼のたとえるならそう色付いたその、彼自身の言葉を受けて弥代は、これまで言葉を交わしていたというのに今初めて、彼の持つ芯に触れたような、

「そっか」

そんな

「そいつは仕方ねぇな。」

そんな気がして。

色を持たない彼の真っ直ぐな言葉に、少しだけ嬉しくなって笑った。










「それじゃぁ仕方ねぇよな。」

思いがけず強く出てしまった言葉を、弥代その返答を受けてから瓢は自覚した。

ほとんど無意識に出た言葉だったろう。反射的に口を突いて出てしまったそれは、たとえ屋敷に招いてもらった相手の言葉といえどあまりにも失礼だろう。

遥々遠い地から、この北端まで。その道中は本当に過酷なものだったろう。この冬場、何度も死ぬような想いを味わいながらもようやく辿りついただろう相手に対して、どうしてそんな強く出れようものか。

昨晩の、彼女の不安そうな表情が脳裏に蘇った。

生きているとは思えない程冷たく、冷え切った手の感触までもが蘇ってきて、自身の掌に強く爪を立てた、その時だった。

「んじゃあお言葉に甘えて居座らせてもらおっかな?」

弥代は、歯を見せて少しだけ笑ってみせた。

予想外の反応に、驚いてしまうのは当然で。

自分が無意識にしめしたその態度に、反感を抱くことなく自然と受け止められるその反応に、瓢はそれ以上なんと言葉を返せばいいのか分からず、今しがた爪を立てた掌に目線を落とした。

一瞬にして出来た傷口は、同じだけの時間を掛けて塞がることはもうなかった。





「本当によ、一時はどうなるもんかと思ったぜ。」

当然のようにもてなしをされるのは違和感でしかない。

今までそんな扱いを受けたことはないのだから慣れるもへったくれもありゃしないのだが。

好きに過ごしていいなどとあてがわれた部屋は一室のみで。

屋敷自体に部屋は多くあるらしいのだが、数年前に親族が他界してからほとんど使わなくなってしまった部屋が多く、今日だけは狭くなるが同じ部屋を使ってほしいと、瓢にそう言われた。

それは別の意味で慣れた扱いだった為、今更の事なので、毎度の事なので一々口を挟むのも最早億劫で弥代は何も言わなかった。

津軽へは行くなという意味にしか思えない反応を示されて、それでも野暮用だから行かなくちゃいけないと引き下がれないでいた身元の保証も立たない自分達に、快く本当に部屋を用意してくれるのだから、間違っても感謝しか浮かばないだろう。

そこに自分が当たり前のように男扱いされることは、弥代からしたら慣れたものだ。

女らしさを装う気など到底ないが、こうも普通に男として認識されてしまうとやはりちょっとだけ、ほんの少しだけ胸の奥が痛い。多分気のせいだろうが。

贅沢など言える立場ではないのはこの道中何度も経験したことだ。

それまで半年程、あのぬるま湯に浸かったような榊扇の里で過ごしていた。

榊扇の里自体は里を統治する扇堂家の管轄の元、最低限の生活が保障されていた。

今も課税を強いるどこぞの都とは根本からして制度が異なる為、その地に住まう者達が税収で飢えに喘ぐということもなかった。余程の事がない限りは、衣食住は揃えられていた。

(まぁ、俺や春原討伐屋は別だろうな…)

瓢との会話の中で、この土地・南部がどういうものであるのかというのは弥代でも理解できた。

後方でただジッと、会話に割り込む事が出来る事もなく正座をしていただけの二人には理解できていない部分も多かっただろうが、改めてそれを理解出来るように二人に説明しなおす必要は感じられなかった。忘れてはならないのは彼等は勝手に自分の旅にくっついて来てるだけで、状況を把握する必要性は一切ないという事だ。いや、部分的においては手間ではあるが。

部屋の中央に用意された小さな火鉢を取り囲むように腰を下ろせば、羽織っていた綿の入った重たいそれを脱ぎ、軽い装いに切り替える。

軽いとは言っても里で春先から秋口に袖を通していたものと比べれば十分に重い。

館林曰くこれらも里を出る際に、扇堂雪那が自ら用意していたものらしく、それはつまり冬場のではこれぐらいのものが普通に出回っているということだろう。上に羽織っていた羽織は道中寒いと叫んだ際に春原に無理やり着させられたものだ。身の丈に合わないそれは不恰好ではあったが明らかに暖かさが桁違いで、以降その厚意に甘え借りっぱなしではある。

扇堂雪那の用意したものだけを考えれば、今のこの装いである程度里の冬というものはやり過ごせるのだろうが、島国の北ではそれは通用しなかったのが分かった。

首周りを二周は巻いた襟巻には未だに慣れない。

首の周りに何かを巻くと言う習慣そのものがなかったのだから仕方のないことだろうが、何だったか。首から風邪を引くだとか誰かが昔言っていたような気がする。誰が言っていたかは思い出すことは出来なかったが。

何はともあれ、寛ぐためにそれを外そうと思えばこの旅においてもう何度もされたそれを静かに受け入れる。

二周巻いてもその裾は背中まであり長く、どうしても一人で外そうとすればもたついてしまったがそれも初めきり苦戦していない。

腕を回せば自然と裾が持ち上がるからだ、春原の手によって。

初めてそれをされた際は当然のように無言で手を伸ばしてくるものでぎょっと驚かされた。

手伝うなら言えよな!?と言ったが毎度言われないと忘れてしまうのか覚えていられないのか、回数を重ねた今では一々驚くことはない。まぁ、どうしたって慣れないものだが。

「温い。」

「人の頬で暖を取るのはまじでいい加減止めろ!!」

言った所で意味はない。

意味はなくともこうも堂々と、手伝ったその駄賃かのように自分の頬を両手で包みこむので反射的に吠えてしまう。

基本的に春原という男は弥代が何をしろと言えば素直に、疑問を抱かずに動こうとする傾向があるがやはり物覚えと空気の読めなさは変わらない。まるで習慣づいているような迷いない動きには今更どうこう言って止めされることは出来ないのだろうが、それでも時折こうして吠えてしまう。別に弥代は好きで吠えているわけではないのだ。

胡座を掻く弥代とは違い、膝立ちでその大きな上背で上から見下ろしてくる春原の、両手に包まれた頬は、視線は彼を見上げる形に自然となってしまう。

見るからに大きいその両手で包み込まれてしまえば、頬だけに留まらず、顔そのものを支えられているのに近い感覚を味わわされる。

そのまま顎下に指先が伸びてこれば、何と言うことか自然と人体の急所として知られる喉さえも掴まれてしまいそうな、そんな錯覚。

癪にも。彼のその顔を直視することしかその場で出来る事のない弥代は、静かに睨みつける事しかない。

里で食事に誘われる時もそうだったが、彼の真っ直ぐに見つめてくる視線が弥代はあまり得意ではない。他に目線を運べるのであれば良かったが、この道中でのこの行いは以前感じていた気恥ずかしさよりも勝るものがなによりあった。が、何故だろうか。これまで感じていたもの何を考えているのか分からない目線よりも、どことなく明確な何かを宿しているような、そんな気がして止まない。いや多分、気のせいだろう。

悪態を吐きながらも春原の手を払わないのは、少なくとも彼の良心(なのかは定かだが)だろうそれが自分に手を貸してくれたことに違いはないからだ。

暫くして頬を包んでた大きな掌が離れていく。

弥代の熱を奪い、逆に弥代は冷えた春原の温もりを味合わされただけだ。

頬に限らず、まるで自分の中にあったものさえも持っていかれたような不思議な感覚だ。

それも少し時間が経てば気にならないようになるだろうが、頭を軽く振るった所で、左手にいた館林と弥代は目があった。

「坊…、そんな自分から…っ!」

「止めろ戻ってこい館林!それが俺が辛い!!」

自ら他人と接することの少ない春原が、自分の意思で弥代に触れたそのさまが嬉しいのだろうか。最早それも何度目か。初めの時に比べればその反応も薄くはなったのだが、毎度毎度そんな反応を示されては弥代の心が保ちはしない。

(冗談きちぃわ…)










こうして、連日顔を合わせることになる機会が、これまで果たしてあっただろうか。

思えば後半月程で年の瀬を迎える。

今年もまた一年世話になったと挨拶に行くべきだと、瓢は厨房で折り曲がった腰で夕餉の仕込みを始める乳母に声を掛けたのは一刻程前のことだ。

客人である弥代ら三人を部屋に案内した後、余所者を引き取っていると報告する必要があるのではないかと思えたからだ。

瓢が声を掛けるよりも前、大きな人集りとまではいかないが五、六人程が声を掛けられたのか遠目でも分かるように首を傾げていた。

自分がそれらを連れて行くのを、その場に居合わせた彼等も目にしたであろうが、まさか屋敷に招き入れられているとはそう簡単に思わないだろう。

喩えばそれが彼女・御法川茅乃の耳に入ったとして、瓢の屋敷がある南部と津軽の境界近くでそれ以降旅人の姿を見なくなったなんて噂が立っては、間違ってもないだろうがこの時期に津軽の地を刺激したのではないかと思われてしまう可能性だって無きにしも非ず。

体の弱い彼女の心労の種を、これ以上増やしたくはなかった。

乳母の小綱は三月に一度、彼女の好物であるおはぎを持っていく習慣があった。

以前は瓢自身が持参していたのだが、それも数年前を最後に行っていない。

彼女がこの土地の当主代行の座に就いたのは、丁度同じ頃の事。

あまりにも変わり映えのない、長い日々を静かに過ごしていたものだから、それ以前に彼女に最後に会ったのがいつなのかも瓢はもう思い出せない。

別に思い出話に花を咲かせたいわけではない。ないのだが、きっと彼女の先は長くないのだから、一緒に淹れたての茶でも飲んで、時間を潰したって叱られる事はないはずなのだ。

「おかえりください!」

それを見るのは初めてで、ぱちくりと瞬きをする。

「茅乃様に、お話が「茅乃さまは寝ています!どうぞおかえりください!!」…」

大きな竹箒を握りしめるその小童は、門を潜ったばかりの瓢をそう言ってそれ以上の屋敷への侵入を許そうとしない。

自分だって寒いだろうに。露出した鼻頭が赤く、鼻水まで垂らしがたがたと震えているのに、威勢だけは大人顔負けだろう。まだこんなにもこの地に強く出る者がいた事に驚きを隠せない。

「では、せめてこれを渡して「十和!アンタはまた勝手にお客様を追い出そうとして!!」

小童のその細腕で抱えられるかは不安だが、せめて出来立てのおはぎが詰められた重箱は懐に抱えていても熱を持っているから、暖ぐらいなら取れるだろうと考え差し出そうとするも、それは屋敷の奥から小走りでやってくる下女らしき女の登場により無かったことにされる。

「おばちゃんちげーよ!この知らねぇおっちゃんが茅乃さまに会わせろっていうから!」

「アンタが知らないだけで茅乃様のご友人だよ!瓢様この度はうちの十和が失礼を…!ほら十和!頭下げな!」

十和。そう呼ばれた小童は下女によって無理やりその頭を下げらされる。

何もそんな失礼な事はされていないから頭を上げるようにと、瓢が伝えれば二人の頭が元に戻る。屋敷の中に戻るようにと言いつけた際に尻でも捻りあげられたのか、臀部を擦りながら持っていた竹箒を元気に振り回しながらその場を後にしていく彼の背を見る。

「全くあの子は反省なんてこれっぽっちもしてないわね!?あぁ瓢様本当に申し訳ございませんでした。先ほど来られるという伝達は瑠璃さんからお伺いしておりましたのに…!」

「とんでもない。昨晩の今日で、その。話したい事もあって時間を置かずに来てしまった俺が悪いさ。先の少年をどうか責めないでやってくれ。子どもは元気な方が良い。」

よくよく見ればその下女の顔には見覚えがあった。

恐らくは数年前まで自分が足繁く顔を覗かせていた頃から働きつめている下女に違いはないだろう。見ない顔であればこの地に長く暮らしている瓢には分かる自信がある。現に先刻は弥代達三人にも直ぐに気付いた。(どちらかといえば、顔よりもその見たこともないような“色”で気付かされたという方が正しいだろうが。)

小童の見た目からして、かなり大きく見えるが、そこまで大きな子どもがいるようには見えない。

「あの子は遠縁の子でして。身寄りがいなくなって私が引き取ったんですよ。」

視線に気付いたのだろう。聞く気は無かったのに、先にそう答えられてしまう。

「そうだったのですね。」

彼女は長くこの屋敷に仕えているから、住む場所も小童同様に困ることはないのだろう。

それは、幸いな事だ。






「そうでしたか。道理で普段よりも外が賑やかしいと思いました。外の方の空気というものはやはり違いますから。たとえ近くなかろうと、こうして伝わってくるものです。」

「昨夜の後だ。秋口からの事もありますでしょう。茅乃様がお気になされぬようにと。遣いの者を寄越しましたが突然やって来てしまい申し訳ない。」

あながち彼、十和の言っていた事は嘘では無かったのかもしれないと茅乃と言葉を交わして瓢は気付かされた。

少々乱れた艶のある黒髪からは彼女が寝起きであることが窺えた。

分厚い羽織を肩に掛けてはいるが、その下に覗く装いは緩いものだ。

それまで床に臥せていたのはどこからどう見ても明白で、こうして顔を合わせた途端に少々申し訳ない気持ちに瓢は襲われた。

しかしここまで来て、持ってきたそれを差し出さずに帰るというのは、わざわざ用意をしてくれた小綱に悪いと思い、静かに御重を懐から取り出した。

「どうか、冷めぬ内。小綱に作らせたものだ。」

瓢は、それを茅乃が喜んでくれるとそう信じていた。

「小綱様が…」

どことなく、傷ついたような声に伏せていた視線を持ち上げる。

深い息を吸い込む彼女のその表情はどこか重たい。

「ありがとうございます瓢様。後ほど、是非、いただかせていただきますわ。」

喜んでくれると、そう思っていた。











おやおやまた僕をお呼びかなお前という奴は?

何、別に嫌なんて言ってないだろう。

あぁ、そうだなそもそもお前は訊ねてやいやしなかったね。

今に始まった事じゃないけどね、こうもお前が無口だとそうだね。

どことなく、いや気の所為だと分かっているのだけれどもね、あの子に似た何か感じてしまうんだよ。

まぁ、嘘なんだけどね。

冗談が通じない質だな本当にお前という男は。

何が知りたいんだい?

良いよ今の僕は気分が良いからね。

お前が知りたいと、そうまでして彼女の傍にいたいと、そう望むのであれば教えてあげるよ。

さぁ、お前が知りたいそれを、どうか僕に聞かせろよ。

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