第0話 300年後へ
初めての方は初めまして。白河マナです。
もし面白かったら最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
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「私はこれから366日をかけてひとつの魔法を完成させます」
その日を境に彼女は喋らなくなった。
◇ ◆ ◇
大魔法士を自ら呼称するリリアナは、剣士ジークハルトとともに『時の魔法陣』を使って300年前の世界にやってきていた。
過去に来た目的は、自分たちの時代で世界を滅ぼそうとしている災禍『ネジマキ』とその4人の守護者の調査のため。
300年前、現代と同じように突如現れた『ネジマキ』によって多くの国が滅ぼされた。しかし、ある日『ネジマキ』は4人の従者とともにいなくなった。
S冠の冒険者に倒された、『ネジマキ』は短命だった、守護者の裏切りによる同士討ち、傲慢な人類に警告を発するという目的を達成して消えた――憶測の域を出ない噂たちが、未来では伝承となって語り継がれていた。
この真相を知ることが『ネジマキ』を倒す一番の方法と考えたリリアナは、300年の時を超越してその場所にやってきた。
そして爆笑する。
「あははははっ! これが! こんなものが真相なの!?」
「どういうことだ?」
ジークハルトが質問するがリリアナは答えてくれない。
リリアナの護衛でやってきた剣士ジークハルトには、普段落ち着いているリリアナの興奮ぶりや大笑いの理由がわからなかった。
「いーじゃない。やってやろうじゃないの! 毒を持って毒を制す! 『ネジマキ』をもって『ネジマキ』を滅ぼしてやる!」
びしっ、と、何もない空間に人差し指を突きつけるリリアナ。
確かにジークハルトは4人の守護者と『ネジマキ』を見た。森の中に聳える山のような深紅の生き物。とんでもない巨体をぐねぐねと這わせて木々をなぎ倒していく『ネジマキ』。その上には4人の人影があった。
だがそれは数秒のことで、偵察のために接近する間もなく『ネジマキ』と4人の守護者は消失してしまった。
その場にたどり着くと、木々がなぎ倒されてむき出しとなった地面が、森を突き抜けて果てしなく一直線に続いていた。
◇ ◆ ◇
僕はシュルト=ローレンツ。
地方貴族のローレンツ家の次男として生まれ、倹約家の父のもとで贅沢な暮らしはできなかったけれど、何不自由なく育てられてきた。
ローレンツ家が統治するローレンツ領は、良質なワインの産地として有名だった。アルキア大陸の南に位置し、暖かく日照量も多い。そのおかげでワイン用の葡萄が熟しやすく、糖度とともにアルコール度数が上昇し、はっきりとした味わいのワインとなる。また領土の南側は海に面し、水産業も活発で、ローレンツ領の多くの領民は豊かな暮らしをしていた。
僕の父、デニス=ローレンツは、僕が8歳の時に暗殺された。
犯人はわかっていないけれど、その後のローレンツ家の末路を見れば誰の目にも明らかだった。母はすぐに知らない男と再婚し、僕と兄は無理矢理それぞれ別の貴族に養子として引き取られることとなった。
円満と思っていた家庭に、いつどこで綻びが生じていたのか、8歳の僕にはわからなかった。
大好きだった兄の消息はわからない。僕は引き取られた先で虐待を受けた。
日常的な暴力。罵詈雑言。彼らは僕を人間としては見ていなかった。動くゴミだと言われたことは、いまも心の傷跡として僕の胸の内に残っている。
誰も祝ってくれなかったけれど僕は9歳になった。
転機は豪雨。僕の父の無念がそうさせたのか、領主が代わったローレンツ領には一か月のうちに半年分の雨が降り続けた。僕が閉じ込められていた地下牢も浸水し、次第に水嵩が増していき、ある日一気に大量の水が渦を巻きながら押し寄せてきた。体が水に浮きはじめたところで僕は一度死を覚悟した。でもこの浸水のおかげで、僕は牢の中の5メートル上にあるアーチ状の空気口から、身をよじりながら脱出することができた。
その先のことはハッキリと覚えていない。
僕はとにかくその場から逃げようと止まらずに走った。走って走って、記憶も身なりも滅茶苦茶になって、どこかの森に逃げ込んだ。森の中をさまよい、雨水を飲んで、よくわからない木の実や柔らかい草を口に入れて飢えをしのいだ。
何日も走り、歩き、地面を這いつくばった。
ぼろぼろの体を引きずりながら、何かに吸い寄せられるように、決して沈むことのない『置き去りの月』を背にして道なき道を進み続けた。
途切れ途切れの意識の中、僕の目の前に2人の冒険者が現れる。
剣士ジークハルトと魔法士リリアナ。土砂降りの中、2人は全く濡れていなかった。リリアナの魔法の効果か、雨粒は二人を覆う薄膜を伝わって地面に流れていた。
ジークハルトは金色の髪に彫が深く勇壮な顔立ち、鋭い眼光、鍛え抜かれた肉体、使い古された銀色の胸当て、腰には2本の長剣と数本の短刀を帯びている。歴戦を生き延び勝ち抜いてきた剣士だということをその姿から窺い知ることができる。
一方のリリアナはどこにでもいる少女だった。手足も細く、真新しいローブに身を包み、右手に持つ魔法の杖もまた新品に見える。まるで駆け出しの魔法士のようで、外見からはとても優秀には見えない。
「……どうか……助けてください」
僕は歩くこともできず、2人に助けを求めた。
もう下半身に力が入らない。
「それは殺せということか」
ジークハルトは片膝をついて僕に聞いてくる。その視線は僕の足のあたりに向けられていた。僕の右足首から先は無くなっていて、左足も太腿から指先まで無数のケモノの爪でズタズタに引き裂かれて血だらけになっていた。
周囲には数体のケモノが斬り捨てられていた。僕は襲われていたところを2人に助けられたらしい。
「助けます」
彼女は言った。
「いくらお前でも無理だろ」
「いえ、私なら息をしている者は肉片だけになっても蘇生できます」
「肉片は息しねーぞ」
「揚げ足取りはいいです。護衛、頼みます」
「はいよ」
こうして僕はリリアナの治癒魔法によって助けられた。2人は世界を滅ぼすために生まれた災禍『ネジマキ』とその守護者を偵察しに来た冒険者だと教えてくれた。
僕の傷は2日も経たずに完全に癒えていた。食い千切られた右足首から先も再生し、僕は歩けるようになっていた。もしかしたら僕は、とてつもなく凄い冒険者に助けられたのかもしれない、そう思った。
「あなた、名前は?」
「シュルト=ローレンツです」
「私の名前は、リリアナ。リリアナ=ソレル」
「俺の名前は、ジークハルト=フィーニ」
僕は森にいた理由を2人に話した。父が殺され、母が再婚し、家を出され、兄と生き別れになってしまったこと。養子先では虐待されていて、逃げ出して帰る家がないこと。2人は黙って僕の話に耳を傾けてくれた。
「ひでえ話だな。これだから貴族ってヤツは」
「連れて帰ります」
「おい。この世界に干渉するなと俺にはあれだけ言っておいて、リリアナがそれやるのかよ」
「私たちの目的は『ネジマキ』の偵察と四人の守護者の能力を見極めること。対抗策を二つ見つけました」
「ほんとか!?」
「ええ。一つは私の大魔法。もうひとつはこの子」
「シュルトが? この子が『ネジマキ』攻略の何かになり得るのか?」
「私がその何かにします。ということで帰りましょう」
「あの、どういうことですか?」
「シュルト、聞いてください。私はとびっきりの超絶天才魔法士です。時間を越える魔法を使って、この時代にやってきました。帰る場所がないのなら、私たちと一緒に行きましょう」
手を差し出してくるリリアナ。
僕はそのとき、泣いていたのだろうか。微笑んでいたのだろうか。父親の死や兄との別れ、母の裏切り、養子先での虐待。その中で誰かに優しい言葉をかけてもらうことなんてなかった。
「あなたは生まれ変わります。いまから300年後の未来で」
たったひとつの気がかり。
離れ離れになってしまった兄のことだけが気になったけれど、9歳の僕には兄を助ける力もなく、そのためにまた一人になることを選ぶなんて到底できなかった。
「僕、行きます。一緒に連れて行ってください」
彼女の手を見つめる。
300年後の未来。彼女の言葉の意味を完全には理解できないまま、僕は優しく伸ばされた彼女の指先に触れ、そしてその手をしっかりと掴んだ。決して離されないように。
一体その先に何が待っているのかは分からなかったけれど、彼女の温かな笑顔は、僕が救われたばかりの命すら捧げても構わないと思わせるほどに象徴的だった。