聖堂お風呂巡り
この大聖堂は広大な敷地に宮殿や修行を行うものの生活区域、自前の軍の施設を抱えており、ここだけでひとつの街のようになっている。
聖堂内にも複数の礼拝堂があり、祈りをささげる声が止むことはない。高速乗合馬車(魔術で通常の馬車より遥かに早く移動できるのだ。高価だが)を利用してもひと月もかかるような遠方から来る者もいる。道路が整備されていない北方から徒歩で来る者もいる。時には王族なども来ることがあるので、滞在場所を敷地内に用意している。一部の者は郊外に滞在用の屋敷を構えている。
そんなわけで体を清めるために掘れば湧くとまで言われている温泉を活用することになり、様々な階層、目的によって浴場が点在するのがここの大きな特徴の一つとなっている。
まずは西礼拝堂に向かう。ここは基本的に日中は解放されており、四六時中身分を問わず誰でも入れるようになっている。中では司祭が説法したり祈りを捧げたりする。私も月に一度くらいは大勢の前でモゴモゴ何事かしゃべらされたりするのである。今回はこっそりと大勢の信徒と一緒に入り込んでみた。今は何事か説法しているようである。私は後ろのほうで立ち見しているのでよく聞こえぬ。ぴょんぴょんとジャンプして前の人の頭の間から覗こうと頑張ってみるが、いかんせん150cm程の身長では中々見えない……前の人が笑いながら少し体をずらしてくれた。すんません。
……今日は大司教の人がしゃべっているようだ。たまに会食するのでよく覚えている顔で、何度か私の相談にも乗ってくれているので「聖女派」と目されている気の毒なおじさんである。ところでなんかさっきから目が合うような気がするのだが気のせいか? 後ろを見てみる。ふむ。目立つ人はいないな。色鮮やかな民族衣装を着ている女の人は目につくがそれくらいだ。
あ、なんか目を見開いているぞ。あ、フードで頭を隠していたのだが、さっきのジャンプで脱げていたのか。しまったな。
がしっ。両腕をとられた。(どうぞこちらへ)とひそひそと耳元で囁かれる。ずるずると引きずられるように控室? のようなスペースに連れていかれた。「ワタシ(俺)は聖女だぞちくしょう!」「だから捕まえられたのだと思いますよ」呆れたように返してくる兵士のうんざり顔を見て悟った。どうやら私も別の意味で説教される模様である。
されました。ネチネチネチネチはいはいはいはいワカリマシタカ? わかりましたキイテルンデスカきいてますクドクドクドクドクドはいはいいえはい。
えらい目にあった。気が付いたら昼時。大食堂へ人の流れができている。ここでは礼拝に来た信者向けに食事を提供しているのだ。数百人収容の食堂は一度では捌ききれずに数回に分けて提供される。基本的にすべてが無料奉仕の人たちで運営されている。人手が足りないときは教会から派遣されるとかなんとか。絶えず聖句が流れる中で色々な立場の人が同席して食事をするのはここの風景の一つではある。ちなみにオーガはその対格差から座れる席が限定されてしまう。今日は肉でも焼いてるのかものすごくいい香りが漂ってくる。心なしか食堂へ向かっている人の流れも速いような気がする。そして心なしか体が前のめりになっている。ような気がする。自分も混ざりたい。
以前こっそり混ざろうとしたらあっさり正体がばれてしまい、席を前のほうに移されてひと言しゃべらされてしまったのだ。長すぎず短すぎない宴会における乾杯の挨拶のようなことをやらされるのはもう御免であるので、人の流れる回廊からそっと外れた。
ひょっとして風呂に入るチャンスか。
西礼拝堂から広い中庭に抜けると小屋が点在している。これらが男女別の湯小屋で2種類の源泉がそれぞれの小屋に配湯されている。うちひとつが硫黄泉で今日はここに入る。もちろん女湯である。当然精神の半分は男のものであり、いやらしい目で見てしまっては敵わぬと思ったりもするのであるが、このような体であるし心を鬼にしてそのような考えは表に出さず、平然と女湯に入っていくのであった。
はたして先客はひとりだけであった。脱衣所に置かれている靴(夏季であるせいかサンダルであった)は1足だけ。ちょっとがっかりだな……と思いつつ服を脱ぐ。もう少し気を付けて先客の脱衣カゴを覗けば引き返すチャンスもあったのにとこの直後に後悔するのであるが、紳士としては覗くのも憚られるのではあった。
「おや、聖女様」
ヒッヒッヒと笑いながら湯舟から立ち上がったのはひとりの老婆であった。すっぽんぽんである。「げぇ! 先生かい……」
なんてこった。これはついてない。彼女の名はマリー。軍における魔術師の教官である。退役した今はこの大聖堂で悠々自適な生活を送っている。私がまともに魔術を使えるようにした人でもあるので私は先生と呼んでいる。本人曰く「きっかけを作ったに過ぎない」らしいのだが。
「すみませんねぇ。期待して入ったのでしょうが、私のような婆だけで」
「いえいえ俺……ワタシもお湯に浸かりたかっただけで」
ピクリと動く眉が実に怖い。
石造りのタイルをぺたぺたと歩いて浴槽に向かう。硫黄は金属を腐食させ建材もボロボロになるのが早いのだが、魔術で丁寧に覆われているので奇麗なままだ。しゃがんでかけ湯。ぴりりくる湯だ。
「相変わらず生えとらんねぇ」
ある一点を凝視してくる婆に「どっちがだ」と突っ込みつつ脚を入れる。あちち。ふむ。白く濁る湯に入るとぴりぴりした感じがさらさらしたはいりごごちに変わってくる。湯口からごぼごぼと湯が注がれてくる。湯口も魔術による転移の応用で数日持つのだそうだ。距離の問題もあるが、湯小屋を建てる場所の制約が少ないのでここではよく使われている技術だ。硫黄による腐食も魔術で抑えられており、小屋だけでも魔術の粋がこめられている。
「あーーーー」
「いちいちおっさん臭いね。髪はまとめなさいって言ってるだろう!」
婆が騒ぐことがあるので落ち着かないことがあるが、多くの人にとってはいい風呂だと思う。髪をつけないのは異世界でもマナーらしいので気をつけなくてはならない。
「……あんたディアーナは出さないのかい?」
「出すわけねーだろ。こんなガキをお前らに預けられるか。お前らの燃料にはさせん」