牙を持つものたち
レオの修行に終わりはなかった。
あれから二年。アルマとカインドは山を下りることなく、季節が変わるたびに死の淵を這い回った。春は濁流の中を泳がされ、夏は灼熱の岩肌を素手で登り、秋は目隠しのまま獣の群れをかわし、冬は雪中に埋められたまま夜明けを待った。レオは一切の手加減をしなかった。ただ、ひとつだけ変わったことがあった。
食事が、少しずつ温かくなっていった。
「お前らはもう獣じゃ。儂にできることはもうない。あとは自分で磨け」
ある朝、レオは縁側に腰を下ろしたまま、山の向こうを眺めてそう言った。振り返りもしない。
「…それって、合格ってこと?」
「うるさい、さっさと山を下りろ。もうおまんらは15じゃろ」
これが、レオ・ヒョーリからの、最大限の餞別だった。
久しぶりに踏んだ街の地面は、山とは違って妙に平らで歩きやすかった。首都に戻ったふたりの元には、ジェイからの短い伝言だけが届いていた。
『試験の日程が決まった。あとはお前らがやるだけだ』
アルマは伝言を読み終えると、それを無造作にポケットに突っ込んだ。
「行くぞ、カインド」
「もちろん」
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敷地の入口に設置されたスピーカーから、低く落ち着いた声が響いた。
「試験内容を説明する」
声の主は大柄な男だった。現エケネイス天鋭の中で最古参、ヨシュコ・ヴァレヌ。彼は原稿も見ずに淡々と続ける。
「今年より本試験はアタンス真衛隊との合同試験となる。試験内容は敷地内に放った魔物を五体倒し、制限時間内に生き残れ。以上だ」
短すぎる説明に会場がざわめく。
補足はない。質問も受け付けない。ヨシュコはそのままマイクを切り、受験者たちを突き放した。どこかで自分たちを見ている者がいる。その視線だけが、じっとりと肌に残った。
ホイッスルの音が辺り一帯に響く。
静寂が破れた瞬間、受験者たちは一斉に散らばった。カインドはすぐにアルマの袖を引いた。
「まず周りを見てから動こう。いきなり突っ込むのは——」
裏を見たが、既にアルマの姿はなかった。
「はあ、全く…」
カインドは額に手を当て、小走りでアルマの背中を追った。
森に入ってすぐだった。アルマが足を止め、前方の茂みを指さした。そこにはひとりの少年が静かにしゃがみ込んでいた。魔物の足跡を指でなぞり、進行方向を読んでいるようだった。
「なあ、魔物どこにいるか分かる?」
アルマが無遠慮に話しかける。少年は顔も上げずに答えた。
「お前、試験中に他の受験者に話しかけるリスクを考えてねーのか?」
「ない」
「だろうな、アホそうだもんお前」
少年はようやく顔を上げ、舌打ちをしてアルマをひと睨みした。
「邪魔すんなよ、計算狂うからさ」
「カインドです、すみません」
後から追いついたカインドが素早く頭を下げる。少年はカインドを一瞥してからアルマに視線を戻した。
「あっそ、ちなみに俺はライ。別に着いてくるのは自由だけどすぐ見捨てるから」
「やった、仲間じゃん!」
「話聞いてねーのかこのバカ」
三人が森の奥へ進んで間もなく、ライが足を止めた。
「…そこか」
茂みの向こうに、低く唸る気配がある。ライは静かに状況を整理し始めた。逃げ道、地形、魔物の動き。全ての変数を頭の中で組み立てていく。
「正面から行くのはリスクが高い。回り込んで——」
「せーの!」
アルマが既に飛び出していた。
「バッカ、何やってんだテメー!」
ライの制止は間に合わなかった。魔物はアルマの突撃に反応し、予想外の方向へ動いた。ライの計算が一瞬で崩れる。さらに茂みの奥から、もう一体の気配が現れた。
「クソッ、囲まれた…っ」
ライが後退しようとした瞬間、背後から魔物の爪が迫る。回避が間に合わない。
その時、横から風が走った。
アルマの右腕が勢いよく回転し、迫っていた爪を真横に弾き飛ばした。
「ライ、大丈夫?」
「は?なんで戻ってきた?前の魔物はどう——」
「ああ、あれならカインドに任せたよ」
振り返ると、カインドの姿がいつの間にか消えていた。次の瞬間、前方の魔物が突然よろめき倒れる。どこからともなくカインドが現れ、静かに立っていた。
「とりあえず2体倒したね」
ライはしばらく沈黙した。
「はあ…全部狂っちまった」
「褒めてる?」
「アーホ褒めてねーよ」
魔物を仕留めた直後だった。アルマは荒い息をつきながら、ふと森の奥に視線を向けた。
木々の隙間に、白い影が見えた。
青年だった。細身の長身で、肌が異様なほど白い。彼の周囲には既に四体の魔物は首が無くなった状態で転がっていた。五体目が飛びかかる。青年は一歩も動かなかった。ただ静かに手をかざすと、魔物の身体が真っ二つに裂かれた。顔色ひとつ変わらない。まるで息をするのと同じくらい、当たり前のことをしているようだった。
「…なんだあの人」
アルマが思わず呟く。
「強いな」
ライが静かに答えた。それ以上の言葉はなかった。白い影はアルマたちに気づいているのかいないのか、一瞥もくれずに森の奥へと消えていった。




