ようこそ大森林へ
黄金三月
今夜は新月
ヒバナ連合が皇帝をレーダから追い出し、5年後に国を閉ざすと宣言し
そして今日がその日となった
ひと月前までは毎日のように人が波の様に押し寄せ
それと入れ違う様にポツポツと出て行く者がいた
だが数日前にはそれもおさまった
今日に至っては昼過ぎに1組の夫婦が魔法使いの国など嫌だと嫌がる王都訛りの老婆を引きずるように連れてやって来ただけだった
同僚の話では町々は日々静まり今夜あたりは誰も出歩かないだろうとの事だ
もう間も無くヒバナとそれに同調した各種族達は一斉に国を閉ざす
明日からは白姫様の下、魔法使い様の大魔法により暗い森の一部となるのだ
議会は最後の寄合を済ませ
我々兵士はそれぞれ国境の砦に籠る
あの日以来敵となった帝国は驚くべき速さで兵力を回復させ遠巻きに我々ヒバナ連合を囲んでいる
囲んではいるがこの5年一度も衝突はない
帝国を出るものもヒバナを去るものも誰も何方もそれをこの5年間、妨げようとはしなかった
異教徒達はこの5年のうちにヒバナ連合から買えるだけ物を買い漁った
残念な事だが彼らともこの5年で終いとせねばならないからだ
ある異教徒の商人は「コレで10年は商売が出来る」と山積みの荷物を見て笑い
しかしその後はどうなるのやらと溜息をついていた
しかし彼らは逞しい
我々が国を閉ざした後も必ず商売を続けて行くだろう
「本当に良いのかね?」
突然、隣に立つ同僚が暗闇の中、声をかけてくる
その声に私は良いんだと返えす
今夜は大魔法の妨げにならぬよう灯の使用は最小限にときつく言われていて、砦の中は薄暗く、私達が立つ砦の外に至っては星明かりが頼りだ
私の答えを聞いた同僚はそうかいと言って手にした槍で窮屈そうな己の兜をコツコツと叩いた
私には家族もなく帝国に思い残す事もない
ああ、言ってなかったな
私は帝国が5年前から大量に送り込んでいる間者のひとりだ
憎っくきヒバナ、その企みを暴け
そう言われて送り込まれた数えきれない間者のひとりだ
ロクに調べもせず移住を許すヒバナ連合
ひとりの男が私に声をかけるまで仕事は実に順調だった
帝国には隅から隅まで正堂が手を伸ばしている
その多くは聖堂の看板が変わっただけなのだが
この5年、本物の正堂使達は早々に正堂を引き払いヒバナ連合に戻った
だが正堂にもギリギリまで帝国に残り仕事をしていた働き者達がいる
「犬」達だ
赤犬、白犬、黒犬、他にも色々いるが
その犬達は帝国が送り込む間者の事などとうにご存知で
私達間者の動向などつぶさに見ていたわけだ
などと言うとアレなのだが何のことはない
後で知ったのだが私を選び送り込んだ帝国の男も「犬」だったと言うのだから笑えない
「仕事は順調かね?」
そう私に声をかけた男は訝しげに首をかしげる私に言葉を続けた
「なるべく正確に、なるべくたくさんの情報を帝国に伝えてくれ」
私はそれでもしらばっくれだが、男は気にした様子もなくその場を立ち去り二度とその顔を見る事もなかった
しばらく後、私の様な末端の人間が知り得ることは決してない情報が私の手に転がり込んできた
しっかり頼むよとのメモ付きで
私はその情報が囮の類ではない事を確かめた後に正堂隊の詰所に己の罪を持って名乗り出た
自首というやつだ
一旦は拘束されたが半日もしないうちに放免となった
そして正堂隊の男に言われたのだ
君は君の仕事をしたまえと
私は別に青い石をありがたがってはいないし正しいを連呼する趣味もない
皇帝を尊いとは思わないし白姫様に膝をつき涙を流した事もない
しばらくの間、私は考えた後仕事を再開することにした
警備兵として今まで通り働き
間者としての仕事も続ける
そんなある日私は同僚に声をかけられた
「下手くそだなぁ」
呆れた様な声で彼はそう言う
何のことだと聞き返す私に、彼は自分は元「薮犬」だが自分はもうちょっとうまくやっていたぞ?と言って笑う
ああ、薮犬とは正堂が街に放つ間者の事で、どうでもいい様な小さな事を集め正堂に報告し、その全てに目を通した諸官達が何かを判断するのだ
私はそうかいと笑って返し
向いてないのかねと呟いた
勘違いしないで欲しいのだが、帝国が送り込んだ間者達が皆見逃されていたわけではない
大きな事を成そうとした間者達は皆捕まるか消されるかされていた
私の様な質より量で送り込まれた者達が放置されていたと言うだけの事なのだ
正直なところ私の送った情報がどう言った扱いを受けているのかは知らない
最後の連絡者に渡した情報だってどこの砦に何人くらい人が居てその内何人がゴブリンで何人がエルフで、誰が指揮官で、獣人は見かけないとかそんなことばかりだ
そもそも帝国は再びヒバナと矛を交える気などない
やった所でこの砦は落とせるかもしれないがその先は街道をいくらも進まぬうちに駆けつけたヒバナ連合軍の手柄首になるのがオチだ
結局多くの間者達同様、よく分からない二重生活を5年続けこの日を迎えてしまった
この数日で近隣の砦に勤める二人の警備兵が姿をくらませている
魔法溢れるヒバナより帝国に居る家族を選んだのだろう
しかし私は先に言った通り家族も身寄りもない
行きつけの飲み屋にいくらかつけがあったが五年たったのだ、帳消しになっている事を祈ろう
噂話では我々警備兵は国を閉じた後、新設される「こうば」やら「こうじょう」やらに動員され魔法使い様のために働くらしい
突っ立ってあくびをして白札を貰える日々も今日が最後かと思うと少し残念だが
そんな事を考えていると真面目に暗闇を見張っているゴブリン達が「おお!」と声を上げた
正確には「ウゴ!」なのだが簡易式の声石を持たされている我々にはそのどちらもが聞こえる
なんだ?どうした?と私が声をかけるとひとりのゴブリンが暗闇を指差し森が動いている!と感極まった声を上げた
私と同僚は目を凝らし指差す先にある暗闇を見つめる
私にはハッキリとは見えないが
暗闇の向こうにある影絵の様な木々が、まるで歩く様に揺れながら進んでいく姿が見え
これが大森林の真の魔法かと唸るゴブリンの声を余所にまるでおとぎ話だなと同僚に声をかけた
すると同僚は吹き出し、それも報告してやれよと言って私をからかった
礫に書いて投げれば届くかねとおどける私に同僚は今からここは魔法の国だ、投げた礫くらいどこまでも飛んで行くさと笑い
二人して笑う私達にゴブリンが真面目にやれと怒鳴る
交代の時間になり砦の中に戻るとそこはもう明かりがいつもの様に灯されており、飯の準備が始まっていた
同僚は兜を脱ぐと窮屈だった耳を伸ばし配食の列に並ぶ、エルフの彼には毎食の他に一杯だけ酒が振舞われる
酒を見る私に羨ましいかいと笑う同僚
どちらかというと今日の分の煙草を吸い切ってしまったのが残念だよと言い返すと彼は笑い
健康に気をつけたまえよ?病弱な耳なし君と私の尻を叩いた
そんな喧騒の中眼鏡をかけた獣人の書官が掲示板に大きな紙を貼り出した
白札と大森林紙幣との交換について書かれている様だ
今から一年は今まで通りヒバナ・・・じゃなくて新領《館》内で白札は使えるがなるべく早く大森林紙幣と交換する様にと書かれている
しかし思っていたよりシブい交換比率だ
こりゃ今日まで交換比率を隠すわけだ
いやいやコレは大森林の民として励まねばなりませんなぁと同僚は呆れる
その時、突然食堂に女性の声が響いた
今朝、正堂隊の堅物達が御本尊宜しく持ち込み、大魔法が発動されるまで決して触るなと言ってその前を守っていたレジ何とかとか言う箱から女の声が響きだしたのだ
「ようこそ大森林へ」
声の主はあなた方はたった今この時より私の治める領地(館》の住民であり「あるじさま」の大森林に暮らす民となったと言うような事を喋っていた
「ようこそ大森林へ」
話は最後にもう一度言われたその言葉で締めくくられた
その後、箱からは楽団のものであろう音楽が止まることなく流れている
正堂隊の連中は涙を流して白姫様万歳をバカの一つ覚えの様に繰り返している
ようこそ大森林へ
今日より後、流行り言葉としてそこら中で見聞きすることになる言葉だ
だが私には別の意味がある
晴れて私は帝国臣民の籍を離れ大森林の民となったのだ
自分は百年前の白姫様御生誕祭でお声がけを頂いたともう何回聴いたか分からない自慢話を始める同僚
ようこそ大森林へ
私は己にその言葉を捧げると同僚の手から酒を奪いレジ何とかに向けてそれを掲げ飲み干した




