プロローグ
心。
それは、何なのか?何処にあるのか?多くの学者が長い間悩み、今でもその難題は論争されている。
例えば、それは心臓なんだとか。脳にあるんだとか。魂に宿っているとか。人の器の中にあるとか。
けれど、それを見つけた学者がいた。そして、その学者はそれを作ることに成功した。そう、心を。
それから心は、何処にでも入れれて、どこからでも出せるようになった。
あなたは、心をドコに入れますか?
あの日から、今はいつと言えばいいのかわからない。未だ来ない未来か、あるいは過ぎ去った過去なのか。確かなのは、ぼくはずっと普遍であるというだけ。
あの日から世界は。いや、人間は変わった。心を持ち歩けるようになってから。
さて、ここで質問しよう。心とは何なのか?
喜怒哀楽?感情?想い・気持ち?全てが心と謂えるのかもしれない。けれど、それは脳が思考することとどう違うのか?
よく、心を込めるとか、心を弄ぶとか、心をコントロールするとか、心を無くすとか、心かどんなものなのか良くも解らないと言うのに、ぼくたちは言葉に表す。しかし、それは全て脳で思考するものなのだ。
果たして、心とは何なのか?果たして、心とは何処にあるのか?果たして、思考する行為そのものを、心と呼ぶのか?
解らない。教えてくれないか?君なら、解るのだろうか?解くのだろうか?優しい君ならば。
もし、解るのならば知りたい。ぼくを納得させる理論で。