第一章:新たな脅威の具現化
レリアは、薬草園の冷たい土の上に膝をついたまま、震えが止まらなかった。幻視の中で見たカサンドラ教授の姿、そして彼女が纏っていた「聖女の残滓」の禍々しい光景が、網膜に焼き付いている。あの底知れない魔力の波動は、これまでの聖務院のどの術式よりも、深く、冷酷で、そして強大だった。
「これは……まさか……」
彼女の額には脂汗がにじみ、銀色に輝いていた髪はゆっくりと元の真紅に戻っていく。しかし、その顔は血の気を失い、瞳には深い恐怖が宿っていた。
その異変に気づいたリュシアンが、すぐに薬草園へ駆けつけてきた。彼の顔にも、尋常ならざる緊張が走っている。
「レリア先輩!大丈夫ですか!?今、ものすごい魔力の歪みを感知して……!まるで、世界そのものが震えるような……!」
リュシアンの声に、レリアはかろうじて顔を上げた。彼の魔力感知が、幻視で自分が感じたものと同じ「歪み」を捉えていることに、レリアは確信を得た。
「リュシアン……カサンドラ教授よ……。彼女は……生きていたわ」
レリアの声は震えていたが、その瞳には真実を伝える力が宿っていた。彼女の言葉に、リュシアンの表情は凍り付いた。親友エリックの無念を晴らしたと思った矢先に、最も恐れていた敵が、想像を絶する形で復活していたのだ。
その時、薬草園の入口から、リオネルが駆け込んできた。彼の漆黒の短髪は乱れ、普段の冷静さは影を潜めている。その手には、学園の古地図が握られていた。
「レリア、リュシアン!まさか君たちも感じたのか!?今、北の国境地帯で、尋常ではない魔力の活性化が確認された!古文書にある『禁忌の地』と酷似している……!」
リオネルの言葉が、レリアの幻視とリュシアンの魔力感知を繋ぎ合わせた。カサンドラ教授がいた場所――それが、北の国境地帯にある「禁忌の地」なのだろう。
「リオネル先輩……私が幻視を見ました。カサンドラ教授です。彼女は、『偽りの聖女』が浄化された際に散った『聖女の残滓』を吸収し、新たな力を得ていました。そして……世界を支配すると……」
レリアは、震える声で幻視の内容を伝えた。リオネルの群青色の瞳が、驚愕と厳しい光を宿す。
「『聖女の残滓』を……!?あの純粋な生命の光の欠片を、彼女が取り込んだというのか……。それは、聖女の力の根源そのものに触れるに等しい……」
リオネルは、腕を組み、深く考え込む。彼の知る魔術や聖女の歴史の知識からしても、レリアのこの変化は前例のないものだった。
「カサンドラ教授は……エリックの命を奪った張本人だ。僕が必ず、彼女を止める!」
リュシアンの目に宿る決意は、親友の無念と、世界の平和への強い願いに燃えていた。
「だが、彼女は以前とは比べ物にならない力を手に入れているはずだ。迂闊に近づけば、命取りになる」
リオネルは冷静に忠告する。しかし、彼の表情にも、聖務院の総帥を、この世界の歪みをこれ以上許さないという、確固たる決意が浮かんでいた。
レリアは、ゆっくりと立ち上がった。彼女の真紅の髪は、すでに元の色に戻っていたが、その瞳には、かつてないほどの強い光が宿っている。
「行きます。北の国境地帯へ。カサンドラ教授を、そして聖務院の新たな計画を、この手で止めなければなりません。私たちが、この世界の生命と、そして祖母やエリックの願いを、守り抜かなければ」
レリアの言葉に、リュシアンとリオネルは深く頷いた。
その時、慌てた様子のフィーナとグレンが薬草園に駆け込んできた。彼らの顔にも、リュシアンと同じような不安と緊張が浮かんでいる。
「リュシアン!レリア先輩!今、学園全体がざわついてる!どこかで、とんでもない魔力が揺れ動いてるって……」
フィーナが息を切らして言った。グレンも続く。
「ああ。学園の結界にも、わずかに負荷がかかってるみたいだ。一体、何があったんだ!?」
リュシアンは二人に、カサンドラ教授が復活し、北の禁忌の地にいる可能性が高いことを簡潔に説明した。フィーナとグレンは、その言葉に絶句した。
「そ、そんな……カサンドラ教授が……」
フィーナが顔を青ざめさせる。しかし、すぐに彼女の瞳に、強い光が宿った。
「私たちができることがあれば、何でも言って!もう、あの時のように何もできないのは嫌!」
グレンも拳を握りしめる。
「そうだ!俺たちは、直接戦う力はないかもしれない。でも、学園に残って、できることはあるはずだ!学園の情報網をフル活用するとか、防御結界の支援とか!」
リオネルは、二人の純粋な決意に目を細めた。彼らの言葉は、アカデミア全体がこの脅威に立ち向かおうとしていることを示していた。
「分かった。フィーナ、グレン。君たちには、学園に残って学園長の補佐をしてほしい。特に、聖務院に関する新たな情報が入ったら、すぐに我々に連絡を。そして、もし学園に何か異変があったら、学生たちの安全を第一に守ってほしい」
リオネルの指示に、フィーナとグレンは力強く頷いた。
「任せてください!必ず、学園を守ります!」
「よし。学園長には私から状況を説明し、学園の防衛を強化するように要請する。そして、我々三人で、カサンドラ教授が潜む『禁忌の地』へ向かう」
リオネルの決断に、迷いはなかった。聖務院の総帥が復活し、新たな力を得た今、静観している時間はない。レリアの銀髪が示す「真の聖女」の力、そしてカサンドラ教授が手に入れた「聖女の残滓」の力が交錯するとき、世界の命運を賭けた、本当の戦いが今、始まろうとしていた。
彼らは、静寂を破り、再び動き出した闇へと、勇気を持って足を踏み出す。そして、アカデミアでは、残された仲間たちが、彼らの帰りを信じ、それぞれの場所で戦い続ける準備を始めていた。