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真・意味がわかると怖い話 四時  作者: 妙原奇天


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粗大ごみ回収日の教本

 はじめに。

 このメモは、新しく収集車に乗る人のための“現場教本”だ。区役所が配る公式マニュアルには載っていない、けれど現場では役に立つことばかりを書いた。覚えることは多くない。音、匂い、重さ、名前。これさえわかれば、道の上で迷わない。


 一、集合と発車

 朝の四時半、車庫のシャッターが開く。金属の巻き取り音は、遠くの鳥の声に似ている。早出のパン屋と、遅い帰りのタクシーが同じ色の空を分け合っている時間だ。出発前に、秤の検査票にサイン。今日は雨が降らない。乾いた日には、紙が鳴る。鳴る紙は、名前をよく呼ぶ。

 同行の先輩は、道の数よりも名前の数を覚えている。地図はときどき嘘をつくが、名前は嘘をつかない。粗大ごみの処理券に書かれた黒いインクは、朝の光に薄く立ち上がる。そこに、今日のルートが見える。


 二、券の読み方

 粗大ごみ処理券は二種類ある。緑は千円、赤は五百円。組み合わせで料金を作る。丁寧な人は、券を二枚に分けて斜めに貼る。器用な人は、台紙から剥がすときに手の脂を残さない。ねむい人は、券を半分だけ貼る。半分は、風で剥がれる。剥がれた半分が、アスファルトの上で歩道橋の影を拾う。影は、静かだ。

 名前は大きいほど軽い。大きな字で書かれた“タナカ様”は、たいてい軽い丸椅子になる。細い字の“佐伯”は、スキーのストックだったりする。漢字の角が立っている“田中”は、木製の食器棚。角が丸い“たなか”は、IKEAの棚。先輩は、字をなぞる前に重さを当て、一度も外したことがない。


 三、置きどころ

 集合場所は決まっている。公園の入口、歩道の白線の内側、マンションのゴミ置き場の前。だが、本当に見るべきは“置けなかった場所”だ。

 置けなかった粗大は、諦めて部屋の前に立っている。ドアの壁に「本日回収お願いします」の紙。テープは透明。四隅を丁寧に抑えてある紙は、家の中に“朝の音”がいる証拠だ。朝の音は、カーテンのレールを小さく鳴らし、スリッパの底でフローリングを撫でる。

 紙に書かれた字の斜行で、その家の眠りの深さもわかる。眠りが浅い字は、券を斜めにする。眠りが深い字は、真ん中にきれいに貼る。真ん中に貼られた券は、剥がすと跡が残らない。跡のない場所は、昼を呼ぶ。昼は、名前を薄くする。


 四、音と匂い

 アパートの外廊下は、足音が長い。長い足音の先に、細長い鏡が立てかけて置かれている。鏡は、朝を集める。朝を集めたものは、軽い。軽い鏡は、息を映さない。息のない鏡は、割れやすい。割らないほうがいい。割れた音は、通りを起こす。起きた通りは、名前を呼ぶ。呼ばれた名前は、重くなる。

 匂いは皿の材質でわかる。木の皿は、夜の匂いを吸う。ガラスの皿は、朝の匂いを弾く。布団は季節を運ぶ。春の布団は、重い。夏の布団は、軽いが湿っている。湿った軽さは、指を滑らせる。滑った指は、処理券を落とす。落ちた券は、車輪の下で粉になる。粉の名前は、読めない。読めない名前は、軽い。


 五、台車の使い方

 台車の音は、住人のアラームに似ている。マンションの共用廊下では、台車は押すのではなく“連れていく”。腕で引くと、キャスターは喋らない。喋らない車輪は、角を曲がるのがうまい。角で息を吐く。吐き終わったところで、ドアスコープが光る。スコープの周りの指紋の輪は、夜の回数を教えてくれる。指紋の少ない家は、朝が深い。朝の深い家は、紙にゆっくり名前を書く。


 六、鍵

 これは教本には書かない。だが、知っておくといい。鍵は人間のためにできている。人間が諦める前に、鍵が諦めるようにできている。管理会社の扉に“粗大ごみ搬出のため開放中”の札がかかる日がある。札がかかると、空気が柔らかい。柔らかい空気のとき、台車は歌う。歌う台車は、ドアを押さない。押すと音が出る。音は名前を起こす。


 七、回収の順番

 軽いものから。軽いものは、道を作る。道ができれば、重いものはあとを歩く。重いものは、大きな音で喋りたがるから、最後に。冷蔵庫、ソファ、婚礼箪笥。婚礼のタンスは、後ろに秘密を持っている。壁との隙間に、名前の欠けた紙が落ちていることがある。拾っても、読まない。読まないものは、軽いままだ。軽いものは、遠くまで行ける。


 八、名前

 回収台帳に書かれているのは、番地と品目、券の金額、回収時刻、担当者の印。それと、住人が自分で書いた名前。

 ——「大澤」「桂」「野々村」「坂出」「古賀」。

 字の線の太さで、住人の夜の長さがわかる。夜の長い家は、名前の最後がへたる。へたった名前は、袋の口のように閉じにくい。閉じない口は、朝をこぼす。

 ときどき、名前がない。番号だけ。号室だけ。「二〇三」。

 番号だけの部屋は、風のようだ。風は、名前を運びもしないし、返しもしない。


 九、特記

 回収したものの中に、時々“他人の手”が残っている。引き出しの底のフリーペーパー。レンジの上のマグネット。ベッドの下の単三電池。手は、道を作る。こちらに向かって。向こうから。


 十、休憩

 午前九時、コンビニの裏に回す。パンは、表のドアから買わない。裏口の匂いは、落ち着く。アスファルトの上で、先輩が言う。「今日、二〇三多いな」。

 台帳をめくる。確かに、今日は番号だけの家が三件ある。どれも、券は丁寧に貼られている。貼る手は、眠りのあとを残さない。紙は乾いているのに、名前は乾いていない。

 「二〇三は、よく集まるんですよ」

 「集まる?」

 「番号は、集会所みたいなもので」

 先輩は笑って、缶コーヒーを飲み干す。「相変わらず、言い回しが気持ち悪いな」

 気持ちが悪いと、音が出ない。音のない場所は、名前が欠ける。


 十一、階段下

 団地の階段の下に、必ず一本のほうきが立てかけてある。誰のものでもないのに、誰も倒さない。倒れたら、誰かが起こす。起こすと、塵が動く。塵が動くと、匂いが出る。匂いは、夜を連れてくる。

 階段下に置かれた丸椅子の券には、“桂”と書かれている。昼に書いた名前のかすれ方。下の方が薄い。台車でうけて、車へ。椅子の足のゴムは、少しだけ欠けていた。欠けは、昨日の夜の形だ。


 十二、開かない扉

 集合場所に置けなかったものは、家の前で待っている。立て掛けられた姿見、手すりに沿わせた布団、ドア横のレンジ。ドアスコープの周りはきれいに拭かれている。指紋の輪はない。

 インターホンを押さない。押す音は、即席の名前だ。名乗りにくい名前は、すぐに重くなる。重くなると、台車が曲がれない。曲がれないと、順番が崩れる。

 代わりに、ノックを一回。ノックは、木に訊く音。中に“朝の音”がいるかどうか。返事は、たいてい衣擦れになる。衣擦れは、誰のものでもない。誰のものでもない音は、回収の対象外だ。


 十三、落し物

 粗大の山の下から、小さなものが出てくることがある。鍵。手袋。巻かれたメジャー。写真の裏の古いセロテープ。鍵は、重い。手袋は、軽い。メジャーは、長い。写真は、薄い。薄いものは、遠くへ行ける。

 拾ったものは、交番に届ける。届ける途中で、指先の匂いが変わることがある。誰かの家の匂いから、通りの匂いに。匂いが軽くなると、掌から逸れる。逸れたものは、流れる。流れたものは、戻らない。


 十四、昼

 正午を過ぎると、通りの子どもが増える。子どもは名前をよく拾ってくれる。「粗大ごみのおじさん!うちのママの名前見た!」と手を振る。

 「そうかい」と手を振り返す。手を振るのは、今だけだ。夜になると、手は振らない。夜の手は、拾うだけ。拾う手は、軽いものを遠くへやる。遠くへ行ったものは、帰らない。帰らないものは、台帳の下の方に溜まる。


 十五、二〇三

 午後の後半、二〇三が続く。

 一つ目の二〇三は、ベビーカー。券は二枚。名前はない。ベビーカーは、ゆっくり重い。ゆっくり重いものは、音が少ない。音が少ないものは、遠くまで行ける。

 次の二〇三は、姿見。鏡面に保護フィルムが貼られている。フィルムは、誰の顔も映さない。映らないものは、軽い。台車に乗せ、ベルトで固定。

 その次の二〇三は、箪笥の下段だけ。上段はない。引き出しに何もないことを確認して、運ぶ。引き出しは、世界でいちばん小さな部屋だ。空の部屋は、軽い。軽い部屋は、遠くへ行ける。

 台帳の“備考欄”に、小さく鉛筆で印を付けておく。印は黒い点。点は、見えるけれど、読むものではない。点は、あとで役に立つ。


 十六、訪問

 回収は、申込制だ。だが、申込を忘れて“置いておく”人がいる。置いておく人は、夜に眠る準備の途中で思い出す。朝に思い出す人は、券を買いに行く。思い出さなかったものは、家の前で待ちぼうける。

 ——そういうとき、私はベルを鳴らさない。扉の横の紙に小さく「回収済」と書いて、帰る。回収していなくても、書く。紙は、言葉を吸う。吸った言葉は、重くなる。重くなった言葉は、扉を内側に押す。

 扉の向こうで、衣擦れの音が少し動く。私は台車を連れて曲がる。曲がる角は、風が溜まっていて、匂いが止まる。止まった匂いは、あとで役に立つ。


 十七、夕方

 回収車の荷台で、家具がわずかに軋む。軋みは、遠い船の音。遠い音は、近くの音を静かにする。静かな夕方は、名前が欠けやすい。欠けた名前は、軽い。軽いものは、遠くへ行ける。

 車庫に戻る前に、ひとつだけ寄り道をすることがある。道を覚えるため、と先輩に言えば、それで通る。寄り道の先は、二〇三だ。

 番号だけの扉の前に、小さな袋。袋の中には、“粗大ごみ処理券を入れ忘れました”の紙切れ。紙は軽い。軽いものは、遠くへ行ける。

 私は袋を持ち上げ、台車に乗せる。袋の底が少し濡れている。濡れは、朝の音の残り香だ。匂いは、ミルクのような甘さ。甘い匂いは、眠りの匂い。眠りの匂いは、軽い。


 十八、台帳に戻る

 車庫に戻ったら、台帳の“回収”欄に印を押す。時間、品目、券の枚数。名前。名前がない場合は、番号。番号がない場合は、住所。住所がない場合は、位置。位置がない場合は、匂い。匂いがない場合は、音。音がない場合は、重さ。重さがない場合は、点。

 点には、名前がある。読むのではなく、ある。


 十九、夜

 片付けて、シャッターを閉める。閉める音は、朝の巻き取りの逆さ。逆さの音は、夜を呼ぶ。呼ばれた夜は、軽い。軽い夜は、遠くへ行ける。

 帰り道、マンションの前を通ると、管理会社の掲示板に新しい紙が貼られている。「回収ルールの徹底のお願い」。紙の角は丸まっていない。新しい紙は、名前をよく受け止める。

 廊下の奥から、スリッパの小さな音。扉の隙間から、冷たい無臭。上から降りてきた匂い。

 私は、呼び鈴を鳴らさない。ノックもしない。紙にペンを走らせる。「回収済」。

 ペン先の重さは、紙を通り、木を通り、内側へ。内側で、衣擦れの音がひとつ、止まる。止まった音は、軽い。軽いものは、遠くへ行ける。


 二十、おわりに

 収集の仕事は、重いものを軽くする仕事だ。重いものを軽くして、遠くへやる。遠くへやったものは、戻らない。戻らないものは、静かだ。静かなものは、夜を長くする。

 長い夜は、名前を薄くする。薄くなった名前は、紙に乗る。紙に乗った名前は、朝の光で立ち上がる。立ち上がったものは、読む。

 読むものがなくなれば、回収は終わる。終わったら、シャッターを閉める。閉めたら、鍵をかける。鍵は、人間のためにできている。人間が諦める前に、鍵が諦めるようにできている。

 諦めた鍵は、音が小さい。音の小さい場所では、名前はよく欠ける。欠けた名前は、軽い。軽いものは、遠くへ行ける。


——付記/実地の覚え書き

・二丁目の角の青い家、プリンターは分解してから。カートリッジの中に券が入っていたことがある。

・三丁目の神社前、婚礼箪笥の背面に、剥がした表札の裏。裏の糊は乾いている。名前は読めない。読めないものは軽い。

・さくらハイツ二〇三、ベビーカー、姿見、箪笥下段、袋(処理券入れ忘れ)、袋(処理券入れ忘れ/二回目)、紙(回収済)。

・“回収済”の紙は、風で剥がれる。剥がれた紙は、廊下の隅に立つ。立った紙は、誰のものでもない。誰のものでもないものは、遠くへ行ける。

・遠くへ行ったものは、戻らない。戻らないものは、記録にならない。記録にならないものは、台帳の下の方で、点になる。

・点は、夜に集まる。

・夜は、番号の前に立つ。

・番号は、名前の代わりになる。

・名前のない扉に、紙を貼る。

・紙に書く。

・回収済。

・内側からは、剥がせない。

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