四十八話
知識人である祖父以外から、彼が物事に触れる、知り得る機会に恵まれること、そのものは無いに等しかったものの、その限りで得た知識というものは計り知れず。だからこそ、長き島国の歴史の中、“色”を持つ者が国を治めた記録はなく。仮に在ったとしてもそれが表舞台に出てきはしないだろう。
四方を海に囲まれた、江戸の頃より異なる文化との交流は断たれてしまったのだという狭き島国において、ただ異なる“色”を持って生まれてしまったというだけで逃げ道はなく。虐げられる立場だということを、それが当たり前のことであるのだと“色持ち”は、甘んじて受け入れねばならない。
それは、生きている限り耐えなくてはならない事、だそうだ。
多くを望んでなどいやしない。ただ安らかに、明日を生きることすら望めぬ生であるという事を、その事実から目を逸らすことは許されない。
それらが彼が祖父より教わった、“色”を持って生まれた者の定めというものだ。
「ほぉ、これが重七郎殿のお孫様で在られますか?」
足が竦むのなどお構いなしに、肩に乗せられていた手が離れたかと思えば、次の瞬間には背を押されたものだ。
それだけで背後の立つその人が、唯一の肉親である祖父が何を望んでいるのかが、自分がこれより何をすべきであるのかが薄らでも、彼には理解出来てしまった。
また……、また痛い思いをしなくてはならぬのか、と。
その行為をする事に対し、疑問がなかったわけではない。常にそれを強いられる時は、なぜ自分がこんな事をしなくてはならないのか、という思いで胸の内はいっぱいであった。
自分と同じぐらいの歳の子を傍目にする度に、彼らがあの様に笑う一方で、見せぬだけで自分と同じような目に遭っているのだろうか、を幾度考えたことか。……考えずには、いられなかった。
仮にそうであるのなら、笑えぬ自分がいけないのだろう。痛みに敏感になってしまっている自分が、悪いのだと自分を責めるばかり。
ただ、だからといって拒んでいい理由にはそれはならない、彼は期待に応えねばならなかったから。
彼にとって唯一の肉親と呼べる、頼れる身近な大人は祖父以外には居ない。その後ろ盾を失うことは、“色”を持って生まれておきながらも家族と呼べる存在が持つ、恵まれた環境を失うこと以上に恐ろしいと思えるものはなかった。
だから、気に入られる様に振る舞わなければならない。酷く扱われる原因を作っているのは他でもない自分だ。物覚えが悪く、余計な口を叩いて、相手の機嫌を損ねてしまうような、学ばない自分がなによりも、一番悪い。
“色”を持って生まれた身でありながらも、怪我の治りが人並みよりもずっと遅いのもそうだ。
どんなに丁寧に薬を塗ってもらおうとも、中々傷が消えてくれることはない。前の傷痕が消えてなくならない内に新しい朝は訪れてしまい、どれだけ嫌がろうとも、いくら泣き喚こうともその時がやって来てしまう。
でも、それは仕方のない事――だから。
そうでもしないと彼は、彼は生きれないから。これは、仕方のない事、なのだ。
菊花開、霽月の徒路 四十八話
肥後国は人吉藩において、武家政権の時代に源頼朝から土地の領有を認められた事により、長きに渡り相良氏はその土地を治めてきた歴史があるそうだ。
しかしある時、旧国に古くより棲まうとされる美しき鬼――鬼神として畏れられる存在の怒りを買ってしまった事により、父の代に相良氏は肥後国だけでなく旧国を追い出される羽目となったという。
『そうだな……、あの頃はとても飢じい思いをしたものだよ。』
手馴れた手付きであっという間に、火のない場所で煙を起こし灯りを点してみせる。
小さな穴に詰め込んでいた落ち葉や木屑が、まばたきを一つ挟んだだけの一瞬の内に赤くなり、大きく広がってみせる、たったそれだけの事が彼にとっては不思議でならなかった。
幼い子どもに出来ることなど限られるのは当たり前。危ないからと言われてしまえばそれで、必要最低限のことしかさせてもらえない。そんな彼からすれば、大抵のことは一人で出来て当然の、大人である祖父という存在は、自分には到底出来ないことを成し遂げることの出来る、輝かしい指標だった。
自分も、いつか祖父の様に、一人でなんでも出来るような大人になれるだろうか?
多くを識り、たとえ忌まわしき“色”をこの身に宿し生まれ落ちてしまった罪深き生を送らねばならない立場にあろうとも、人並みと思えるような当たり前を享受することの叶う日々を得ることは出来るだろうか?
たった一人の家臣以外全てを失いながらも、四十年以上一人で生きてきたのが祖父だ。
同じようになるには同じだけの時間が必要となるだろうが、それでも十年もあれば、と夢に見る。
本土へまで追ってきたという鬼神の手に掛かり、実の父を亡くしたという祖父の当時の歳までまだ十年はある。
いつの日か、自分も立派な大人になれるように、真っ当な生を送れるように。
彼は、夢を見た。
“色”を持って生まれてしまった、生きている限り一生涯付き纏うばかりの、誤魔化すにしたって限度というものが付きものだ。虐げられるのが当たり前の世界だというのに、彼には唯一の肉親と呼べる存在があったが為に、七つになるその時まで、痛い思いをすることはなかった。
でも、時折。これが本来の“色持ち”が生きている上で受ける扱いだ、と。それをゆめゆめ忘れる事のないようにと、見せつけられる光景があった。
祖父がいる限り、同じ目に自分が遭うことはない。子どもながらにそう思えた。この非情な世界で生きていく上で必要不可欠な、なにがあっても欠かせない後ろ盾。祖父は、彼にとっての安全地帯であった。
この人がいてくれる限り、自分は“色”を持って生まれてしまった身でありながらも、普通に過ごす事が許されている、それが叶う。この人がいてくれる間は“色”を持つという理由だけで虐げられる事も、痛い思いをせずとも済む。他の者のように、酷い目に遭わずに済むのだと、心の底より信じていた。
しかし、七つを迎えたその年から、それは変わった。
彼に与えられたのは痛みだった。。
何一つ、それで得られるものなど有りはしない。奪われるだけの時間をただ過ごす羽目となった。
名前だけでない顔さえも知らない大人の手が、肌を這うだけでなく、彼の体を好き勝手に弄ぶ。
自分のものであった筈の体が、最初からそうではなかったかのように扱われる、腹の奥に覚えのない熱を置いて行かれる。痕が残るぐらい強く掴まれて、縛られ、叩かれる。殴られることだって、数えきれないぐらいあった。
吐き気を催すばかりの、耐え難い苦痛に他ならない。
最初から最後まで全部が同じという事はなく、慣れようにも時間ばかりを有した。
でも、でも決まって。酷い、痛い目に遭ったその日は、傷口や腫れ上がった痣を優しく、労わるように祖父は薬を塗りこんでくれた。そして、他では一度も言われたことのない、「ありがとう」といった言葉を、掛けてくれ。
それがあるのなら、それがあったから我慢しようと思えた。祖父に望まれるままに在ろうとした、この行いに間違いなどないのだと、そう彼は自分に言い聞かせた。
二年も経つ頃にはそれも慣れたものだ。
いつもの様に、意識を失う前とは違う造りをした部屋で彼は目を覚まし、痛み体に鞭を打つようにして体を起こした。
子どもの、まだ幼く未熟な体にそれはあまりにも酷なものだ。大人と較べてみれば幾らか柔らかいというだけの体を酷使される。日常でしもしないような体勢を強要されても、抗う手立てはないのだから大人しく為されるがままにする他あるまい。
ズキズキとした、熱を持つ箇所になど本当は目すら向けたくもないのだが、決まって彼はそれをしなくてはならない。祖父が薬を持ってくる前に、自分の体の状態を一通り、見える範囲に限るが確認しておかねばならない。でないと何処がどの様になっているのかを説明出来ず、祖父の手間を増やしてしまいかねないからだ。
それを強いられた晩は決まって、祖父が一晩ずっと一緒にいてくれるものだから、怪我の手当てになど、彼は無駄に時間を割きたくなかった。その一心で、祖父と過ごせる短くなってしまった時間を、何よりも大切であった。
それが始まる前の様に寝付くまでの間、どれだけ短くとも、小難しくてよく分かりはしなくと、も。幼い自分では理解の及ばないような話をしてくれる、その時間が彼にとっては掛けがえのない、尊いものであったのだ。
二年もの間、それだけが救いであった。それさえあればどうにか耐えられた。祖父と過ごせる一時がありさえすれば、彼は耐え忍ぶことが出来た。
だって彼には祖父しかいなかったから。祖父以外に頼れる、祖父以外に寄り掛かっていい相手を知ることなく育ってしまったから。祖父が望む通りに在らねば、祖父に嫌われてしまわぬように、見捨てられてしまわぬ様に振る舞わねばならなかった。そうでなくてはならなかった。
そうだ、祖父さえいてくれればそれで、それで自分の体が徐々に適応していく、順応していく事実を目の当たりにする事があっても、目を逸らすことなく、受け入れることが出来た。どんなに泣きたくなったって、飲み干し、堪えることが出来た。
しかし、その晩は祖父が自分の元を訪れることはなかった。
その場所は初めて訪れる場所であった。
昔と変わらず、方々へと連れ回されることは多く。人の多い場所に着けばその都度、知らぬ家へと上がらせてもらう。その代わりに日の明るい内より体を差し出す羽目になることも、彼からすれば慣れたものだ。
が、夜になって祖父が自分の元へと姿を見せないのはそれが初めてであった。
部屋の真ん中に敷かれた布団の近くには、見慣れた、蓋を開けようものなら嗅ぎ慣れた匂いの元となる薬が入っているだろう小壺がありはしたが、それを勝手に一人で塗ろうという気にはならなかった。それだけは、その時間だけは奪われてほしくなかった。
他のものはどれだけ奪われてもいいから、祖父と過ごす一時ばかりは、たとえそれが祖父相手であろうとも、黙っていていい、見過ごしてしまってもいい事では断じてなかった。
だからそれは、そんな折に運悪く、偶々その日に耳にしてしまっただけの話に過ぎ、ず。
聞き慣れた、何よりも好きな祖父の声を耳が広い、そちらへと足を向けるのは彼にとってとても容易いことであった。その家の者が着せてくれたであろう、丈が長く足に纏わりついて邪魔で仕方のない裾を持ち上げて、広い屋敷の、廊下に微かに木霊する話し声を頼りに歩みを寄せる。
そう、話し声だ。誰かと、聞き覚えのない声が祖父の声と時折混ざるものだから、自分のいない場所で何やら話し込んでいるのだというのが分かった。そうか、まだ話し終えていないものだから祖父は自分の元に来てくれなかった、いつもの様に傍にいてくれなかっただけなのだと、自分に言い聞かせて。そうして、そうして歩みを着実、確実に彼は寄せていき、そうし――て。
僅かに開いた襖越しに、聞き耳を立てる。
そう、いつもと同じだ。何故なら彼は、祖父の話し声が何よりも好きで。その声が少しでも聞こえさえするのならお喋り好きな口は閉じて、祖父の話に耳だけでなく意識までも傾ける、そんな少年であり。だか、ら――――
『――少々冗談が過ぎましょう。
……いえ、なにもあなた方があれ程まえに“色”に傾倒される、それそのものが私には些か――縁遠き世の常か、と。合わせて、先の問いに対し言葉を返させていただくのであれば、そのような情を私が、あの子に寄せる事など、生きている限り起こり得ることは先ず無いでしょう。
忌々しきかの鬼神と同じ“色”を有し、生まれたあの子に……、など。』
嘘で、あった。
『愛しているんだよ、志朗。』
その行為には、愛があるそうだ。
誰かを思い、思われる。その思いに付いた名を、“愛”というそうだ。
彼は、祖父を思っていた。
どれだけ、どれだけ酷い目に遭おうとも、祖父が優しく触れてくれる。頭を撫でて、自分が寝付くまで傍にいてくれる、その一時に愛があるのだと信じていた。
だから、だから耐える事が、我慢をすることが出来た。堪えることが出来て、いたのだ。
でもそれは、それは“愛”ではなかった。
彼がどれだけ祖父を思っていても、祖父が彼を愛することは、どうやら今後ともないそう、なのだ。
聞き間違いであろう、か。寝惚けていたから、目を覚ましてそれほど時間が経っていなかったものだから、夢でも見ていただけかもしれない。そう、最初は思う事と、した。
しかし思い返してみれば、これまでの、今日に至るまでの自分と祖父の関わり方を思い出せば、あれは確かに在った会話の一片であったのかもしれない、聞き間違えなどでは決してなかったのかもしれない、と思えてしまった。
だって祖父は、あの人はまともに私と目を合わせる事はなかったから。
あの人は手元であったり、近い場所を見るのが得意ではなかった私の為に、と懐に余裕があったわけでもないのに高価な目器を買い与えてくれることがあったが、それを付けている時に目が合った事は一度たりともなかった。
話すにしても、私が望む話は聞き入れてもらえずに、何を話すかをきめるのはいつだってあの人の気分次第。頭を撫でてくれる、その手だってぎこちない手付きで、嫌々ながら、強請るものだから仕方なしにやってくれていただけだったのだろう。
理由はそう、かの旧国に古くより棲まうとされる鬼神と同じ、揃いの赤を私がこの身に宿し、生まれてしまった、から。
自然と、合点がいってしまった。
そうか、そうだったのか、と。ただ、意外にも落胆は、それが原因で落ち込むという事にはなりませんでした。それどころではない、と言われてしまえばそれまで。そうです、私にはそれを気にするだけの余裕はなかったのです。
祖父がまだ十五やそこいらの時に起きたという、旧国より本土へ逃げ仰せた後、身一つで追ってきたその鬼神に、祖父の父は手に掛けられたのだという話は、話の内容を覚えられるぐらい幾度も聞かされたものであった。それは決まって、祖父と志朗の目が合いそうになった時に行われる話であり。
聞かれていないであろう会話を聞いてしまった、祖父の本心を運悪く知ってしまってからは、どうして祖父が決まってその話をしていたのかを、その真意を志朗は理解出来てしまった。
あれは単に、昔の出来事を思い出してしまい口にしていただけに過ぎない。それ以上は何もない
しかし、それまでの祖父に対する思いが、祖父の望まれる通りに在ろうという考えが恐らくは誤りであろうと気付けても、志朗が自ら祖父から離れようとする事はなかった。
寧ろ、今まで以上に擦り寄ってみせた。知ってしまったばかりの頃は、我慢が出来ないわけでもないのに態と泣き喚いて、縋るような態度を見せた。そうしてそこから、聞きわけを覚えたかのような子どもの芝居をしてみせた。
同時に、日中で泣き喚くのを志朗は止めた。
それ以上に無意味なものはない。泣き喚くのだって疲れる、腫れ上がった喉が熱を持つのはただただ痛いのだ。
そうして、やり口を変えた。祖父以外の拠り所となってくれる存在はいないものか、と。祖父の目の届かない、無いのをいいことに品定めを始めた。
やっと身に付けることの出来た賢い立ち回り方だ。嫌がって声を漏らすよりもずっと、媚びた声を漏らす方が相手によりけりだが居ることを学んだ。手荒なことを強いてくる相手であっても、顔色を常に窺いさえすれば過度な事はして来ない、こちらが手綱を握れさえすればどうとでもなる事を知れた。
二年を経て、転機を迎えたのだ。以降の一年はそれまでと比べればとても楽なものであった。
十や二十など生温い。その倍近い大人を相手に、祖父に望めぬ“愛”を志朗は口にした。
自ら漁るような真似は、少なくとも祖父の生きている内にしたことはない。
十にギリギリ満たぬような年端もいかぬ子に、心得があり、聞きわけがいいからという理由だけでそれを宛てがう祖父など、志朗から見ても狂っていとしか言いようがなかった。
それでも――、
その行為は、愛がなくては成り立たぬ行為だ、そうだ。
愛がなくてはならない、愛があってこそ形を成す、尊きもの。
『分かるな、志朗。』
『えぇ、お爺様。志朗は……、志朗は感謝をしています。
いつ見放されようともおかしくない、“色”などという忌々しきものを持って生まれてしまった志朗を見捨てることなく、ここまで導いて下さりありがとうございます。貴方が、貴方様が私をここまで育てて下さったから、だから私は今日だけでない、明日も生きていく事が許されているのです。
愛してくださり、愛をくださり、ありがとうございます――お爺様。』
志朗はそれなりに聡い子どもであった。
日頃接する相手が大人ばかりになっていく中で、物心がつく頃より長く祖父から聞かされて育った知恵を駆使すれば、時には体を差し出さずとも茶呑みの相手をするだけで、空腹を凌ぐだけでなく夜を明かす場所を得られることをさえも、齢九つにして身に付けることが出来た。
なにも、愛らしい顔立ちをしているわけではない。
ただ、この年頃でそれをする者が他にいないという物珍しさから声を掛けられる、祖父を介し顔を合わせる相手は五万とおり。子どもながらに多くを識り、弁が立つ。大人顔負けの知識を身に付けた幼子は、それだけで大人の関心を集められた。
いっそ養子として迎え入れたいものだ、と持ちかけてくる者も時たま居はしたものの、大抵が権力を持たぬ者ばかりだ。元手があるようにも見えない、財に余裕のない男など、相手にするわけもない。
志朗にはもう分かっていた、祖父の悲願が相良氏の再建であるという事、が。
そうだ、祖父は当時十五かそこいらの歳で、あろうことか自分が受け継ぐ筈であった家そのものを失ってしまったのだ。
生まれ故郷だけでなく、旧国からも追いやられた可哀想な、可哀想なお爺様。貴方が、貴方様があれから四十年もの歳月が経とうというのに焦がれ、夢を見ずには居られぬと言うのでしたらこの志朗めが、その望みを叶えるお手伝いをして差し上げましょう。
これまでの嘘は、私を騙してきた罪は水に流しましょう。“色”をこの身に宿しながらも、見捨てることなく、見限ることなく手を取ってくださった貴方様への、これは感謝に過ぎないのです。そうです、貴方はこれまでの私へ強いてきた、その全てを許されるだけの事を成してみせた、偉大なる御人なのです。ですからどうか……、これまでが嘘であってもいいのです。嘘で構いません。えぇ、嘘でも私は構わないのです。嘘でも構いませんからどうか貴方の、貴方の口からたった一言、一言で構いませんから、貴方の悲願が叶いしその暁には一度でいいのです、この私に愛を下さい。
それ以上など望みはしません、その一言で私は報われる。そのたった一言で私は、私は救われるのです。どうか……、どうかこの私に、愛を。
愛をお与え下さい、お爺様。
祖父が死んだのは、それから二年と経たない。
今のように、すすき梅雨が中々降り止まぬ時節の事であった。
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