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筆録・鬼ノ目  作者: pixivにて~177話まで掲載中
二節・鴻雁来、秋旻の契り
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五話

 かつて。

 一度だけ、母に問うた事がある。

 人のような身を持つ我等。しかしこの身には人が決して持ちえない神通力を宿す。そんな我等が子を為した場合、どのように子を産むのかと。

 まさか己がそのような事を訊ねてくるとは想像もしていなかったのだろう。

 萌黄色を大きく瞬かせて困ったように、己ではなく横でくつくつと笑う父に助けを求めていた。

 結局、その時その答えを己は知ることができなかった。

 恐らくは、その答えがこの先にあるかもしれない。

 目の前の、固く閉ざされた扉に手を掛ける。

 開けてはならないと父の側近らに口煩く言われはしたものの、己もまだ幼く。好奇心というものは抑えることができない。

 あの時知ることのできなかったその答えを求めるように、扉を押す手に力を込めた時だった。

 中から女中の悲鳴が聞こえた。

 何故悲鳴が上がるのか分からない。

 一度は手が止まる。が、直ぐにまた扉を押す。押し開く。

 踏み込んだ部屋の奥、寝台には数日前まで大層膨らんだ腹を愛おしそうに抱えていた母が力なく横たわっていた。その背後には父がおり、母の体を抱えている。

 寝台の淵には、母の腹からそのまま出てきたように大きな、大きな球体があった。

 小さな、罅が走る。

 内側から力が込められているのか、罅が徐々に、徐々に広がっていく。

 欠片が落ちる。微かなその隙間から覗く瞳を子供ながらにも、美しいと、そう思った。己は囚われたのだ。




「なんや、それ?」

 動揺を隠す手立てなんてありゃしない。

 そもそも隠しようがない。

 投げかけられた言葉の意味が雁字搦めに、和馬の思考を鈍らせる。

 つい先ほど義理の弟に払われた手の甲が、今になって痛みだす。

 痛い。痛い。痛みには慣れている。慣れている筈なのに、じくじくと、熱を持つ。痛い。

 違う。痛いのはずっと前、この里に足を踏み入れてからだ。

『貴方があの里に足を踏み入れようものなら、あれは貴方の中にある血を元に蝕み続けることでしょう。貴方が無理をする必要はどこにもありません。』

 そんな言葉を思い出す。

 小さな鳥篭を差し出しながら、目を合わせることなく、まるで自ら乗り込もうとする自分を止めるように、あの人は言った。


 これは、この里を守護する神仏の仕業なのだ。

 藤原の血族のみが呪われている。

 かの神仏として崇め祀られる存在が、相反するように人の子を呪うなどと、どこか信じがたく。実際にこの里に足を踏み入れて、襲い掛かる身体の内側から張り裂けてしまいそうな痛みを受け、理解した。

 許されないことをしたのだと。

 自身の存在を揺るがそうとも、許されない行いを一族がかつて冒したのだと。

 自分が背負うべき罰なのだと、そう言い聞かせた。

 かつてこの里に足を踏み入れた頃はこんなことは無かった。

 だから名乗り出たんだ。

 自分が行くと。

 あの頃と一体何が違うのかと、その答えは明白だった。


 耐えられない痛みではなかった筈なのに。それが今になって痛むのは何故か。

 絞り出した一声だけでは取り繕うことも出来やしない。

 動揺が伝わったのか、いざ話を振って以降、一言も声を発しなかった愛らしい顔立ちの白髪の少女の顔が歪にゆがむ。

 不気味な程つり上がった口角が、真っ白なまつ毛に縁どられた赤い赤い瞳が弧を描く。

 喉奥が張り付いたように、痛みは隠せず、呼吸が断続的に早く、早く、とくとくと、鼓膜に脈打つ音が反響する。気持ち悪い。

 不快感と嫌悪感。何に対してなど分かりきっている。

 彼女の言葉と、自分自身の行いに対してだ。

『どうして、助けてくれなかったの?』

 忘れられない。忘れやしない。忘れることができない。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん、ごめんなさい。だから、ねぇ、だから、お願いだからそんな目で僕を見ないで…

「顔色悪ぃぞ。」

 意識が逸れた。



「顔色悪ぃぞ。」

 弥代は、そう零した。

「大体おめーはよ、初対面の奴に何いきなりわけわかんねぇ事聞いてんだよ。自分の領分が過ぎるわ。」

 血の気が失せた表情を隠すことも出来ず、胸元を強く握りしめるばかりの和馬と詩良の視線上に体を割り込ませる。

『藤氏の血族か、お前。』

 ーとうしのけつぞく。

 聞き覚えのない言葉だ。

 学のない中途半端な自分が知らないだけで、もしかしたら誰もが知っている言葉の可能性もある。

(けどよ、言われて血相変えるのは、違ぇだろ。)

 悪事を働いた後の、罰が悪そうな子供のように、視線が定まらなくなる様子は見ていて気分のいいものではない。

 昨日今日知ったような仲の奴に特別肩入れをすることは普段ならしない。無視しても何も問題はない。気付かない振りをするのなんて容易だ。それらが出来ないのは、彼が、雪那の、友人の幼馴染だというからだ。

 人が良い疑うことすら珍しいような彼女だが、どこかぎこちなく。

 何度も言葉を交わすことが出来る相手だ。二人きりでなく自分を混じえたあの飯時の時間は嘘じゃない。その言葉の節々に妙な引っ掛かりを感じ彼女から離すように連れ回した事を謝るつもりは毛頭ないが。

 飯といえば、詩良・彼女にも昨晩の恩は感じている。でもそれは勝手に押し入られた上での飯であって。

 そうであるなら弥代が肩を持つのは断然和馬である。

 詩良のあの底冷えするような何を考えているか読めないような視線は、何も自分に向けられなければ特に気にすることもなく。

 その首に腕を回し窘めるような言葉を投げかければ瞬く間に纏う空気が変わる。

「ボクの方が弥代とずっと近いのに、みんな弥代に構うから…」

「いやいや理由になってねぇからそれ。」

 肩越しに彼がいただろう場所を見遣れば、そこにはもう彼の姿はなかった。






「烏、烏?烏ですか?え?烏?」

 正面の門を潜って左手にある厨房からは刻みよく包丁が音を奏でている。

 付け合せの薬味は欠かせやしないのだと伽々里が食事の都度口にするので芳賀もそれぞれの拵え方を覚えたものだ。

 夕餉の手伝いをしながら土間を登った先にある広めの八畳間で腕を組む相良の言葉を反復する。

「えぇ、烏です。大主様から烏を探すようにと頼まれてしまいました。」

「一羽探したら同額報酬なんて上手い話じゃないですか?」

「馬鹿おっしゃりますねお前は。」

 馬鹿と言われては流石の芳賀も思い出すのこの里の広さ。

 以前一度巡回で里に広がる農村地帯に足を運んだことがある。

 屋敷に続く大通りからも遠く離れており、なだらかながらも丘を登った先に広がるそこは正しく片田舎。同じ里内であるのが疑わしいぐらいに何もない。あんなにも活気と人で溢れかえった里の中央部に対してこんなにも長閑な場所が同じ里内に存在しているのかと驚かされたものだ。

 しかし人が少ないということはなく。

 率先して畑で農作業に勤しむ若者たちを目にした。

 屋敷側からも西側への配慮はあり、向かうだけで半日有してしまうため定期報告に最低二回。つまりは七日に二度見廻ってくれればそれでいいとされている。それでも移動だけで時間がかかるものを、七日に二度というのは正直堪えた。

 単純に体力不足の関係で芳賀以降向かうことはなく、力仕事でも手を貸す事が出来る館林が率先して向かうように固定化されつつあった。

 その為里の中心ではあまりこの頃館林の姿を目にする機会が少ない。

 そう、西の隅々なら正に向かうだけで半日を有し、南なら半日未満だろうがそれでも移動だけで時間も体力も見て取れるぐらいには削られてしまう。

「きっついすねぇ…?」

「芳賀さん平皿を取ってください。お喋りは良いので手を動かすのを止めないでくれますか?」

「あっ、すみません。」

 考え事をしていると手が止まってしまうのは芳賀の悪い癖だ。

 文字の読み書きをする時はそんなことはないのだが、考えていることと手元の作業が違う場合は中々に手元の方が止まってしまう。今みたいに、相良との会話の方に意識が向いてしまい注意されることはわりと昔からだ。芳賀は覚えが悪いのだ。

「ただどうにも今回の件、私たちの本業と言いますか、里の方々への腕の見せどころと言いますか…、これを期に屋敷経由出ない依頼とか増えたりしないかなと、私密かに期待してしまっているのですよ。」

「相良さん高望みは後々傷を深くするだけですよ。大主様が里の依頼は屋敷を全て経由すると初めの段階で仰っていたのなら、それは大主様が撤回しない限り覆ることはありません。」

 昨日薬代として分けてもらった新鮮朝採れの卵を贅沢に使っただし巻き玉子だ。武蔵野国よりも西に若干近いこの里には一風変わった調味料が渡り歩いてくることもある。旬のものから聞きなれない食材が大通りの店先に並ぶこともある。籠に担いで長屋まで売り付けにやってくる子供だっている。あちらに比べ里自体の雰囲気もあるだろう。来る者を住む者たちが縛られないこの里は、藤原家の統治下に置かれた武蔵野国よりも遥かに活気に満ち溢れていた。

「伽々里さん味噌はありませんか?私最近枝垂さんの所の味噌に目覚めてしまいまして!」「あるとお思いですか?喋らないで早く食べてください。」「枝垂さんとこの味噌美味しいっすよね!俺一昨日松屋のおばさんがくれたはんぺんに乗っててめっちゃご飯進みました!」「口にものを入れて喋るんじゃありません。箸と椀も置きなさい。行儀が悪いにも程がありますよ。」

「行儀?」

 黙々と。まるで老人がゆっくりと食事をするように。

 何度も何度も咀嚼を繰り返してようやっとゆっくりと飲み下すだけだったの春原が、ふと伽々里の言葉を拾う。

「弥代も、よく持ったまま話す。行儀が、悪いのか。」

 一切ぶれることのない関心の終着点。

 この人はここ最近口を開けば、かなりの頻度でその名前を口にする。

「弥代さん、どっすかね?美味しければ俺は行儀とか気にしませんけど。」「行儀はよろしくないとおもいますよ?立膝は折角の料理に埃が混ざりかねませんし。」「机乗越えておかず前に取られた事ありますねぇ…。」「あの方見た目の通りがめついですから。」「でもでも一緒に食べてて楽しいなら気になりませんよやっぱり!」

「良いからあなた方は早く食べてください。」








 東の離れに隣接する形で建てられた書庫は雪那にとっていい暇つぶしになる。離れに引きこもっていた八年の歳月は、直接自分が足を運ばずとも従者の氷室に言えば希望がない限り適当に見繕ってもらい、それを読み耽る日々だった。定刻になれば用意される食事をして、湯浴びをして床につくだけ。本当にそれだけの日々。

 私室の壁際に向けていた台机は、春先から窓辺の脇へと移動させた。

 目が悪くなると小言を漏らしていた乳母の言葉を思い出したからだ。

 夜風が入り込む部屋の中、仄かに揺らぐ行燈の灯火が、指で追う書物の紙面を陰らせる。

 屋敷から暫く出ないようにと、そう氷室に言われてからは半日程読み続けていた。無心で行燈が卓上の脇に用意されたことにさえ気付けず。

 部屋の戸は自分が座る卓上前を除いて閉められている。下女がやったのだろう。彼女はあまり物音を立てないから気付かなかった。

(そろそろ、寝なくちゃ。)

 朝早く起きて、でもきっとすることがない。

 そう思えばまだ読んでいたってきっと良いだろうに。

 これから暫くの間は何をすれば良いのか。

(そういえば。)

 先日屋敷の中ですれ違った祖母が言っていた。

『無理強いじゃないよ。でもね、アンタに学ぶ意志があるなら。暇なら、昼間アタシの所にでも来なさいな。』

 学ぶ意志。そんなの直接言われずとも分かる。

 それは里を治める者としての責務だ。

『自分がしたいと思った時で良いんだ。したくないと思ったならしなくていい。』

『アンタは、自分で選んでいいんだよ。』

 優しかった。

 これまでまともに顔を合わせる機会も、言葉を交わす事さえ長年遠ざけてきたというのに、弥代に手を引かれたあの朝から、目を向ける事も怖かった筈の、失望される前に自ら線引きをしていた自分に優しく、そう語りかける祖母がいた。

 深い皺に覆われた目元が、緩やかに弧を描いていた。

 どこかその目元が、氷室のそれと重なってしまう。変な話だ。




「何が食べたい?」

 どうしてこうなった。

 ぴったりと背中に感じる人肌に弥代は頭を抱えたくなる。

 店先に提示された品書きには、背後の人物のおかげで影が差す。

 いやまず読めたもんじゃないのだ。字の読み書きが得意ではない弥代からすれば、読めるのは平仮名程度で、小難しい漢字はからっきし。

 飯屋に寄る際は品書きを見るのではなく、店内で他の客が食べてるものを適当に指差したり、雪那がいるのなら読んでもらって選ぶと、そんなものだ。

 春原には報告書を代筆してもらうことはあれど、書けないとしか認識されてないのか。読むことも儘ならぬことを知らないのか。

 こんな事誰も望んじゃいないというのに…。

 今日も今日とて昨晩も堂々と居座った詩良から逃げる様に朝早くに家を出た。昨日は出ようとした矢先に戸口にひっかかった際の音で目を覚まされてしまったから、今日は慎重に家を出たというのに。

 恐らくはどこかで自分を探しているのかもしれないが、うまい具合に遭遇してなかったというのに、まさか春原に遭遇するとは思わなかった。

 品書きから視線を逸らせば、先の路地間から顔を覗かせる芳賀に目が止まる。

 謝るような手の動きをしてくるのに、弥代は余計に頭を抱えたくなる。

 違う違う。飯はありがたい。ありがたいのだが。






「お待ちどうさま!あんかけ湯豆腐と芋煮の定食だよ!」

「わー、美味そーぉ。」

 お前は食わないのかよ!?と言いたかったが、ぐっと堪えた。

 店の女将に失礼だからだ。

 てっきり自分のものはもう注文したと思っていたが案の定と言えば案の定。人の金で食う飯は美味いし、巾着が軽く食べるものに若干困ってい弥代からすればそれは喜ばしいことなのだが、誘ってきた相手が悪い。

 弥代は賑やかな飯時が好きだ。がやがやと賑わう客席に着いて知り合いがいれば軽く挨拶を交わして、最近あった他愛もない話をしながら注文して出されるのを待つ。それが自分じゃなくたっていい。賑やかで静かじゃなればそれでいい。静かな飯時じゃなければそれ以上は。

「食べないのか?」

「食べるよ!食べるけどさ!食べてやるけどもよ!お前の視線っ!!」

 何も店内が賑わいでいないことはないが、それ以上に、それよりも遥かに向かい側の席に座る春原の強すぎる視線が気になりすぎて飯の味も薄れるというもの。

 自分が食べている光景を、面と向かって凝視されて箸が進む程神経が図太いわけではない。

 動作一つ一つを、ジッと。その何を考えているかも分からないような暗い瞳で見つめられて食事が進むものか。

 数口、口に運ぶ。普段よりも気恥しさの方が勝る。勝りもするだろう。少なく咀嚼を繰り返した後、そのまま飲み下しながら考える。

 何が彼をそこまでさせるのだろう。

 余程、余程昔の自分というのは彼にとって、大切なのかもしれない。

 大切でなければ、ここまで構われることもないのだろう。

 でも、それでも、やはり過去にどんな関係があろうとも、それを今に持ち越すことはしたくない。今は今だ。ただ自分がした過去も知らずに、死にたくない。ちゃんと、自分がしてきたことに向き合いたい。それだけなんだ。

 また数口。深皿に盛られたあんかけを行儀悪いだろうとは思いつつも定食に付いてきたご飯に乗せ終えると、様子を見計らったように春原がようやく口を開いた。

「美味いか?」

 言葉の節々全てが綺麗というわけではない。所々、荒い使い方をすることもある。育ちは良いのだろう。

 上背が若干曲がってはいるものの、芯のある立ち振る舞いが多い。文字の読み書きだって自分より遥かに上だ。学識がないわけもない。ただ関心はないのだろう、反応は鈍く、気付くのも遅い。けれども、春原討伐屋という看板を背負う立場として、形だけでも立派に立ってみせるのだから、多少なりとも変わっていようとも、やはり悪い奴ではないはずなのだ。

「美味いよ。」

 今はまだ、そう答えることが精一杯だった。






「ちそうさま。」

 平らげた空になった食器を前に小さく手を合わせると、春原はどこか不足そうな表情をうかべる。

「なに、お前も腹減ったの?俺だけ食って帰るのは悪いから付き合うぞ?」

 流石にお勘定を任せるだけ任せて置いていくのはどうかと思う。至極真っ当なようだが、弥代からしてみれば優しさだ。

 たとえただの知り合いと面と向かって言われたことがあったって、

「俺はてっきり。芳賀がお前は行儀が悪いというから、行儀の悪い場面所を目に出来るかと。」

「何を俺に期待してたのさお前は。」

 店の暖簾を潜りながらそんな他愛もない話をしていると、店先を出たところで、頭上に影が差した。

 空を見上げると、暗い、暗い暗雲が立ち込めている。

 店に入る前はそれまで澄み切った空が広がっていたというのに何事かと、周囲をぐるりと弥代が見渡ば、それは突如として天と地を繋ぐ。

 瞬きする間もなく、光が、辺り一面を包みこむ。

 一瞬の出来事。焦げ付いたような匂いが周囲に充満する頃には、地面を黒く焦げ、煙が立ち込める。

 腰が抜けたように後ろに倒れかかる体を、春原の腕が支えた。

「怪我はないか。」

「大丈夫、だ。」

 大丈夫なものか。

 白昼堂々と。

 それは振り下ろされた。

 辺りには自分のように腰を抜かした者も多く、少し離れた所では怪我をしたのか蹲る者もいる。

 地を揺るがしたそれはまさに天災といえよう。

 影が引いていく。

 また先ほどと同じように空を見上げれば、弥代はそこに人影を見た。

 人。

 人なのだろうか。

 その背にはあまりにも大きな翼があり、宙に浮いている。

 遠目でも目立つそれは、人の形をした何かだった。



『にいさま!』

 すずめの舌のような舌っ足らずでそう呼ばれては、屈んでやらないことはない。腰を落とせば秋山の紅葉のように小さな手のひらを、大きく大きく広げてみせてくる。

 己の頬を包みきれないだろうに、亡き母の真似事をしてくる。

『鶫、寂しい思いをさせてはいないか?』

 何とも忌々しい名だ。

 誇り高き名を持つ種族だというのに、如何にして妹にこのような、恥の多い名を授けたのか。

 名づけ親も既に他界しており、問いただそうにも無理な話だ。

 しかし、その名故に妹の名を口にするものは少ない。

 仮にもし呼ぼうものなら己としてはそれすらも嫉妬で狂いそうになる為有難い話ではある。

『鶫、鶫。出るな。御社の外には危険が溢れている。何があっても、出てはならぬ。』

 そう、言い聞かせ続けた。

 不吉の象徴と両親に言い聞かされた。

 それに近づいてはならぬと、そう教えられたが、己はそれに従えなかった。

 その純白の羽を、一等大切に、己の掌で覆い隠せるほどの小さなその羽を撫でてやる。

 擽ったそうに身を捩るが嫌がる素振りはなく。

 お前を守るために修行を重ねた。

 お前の為に手にしたこの力で、お前のその羽を汚そうとする同胞らをどれだけ撃ち落としたことか。

 御社の周囲の森には、かつての同胞の亡骸が今もぶら下がり続けている。

 お前だけだ。お前だけ。お前が、お前が生きていてくれさえすればいい。

 それなのに、

「どこにいるんだ、お前はどこにいるんだ鶫…。」

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