第七章:聖なる泉の試練と、祖母のメッセージ
レリアの故郷は、エリックとの激戦の爪痕が生々しく残っていた。崩れ落ちた祭壇の残骸が、聖務院の残忍な足跡を物語っていた。リュシアンは、エリックが絶命した場所をじっと見つめ、悔しさを滲ませていた。
「この先よ、カサンドラ教授、リュシアン。祖母が私に『不朽草』の育て方を教えてくれた、聖なる泉がある場所」
レリアは、リュシアンの肩にそっと触れ、奥へと続く細い道を示した。かつては聖女の力を浄化し、増幅させていたという伝説の泉。しかし、今は聖務院の瘴気の影響か、その聖なる気配は薄れていた。
カサンドラ教授は、手にした古文書を広げながら、泉へと続く道を注意深く進む。
「この『真なる聖女の根源』の書物によれば、聖なる泉は、聖女の血脈の真の力を覚醒させるための場所であり、同時に、聖務院が聖女の力を制御するための『鍵』でもあったようです」
泉の入り口に辿り着くと、そこには古びた石碑が立っていた。石碑には、複雑な紋様が刻まれており、リュシアンの魔力感知が強く反応した。
「これは……防御結界です!かなり強力な魔力で守られています。聖務院が設置したものでしょうか?」
リュシアンが警戒しながら報告する。カサンドラ教授は石碑の紋様を見て首を横に振った。
「いいえ、リュシアン君。この魔力は、聖務院の淀んだ魔力とは異なる。むしろ、清浄な、しかし強い結界の魔力だ。これは、レリア様の祖母か、あるいはそれ以前の聖女が、この泉を守るために張った結界だ」
カサンドラ教授の言葉に、レリアはハッとした。祖母が、聖務院からこの泉を守るために、結界を張っていたというのか。
「この結界を解除するには、聖女の純粋な生命の魔力が必要だ、とこの書物に記されています。レリア様、貴女の力が必要になります」
カサンドラ教授が古文書の一節を読み上げる。レリアは、意を決して石碑に手をかざした。彼女の掌から、暖かく優しい生命の光が放たれ、石碑の紋様と共鳴する。紋様が輝きを増し、ゆっくりと石碑が音を立てて横にスライドした。
結界が解除され、泉へと続く道が開かれた。奥には、清らかな水が湧き出る小さな泉があった。しかし、その泉の水は、わずかに濁り、周囲の植物も元気がない。聖務院の瘴気の影響が、ここまで及んでいることが伺えた。
泉のほとりには、古びた石造りの台座があり、その上に一輪の**「不朽草」**が植えられていた。他の植物が枯れかけている中で、その不朽草だけが、力強く、そして清らかな緑を保っていた。
「祖母の不朽草……」
レリアは、その不朽草に手を伸ばした。触れると、じんわりと温かい生命の魔力が伝わってくる。その時、レリアの脳裏に、幼い頃の祖母の声が響いた。
「レリア、この不朽草はね、どんな困難な時も、決して枯れない強い生命力を持っているのよ。もし、この世界が本当に困難な状況に陥った時、この不朽草が、きっとあなたを導いてくれるはず」
祖母の言葉は、まるで今のレリアに語りかけているかのようだった。レリアは、不朽草から伝わる祖母の温もりを感じながら、泉の濁りをどうにかできないかと考えた。
「この泉は、聖女の血脈の力と不朽草によって、清浄さを保っていたはず。聖務院がこの地を狙ったのは、この泉の力を利用するためでしょう」
カサンドラ教授が解説する。
「この濁りを浄化するには、不朽草の力が必要なのかしら……」
レリアが呟くと、カサンドラ教授が頷いた。
「その可能性は高い。しかし、その方法は?」
レリアは、不朽草の根元に手を置いた。そして、自身の掌から生命の光を、不朽草へと注ぎ込んだ。レリアの純粋な生命の魔力が、不朽草の根に吸収されていく。不朽草は、その魔力を吸い上げると、さらに強く輝き始めた。
次の瞬間、不朽草の根が、まるで生きているかのように泉の水の中へと伸びていく。そして、その根が泉の水を吸い上げるにつれて、泉の濁りが、みるみるうちに晴れていくのが見えた。泉の水は、やがて透き通るような清らかさを取り戻し、聖なる光を放ち始めた。
「すごい……!レリア先輩、泉が浄化されていく!」
リュシアンが驚きの声を上げる。浄化された泉の水は、周囲の瘴気を押し退け、清浄な空気が辺りに満ちていく。
泉が完全に浄化された時、泉の底から、かすかに光を放つ小さな巻物が浮き上がってきた。カサンドラ教授がそれを拾い上げると、それは古びた羊皮紙の巻物だった。
「これは……祖母の文字よ!」
レリアが、その巻物をカサンドラ教授から受け取った。巻物には、レリアの祖母の文字で、こう記されていた。
「レリア、もしこの泉が濁り、聖なる光を失う時が来たならば、それは聖務院がその牙を剥いた証。貴女は、魔力を持たぬがゆえに、聖務院の支配から自由な『真の聖女』の力を秘めている。不朽草は、その力を引き出す鍵であり、同時に、彼らの術式を打ち砕く唯一の希望。聖務院は、聖女の血脈から『真の聖女』を排除し、『枯れた根源』から自らの望む『偽りの聖女』を創造しようとしている。私の命を懸けて、この泉に秘めた真の力を守った。どうか、この真実を、そして世界の命運を、貴女の清らかな心で守り抜いてほしい。不朽草が、貴女を導くでしょう」
祖母のメッセージを読み終えたレリアの目から、大粒の涙が溢れ落ちた。祖母は、本当にレリアを守り、そして世界の未来を託してくれていたのだ。エリックの死の悲しみと、祖母の深い愛情が混じり合い、レリアの心は激しく揺さぶられた。
「祖母は……私を、そして世界を救おうとしてくれたのね……」
レリアは、祖母のメッセージを胸に抱きしめた。彼女の決意は、以前にも増して強固なものとなった。
リュシアンは、レリアの横で静かに祖母のメッセージを聞いていた。エリックが最期に口にしようとした「聖女の血脈」という言葉。それは、この祖母のメッセージと繋がっていたのだ。エリックもまた、聖務院に利用され、真実を知らずに命を落とした、悲劇の犠牲者だった。リュシアンの心に、聖務院に対する強い憎悪が込み上げた。
「聖務院の目的は、明確になったわ。真の聖女の力を奪い、偽りの支配を確立すること。そして、そのために、レリア様の血脈を枯らそうとしている」
カサンドラ教授は、泉から放たれる清浄な魔力を感じながら、冷静に状況を分析した。
「彼らは、この泉の力を利用して、自らの『偽りの聖女』を完成させようとしていたのかもしれない。だが、レリア様の力によって、それは阻止された。しかし、彼らが諦めるとは思えない。必ず、次の手を打ってくるでしょう」
カサンドラ教授は、泉のほとりで、浄化された水の中から、わずかに発光する小さな鉱石を見つけた。それは、聖務院の符文の素材の一部が、泉の力で浄化され、残されたものだった。その鉱石からは、微細な魔力の痕跡が感じられた。
「これは……聖務院の追跡者に繋がるかもしれません」
カサンドラ教授が、リュシアンに鉱石を手渡した。
聖なる泉の浄化は、聖務院の目論見の一端を打ち砕いたが、同時に、彼らが「真の聖女」であるレリアの存在を、より強く認識したことを意味していた。レリアの祖母が残したメッセージと「不朽草」は、彼らが聖務院に立ち向かうための、重要な手がかりとなった。