闇の世界。変わらなかった結果。
心の、深く深く柔らかいところにとてつもなく大きな傷が残っている。
それは小さな頃のちょっとした仲間外れのせいかもしれない。
それは凡人が勘違いして生まれたせいで壊れてしまった自尊心のせいかもしれない。
それは、少し、いやとってもたくさんの"耐えられない"のせいで砕けて散った幸福感のせいかもしれない。
いつもなら大丈夫なのに。少しでも露見すれば止めようもなく急激に心は崩れていってしまう。
見えるその朱い傷口を、ほんの少し認識すれば何も考えなくたって軋んだ心が次から次へ血を流し、あふれて止まらなくなってしまう。
友達は多くない。恵まれてるなんて少しも思ってない。
それでも頑張って。そう、頑張って。相手を考え生きていた。
でも、いつの日か。それが間違っていると気がついてしまったのだ。
きっかけはたくさんある。
一つはある日、本当の自分とは違う自分の話をされたこと。目の前の人の中には、自分のようでなにか全く違う相手が詰まっていた。
一つはある日、共感していると思ってた相手が、本当はまるで理解をしていなかったこと。口癖じゃないのに。辞めたい。止めたい。気軽な言葉だったけど、私には心の底からの叫びだったのに。
一つは。一つは。
とめどなく思考は巡る。考えを巡らす間だけは自分が生きてる実感があった。でもそんな暗い考えは一巡ごとに心を削ってダメにする。
生きている実感は、くるくる回る思考回路は、疲れ果てた心ではどう頑張っても実現されない。
ふと、足が鉛になる日が来る。誰にだって訪れることなのかもしれない。
一年に一度。いや半年、三か月に一度は鉛が心も覆い、あれだけ乗りたくなかった満員電車にただ無心で運ばれるようになる。
行かなきゃいけない、なんて日本人らしい責任感が、ほんのちょっとのどうにかなるで塗りつぶされる。鉛になった足は目的の駅でなんて動いてくれない。
線路に連れていかれて、たどり着いた終点はもうピークなんてとっくに過ぎて。がらんどうなホームから拭えない後悔とともに帰宅する。
動かない足とは裏腹に、妙に冷静な状態で機能した頭で送った休みの連絡。意味なく見返すそれは、何度見たって一文字たりと変わらない。理由をつけて、「休みます」対する返事の言葉も、別に罵詈雑言ってわけじゃない。ごく普通の「お大事に」
それを見て。閉じては開き、何度も確認をして。意味もない自分だけの言い訳を、いくつも重ねて思案する。
学生は休んでいいんだ。気軽に休める今のうちに休まないと。有給休暇は権利だから。消化して怒られる訳がない。
怒られることも、理由を突き詰められることも絶対にないそれに、あったとて確実にいうはずもない言い訳を数百ページ分書き連ねた頭を抱え、普段よりもずっと長い帰宅の道を辿る。
君は恵まれてるんだよ。
言われた言葉は、別に反論があるような内容ではない。
だって、自覚はあったから。自分が特別不幸でないという、そのうぬぼれにもよく似た自覚は。
楽しく生きてるのだと思う。局所的には居場所があって、家族を殺したいほどに憎んだりはしていないから。
あれこれいやだと言いながら、こそっとサボって。それが多分、許容されているのだから恵まれた生き方をしている。
だからって、満足してるわけじゃないって。それは全人類がそうでしょう?
誰もがみんな悲劇のヒロインで、一番不幸な自分自身を生きている。
他人の幸福を妬み恨んで。それをおかしいと自覚しても、直すつもりなんて毛頭ないままに不幸に浸る。
君は恵まれてるんだよ。
その言葉は、慰めでも誹りでもなく、ただただ耳障りな人生のノイズ。
タイミングが。相性が。泣きたくなるほど絶望的に合わない相手。
それがたった一人の選べない上司なんて、不幸以外の何物でもないと思う。
目を離したすきに連絡してきて、共有もろくすっぽしないまま、あちこちツールを跨いで予定を埋める。
こっちが気が付かなければ、別で連絡してくれればいいのに。これがルールだって、何にも知らないこちらに説明をしないルールを押し付ける。
ルールを守るのは嫌い。でも仕方がないことだって思ってる。
みんなルールがあるからルールを破ってうまく生きているんだから。
でも、知らないルールを守るなんて。できるはずがないじゃない。
なんもかんも嫌になってる今の私に、どうして新しい居場所をくれないの?
新天地、新しい人間と新しい私で、今までとは変わった生活を始めようとしてるのに。みんなは変化なんか望まないんじゃない。
新人はノイズ。気持ちはわかる。
私だって、新しい人を受け入れるのは少しも得意じゃないのだ。
でも、それでも、悲劇のヒロインは。
全部が全部相手の十割過失だと思うから。悪いのは全部相手。
だから、こんな最悪な生活。
ああ。
もうやめてしまいたいなあ。
やらなければできない。そんなのとっくの昔から知っていて、わかりきった当たり前。それでも守れないのはやっぱり自分が弱くてダメな不適合者だから。そうやって開き直ってみたって、誰も養護はしてくれないのだけれど。
それでも一歩がすごく重い。習慣になればやらない方がいやな気持ちになるのだけど、そこにたどり着くまでの道が気が遠くなるほどに長いのだ。
ペンを持つのが重い。パソコンを立ち上げることが憂鬱だ。怠けだらけ続けて、"それ"が習慣になった自分には罪悪感はなくなって。
決まりの中で楽をするではなく、楽をする中で最低限の体裁をとる方法を模索するようになった。
いつしか自分が何をしているのかもわからなくなって。常にだめだと自覚をしながらも日々ありえない怠惰を貪った。
どうなるかなんて、火を見るよりも明らかだったのに。
世界が揺るぐような大喧嘩をした。
直接的な暴力も、外部が干渉してくるような大騒ぎも、何一つなかったけれど。私のちっぽけな世界は少なくとも砕けて散ってなくなった。
怒られ、泣き叫び。信じたすべてが私を裏切った気持ちになって、居場所のすべてがふさがった。誰の言葉も、何の出来事も全部私の心には届かなくなった。
興味が失せた。気力が捌けた。そんなのが通用するほど人生甘くはなくても。
ギリギリで繋ぎ止めてた人間のラインをつい気軽に千切って割ってしまった。
そうした私はすべてのしがらみから解放された。でもそれは少しのすがすがしさも私には与えず。放り出された私は、これぽっちの自由も感動も感じることはなかった。
あったのは虚無。それ一択。
でも、してしまったことは仕方がない。虚無の中、自身の思考すら虚空に捨てて、一週間を無駄にした。
でも、人間何があるかわからない。急に思い立った私は一週間後のとある日に、そっと行動を始めた。
寝すぎた体は健康で、怠けすぎた心は家族の冷蔵庫よりも重たかったけれど。
時間がないから。それをやるくらいなら先にやらなきゃいけないことがあるから。さぼるって割り切れないから。
どうせ何もしていなかったくせに、そんな無数の言い訳で置き去りにしていた、自身のやりたかったはずの、やらずに置いたままであってもずっと捨てることのできなかったそれを手に取った。
久々のそれは、ひどく熱中できた。
光が当たった気がした。
閉じ切った、闇しかない目の前が急に開けて輝きだした。
お金もなくて、家族はあきれ返りいつからか現状を聞かなくなった。百人に聞いて百人がダメだというような生活を送って、私は初めてやりたいことができた。
言い訳する暇はなかった。私に残ってるのは砕けたプライドと縋りつきたかった生。
こんなもの何になるんだろう、今までだって何にもならなかったと、何度だってあきらめようとした。一度はすべてを壊してまで逃げ出したあの場所に戻ろうとした。
でも、できなかった。自分の中でどうしてもやりたくないを排除していった結果残ったのはこれだった。
やりたいって気持ちでやらなきゃできない。そうわかってたってそこまで割り切れるほどに私の気持ちは晴れてなかった。
答えなんかどこにもない自問自答して私なりに苦しみ悩んで後悔して。振り返ってみれば私の選択した楽こそが一番の苦だったんじゃないかってぐらいつらい生き方をして。
誰にも勧められないって思いながらようやくつかめたそれ。私が普通を耐えられず、堕ちた結果の辛い道。その先にあった、何より辛くて嬉しいもの。
たった一つ、私は私自身が信じた、自分の才能を願って生きることを決意した。