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筆録・鬼ノ目  作者: pixivにて~177話まで掲載中
二節・鴻雁来、秋旻の契り
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二話

 珍しいことがあるもので。

 里での暮らしが始まって早半年。

 扇堂雪那という女は、てっきり男そのものがそこまで得意ではないのだと、初めの頃弥代はそう考えていた。

 初対面で暴漢らに襲われそうな場面に出くわしたことが大きな要因だろう。しかし彼女の一人しかいない従者・氷室に対しては特に遠慮をするこもなく、長年の付き合いがある上での関係性だろうとは思うが。

 どれぐらい長い間一緒にいたのかは分からないが、彼以外に頼ることの出来る相手があまりいなかったというのならその信頼ともいえる関係も頷くことが出来るが、それにしたってそれ以外の周りの男性に向ける関心が見られなかった。

 屋敷の中には下女が多かったが、時折姿を見せる男性らには口を閉ざすことが多く、ただ微笑むだけで、屋敷周辺の里の民と触れ合う中でも、どこか一線を引いて接していた。だからそこまで得意ではないのかな、と、そう考えていたのだが、どうやら違ったようだ。

 端から見ても、普通に年の近い男女が仲睦まじそうに言葉を交わしているようなそんな光景に雪那はいた。

 館林から教わった体に害のないという草を咥えながら、空腹を紛らわすようにして過ごすのは、雪那に一口饅頭を馳走になった翌日の事だった。

 昨日はそれ以降何も口にすることは出来ず、折角蓄えた器量な腹を余計な事をして空かせたくはないと(他にも色々な原因はあったが)。早々に帰ってからは日が高いうちに爆睡を決めた。

 長時間寝るというのは余計に腹を空かせてしまうという事を学んだ為、今後は日が高い内に寝るのは止そうとは決めたのが今朝のことだ。

 きっとこうさと思ったものが結果的に違ったというのはよくあることだ。

 そんなこんなで、まだ日も差さない朝方から家を出て、宛てもなくぶらぶらと散歩をしていた数刻後、昼過ぎの事だ。

 遠目でもよく目立つうえに、里の民からはやはり少々の距離を保たれて接される彼女・扇堂雪那の後ろ姿を目にした。

 夏から秋に季節も移ろえば、肌寒くなってきたからと、気に入りの薄紅色の着物の上に山吹色の羽織をいつでも羽織れるようにと腕に絡めている。

 それがなんとも彼女の藤の髪と相まってとても映えるのだ。

 そんな彼女の視線の先には、彼女よりも頭一つ飛び出たような上背のある白髪の青年がいた。

 時折、彼女・雪那の笑い声は夢の中のはるなと聞き間違えてしまうそうになることがある。

 はるながもし本当に雪那の母である扇堂春奈であるのなら、きっとその姿が、その声が似てしまうのもなんらおかしなことはないのだろうが、それはそれで困ってしまう。

「雪那、雪那じゃねーか!どこの白髪頭と話してんだよ?」

 ズカズカと、やや大股で近寄りながら声を掛ける。

 初対面の、自分が知らない相手に対して白髪頭などと、失礼にも程があるだろうが彼女が口をきく相手がもし悪いやつだった場合の牽制になる。彼女はやはり世間を知らない面が大きいから、もしかしたら絡まれていたり、騙されている可能性だって否めない。

「弥代ちゃん!連日なんて珍しいですね!」

「昨日は茶ありがとな。で、誰だよそちらさんは?見ねぇ面じゃん、知り合い?」

「この人は…、」「藤原の和馬言います。」

 雪那と弥代の間に手を差し込むようにして、白髪の青年が耳慣れない、独特な抑揚混じりでそう名乗る。

 まるで青年と雪那の間に入ろうとする、自分をそれ以上近付けさせないようにさせるみたいだ。

「弥代、ちゃん?やっけ。初めましてえの?」

 視力が弱いのか。

 その目元には眼鏡が掛けられている。

 身近だと相良も似たようなものを使っているが、首裏を一周回るわけではなく、縁には細い金具がまるで細い糸のように伸びていて、それは彼の耳元で固定されていた。

 雪那よりも目尻が下を向く、柔らかい表情をしているのにどこか含みのある話し方をする、そんな男だった。



「まだ名乗ってもねぇ相手の名前、何口にしてるわけアンタ?気色悪ぃなおい。」

 ポロッと溢れ出た弥代の悪態に固まったのは雪那だ。

 弥代は、お世辞にも口が良くは無いのだ。それは初対面であろうが面識がある相手だろうが、子供らしい見た目の割にズバッと物を言う時があり、字が読めも書きもできないくせして言葉はよく知っているのだ。それも汚い言葉を。一応本人も言葉を選んではいるみたいだが、それにしても酷い。それにしても酷すぎる。

 いや、きっと何も間違った事は言ってないのだ。が、言い方というものがある。

「こいつはたまげたわぁ!随分威勢がいい坊主なんなぁ!」

 その初対面らしからぬ発言に怒ることなく、彼・藤原和馬はにこにことその表情を崩すことなく、伸ばした手でそのままに、弥代の左手を取り固く握手をする。

「弥代ちゃん、この人は…っ、」

「何その馴れ馴れしさやっぱ気色悪っ!」

「あれ?そんなに??」

 雪那が弁明を挟もうとするよりも早く二人が交わす言葉にはしかし悪い雰囲気は一切なく。

 二度目の気色悪いという言葉には流石に堪えたのか、和馬はこれみよがしに肩を落としてみせながら、弥代によって払われた左手を数回擦る。

「酷いわぁ。折角雪那ちゃんの友達言うからどんな子かと思って楽しみにしとったのに。」

「坊主って言ったりちゃんづけしてきたり、まじでわけわかんねぇ奴だなおい!!」






 その日の会談の数というものは大抵前日の日暮れには分かるものだ。

 昨晩の内に門番から事前申請のあった書面と、それとは別に大主宛に届いている書簡を照らし合わせ、該当する者を照らし合わせる。

 門番には前日時点で泊まり先の確認も取れている為、該当者の元へは屋敷の遣いの者が時刻を伝達しにいくようになっている。

 数年前に比べ大主である扇堂杷勿は体力も衰えているため、長くとも一つの会談で使える時間は半刻程だ。

 間休憩を挟み、体調面を考慮した上で様子を見てまた会談に臨む。

 中には小半刻で終わることもあり、全てそれぐらいで終わってくれたのなら杷勿様の負担は少ないだろうに、と佐脇は考えながら自身が今しがた書き記した書簡を眺める。

 そもそもこの里の負担が今も尚杷勿にのしかかっている事自体が佐脇は納得がいかなかった。

 今年で杷勿は還暦を迎える。

 彼女と同世代と者達の多くは隠居生活を送るか、あるいはもう今世を全うしてしまったかだ。本来ならば、本来ならばとっくに休まれていい立場の、もう気苦労をする必要などどこにもない御方なのだ。

 だというのに、それなのに。

「暢気に下町に遊びに行かれる程元気になられたようで、とても素敵な前進ではありませんか。冗談きついですね。」

 広い額の真ん中で、短い眉を必死に寄せ集めたかのようなしわくちゃな顔をして思い浮かべるのは、そう正しく本来ならば、杷勿の跡を継いでもっと早くにこの屋敷、この里そのものを治めるべき立場にあられる孫娘の雪那だ。

 これまでは長年東の離れひきこもっておられたが、半年程前のある日から離れから出てこられる姿を何度か目にした。

 客人として招き入れられた"色持ち"の青髪の子に腕を引かれ連れ出されているように見えたが、どこか自主的に出てくることもあり、気付けば屋敷から外、そこまで遠くではないが下町にまで足を運ぶようになったのだ。

 それならと甘い杷勿様は出る度に直接ではないが、彼女の従者伝いに小遣いを渡すようになった。全くいいご身分だ。

 金を稼ぐ事も知らぬ齢二十一の娘が、渡された駄賃でどうせあの子供と遊び呆けているのだから、全く全く全く全く全く全く…

「とっとと持ってきなさいなアンタって奴はっ!」

 同室の真ん中で胡座をかいていた杷勿が空になった煙管を投げつけてくる。

 広い額に綺麗に入り、たかが煙管のとは思えない衝撃と痛みに打たれた額を抑えつけて蹲る佐脇は思わず声を上げた。

「なにを!?なされますかっ?!?!」

「お前の顰めっ面横目に茶飲まなきゃいけなくなるアタシが可哀想だと思わないのかい?不味くなるだろうが。早くこっちに寄越しよ、今日は誰がやってくるんだい?」

「…本日は」

 今しがた書き終えた書簡を読みあげようとした途端、やけに大きく、ドタドタドタドタと荒々しい足音が聞こえてくる。

 手元に広げたままの書簡。客人が使用する右手ではなく左手の廊下側に注意を向けていると、その足音は部屋の前で止まった。

「騒々しいね。どうしたんだい?」

 僅かに腰を浮かし、襖の方に体を向けた彼女は廊下で頭を垂れているだろう者に声をかける。

「東門の見張りから伝令がありました。下がり藤の紋の集団が、里への立ち入りの許可を、と…」「下がり藤、ですって?」

 それはどこからともなく、姿を顕す。

 まるで初めからこの場にいたかのように、杷勿の肩口からずるずると、這いずるかのように姿を見せるのは、この里を守護せし存在・水虎様だ。

 しかし何故だろう。

 その姿は以前の夜半に目にしたものよりも、どこか、どこか弱々しい。



「佐脇様ーっ!佐脇様!大変です!大変なんです!」

 大変なのは重々承知だ。今度は反対側、西区画に繋がる奥の廊下からどたばたと自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

 現状、どう考えても下がり藤の紋の者達の方が重要だが、自分を呼ぶ声には覚えがある。書記官の者だ。様子がどこかおかしい水虎と杷勿のに軽く会釈をすると佐脇は部屋を飛び出した。






「へー、じゃあ何かアンタ?アンタが雪那の話してた幼馴染っつー?」

「そうそう。ワイの他にももう1人いるんやけどなぁ、家は同じなんやけど五年ぐらい前に出てったキリで今も何処にいるか分からんくてのぉ。」

「雪那が二十一で、一つ上か。アンタとそいつが同い年なら十五かそこいらの時だろ出てったのは?気にし過ぎじゃね?十五なんて充分大人だろ?」

 言いながら丼の米粒を一粒も残すことなく平らげると、弥代はすかさず手を上げた。

「おばちゃん!栗ご飯の定食追加でー!」

 威勢のいい返答が暖簾奥の厨房から聞こえてくるのを確認して、手元の湯呑みに口付けると、向かいの席に座る雪那と目が合った。

「んだよ?」

「お腹が空かれたのでしたら屋敷に来てくださいと、私言いましたのに…。」

「いやだから、あの神様に嫌われてるんだって俺。行きたくても屋敷に入れねー事の方が多いし無理だって。」

 年にそぐわないような、子供っぽく頬を膨らませる姿はいっそのこと滑稽だ。舌を火傷しないように予め上蓋を外していた汁物に口を付ける。

 そうだ。目の敵にされていたって、別に気にしなければ屋敷自体に行くのは問題がないのだ。が、そもそも屋敷自体の敷地に足を踏み入れることが出来ない。どういうわけか屋敷に入ろうとすると自分は、目に見えない壁のようなものに弾かれてしまうのだ。以前に春原討伐屋の手伝いで請求書面兼報告書を提出しに行こうとして、階段を登った先の門を潜ろうとしたら、抱えていた書面ごと吹き飛ばされた。

 バラバラに散らばった書面を集めるのに相良が悲鳴を上げていたのでよく覚えている。

 他にも幾度か雪那に直接見せたいものがあって屋敷に入ろうとしたが、同様に弾き飛ばされてしまった。

 他の者はそんなことはないのだ。

 あっ、いや、一人いた。

 先日雪那の縁談相手であった鈴木凌一朗だ。

 あれから二月に一度、懲りず雪那に会いに、縁談話は白紙に戻ったものの、直接求婚しに訪れるようになったのだ。

 一回目の時は屋敷の中でまだ世話になっていた為、屋敷の外階段で大声で入れてくださいっ!という叫び声が聞こえていた。

 その時、ふと誰かが言っていた。

 水虎様に嫌われているのね、と。

 毎度ではない。水虎様に気付かれなければ立ち入ることは出来るの。そうなの知らなかったわ。日中はほぼほぼ無理でしょうね。可哀想な鈴木様。

 なんて、東の離れの周辺にも立ち入るようになった下女らが話している声が聞こえた。

「いやにしても食うねぇ、君…」

「人の金で食う飯ほどうめぇもんはねぇからな。」

 左利きの弥代は腕がぶつからぬように右手に座る和馬に、これっぽちも悪意なくそう返す。

 卓上に積み上げられた空き皿は弥代でも雪那でなく、全て和馬の奢りなのだ。

 ただそれも少しだけ、ほんの少しだけ和馬は自分の持ち合わせを思い出して心配してしまう。

(足りっけど、ほんまによく食うなぁこれ……)

 既に定食を二つ平らげて、空の皿を片付けられることもなく、後になってまとめて片付けようという店側の魂胆なのだろうか、積み上げられた丼と平皿に小鉢。

 定食とは別におかずも注文していたのは見ていたし聞こえていたが、まさか本当に全部一人で平らげてみせて、更にはまた新しく注文をするとは誰も想像していなかった。

「ほんまよく食うねぇ。そのちっこい体の何処に入ってくの?怖いわぁ。」

「かれこれ三日ばかしまともに食ってなかったからなこれぐれぇ朝飯前……は流石にもうそろそろ腹も膨れてきたか。」

「今の注文は!?!?」

「おばさんっ!!もういりません!!栗ご飯なしで!!注がないで大丈夫ですから!!おばさーんっ!!」


 弥代はお腹が空いていると口が悪くなるというのは、雪那の中ではわりと直ぐに覚えた。

 屋敷で寝食を共にする間は規則正しく定刻には配膳がされ、同じだけの食事をしていたが、屋敷を出て一人暮らしをしてからは、時折本当に口の節々が悪くなることがあった。

 昨日会った際もどこかお腹を空かせたような感じであったので、これ以上空気が悪化する前に何かしら腹を満たせてあげれれば、と飯屋を提案したのは正しかった。が、一人前平らげたところで、軽食程度に注文した雪那のお茶漬けをじっと見てくるあの目線。付き合いだしと丸々一人前注文した和馬の筑前煮定食の小皿を見つめるあの目線。

 それぽっちでは足りなかったのだ。

 屋敷を出る際には氷室からお駄賃を渡されているが、たかが知れている金額では、飯をいっぱい奢ってあげるのが精一杯だ。どうしたものかと思っていた雪那だったが、視線に気付いた和馬の提案で、弥代は食べたいものを好きなだけ本当に好きだけ食べることが出来た。

 単純で、それだけで弥代は和馬が自分に対して馴れ馴れしく接してきたのを許したのだから安いもの、いや安くはなかったろうが…。

「んで、んだっけ?和馬さん?アンタはこれからどうするの?」

「いやね、実は伯父様と里の中で待ち合わせをしとったんやけど、肝心のその伯父様が約束ん時になっても姿を現さなくてのぉ。」

「あっ?何?要するに人探してるわけ?」

「探してる、あー、いや探してるともいうけど、探しては、うーんないかな「雪那ー!こいつ借りてくなー!」ちょっ!?人の話聞いてなぁ!?」

 弥代は言うや否や和馬の後ろ帯を鷲掴み、大通りを挟んだ東側へと消えていく。

 初めは弥代の機嫌も悪かったことからどうなるものかと心配だった雪那だが、今の二人の状況を見ればきっとあの春原よりは問題はないだろうと、胸を撫で、おろせなかった。

 どうしてだろう。

 どうしてなのか。それは自分が一番よく分かっている。

 藤原和馬

 彼はそう名乗った。

 そう名乗って、自分に話しかけてきた。

 それは雪那がよく知る藤原和馬とはあまりにもかけ離れた姿をしていた。

「誰なんですか、貴方は。」

 気さくに敵意なく自然と話しかけてきた彼は、一体誰だったのだろうか。






「春原ーっ!人探し!こいつ金持ってるー!」

「金づる扱いっ!?!?凄いな!?仮にもさっき会ったばかりの相手を金づる!!ちょっ!だから別に探してるわけじゃっ!!…………え?どこここ?」

 大通りからそこまで入り組んでもいない位置にある春原討伐屋は、雪那と別れてものの直ぐに辿り着いた。

 強引に後ろ帯をがっしりと掴まれた和馬は何度か足元がもたついて倒れそうにもなるが、なんとか寸でのところで堪え、不安定な体制のままながらも弥代に吊られてその敷居を跨ぐ。

 乱雑に脱ぎ捨てられた履物を直したかったが、お構い無しに廊下を進む。

 突き当たりの襖を開ければそこには男が一人、書面を片手に唸り声を上げていた。

「相良さんどしたの?難しい顔して。」

「あぁ、弥代さん。こんにちは。いえ、少々対応に困ったものがございまして。」

「へぇ?どんなもん?」

 和馬の帯を掴んだまま相良が持つ書面を覗き込むが、案の定弥代にその内容を理解することは出来ない。一応見るだけ見て、相良が読み上げてくれるのを待っているのだ。図々しいにも程がある。

「いやまって!?ワイの事忘れないで!!」



 書簡には、巡回強化の旨が記載されていた。

 巡回強化なんて簡単に言うが、春原討伐屋は春原を筆頭に、相良・芳賀・館林・弥代の五人ぐらいしか回れる者はいない。(伽々里は詰所の管理や、自身の蔵内で調合をする薬剤で手一杯である。)

 榊扇の里は半径二里にも及び、大山の麓から東海道を跨いで海沿いにまで広がる巨大な里だ。

 里の端から端まで休まずに移動をしたとして半日以上時間を有するのは目に見えている。特別区画の指定がある場合は近郊を重点的に巡回してきたが、里全域の巡回強化となれば話は別だ。圧倒的に人手が足りない。人を雇うにしても春原討伐屋は資金も枯渇しがちだ。

 請求書類が承認されなければ給金が支払われない事だってある。

 そんな状況下で巡回強化など、人手が足りるわけもない。無理な話だ。

「あの婆さんそこまで考えてねーのかな?」

「大主様に失礼ですよ。」

「いや、だってよ…」

「えぇ?でも成功報酬五十両書いてあるし、後払いにでもしたら何も無茶やないと思うけど?」

「「五十両!?!?」」

 書面は裏面まで続いていた。

 表面にしか目を通していなかったのか、和馬の一言に慌てて相良と弥代は書面を捲った。

「あーっ!?何!?すっげー!たかが一月巡回強化するだけで五十両!?えーっ!?後払いで雇ったりとかして、出来ねぇかな相良さん!?」

「五両……一人頭一日三十文、五人で百五十文。一月三十日でも四千五百文。里全域の巡回をするとして最低でも二十、いや二十五人は人手が欲しいですので、五十両を相場の高い頃合に両替商で換金すれば…凄い!!凄いですよ弥代さん!余裕で余ります!後払いじゃなくて日払いが出来てしまいます!!」

「やっやったぁ!!日払い!よっしゃー!!」

 大変浮かれ返った二人を横目に、和馬は目を細めるしかない。

 この里は財政が厳しいわけでもないだろうに、こうして一部では金がないことに喘いでいる者たちがいるのがよく分かったからだ。



「所で、そちらの御仁は?」

 一頻り騒ぎ尽くした相良はようやっと、和馬の存在に疑問をなげかけた。

 当人は部屋の壁際にもたれかかるようにしていたが、いざ声を掛けられればそっと距離を詰めてくる。

「藤原和馬言うもんです。さっき弥代さんに連れられてなぁ。」

「あっ、忘れてた!」

「自分が連れてきて堂々と忘れるとは、恐れ入ります。」

 他意のない感服にいやーと後頭部を掻けば、和馬は苦笑いを浮かべるばかりだ。

 しかし忘れてはいけない。目の前の書面に記された巡回強化は明後日からと記されており、今日の今日報酬が入る訳では無く、成功報酬という事は失敗があれば一切支払われない可能性だってあるのだ。人手不足で人を雇おうにも場合によって支払われなかった場合が怖い。金を払うことが出来なくなってしまうのだから。

 今は何よりも目の前の金策だ。

「この金づる連れ探してるみたいでさー!」

「何も隠さない!言うてる!また金づる言うてる!!」

「これはこれは手放せませんね…」



「っていうわけでな、身内、伯父様と里の中で待ち合わせをするつもりやったんやけど、どういうわけかいくら待てども来んくて。したら見覚えのあるあの髪の毛が見えてな、声掛けるの我慢出来ずに呼んでみたら、紛うことなき雪那ちゃんやったってわけで。」

「え?何これ?惚気話?いつの間に始まった?」





 カラン、カランと、高い音が舗装された大通りに小さく響く。

 あれは誰ぞと里には立ち寄ったばかりの商人が、店先の店主に尋ねると、あれは今里の中でも名の知れつつある薬師であるという。

 最近この里に住むようになったのだが、薬の知識が広く。討伐屋などという奇妙な店にいるそうだが、長屋の一部では彼女の良薬を求めて足を運ぶものが後を絶たないそうだ。

 陽を遮るように番傘を掲げる。その隠された美貌を想像など容易く。

 店主はしかし里きっての美貌には及びはしませんなどと軽口を叩いて見せるが、もう商人の耳に店主の声は届いていなかった。

 魅入るように、そのあまりにも無駄のない所作に熱を注ぐ。

 漆塗りの下駄が立てる音が、なんと軽やかなもので。

 商人がその光景に感嘆を漏らした時だった。ふと彼女の進行方向から護衛を連れ立った、何やら白い襟巻きのようなものを纏った男性がやや大股気味でやって来る姿が見えた。大通りであっても絵になるその後ろ姿に見惚れていた為、邪魔が入ったように思えてしまう。

「ですから杷勿様が目を通してからお渡し下さいと、私以前から申しておりましたよね!?誰ですか誤って五十なんて認めたのは!?あんな人達十両でも十二分でしょうに!」

「いえいえ佐脇様それは流石に労働に見合いませんよ?里の全域ですよ?人手だって足りてないのですからあの方々は。」

「苑田の言う通りです。十両はあまりにも手厳しい。」

「人手なんてものは、人望されあれば勝手に集まるものです。杷勿様のように。」

「「土俵が違いすぎる。」」

 ガヤガヤと一気に騒がしくなる大通り。

 男等のそんな大声が距離があるこちらまで届くのに、一瞬意識が女から逸れた。と、その瞬間に女の姿が揺らぐ。

 まるで蜃気楼かのように、ゆらり、ゆらりと輪郭が揺らいでみせる。男は思わず顎を擦り、また一つ声を漏らす。

「これはこれは、実に面白い里ですな。」

「あら、大将?ここは初めだったのかい。」

「あぁ、いえね。小耳に挟むことはありましたが、こうして直接足を運ぶのはこれが初めてなものでして。私、産まれは西なものでして。」

「はぁ、どうりでここいらじゃ見ねぇ"お色"をお持ちで。黄なんてのが西ではわんさかおるんですかい?」

「黄などというのは、滅多にございませんよ。

 ですが、そうですね。時折、どこからもなく授かり手がいるそうですよ。信憑はどこにもございませんがね。」

 秋色の瞳を持つ商人は、こちらの地方では珍しい形をした笠を取り、小さく会釈をすると、連れの年若い黒髪の女性を小さく呼んだ。

「そろそろ今晩の宿を決めましょう。どうですか、御知り合いの方はいらっしゃいましたか?」

「人が多くてどうにも。聞いてはいましたが本当にこの里は大きいのですね。」

「相模国の八割を占めているようですよ。何よりこの里は貴女のような方が多いようですよ。先程もあちらで…。」

「それはそれは、なんと、まぁ…」

 驚いた口振りをしてみるものの、眉ひとつぴくりとも動かさずに女性は静かに商人の半歩後ろを付いていく。

「良いのですよ。貴女が住みやすい土地を選んでくださって。」

「とんでもございません。私はまだまだ人の暮らしというものを深くは知りませんので、どうぞ銀嶺様の元で学ばせていただきたく。選ぶのはもっと先でも、何も、問題はございませんでしょう。」

 揺らぐその輪郭が先程商人が目にしたものとよく似ている。

 彼女もまた、人ならざる存在なのだろう。

 その正体は知れぬども、人を装いその営みの中に混ざりいる。






「あぁ、だめ、だめ、ねぇだめよ、だめ、おねがい、だめ、だめなの、やめて、わたし、わたし、わたしはっ…!」

 その姿のなんとお労しいこと。

「踏み入らせてたまるものですかっ、あの藤の家紋を、わたしは、わたし、わたしは…っ!」

 それは、最早神の名を卸す為の、遥か昔にその身を捧げられた幼き少女のように。

 あまりにもその姿が哀れで痛ましく、自分が産まれるよりも昔から一族を、この里を守り続けいるなど。この光景を前にして、誰が信じられようか。

 身に余る神通力さえも今はまともに制御が出来ず、産土神から授かる寵愛を昇華する為に築かれた結界さえもが、揺らぐ。

 その存在が、その里自体が今にも崩れてしまいそうで、杷勿はぐっと奥歯を噛み締める。

 駄目です、水虎様。

 今は、今はまだ耐えてください。

 貴女様を一人では、逝かせはしません。

 私が終わりを迎えるその日まではどうか、どうかまだ耐えてくださいませ。

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