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機巧人形はユメを視る  作者: A峰
1/5

人間とは、どのように定義されるものでしょうか。

手記


 人間とは、どのように定義されるものでしょうか。

 髪の色、肌の色、瞳の色。外見の多様性から始まり、イデオロギーの在り方といった観念的な立場からしても複雑に交錯する変異の集合体。彼等は何を保有していれば人間であると認められ、その逆に、何が欠落していたならば人間ではないと見做されるのでしょうか。

 五体不満足であっても認められる人、五体満足であっても否定される人はいます。肉体の有無はそこまで重要ではないのかもしれません。

 それでは、心、すなわち意思の存在でしょうか。人間とは、道に迷い、試行を重ね、なまじっか高等な意思を発現してしまったばかりに、あるべき未来を自明の理として享受できない非効率なイキモノともいえます。葛藤とともに生きること、種の保存と繁栄という、大自然から与えられたお題目ばかりにしがみつくことを忌避して、その営みに別の価値を求めること。

 それとも、より抽象的に魂と呼ばれるものでしょうか。

 死んだ人間は生前に比べ、質量が僅かに減少することが知られています。

 二十一グラム。

 それこそが霊魂の存在をほのめかすものであり、人間は『人間の魂』を保有しているから『人間』と定義されるのだとうっちゃることもできます。二十一グラムであることが人間の魂であることを保証するのかどうかは、あいにくと他の魂を計ったことがないので分かりませんが。

 こういった益体のない理論を捏ねくりまわしたところで、さて、お前は人間なのかと問われると困ります。返事に窮するしかありません。肉体に焦点を当てれば、私は人造物に傾倒しています。なぜなら、私の場合あべこべなのです。肉体と人造物の比率が。

 そうですね、ごめんなさい。あべこべなんて生易しい表現は適していませんね。

 私は純粋な肉体をほとんど保有していません。明確な意図のもとに造られた人間紛いの存在、それが私です。その意図とやらに言わせれば、純粋な肉体なんてものは脆弱な檻でしかなかったのでしょう。度が過ぎているともいえますが、合理的ではあります。彼等が描いたユメを実現するためには、私を創り出したことは最適解だったともいえます。

 その行為が神の目に適うかどうかは別として。

 なんと、人間とは悍ましいのでしょう。天地開闢まで遡ったところで、こんなにも臓腑を震撼させるイキモノなんて見つかるはずもありません。震撼させる臓腑なんて私にはありませんが。いえ、これは私なりのジョークです。誰も笑えないことは理解しています。

 それにしても、私の旅の行く末が、私自身がその悍ましい存在であることを確かめるためであるとは、なんとも皮肉なことです。滑稽ともいえます。

 ただ、私は確かめたいのです。私がいったい何であるのか。

 兵器に過ぎないのか。バケモノでしかないのか。それとも血の通った存在なのか。

 そのために、私は私にとっての創造主を探す旅をしています。これは殉教の旅なのです。

 恐ろしく、人間の醜悪な部分と向き合うだけの寂しい旅路ではありますが、それでも、その道中で巡り合う人間は――そうですね、美しいと言えるのでしょう。

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