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真・意味がわかると怖い話 四時  作者: 妙原奇天


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橋守の引き継ぎ

 ——新任の方へ。


 鍵束は二つあります。古い方は燕尾の刻印。新しい方は町名のアルファベット彫り。どちらも同じ扉が開きますが、古い方の歯は一本欠けています。夜の点検は、欠けた鍵で回してください。音が小さいからです。


 吊橋は毎日二度、午前三時と午後三時に揺さぶってください。手の甲で欄干を叩き、響きが鈍ければ湿気。高ければ張りすぎ。鈍い日は板を二枚、抜く。高い日は、橋詰めの砂を両掘りの角に足で足し、重くする。簡易なやり方でも、充分人の歩みは均るくなります。


 この橋は「波待ち」の橋です。川風が一拍ごとに戻るのをご存じでしょう。潮の川ではないのに、風が海の拍に似ます。昔の橋守は、風の拍を数えて板を外したと聞きます。そういう話は、若い人にはうさんくさく思えるでしょうが、数えればわかる。三百。三百で同じ押しが戻る。それが拍。引き継ぐなら、一度くらいは夜明け前に橋を歩き、三百まで数えてみるといい。慣れれば呼吸のようになります。


 見回りの順番は、町から橋、橋から川べり、川べりから庚申様、庚申様から倉庫、倉庫からまた町へ。円を描くように。途中、倉庫に寄るのを忘れてはいけません。倉庫の中の棚に、板の寄せ替え表があります。雨の日は「十」を「円」にしてください。昔の人の気取りで書かれた記号ですが、要するに、十の板(手摺側の持ち出し板)を円(中央寄りの安全圏)に寄せる、という意味です。語呂がよくて、皆そう呼びます。外さず、寄せるだけ。雨の日の足は迷います。寄せた板は、足の迷いを受け止める。


 町の人に「橋を閉めるのが早い」と叱られることがあるでしょう。叱られた日の夜は、点検簿の隅に小さく丸印を付けてください。丸は、叱られてもよい日。風の拍が不安定な日。丸の印が三つ続いたら、その週はどの頼まれごとも断ること。頼まれごとは大抵、橋の上での集合写真や、肝試しの見守りや、花火の見物の鍵貸しです。どれも気持ちは分かる。断る時は嫌われますが、丸印の時は断るもの、と決めておくと、嫌われ方まで手順の一部になります。


 庚申様の前にある小さな石の台の上に、毎朝、白い紙を一枚だけ置きます。紙は真ん中を折って筋をつけ、二つ折りのまま台に載せる。風で飛ばないよう、石の欠けに引っかける。紙は町内のどの家のもので構いません。新聞でもレシートでも。しかし、罫線の紙はやめた方がいい。線は誘います。橋というものは、線に弱い。線に沿って足が落ちる。白い紙は、線のない「余白」を置くためにある。余白がそこにあるかぎり、人は一歩、落ち着きます。意味が分からなくても、置いてください。


 これは迷信ではありません。初代の橋守が、ある大雨の日に経験で覚えたことを書き残し、次の者もその次の者も真似た結果、伝統になっただけです。町にとっては伝統、橋守にとっては手順。それで充分です。


 ——さて、ここからが、少し個人的な話です。


 私が引き継いだのは四年前でした。前任の神林さんは、私が来る前の月に亡くなりました。町では心臓だと言う人もいれば、夜の点検中に足を滑らせたのだと言う人もいます。実のところ、私は葬式で初めて神林さんの顔を見ました。安らかに眠っていらっしゃいました。妙な言い方ですが、橋守らしい顔でした。鼻筋がはっきりしていて、眼がどこか遠くを見ている。ほんの少し笑っているようにも見えました。


 葬式の日、私は倉庫の鍵を受け取り、初めて中に入りました。棚の一番上の段に、古い軍手と、黄ばんだノートと、鈍い色の釘が一握り。ノートの一枚目に、太い字で「十は円になる」とありました。笑ってしまうほど大仰な言葉ですが、その日以来、私はそれを守っています。守っているというより、そうしている自分の手が一番落ち着く。


 引き継いで最初の夏、町に転校生が来ました。橋の向こうに造船所ができて、若い家族が増えたのです。転校生の名は怜。痩せていて、髪がうなじで跳ねる癖がある。ひとりで橋を渡る練習をすると言って、放課後に毎日のように来ました。私は橋の端で拍を数え、怜は私の数える声に合わせて一歩ずつ。百を越える頃、怜は息の音を静かにするのが上手くなり、二百を越える頃には、足の置き場を見ずに渡れるようになりました。三百で向こう岸。私達は拍を「数える」から「聴く」に変えました。橋の上では、いくつかの事柄が言葉にならずに伝わります。怜はそれが分かる子でした。


 夏祭りの日、怜はお母さんに買ってもらったという小さな鈴を、橋の真ん中の手摺に括りつけました。風が鳴らす音を「橋の心臓」と呼びました。大げさですが、子どもはそういう命名が好きです。私は「鈴は秋になったら外してね」と言って、括り紐の結び方を教えました。固結びではなく、蝶結び。解ける結び。橋に残してよいものと、残すべきでないものがある。鈴は季節を越えて残すものではない。怜は頷き、蝶結びを二度練習しました。


 秋の初め、大雨が続きました。丸印が三つ続いた週。私は頼まれごとを全て断って、揺さぶりの回数を増やし、板の寄せ替えをしました。夜、拍が不安定になった時間、橋の上に二つの影。怜と、怜のお母さんでした。怜は泣いている。お母さんは濡れている紙袋を抱え、取っ手が千切れそうになっている。私は橋詰めで手を上げました。「今日は寄せ替え中です。足元が悪い。渡るのは朝にしましょう」。お母さんは平謝りをし、「家に薬がない」と言いました。「熱が出て」と。怜は小さく「大丈夫」と言いますが、声は震えていました。


 私は考えて、「庚申様まで入ってください」と伝えました。庚申様の前には屋根があり、石の台があり、風を防げる。私は倉庫の鍵を渡し、「中に救急箱がある。解熱剤も、包帯も」と言いました。お母さんは恐縮して、怜の肩を押して庚申様の前に入っていきました。私は橋を見張り、風の拍を数え、鈴の音を聴きました。紙袋の底が抜けて濡れた箱が石の上に崩れ、銀色の包装が露出しました。私は見なかったふりをしました。薬は薬、風は風。手順は手順。


 その夜、拍が二百八十で戻らず、二百九十でも戻らず、三百でも戻らなかった。怜のお母さんが庚申様から出てきて、「すみません、もう一度」と言いました。橋は渡れない。私は首を横に振りました。怜は鈴の音の方を見ていました。蝶結びは濡れてほどけ、鈴は手摺から解けて、板の影に落ちていました。私は欄干に手を伸ばし、鈴を拾おうとして、やめました。拾うと、線に沿って手が落ちる。橋は線に弱い。


 朝になって、橋は落ちつきました。丸印の週が終わる朝。庚申様の前の白い紙は、濡れて墨のような跡を残していました。私は紙を取り替え、怜の鈴を倉庫の棚の端に置きました。怜は学校に行き、お母さんは礼を言って帰りました。風の拍は安定し、三百で戻りました。


 その秋、怜の家は造船所の事情で別の町に移りました。冬の初めに、小さな箱が届きました。中に、乾いた鈴。礼状には「また橋を渡りに行きます」とありました。私は倉庫の棚の端に、鈴の箱を重ねました。重ねたら、二つは一つに見える。そういう見え方は危ういので、箱に小さく「二」と書きました。


 ——橋守の仕事は、こういう具合です。誰かが来て、誰かが去る。拍を数え、板を寄せ、紙を置き、断る時は断る。断るのも仕事。断らないのも仕事。町の人と橋の間に入って、誰の手も汚さないための手順。そういうものだと、私は思っていました。


 春先に、町で事故がありました。川の上流で工事車両が転び、油が流れました。水面に虹色の膜ができ、魚が浮きました。町は臭いに慣れず、皆が眉間を押さえました。私は揺さぶりを増やし、板を拭き、欄干を拭き、紙を二枚置きました。紙は一枚、と初代のノートには書かれていましたが、この時ばかりは自分の判断で増やしたのです。余白が足りないと感じたからでした。私はノートに小さく「二枚」と書き、丸囲みの「×」で消しました。後任が迷うとよくない。手順は揺らいではいけない。


 町の婦人会が倉庫に来て、マスクを配り、魚を埋める穴を掘り、庚申様の前を箒で掃きました。私は邪魔にならぬよう、橋の端で拍を数えました。百五十を過ぎたところで、小さな靴が片方、板に引っかかっているのに気づきました。ピンクの靴。蝶の飾り。私は拾い上げ、倉庫の棚の端に置きました。鈴の箱の隣。箱の上に靴。見え方が悪い。私は靴を箱の下に入れ、見えないようにしました。見えないものは、風に鳴らない。鳴らないものは、拍を乱さない。私はそうしただけです。


 春が終わる頃、町内放送で捜索の呼びかけがありました。小学生の女の子。怜ではありません。別の子。私は名前を聞き、足の長さを思い浮かべ、倉庫の棚の端を見ました。鈴はある。靴もある。私は捜索に加わり、川べりの葦を掻き分け、庚申様の裏の苔を撫でました。何も見つからなかった。見つからない日が三日続いたところで、町内会の長が言いました。「橋を閉めよう。夜だけでも」。私は頷き、鍵を回し、古い方の欠けた鍵でそっと音を消しました。


 夜、拍を数える私の耳の中に、鈴の音はしませんでした。かわりに、紙のふくらみが鳴りました。白い紙は音を持たないはずですが、濡れた夜には、小さな息をします。余白が息をする。息は拍を運ぶ。私は紙の端をつまみ、折り目を一度だけ逆にし、また置き直しました。指についた湿り気が冷たかった。


 四日目の朝、川下で靴が見つかりました。片方。ピンクの。蝶の飾り。倉庫の棚の下には、もう片方がありました。町の人が集まり、私に尋ねました。「これ、倉庫のは違うよね」と。私は倉庫を開け、棚の端を見ました。箱。箱の下。靴。私は「違う」と言いました。違ってはいませんでした。蝶の飾りの形がわずかに違っていたからです。ほんの少し。縫い目の向き。足跡の土。足の長さ。怜の靴ではない。怜は冬に引っ越した。冬の靴は、倉庫に置きっぱなし。新しい靴はもうない。私はそう考え、そう答えました。


 葬式がありました。小さな白木の箱。町は静かでした。橋は閉まったまま。庚申様の前の紙は、誰かが折り鶴にして置いていきました。私は翌朝、その鶴を広げ、また白い紙に戻しました。儀式は祈りのためにある。祈りは手順のためにある。手順は、風の拍のためにある。私はそう自分に言い聞かせ、鈴の箱を棚の奥に入れ、靴を元の位置に戻し、寄せ替え表の「十」を「円」にしました。


 夏が来て、怜から手紙が届きました。「夏休みに遊びに行ってもいいですか」。私は良い返事を書き、橋の上で三百を数えました。鈴は鳴りません。私は倉庫の棚の端から箱を取り出し、蝶結びを解き、鈴を手摺に括り直しました。怜が来る日、風はよく鳴りました。怜は背が伸び、足が広く運べるようになっていました。橋は怜に優しく、怜は橋に優しく。私達はまた三百を数えました。三百は、何かの保障のように思えました。


 怜は帰りに庚申様の前で手を合わせ、「ありがとう」と言いました。誰に、だろう。庚申様に。橋に。風に。前任の神林さんに。捜索で疲れた町に。あるいは、倉庫に眠る靴と鈴に。私は手順を守る者として、その「ありがとう」を受け取り、倉庫に鍵をかけました。


 ——ここまでが、橋守としての四年です。書いておくのは、次のあなたが迷わないように、です。迷うと、線に沿って落ちます。橋は線に弱い。倉庫の棚の端にものを溜めすぎないこと。紙は一枚。鈴は秋に外す。靴は、持ち主が取りに来たら返す。来なければ、秋の終わりに供養へ持って行く。持って行く時は、袋に入れず、新聞紙で包む。袋は線が強すぎるからです。新聞紙は、線がたくさんあるのに、余白が勝つ。勝つ線と負ける線があり、橋は「負ける線」を好む。そう覚えておくと、手が迷いません。


 最後に、これは仕事とは関係のない余談ですが——。


 前任の神林さんが亡くなった夜、私は橋の真ん中に立って、拍を数えました。夜の川の上に、遠い灯りがありました。揺れる灯り。誰かが小舟で灯りを運んでいる。私は三百を数え終わってから、逆に数えました。三百から一へ。一からゼロへ。ゼロの先は何もありませんが、ゼロを越えても風は続きます。ゼロを越えて、風は紙を鳴らす。紙が息をする。息が拍を運ぶ。私は、倉庫に戻って、棚の端の箱を一つ、奥に入れました。箱は二つ。ならびにすると、一つに見えます。線は、ならびにすると強くなる。だから奥に入れる。私はそうしただけです。


 翌朝、庚申様の前の白い紙がなくなっていました。夜のうちに、誰かが持って行ったのです。紙は余白。余白が持って行かれる、というのは、奇妙なことでした。私は新しい紙を置き、折り目を指でなぞり、欠けた鍵で橋の鎖を外し、町へ帰りました。帰る道で、小さな女の子とすれ違いました。靴はピンク。蝶の飾り。私は見なかったふりをしました。線は見ない方が、落ちないからです。


 ——新任の方へ。ここまで読んで、何か変に思うところがあっても、黙っていてください。手順は、語らない時に保たれることがある。語れば線になる。線は橋を弱くする。拍を数え、紙を置き、十を円にし、丸印の週は断る。それだけで、町は安らかにあります。倉庫の棚の端は、できれば見ないでください。見ても、触らないでください。季節が巡れば、持ち主が取りに来ます。来なければ、新聞紙で包んで、秋の終わりに、供養へ。


 ここまで書いて、ノートの端が黒くなっているのに気づきました。指の腹が少し黒い。油か、墨か、川の臭いか。紙に移るものは、いつも余白から始まります。余白は、町を守る。町は、橋を守る。橋は、線に弱い。だから私達は、余白を置き続けるのです。


 ——鍵束は、古い方を夜に使ってください。音が小さいから。


 ——鈴は、秋になったら外してください。蝶結びで。


 ——靴は、二つにならべないでください。一つに見えますから。


 ——十は、雨の日に円にしてください。寄せるだけです。外さないで。


 ——丸が三つ続いたら、断ってください。嫌われますが、それも手順です。


 以上。引き継ぎ。手順は守り、拍を数え、余白を置くこと。わたしがこのノートを閉じるのは、今夜。橋を渡る子がひとり、来る予定です。名前は、書きません。線になるから。鈴は倉庫の棚の奥。靴は新聞紙の上。紙は庚申様の台。鍵は、欠けた歯。


 風が三百で戻るなら、朝に開けます。戻らないなら、開けません。戻るか戻らないかは、いつも、白い紙が知っています。紙は余白。余白は、橋の心臓。怜がそう呼んだ鈴よりも、ずっと静かな心臓です。


 ——新任の方へ。あなたが読む頃、鈴はもう倉庫の奥にあり、靴は新聞紙に包まれているでしょう。どうか、手順だけを守ってください。それで充分です。町は守られ、橋は落ちず、線は増えません。


 余白は、置けば置くほど、何かを隠します。何を、とは書きません。線になるから。


 引き継ぎは、以上です。

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