あなたが何者でも
幕末の動乱の中、京の都で活躍する新選組・沖田総司。彼が出会ったのは赦されざる相手だった・・・。
江戸から京にやってきて半年以上になろうとしている。私は今日も、相変わらず隊務に励んでいた。半年、足早に過ぎ去ったように思える。
後ろ盾のなかった私達は、会津藩お預かりとして、新選組という名を頂戴した。そして、局長筆頭だった芹沢さんも亡くなり、今は近藤さんが局長の座に就いている。
私も、幾度となくこの手で剣を振るい、戦ってきた。そんな日々を過ごしていたのだった。
その日は非番だったので、のんびり散歩でもすることにした。
「あぁ、永倉さん。私は少し散歩に出てきますね。
土方さんか近藤さんに言っておいてくれますか?」
「総司。自分で言えばいいじゃねぇか。」
「今どちらもいないんですよ。」
「そうなのか?んじゃ、わかったよ。遅くなんねぇうちに
帰れよ。」
「えぇ。わかってますよ。」
門の所で出くわした、江戸の試衛館からの仲間である永倉新八さんに頼むと、私は道を右に折れ、街へと向かってぷらぷらと、当てもなく歩く。
穏やかな晴天の日だった。そんな日だから私も散歩に行く気になったのだ。
会話に出てきた近藤さんとは、私の属する新選組の局長。土方さんは、副長を勤めている。私はと言えば、名を沖田総司といって、22歳だ。一番隊組長であり、剣には自信がある。
非番の日と言えば、近所の子供と遊ぶことも多いけれど、こうやって、巡察以外でのんびりと街を歩くのも悪くないと感じる。
巡察だと、気を張って、周囲に目を光らせて不逞浪士の動きを探らなければいけないから。
でも、隊務中ではなくとも、‘事件‘に出くわすこともあるもので・・・。
街を行き、大通りの終わり程まで来た時、ある一軒の商家から男達の怒鳴り声が聞こえてきた。ただ事ではなさそうだ。
『事件か?』そう感じた私は、よりによってこんな日に・・・と思わないではなかったけれど、見過ごせず、その商家を覗いてみた。すると、やはり浪士風の男達が店番をしているらしい娘を脅している所だった。所謂押し借りだ。
「いいから出せって言うんだ!」
「ないものはありません!」
「なにをぬかすか!我らに貸せんと申すのか?」
「私共は、細々と営んでいるだけですので、お侍様に
お渡しできるものはあらしまへん。」
「このっ!それならば、探させてもらうぞ!」
男達が店を荒らそうとし始めた時に、私は店に入った。
「何をしているのです?」
「誰だ?貴様は。」
「ただの通りがかりですよ。大きな声が聞こえてきたのでね。
どうしたのかなと思ったんですよ。」
「貴様には関係のないことだ!」
店の娘は酷く怯えていた。可哀そうに・・・余程恐かったのだろう。
「こんなことをして、街の人に迷惑をかけて
どうするんです?」
「うるさい!黙れ!」
「京も物騒で困るんですよね。だから、私達がいるんです
けどね。」
「何を言ってるんだ!邪魔だ!叩っ斬ってやる!表に出ろ!」
「え?やるんですか?仕方ないなぁ。」
男達と私は店から出て、刀を抜いた。こうなったら、止むを得ないだろう。娘は相変わらず怯えた表情で事の推移を見守っていた。
外に出ると、道を歩いていた人々は悲鳴を上げ、その場から散り散りに去ってゆく。
「私も容赦しませんよ。どこからでもかかって
おいでなさい。」
「生意気な!」
そう叫ぶと、一人が斬りかかって来た。が、あっさりと私はかわす。どうやら、さほどの腕でもなさそうだ。なんだ。口ほどにもないじゃないか。
「まだまだぁ!」
再度その男はかかってきたが、なんてことはない。またすぐに私にかわされる。そして、私も反撃をし、何度か打ち合った末、その男の腕を斬りつけた。腕を斬ったから、しばらくは刀を使えないだろうか。
他の男達も刀を構えて今にも私に斬りかかろうとしていたけれど、私の剣技を見て、恐くなったのか、逃げだした。腕を斬られた男と一緒に。
「なんだ、大した腕もないじゃないか。」
ふと独り言を呟いた時。
「あの・・・。」
声を掛けられ、声の主の方を見ると、あの店の娘だった。
「怪我、ないですか?」
私はその娘にほほ笑みかけ、聞いてみる。
「だ、大丈夫どす。おおきに。私共の店では、あまり
ないことやったんで・・・助かりました。」
「とんでもないです。しかし、許せない奴らですね。
もうこのようなことをしないとよいのですが。」
「えぇ。・・・あの・・・あなた様のお名前は?」
「え、私、ですか?・・・いや、私はただの通りがかり
ですから。」
「あ、でも・・・」
彼女は、そう言って食い下がろうとしたが、私は少々格好をつけつつ、その場を後にした。
実は、私個人として人を助けるのは、今日が初めてだったかもしれない。僅かに気分が良かった。
その後、散歩に飽きた私は屯所のある壬生に帰り、夕食の時に、街であった押し借りの事を仲間の永倉さんや原田さんに話した。
永倉さんは、江戸育ちだけれど、松前藩脱藩で、神道無念流の免許皆伝。原田さんは伊予松山の出で、腹に傷を持っている。槍の達人でもあるのだ。
「なんだってこう、押し借りなんてしやがるんだ。
治安が悪くなる一方だ。」
「本当だな。志士の名がなくぜ。商人を脅して金を巻き上げる
なんてな。」
「どうせ返すつもりもないんだろうし。強盗じゃねぇか。」
二人ともかなり苦り切っているようだ。それは私も同じだ。あの時、私が通りがからなければ、あの店はお金を巻き上げられていたんだろうか。本当に、秩序も何もあったものではない。
京に暗躍する浪士連中は、国のためと称しやりたい放題している者も多い。幕府の要人を天誅と言って暗殺する者もいる。私達新選組はその不逞浪士から京の人々を守るために結成された。
今でこそ徐々に名を知られるようになったけれど、結成当初は江戸の試衛館時代と同じか、あるいはそれよりも貧しい暮らしを強いられていたのだ。
得体の知れない私達を雇ってくれる藩はなかったし、その日を暮らすのも精一杯だった。それでも、やっと、京都守護職である、会津藩松平容保公の預かりとなることができた。あの時はとても嬉しかった。皆そうだっただろう。自分達の力が認められたのだから。
私はいつも思う。初心を忘れてはいけないと。組織も大きくなってきているけれど、自分の今の力に甘んじず、日々鍛錬せねばならないといつも思っている。不逞浪士達に勝つには、力が必要だ。誰にも負けない強さが。だから、私は努力を続ける。
とは言え、京の人たちは、私達のことを良く思っていない。ただの、無頼の人斬り集団だと思っているようだ。それは悲しいことだけれど、止めるわけにはいかない。私達だって誇りを持って日々勤めているのだ。私は諦めず、ずっと戦っていくつもりだ。
それから一月ほど経った頃、私達一番隊は土方さんの命で、街の探索に出た。内密のことだったので、隊服は着て行かなかった。
隊服は新選組の証だし、私は気に入っている。だけれど、色が少々派手なので、目立つのだ。だから、内うちに済ませたい隊務の時は着ていかない。
途中から手分けして探索することにした。他の隊士たちは二,三人ずつだけれど、私は一人で街を歩く。京に来た当初は道に迷うこともしばしばで大変だったけれど、今ではもうすっかり土地勘も付いた。
怪しい動きをする浪士風情の者がいると土方さんは言っていた。見渡せば、どれもこれもそう思えてくるが、長州か、はたまた薩摩の連中が何かを企んでいるのか?‘怪しい動きをする者‘を探しながら午後の街を歩いていると、思わぬ人に出くわした。先日私が助けた店の娘だった。
「あ、あの時のお侍さまでは?」
「あぁ、店の・・・」
「はい。お久しぶりでございます。またお会いできるとは
思っとりませんでした。」
「そうですね。私のことを、覚えていて下さったんですね。」
「当然どす。私を助けてくれはったんやから・・・
あ、私、律いいます。」
「律、さん・・・。あ、その後は危ない目に遭って
いませんか?」
「えぇ。今は大丈夫どす。あの時は驚きましたけど。」
「あの店って、律さんのお店なんですか?」
「いいえ。親が営んどるんですが、私も手伝っとるんどす。」
「そうでしたか。頑張っていらっしゃるんですね。
十分気を付けてください、浪士には。」
「えぇ。心得とります。」
「そうだ。私は・・・沖田と言います。」
一応、あの時言わなかった姓だけ名乗って、その場はそのまま別れた。隊務の途中だったし。ただそれだけだった。
新選組だとは、言えなかった。言ったところで、厄介なことになることもないとは言えない。どこで誰がどう繋がっているかわからないから。別にあの娘を疑っていたりするわけではないけれど。いつでも用心は必要なのだ。彼女が、私の素性を知らないでいてくれて、助かったかもしれない。
その日は特に怪しい者は見つからず、目当ての人物に辿りつけなかった。報告を聞いた土方さんは渋い顔をしていたけれど。
そして、数日後、例によってまた、怪しい者を探索しに行った。聞くところによると、その人物は長州の大物とからしい。大物と聞いたら、なんだか戦いの血が騒いでしまう。が、捕らえなければならないし、ここは慎重に行動しなければならない。
監察方でも調査しているみたいだけど、それでも手が足りず、私達にも命が下ったというわけだ。
以前のように辺りに目を配りつつ街を歩く。人通りも多く、賑わっている。街が活気に溢れているのはいいことだ。不逞浪士が悪さをしなければ、一番好ましい。でも、まぁ、戦う場が少しもないのは残念な気もするけれど。
さて、大通りから一歩外れた小路も探ることにしたので、また今回も何手かに別れた。私が歩いていると、女の人の声が聞こえてきた。私を呼んでいるようだ。
「沖田様!」
少し離れているらしい。よく私だと気づいたものだ。しかし・・・この声は・・・振り返ってみると、小路の入り口辺りに人がいる。律さんだった。彼女は、私が気付いたとわかるとこちらにかけてきた。
「律さん。」
「また、この様な所でお会いするなんて、奇遇ですねぇ。」
「えぇ。なぜこちらに?」
「私は、この小路にあるお得意はんとこに用が
あるんどす。」
「そうですか。しかし、こうやって偶然会うなんて、
驚きました。」
「私もそうどす。何か、縁を感じますねぇ。」
「はは。縁か・・・。そうかもしれませんね。」
私は、なんとなくそう言った。今まで私は、あまり縁とか、まして恋とかを考えたことがなかった。江戸にいる頃も、その様なことは少なかったし、京に来てからは、新選組を第一に考えてきたから。私には、剣だけだった。
けれど、なぜか律さんのことを知りたいと思った。しかしながら、今は隊務中だということを思い出した。そして彼女の方も、済ませねばならない用がある。残念だけれど、と、この日は別れた。非番の日に、ある神社の境内で会うという約束を交わして。
そんな約束ができたことが私は嬉しかった。それがなぜかは今は良く分からないけれど・・・。
次の非番の日、私は律さんと待ち合わせていた神社に向かった。あまり人が来ないような割と小さい神社で、さも人目を忍んで会っている様だ。
私は時間よりも早く付いたので、律さんを待つことになった。こうして人と待ち合わせるなど、初めてのことなので、若干緊張する。会ってからも、律さんと何を話せばいいのだろうと考えてしまう。
色々と考えていると、律さんがやって来た。少し、いつもよりおめかししているようだ。
「お待ちになりましたか?お待たせして申し訳
ありまへん。」
「いや、気にしないでください。大丈夫ですから。」
その後、二人で社の階段に並んで座ることにした。人けがないので、辺りはとても静かだ。ただ黙っているのも変な気がして、こちらから話しかけてみる。
「私は、名前は総司といいます。年は、23になります。
女の人に年を聞くのはいけないんでしょうが・・・
律さんは、幾つなんですか?」
私のみたところ、自分とそう変わらないように見える。
「私は、21になります。もう片付いていてもいい年
なんやけれど。」
初め、私は律さんの言おうとしていることがすぐに理解できなかった。本当にこういうことに疎くて嫌になる。
「・・・ははっ。気になさることはありませんよ。
十分若いし、綺麗です。」
「まぁ、お上手どすなぁ。」
そう律さんに言われ、自分でも言ったことに恥ずかしくなってしまった。思わず赤面する。
「沖田様は、お仕事は何を何をなさってはるんですか?」
「え?あ・・・」
聞かれてもおかしくないことだし、動じることなどないのだろうけど、私は言い淀んでしまった。
「私も、浪士ですよ。でも、この間のような輩とは違う。
あのような事は誓ってしません。」
「あ、そうどしたか。でも、あの浪士はん達とは違うと、
分かっておりましたよ。最初から。」
浪士というのは、咄嗟に出たことだが、京に来たての頃は隊名が『浪士組』という名だったし、間違いというわけでもない。
「私は、江戸から来たんです。何かを、成せるんでは
ないかと、思ってね。」
「はるばる江戸から・・・。ご家族は?」
「両親は、亡くなりました。姉がおりますが、
嫁いでおります。」
「そうですか。淋しいですね。おひとりで京へ?」
「あぁ・・・いえ、仲間と来たんです。」
「仲間?」
「えぇ。道場の仲間と共に。」
言葉を選びながら答えたが、私のことに気付かなかったようだ。そもそも、隠さなければいけないとも思わないが、用心せねば・・・。
その後、律さんと半時、いや、それ以上話しこんだ。正直、別れるのは惜しかったのだが、その日は夕刻位に別れた。また会えるだろうかと、期待してしまう。
ある日、街を歩いていた私は、大通りの奥の律さんの店の前を通りかかった。直前までは気にも留めていなかったのだけれど、ぴたと、足が店の前で止まる。そして、私は次には店を覗いていた。
中には売り物の雑貨が並んでおり、見回すと、丁度律さんもいた。父親らしき男の人もいて、私を訝しんで見ている。律さんと目が合うと、私は戸惑い、直ぐにそこから離れようとした。すると、律さんも店から出てきて私の後ろを付いてくる。
「沖田様」
そう呼ばれたので、振り向くと、彼女は必死に付いてきていた。私は、少々照れながらも、律さんのその姿をいじらしく感じた。そして、周りを気にしながらも、ほほ笑みかけた。
「もう少し、歩きますか・・・」
少々小声で後ろを歩く律さんに言うと、彼女は小さく頷いた。
私も特に用があったわけではなかったので、人通りもまばらな街外れまで来た時に、茶店に入ることにした。
「なんだか、申し訳ないです。お店は、大丈夫なのですか?」
「えぇ。父がおりますし。かまいまへん。でも、なんで
店に?」
「あっ、いや。・・・律さんが、いないかもとは思ったん
ですが、顔が見たくなって・・・つい・・・」
「まぁ。そうでしたか。お出で下さって嬉しいです。
私も、またお会いしたかったので。」
「律さん・・・。やはり、あの方はお父上だったんですね。
威厳がありそうな方だ。」
「えぇ。普段は優しいですけれど、怒ると本当に
恐いんどす。」
そう言って律さんは苦笑する。ふと、会話が途切れた。
「律さん・・・私は、あなたがとても気になるのです。
これからも、また会っていただけますか?」
なぜか、私はそんな言葉が口をついて出た。人生で初めてだった。この気持ちも、この言葉も。律さんは、少し驚いた様子だったけれど、頷いてくれた。
「もちろんどす。」
はんなりとした京の人ならではの言葉で言った。
「ありがとう。」
私はそれしか出てこなかった。
「私も、沖田様が気になるんどす。なんでなんやろ」
そう言って律さんはふふと笑う。私は顔が熱くなるような気がして、答えに詰まってしまった。こんな時、なんて答えればよいのか、わからない。私は、考えた末、絞り出した答えを返す。
「そういう感情に、理由なんて、いらないんですよ。
きっ と・・・」
少々格好を付け過ぎたかとも思った。けれど、律さんは「そうかもしれまへんね。」と笑って言ってくれた。
数日後、私は自分の隊の隊士達と巡察に出ていた。律さんの店のある街とは全く反対側の通りの予定だった。けれど、律さんの所からは少しも近くないのに、私の浅葱色の羽織姿を彼女に見られていたのだった。こちらの方に用があったらしい。
京にいれば、どこで出くわすかわからないのは分かっている。しかし、この時点で見られるとは、思いもよらなかった。
私を見た律さんは愕然とした。あろうことか、私が新選組の人間だとは、信じられなかっただろう。しかも、先頭を行く組頭だ。実は、律さんは長州人なのだった。私も気付かなかった。長州訛りはほとんど出ていなかったし、京言葉さえ話していたくらいだ。しかし、私が律さんの素性を知るのは、さらにずっと後のことになる。
私が何者か知った律さんは、相当動揺した。長州と新選組はいわば敵同士。こちらは長州の動きを探り、長州浪士を追うし、あちらは我らを憎く思っている。
律さんは町娘だろうし、まさか浪士と繋がりがあるとは思わないけれど、やはり、私達が会ったり、慕ったりすることは赦されないだろう。けれど、何故律さん一家が京にいるのか、疑問ではある。
実のところ、私が律さんの店を覗いた時にいた父親は、長州人に情報を与えたりという事もしていたのだった。このことも、私は後のち知ってゆくことになる。何とも間抜けなことだ。
さて、律さんは、私の前では京人としてずっと通すことに決めたのだった。私に正体が分かってしまうと、もう会えないと私が言うだろうからだ。もし他にも知れてしまうと、大変なことになるだろう。
それでも、私のことが分かってもこれから先も会いたいと、思ってくれた心は嬉しい。例え敵同士赦されない相手だとしても、偽ってでも、傍にいたいという思いは嬉しい。
しかし、私が新選組の者だと言わなかったことは、少なからず彼女に疑念を抱かせたみたいだ。
私も、その頃律さんのことが心の大部分を占めていた。もう、後戻りはできない。この気持ちは走り出してしまった。
が、私も隊務が多忙になり、律さんと会う機会を持てないでいた。心には留めていたけれど、事は上手く運ばないものらしい。そんな日々が、かえって気持ちに拍車をかけるのだ。
その後、長州の大物、古高俊太郎が新選組に捕らえられた。前から追っていたあの怪しい動きの者だ。随分捕縛に時間がかかったけれど、慎重な内偵、調査の末のことだった。そのものは、律さんの店の通りにある枡屋という店の主だという。監察方のお手柄だ。
土方さんの厳しい拷問の末、尊攘浪士達の企みが判明した。その日の夜に、三条大橋の袂にある池田屋という店で会合が持たれると言う。
そして、私達は夜遅く、池田屋に乗り込むことになった。新選組は二手に分かれての行動になる。私は近藤さんと同じ組で、真っ直ぐ池田屋を目指す。土方さん達の組は人数が多く、もうひとつの経路を行く。
池田屋に辿りつくと、そろりと戸を開け、近藤さんを先頭に建物へと入る。
「新選組だ!御用改めである!」
近藤さんのその声をきっかけに、私達は建物の奥や、二階へと上がり乱闘を繰り広げた。私も何人かと戦ったが、やはり、どの者もそれなりの腕は持っているようだった。私の敵ではないが。
この戦いで、永倉さんや、八番隊組長の平助などが負傷した。簡単に済む戦いではなかったのだ。
私達が乗り込んだことで、浪士達の企みは水泡に帰した。未然に防げたことは何よりだった。
この事件をきっかけに、益々新選組の名は広く知られるようになった。色々な面で。
池田屋での戦いの後、私は律さんと会う機会を得た。また、以前の様に彼女の店を覗いたのだ。
やはりその日も父親はいて、あの時と同様に訝しがられた。当然だ。何を買うわけでもなく、ただ訪れるだけなのだから。しかも、そのあとに続いて娘の律さんも出てゆくのだから。律さんは、一言「出掛けてくる」とは言ったけれど、父親はとても私を怪しんでいた。
街からも外れ、あの時の神社にまたやって来た。
「新選組の・・・方やったんですね。」
まず、律さんが切り出した。
「え?」
「どうして、新選組の方だと、お話していただけ
なかったんどすか?」
「それは・・・すみません。律さんを騙そうとか、
そういうことではなかったのです。」
「では、どうして?」
「我々は、敵も多いですし、簡単に素性を明かせない
のです。」
「そう・・・どすか・・・。」
律さんは僅かに、複雑な顔をした。私は気付かなかったけれど。鈍感な自分を呪いたくなる。
「えぇ。黙っていたことは、謝ります。すみません。」
「いいんです。沖田様は、私が何者でも、傍にいて
くだはりますか?」
「え?」
私は意味を測りかねた。
「あっ。いえ。なんでもありまへん。私は、沖田様が何を
なさっている方でも、気持ちは変わりませんよって。」
そう言われて、嬉しくないはずがなかった。どちらともなく、口づけを交わす。律さんのことがどうしようもなく好きなのだと、実感した。
その後は入隊者も増えて屯所が手狭になったので、移転したり、出張もあったりと、私は、甘い感情とは少々離れた、慌ただしい日々を送っていた。
新しく入って来た伊藤甲子太郎という人は、入隊間もなく参謀という地位に着いた。入るなりの抜擢で、どうしてだろうと私は疑問に思った。
参謀は、副長の土方さんとも引けを取らないほどの役柄なのだ。私はずっと伊藤さんを怪しんだ。どんどんと仲間を増やしているようだし、なにか企んでいそうだ。
近藤さんにも気を付けた方がいいと言ってみたけれど、そんな人ではないよと、取り合わなかった。それでも、土方さんは伊藤さんのことを疑っているようで、内密に監察方に調べさせていた。
忙しさが落ち着いてから、律さんとは、隊務の合間などを見つけて会っていた。やはり人目をはばかってということになったが、会えるだけで幸せだった。隊務の疲れもどこかへ行ってしまうようだ。
律さんは一切言わないけれど、実は、律さんはあの父親に、私のことを詮索されたのだった。
父親は、私の顔を見て、新選組の隊士だと律さんよりも先に気付いていた様子だ。だから、「あの者は何なのだ。」と、私達のことを追求した。彼女は「知り合いだ」と言ったが、あいつとはもう会ってはならないと、父親に厳しく言われたのだ。
父親に知られないように、会う日は前回会った時に決めておいた。
季節は流れ、律さんと心が通じてから一年以上が経った。
そんな秋ごろ、私は変な咳が出るようになった。最初は風邪が随分と長引くなと思っていた。土方さんなどにも、心配して医者に診てもらえと言われていたけれど、言うとおりにしなかった。忙しかったこともあるが、軽く考えていたのだ。
最初の頃は、本当に、軽い咳がたまに出る程度で、隊務も普段通りこなしていた。日常生活に支障がなかったのだ。隊士の剣術の稽古もみていたし、巡察にも出て、数時間歩いてもいたのだから。
そして、それから半年後、私の咳も頻繁になってきていたが、まだ動けてはいた。日によって身体が重いような気がしていたけれど、気付かないふりをしていた。
新選組は隊士が健康診断を受けた。幕府に仕える松本良順先生という医者だ。隊内では、病人や怪我人が多数いたのだ。もちろん私も診ていただいた。咳は自覚していたが、ほうっておいたことを何か言われるかな、と内心緊張していた。すると、
「あなたは、咳が治まらないとか。」
「え?あ、はい。そうなんです。」
あぁ、やはり土方さんにでも聞いたのか・・・
「言いにくいんですが、・・・あなたは、労咳の疑いがある。」
「は?・・・ろう・・・がい?」
それは、不治の病の名ではなかっただろうか。
「そうです。今は動いていられるようですが、悪化すると、命の危険性もあります。」
「私が・・・労咳・・・ですか?」
「きちんと療養しなければ、取り返しがつかなくなりますよ。」
そこからの松本先生の言葉は、頭に入ってこなかった。にわかに信じ難かった。私が労咳など・・・一体どうして罹ったのか・・・見当もつかない。
私は数日、絶望に囚われていた。目の前が真っ暗なようだった。労咳に罹れば治るどころか、進行することは知っている。これから先、私は衰え、床に臥し、最期を迎えるのだろうか。そう考えると、恐ろしいし、悔しくて堪らない。
隊のことにしても、まだやるべきことはあると思っている。まだ私の戦いは終わっていないのだ。律さんのことも、ずっと一緒にいたい。こんなに早く別れたくないと、思っていた。
けれど、こうして思い悩んでいても仕方ないし、これが運命ならと、労咳を背負って生きれる限り生きる事に決めた。
ある日、体調も良かったので一番隊の隊士と共に巡察に出た。律さんの店のある方だ。それだけでも私は足取りも軽くなり、自然と顔も緩んでしまいそうになる。
「沖田さん?何かいいことでもあったんですか?」
そんな事を隊士に聞かれるくらいだった。
「え?いいえ。別に。何もないですよ?」
私はとぼけてみせた。律さんは今店にいるだろうか?などと、隊務には余計なことを考えてしまう。私も、組長としてなっていないなと思う。
律さんの店に差し掛かった時、丁度店から男が二人出てきた。話す言葉は長州訛りに聞こえた。
日頃から、私達は長州の人間、特に浪士風体の者には目を光らせていたから、長州ことばは良く聞いていて、割と覚えていた。 とはいえ、浪士以外で京にいる長州人はそう多くないのだろうが。
その時はあまり気に留めなかったのだ。長州人が店から出てきた位でそこまで疑うこともないと思っていたから。
そのまま通り過ぎ、何事もなくその日の巡察を終えたのだった。
後日、屯所の廊下を気だるく歩いていたら、監察方の山崎さんに声を掛けられた。彼は私より年上だけど、私の方が立場が上という理由からか、私に対し、割と丁寧に話す。今日は少し厳しい顔をしているように見えた。
「どうしたんですか?」
「沖田さん。菱屋という店を知っておられますか?」
それは、律さんの店の屋号だ。なぜだろうか。悪い予感が一気に私の胸に広がる。
「あぁ。大通りの端にある店ですよね?巡察などで
よく通りますから、知ってますよ。」
なんとか平静を保とうとした。
「監察方では、長州の動向を調べていますが、あの店は、
尊攘浪士に情報を流していることがわかったのです。」
「え?どういうことですか?」
「あの店の人間は、長州人だということなのです。」
「なんですって・・・」
冷たい汗が背を伝う。
「沖田さんも、菱屋には十分お気を付けください。」
「えぇ。わかり・・・ました・・・」
そう生返事を返したけれど、私はもうどうしたら良いかわからなくなり、その場に立ち尽くした。
律さんが、長州人?・・・嘘だと思いたかった。長州は、我ら新選組と決して交わることのない、敵。想い合うなど、赦されるはずもない。到底信じられそうもなかった。
今すぐ律さんに問いただしたかったけれど、体調が優れないのもあり、動けなかった。あぁ、私は想ってはいけない人と会っていたということなのか・・・。
律さんも・・・私が新選組だと分かってからも、以前と変わらずに私と会っていた。一体、どういうことなのだろうか。あの時に言っていた「私が何者でも、傍にいてくれるか。」という言葉は、このことだったのだろうか。全く気付かなかった自分を呪いたかった。
山崎さんの話しを聞いた数日後、私は土方さんに呼び出された。嫌な予感しかしない。非常に憂鬱になる。
「総司、来たか。体調はどうだ?」
土方さんは、思いの外普通の調子で聞いてきた。
「え?あ、はい。あまり良くないですね。だるさがあります。」
「・・・そうか。ちゃんと薬は飲んでるのか?」
「飲んでますよ。欠かさずに。」
「ならよかった。・・・あのな、総司。これから聞くことに
正直に答えろよ。」
「は?なんですか?」
「お前、菱屋を知っているな。」
「あぁ。山崎さんにも聞かれました。それが、何か?」
「長州人のやっている店だということも聞いたのか?」
「えぇ。そうです。」
素知らぬ顔を通していたが、これから聞かれることが何となくわかり、心臓がうるさいくらいに鼓動する。震えそうだ。
「お前、そこの娘と会っているんだって?」
「え?・・・どういうことですか?」
やっぱり、土方さんの耳にも入ったのか・・・。もう全ておしまいだと思った。
「調はもう付いてるんだ。観念しろ。」
「山崎さんから・・・聞いたんですか?」
「いや、違う。」
「では、一体誰から!」
体調も良くないはずなのに、私は土方さんに食ってかかろうという位の勢いで叫んでいた。ものすごく動揺していたのだ。
「他にも伝手があるんだよ、私には。静かにしろ、総司。
病人だろうが。」
「すみません。・・・確かに、会っていました。好いて
いたんです。本気で。」
「総司・・・お前、自分の立場わかってるのか?今は病に
罹っているが、新選組幹部だぞ。長州の娘と恋仲に
なるなんざ、赦されると思ってるのか!」
「わかってます!だから、今は、会ってないですから。
もう心配しないでください。」
「本当か?」
土方さんは、私を鋭く見つめた。私も、精一杯の力を込めて言う。
「本当です。もう、終わったことですから・・・」
胸が締め付けられるようで、そう絞り出すのもようやっとだった。
それから、土方さんに「立場をきちんと弁えろ」とくぎを刺された。
実際に、律さんとはしばらく会えていなかった。私が床に臥す日も増えてきたせいもある。調子が良ければ、隊務も行っていたし、機会を持てないでいたのだった。
とはいえ、私は、日に日に衰えていく自分に気づいていた。気分の良い日に剣の稽古をしていても、以前の様なきれがないと自分でもわかる。そんな自分が情けなく、悔しかった。
元気な頃はまだまだやれることは沢山あると思っていたし、こんな病に罹ってしまったことを、恨まれて仕方ない。しかし、恨む方向もないし、気持ちのやり場がなく、苦しかった。
律さんのことも、想ってはいけないと分かっていて、もう会えないかもしれないと思っていても、やはり彼女のことを思い出してしまう。どうしても好きなのだ。 忘れられない。私に本当の事を隠していたのだとしても、彼女に会いたい。そう、私こそ律さんが何者であろうと、傍にいたいのだ。この想いが罪であろうと、日を追うごとに会いたさが増していく始末だった。
世の中の状況もいよいよ雲行きが悪くなってきた冬の入り口、私は調子の悪さを堪えながら、街をふらふらと歩いていた。菱屋のある大通りを目指したのだ。きっと、今の私は、前の様な新選組一番隊組長としての姿は見る影もないだろう。道行く人は、何も気にせず、ただすれ違ってゆく。
普通に隊務をしていた頃は、隊服を着ていなくても、私の顔を覚えていて、浪士などはささっと脇道や建物に隠れたりしたものだった。けれど、今は誰も見向きもしない。もう、一番隊組長は終わりだと、言われているようで、悲しかった。
さて、私はどうしても律さんに会いたくて、なんとか菱屋までやってきたのだった。深呼吸してから、いつかと同じく店を覗く。店の様子は変わっていない。父親がいたが、運よく、律さんもいた。
律さんに視線を向けると、彼女も気付き、父親に「少々出てきます。」と言い、すぐに外に出てきた。父親は「律、ならぬぞ!」と怒鳴っていたが、気にせず律さんは私の後を付いてくる。
また神社の階段に二人で座る。
「お久しぶりですね。沖田様。」
「えぇ。そうですね。」
私は何をどう言えばいいか迷った。話したいことは沢山あるのに、いざここへ来ると、頭の中が白くなってしまったようだ。
「お痩せになりましたか?」
「・・・。そうかもしれませんね。・・・げほっ」
「何か、あったんどすか?」
「私は、もう長く生きられないかもしれません。」
「え?どういう・・・ことどすの?」
「労咳なんです。」
「労咳?沖田様が?」
律さんは、愕然とした様子で、目をみはった。
「はい。もうすっかり寝込む日も増えました。」
「なんで、沖田様が・・・」
「なんででしょうね。神の、試練でしょうかね。」
そう話す合間にも咳が出る。
「そんな・・・信じられまへん。沖田様・・・」
「それと、あなたのことも聞きました。長州の方だと。」
「え、な、なんで?」
「知っての通り、我らと長州藩はいわば敵同士。本当ならば、 会うことは赦されない。私も上司に言われました。立場を弁えろと。あなたは長州出身の一人の町人だが、私は新選組の人間です。そうである以上、あなたを好きになってはいけなかったのです。げほ、ごほっ。」
正直、長く話すとやはり辛かった。
「沖田様・・・」
「けれど、それを分かっていても、抑えられなかった。
諦められなかったのです。上司に咎められても、なお。
それだけあなたへの想いは強いのです。」
「私も、ここ最近は、会えなくて淋しかったどす。
想いも日に日に大きくなって行きました。どうにかして
会えないかと思ったりもしました。でも、自分の故郷の
事を考えると、会わない方がいいのかと、耐えました。
京の人間だと装っていたのは、悪かったと思とります。
でもそれは、沖田様と一緒にいたかったからなんどす。
堪忍して下さい。もし本当の事がわかれば、きっとあなたは 離れていくと、恐かったんどす。」
そう言って律さんは泣き崩れた。
私は優しく彼女を起こし、抱きしめた。本当はこんな事はしてはならないのだけれど。
「あなたの以前の質問に、答えましょう。」
「え?」
「私も、あなたが何者でも構わない。ずっと、愛し続ける。」
「沖田様・・・」
律さんは帯から小さな物を出した。御守りだった。
「これは?」
「沖田様に、今度お会いできたらお渡ししよう思てずっと
持っていたのです。」
「私、に?」
「えぇ。会えない時でも、律がお傍にいれるように・・・」
「律さん・・・。」
「京の御守りですよって、大丈夫どすえ。」
彼女の気持ちが、とても嬉しかった。
「ありがとう。大事にします。」
そう言って私は御守りを懐に仕舞った。
神社からの帰り道、私は御守りのある懐を着物の上から触ってみる。いつでも、律さんが一緒にいてくれている様な気がした。ずっと、死ぬまで肌身離さず持っていようと、決めたのだった。
その数日後、私は自室で喀血した。酷く苦しいくらいに咳き込んだと思ったら、血を吐いていたのだ。
先日、無理して神社まで歩いたのがいけなかったのだだろうか。初めて自分が吐いた血を見て、私は愕然とした。一昨日よりも、昨日よりも、身体が変化していることを、思い知らされる。
しかし、誰にもそれを見られたくないので、何とか自分で処理をした。跡は多少残ってしまったが、ごまかせそうだ。私は、血を吐いたことをなかったことにしたかった。現実から目を背けたかったのだ。
最初から胡散臭かった伊藤さんは、結局自分の仲間を引き連れて脱退していった。
やはりなと、私は思った。その中に昔からの私達の仲間だった平助や、斎藤君までいたのは驚いたけれど。出て行った時はわからなかったのだが、斎藤君は、近藤さんの命で、間者として行動を共にすることになったらしい。
演技が上手くないと、勤まらない任務だろうと思う。平助も、彼の中で何があったのか、私にはさっぱりわからない。幹部として、一緒に仕事をしていても、平助の葛藤などに全く気付かなかった。自分はなんて奴だと、悔やまれる。
去った伊藤さん達は孝明天皇の御陵を御守りするという名目の、『御陵衛士』という名を受けたらしい。
そのすぐ後、私は倒れた。その日、多少ふらつきながらも、剣の稽古をしていた。それを見つけた土方さんに「その身体で何をしているんだ。」と叱られたけれど、どうしても稽古がしたかった。
まだ、終わりたくなかった。自分はやれると思いたかったのだ。土方さんの反対を押し切って稽古を続けていると、突然目の前が暗くなり、どさっと倒れてしまった。そこで意識がなくなった。
目覚めたのは四日後。傍らには土方さんがいた。
「あれ?ここは?」
「お前の部屋だ。」
「あぁ。そう言えば、そうだ。私、どうしたんでしたっけ?」
「稽古していて、倒れたんだよ。まったく、言ったのに
聞かねぇから・・・無茶しやがって・・・」
「すみません。迷惑かけました。自分の今の身体を過信
していたようです。」
「当たり前だ。今のお前は療養が第一だ。」
「はい。そうですね。あっ。でも、私はどうしてここに?」
「あぁ。それは、永倉が気付いてここまで運んで
くれたんだよ。」
「永倉さんが?」
「そうだ。感謝しねぇとな。」
「はい。わかってますよ。」
そう言うと、私は懐の御守りに手を触れてみた。ちゃんとある。律さんは、変わらずにここにいてくれている。なんだか、私は安心した。
それからまた数日後、病床の私の所に土方さんがやってきた。
「気分はどうだ?」
「今日はまずまずですかね。どうしたんですか?」
「あぁ・・・お前には、言わない方がいいとは
思ったんだが・・・一応、言っておくことがあってな。
酷だとは思うが、聞くか?」
「え?何です?」
「菱屋に、捕りものに入る。」
「は?なぜ・・・ですか?」
私の病人顔が強張る。確かに、菱屋は律さんの家の長州の店だ。利用する者も長州人が多いのだそうだが、だからといって、捕りものとは、穏やかではない。一体、何があったのだ。
「菱屋は、過激浪士達に情報を流していたんだよ。」
「情報?」
「あぁ。主が、こっちの情報も集めてたんだ。それを、
浪士に与え、活動の手助けをしてたという話だ。」
「そんな・・・まさか・・・」
「裏が取れてるんだよ。」
「どうしても・・・行くんですか?」
「あぁ。放っておけないからな。」
「何とか、ならないんですか?見逃せませんか?」
「無理な話だ。・・・まだ、娘に未練があるのか?」
「そんなことは・・・」
嘘だ。私は死の淵に立った今でもずっと、律さんだけを想っている。
「私は、お前にいいか悪いかを聞きに来たのではない。
知らせに来ただけだ。
そういう者たちだったということだよ。総司。」
律さんは、そんな人じゃない。律さんは浪士相手に情報をやり取りするようなことはしない。やっているのは、きっとあの父親なのだろう。胸がざわついて仕方ない。
以前の私であっても、隊士として、目を背けてはならないことだ。見逃すわけにもいかない。しかし、律さんにも危険が迫っている。こんな明日をも知れぬ私には何もできない。どうにもできない自分が無力で、とても歯がゆく思える。
私は、それでも何とかしたかった。布団から手を出し、傍らにいる土方さんの着物の袖の裾を掴み、縋った。
「お願いが、あります。」
「なんだ。娘を助けろとでも言うのか?」
「そうです。彼女は、浪士とは関係ありません。」
「全く無関係だとは言い切れんだろう。」
「お願いです!私の、最後の・・・願い、聞いてください。
彼女の・・・命を助けて欲しいんです。」
「総司・・・。お前にそう言われちゃあ、仕方ないな。
わかった。娘は、助ける。事情を聴くことがあるかもしれない が、拷問したり、殺したりはしない。約束する。」
「本当ですか?」
「あぁ。男に二言はねぇよ。」
「ありがとうございます。これで、安心しました。
彼女が無事なら、それで・・・いいんです・・・」
安堵した私はそのまま眠ってしまった。突然意識を失った私に、土方さんは少しうろたえたらしい。
御陵衛士が脱退していってから半年経ったある日、斎藤君が、ある情報を隊にもたらした。伊藤さんが、近藤さんの命を狙っているというものだ。
それを聞いた近藤さんは、伊藤さんを暗殺することに決めた。やらねば、こちらがやられてしまう。知ったとなれば、先手必勝だ。
近藤さんは、伊藤さん一人を近藤さんの家に呼び出し酒を振る舞った。伊藤さんは、浴びるほど飲み泥酔した。そして夜もかなり遅くなってから帰ることになり、隊士二名も付いた。
伊藤さんはとても上機嫌で、鼻歌さえ歌いそうなぐらいだった。そして、途中の油小路に差し掛かったところで、隊士が刀を抜き、伊藤さんを斬った。抗う余裕もなく、あっという間に伊藤さんは地面に斃れる。
伊藤さんの亡きがらは、道路に放置され、その死は御陵衛士に知らされた。御陵衛士達は間もなく籠を用意して現場へとほぼ総出でやって来た。もちろん平助もいる。
いよいよ、新選組と御陵衛士の戦闘が始まる。他の新選組隊士達は御陵衛士達が到着する前に物陰に潜んで時を待っていた。
近藤さんは、平助を殺したくはないと言っていたのだそうだ。以前からの仲間だし、近藤さんの情けだろう。しかし、平助はそれを知らない平隊士に斬られてしまったという。私も、平助と年が近かったし、とても残念だ。
御陵衛士は、大部分が新選組に斬られ、亡くなった。しかし、一部は逃げ延びたのだ。運がいいと思う。
その一月後、御陵衛士の残党に、近藤さんが襲われ、肩を撃たれた。かなり酷い重症で、長く療養を強いられた。できることならば、私が仇を討ちたいくらいだった。
私は、殆ど起きられないほどになった。
そんな頃、倒幕側も勢いも増し、戦争へと突入しようとしていた。新選組も伏見奉行所に陣を張ることになったが、肩を負傷している近藤さんや、病気の私は戦えぬから、大坂へと移された。
移される直前に、移ることを何とか知らせたいと思い、極秘に人に頼んで律さんの所へ文を届けてもらった。読んでくれるだろうか。私は不安だった。この動乱の中、もう京にはいないかもしれない。
隊による捕りものの時、約束通り、土方さんは律さんには手を出さないでくれたらしい。というよりも、店に入った時に既にいなかったのだという。そして、それ以上追わないでくれた。だから、彼女がどこにいるのか、わからないのだ。
慶応四年年明け早々戦争が始まった。
大坂に移った私は、粥も一人前食べるのがようやっとだった。他の隊士達が戦っているのに、自分は何もできないことに苛立ちも感じていた。
健康な身体だったなら、戦いではきっと負けないのにと、悔しくて仕方ない。
律さんは、まだ京にいた。あの時父親は捕らえられたが、しばらく店を開けることもなく、家に身を隠していたのだ。私の文も届いており、律さんは読んだのだった。開戦数日前のことだ。
その文に、「京は戦火に包まれるだろうから、他に行った方が良い」とも、力の入らない手で、筆を持ち、書いた。読めるかどうかもわからないような字になってしまったが、律さんに伝わることを願った。
律さんにしてみれば、父を捕らえた仇であるであろう、仮にも新選組の人間である私など、憎いだけなのではないかと思う。例え、私達がかつて想い合っていたとしても・・・。
しかし、私の容態が芳しくないとわかった律さんは、私に一目会いたいと、戦いの場である京を離れ、大坂へとやって来たのだった。まだ律さんは、こんな私を想い、案じてくれていた。
律さんの父親は、新選組の拷問を受けた後、留置されていたが、出された後、戦を前に祖国の長州に帰ったのだ。
律さんは大坂に着いてまっすぐ私の臥せている場所を探して辿りついた。が、門の者が「許可のない者は入れられない。」と追い返そうとした。それでも律さんは食い下がったけれど、聞き入られなかった。会うことは叶わなかったのだ。
落胆した律さんは、家族のいる長州に帰った。もう二度と彼女とは会えない。私は律さんが近くまで来ていたとは知るはずもなく、病と心の苦しさに耐えていた。御守りを貰ったのが、律さんと会った最後だった。
新選組は、京での戦に負けたのだった。そして、療養中の私達も一緒に、軍艦で江戸に行くことになった。軍艦での航海は、とても環境が厳しかった。空気も悪いし、揺れるので、余計気分が悪くなり、吐き気も止まらない。
江戸でも療養を続けたが、悪化する一方だ。良くなるはずがないのはわかっているのだが・・・。
少しでも進行が遅ければと、思う。
私は、江戸に来たことで、律さんとさらに心も離れた気がして、淋しかった。少しずつ時間が経つにつれ、彼女の想いも薄れていくのだろうかと、いらぬことを考えてしまう。
江戸に来た新選組は、『甲陽鎮撫隊』と名を改め、甲府城を新政府軍より先に奪う作戦を立てた。私は、最後のわずかな力を振り絞り、同行を志願した。案の定土方さんは反対した。
「総司。その身体でどうやって行く気だ?」
「お願いです!まだ、歩けますから!」
「馬鹿言うな。ほぼ一日中寝てる身が、何を言うんだ。
それに、お前、前に最後の願いだとか言って
いなかったか?」
「こ、今回のことが、最後です!もう我儘
言いませんから!」
「総司・・・。しかし、お前はもう戦えねぇだろう。
行ってどうするんだ。」
「私だって、このまま・・・死にたく、ないですから。
最後に、戦いたいんですよ。」
「・・・わかったよ。一緒に来い。ただし、
無理はするな。」
「今回も、ありがとうございます。このご恩を、
返せそうにないのが・・・残念だなぁ・・・」
「やめてくれ、総司・・・」
きっと、土方さんも辛かったのだろう。どんどん変わってゆく私を見るのが。
私達は江戸を経った。私は、愛刀を杖代わりにし、口元には布を巻いて歩いた。行軍の最後尾の方だ。何人か、隊士が傍に付いてくれた。自分から言い出したことだけれど、迷惑をかけてしまい、申し訳ない。
だが、江戸を抜けてしばらくすると、徐々に咳が酷くなり、脂汗も出るようになった。歩くとよろめくし、辛い。やはり無理だったのだろうか。私は行軍不可能となり、離脱を余儀なくされた。私の命運も尽きたと、思った。
出来る事なら土方さん達と戦いたかった。しかし、その後私は、江戸の松本良順先生の元で療養することになった。
大坂にいた頃は、まだ一人前の粥も食べることができていたのだけれど、この頃は、半分も食べれるかどうかにまで食が細っていた。薬も、飲んでも戻してしまったり、正常に飲めたとしても、効かないということもある有様だった。
布団の中で、ここが私の最期の場所なのかと、考える。律さんも、今どこで何をしているのだろうと、気がかりだった。元気でいるのだろうか。懐からあの御守りをのろのろと出してかざし、虚ろな目で見てみる。
『律さんは、私と共に居てくれていますか?』『身体の距離は離れていても、私の傍に変わらず・・・寄り添ってくれていますか?』と、そんなことを、心で問いかける。通じはしないけれど・・・。
その頃律さんは、長州で家にこもりがちになっていた。大坂から、やっとのことで長州の家に辿りついたのだが、私に会えなかったこと、離れ離れになったことを悲観して、自害しかねないくらい憔悴したのだった。
それほど、彼女は私のことを想っていてくれていたのだ。私も律さんが狂おしいほど好きだ。なのに添えないとは、運命は、無情で残酷なものだ。
しかし、思えば病に臥せっている姿を律さんに見られなくて良かったかもしれないとも感じる。こんな、弱り切った私など、見せたくはないとも思うのだ。新選組一番隊組長の成れの果てがこうであっては、情けないだろう。
夢を見た。まだ私が健康で、隊士として精力的に活動していた頃の夢だ。御所の禁裏の門に出動したりしていた時期で、私は、律さんと一緒にいるのだが、現実のかつての私達よりも、人目を憚っていないようだ。
誰の目も気にせず、思う存分、その時間を楽しんでいるのだろう。きっとそれは、出来なかった私の願望なのだと、目が覚めて気付いた。
私は、立場や生まれを考えずに済んだらどれほど良いかと思うこともあった。 それでも、律さんと出会わなければ良かったと思った事は、一度もなかった。これは胸を張って言える。
生涯に、ただ一人、想う人がいただけで幸せだった。戦う世界の中にいたけれど、人を恋しく思う気持ちを持てたのは、律さんと出会えたからなのだ。彼女だから毎日救われていたし、幸せも感じられた。凄く感謝している。
話すことも大分困難になって来た。死にたくない。死にたくないのだ。この世に未練は山ほどある。
叶うならば、律さんの顔が見たい。少しでもいいから・・・この病がうつらない程度の距離でもいいから・・・。けれど、私に、時間はいか程も残されていないらしい。
数々人を斬って来た、その報いなのだろうか。そうだ。そうなのかもしれない。それならば、甘んじて受けなければならないだろうか。神の裁きを・・・。
意識が朦朧とする。迎えも、すぐそこに来ているのだろうか。もう、物事を考えることも億劫というか、自分でも放棄してしまったようだった。
ただ、身体を横たえている。そんな日々が続いていた。ある春の日、私は息絶えた。御守りを握りしめたまま・・・。
その一月程前には、新政府軍に投降した近藤さんが、斬首されていた。切腹さえも許されなかったのだった。
土方さんも、遠い蝦夷地まで転戦したが、そこで戦死し、旧幕府側は敗れた。
この時代でなかったなら、私は平凡に生き、どこかで律さんと出会い、想いを通じ、結婚していただろうか。
律さんは、すっかり心を失ったような状態になっていたが、見かねた父親に強く薦められて見合いをし、渋々その男と結婚した。しかし、上手くいかず、何年も経たずに別れたのだった。そして、その後は生涯一人身を貫いた。
私は、時代の移り変わりを見ることが出来なかった。長州や薩摩の世の中というものを、知らずに生涯を終えた。
もし、私にこの先の人生があったのなら、私は何を成していたのだろうか。きっと、ごくありふれているが、それでも、その中で幸せを見つけていたかもしれない。
律さんは、この新しい世の中で残りの長い人生を歩んでいくだろう。私は、想いを遂げられなかったなら、せめてこの天高い場所から、彼女をいつまでも見守っていこう。そして、残った隊士達のことも・・・。
終
ありえない設定かもとは思いましたが、もしこの様な状況になったとしたら、どうなのかなと思い、書いてみました。駄文をお読みくださりありがとうございます。