表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
心が有ると言う論理  作者:
僕の心、彼女の想い
1/4

プロローグ

  心。


 それは、何なのか?何処にあるのか?多くの学者が長い間悩み、今でもその難題は論争されている。

例えば、それは心臓なんだとか。脳にあるんだとか。魂に宿っているとか。人の器の中にあるとか。


 けれど、それを見つけた学者がいた。そして、その学者はそれを作ることに成功した。そう、心を。

 それから心は、何処にでも入れれて、どこからでも出せるようになった。



 あなたは、心をドコに入れますか?




 あの日から、今はいつと言えばいいのかわからない。未だ来ない未来か、あるいは過ぎ去った過去なのか。確かなのは、ぼくはずっと普遍であるというだけ。

 あの日から世界は。いや、人間は変わった。心を持ち歩けるようになってから。


 さて、ここで質問しよう。心とは何なのか?

 喜怒哀楽?感情?想い・気持ち?全てが心と謂えるのかもしれない。けれど、それは脳が思考することとどう違うのか?

 よく、心を込めるとか、心を弄ぶとか、心をコントロールするとか、心を無くすとか、心かどんなものなのか良くも解らないと言うのに、ぼくたちは言葉に表す。しかし、それは全て脳で思考するものなのだ。

 果たして、心とは何なのか?果たして、心とは何処にあるのか?果たして、思考する行為そのものを、心と呼ぶのか?

 解らない。教えてくれないか?君なら、解るのだろうか?解くのだろうか?優しい君ならば。


 もし、解るのならば知りたい。ぼくを納得させる理論で。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ