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閑話休題:確かな信頼の証

生命魔術研究所の深夜。温室はひっそりと静まり返り、月明かりだけがクリスタル越しに差し込んでいた。リュシアンはとっくに自室に戻り、レリアも今日は早めに休むと出て行ったはずだ。だが、俺はまだデスクに向かい、日中のデータ解析を続けていた。

手に持つのは、先日レリアが持ち帰った「不朽草」の新たな変種だ。見た目は何の変哲もない雑草だが、その内部に秘められた生命の波動は、驚くほど複雑で、そして力強い。かつて、俺はこの「魔力ゼロの聖女」を役立たずと見下していた。聖女の血筋に生まれながら魔力を持たないなど、常識ではありえないことだったからな。共同研究を始めた当初も、植物の知識は認めていたが、まさかここまで俺の想像を超えた存在だとは夢にも思わなかった。

「……生命の光の周波数か」

レリアが旧校舎で叫んだ言葉を思い出す。影苔による変異瘴気。あれを看破し、絶体絶命の状況を覆したのは、俺の魔術ではなかった。レリアの、あの薬草の知識と、祖母の言葉を信じる直感だった。そして、俺はその直感を信じ、魔力を同調させた。結果は、俺たちの勝利だった。

もし、あそこでレリアが思いつかなければ。もし、俺が彼女の言葉を信じなければ。学園は瘴気に飲まれ、世界は再び混乱の渦に巻き込まれていただろう。そう考えると、背筋が寒くなる。

思えば、あの日からだ。彼女の言葉に耳を傾けるようになったのは。彼女の意見を、俺の解析と同じくらい、いや、それ以上に重要視するようになったのは。

レリアは、俺の隣に立つ存在だ。

俺がどんなに強大な魔力を持っていようと、俺だけでは見つけられない真実を、彼女は見つける。俺がどんなに完璧な理論を構築しようと、彼女がいなければ、この「命の源流」は完成しなかっただろう。

「まったく……厄介な女だ」

無意識のうちに、口からそんな言葉が漏れる。だが、その言葉に、以前のような侮蔑の響きはない。むしろ、そこには深い信頼と、そして……。

不意に、デスクに置いていた紅茶のカップがカタッと音を立てた。見ると、いつの間にか温かい湯気が立ち上っている。隣には、使い慣れたレリアのスケッチブックが置かれ、その上に「お疲れ様です」と書かれたメモが添えられていた。

彼女が帰る前に、俺のデスクに寄って行ったのだろう。細やかな気遣いだ。いつもそうだ。俺が黙々と研究に没頭している時も、疲労困憊で倒れそうな時も、彼女は常に俺の傍らにいて、さりげなく支えてくれる。

俺はそっと、そのカップを手に取った。じんわりと温かさが掌に広がる。

この温かさも、あの瘴気浄化の光も、全ては彼女の生命の光から生まれている。

リオネル・ヴァンス、エレオス魔術アカデミアの「最強の魔術師」。世間はそう呼ぶ。だが、俺は知っている。俺の隣に立つ「魔力ゼロの聖女」こそが、真の意味で世界を救い、そして俺を救った存在であることを。

さて、この数日、レリアが珍しく不機嫌そうな顔をしていたのを、俺は知っている。原因は、俺が研究所の警備強化のため、温室の入り口にいくつも魔術障壁を施したことだ。彼女は「植物たちが息苦しそう」だとか、「繊細な魔力の流れが滞る」だとか、散々文句を言っていた。理屈で言えば、警備の強化は必要不可欠だ。だが、彼女の言うことも、理解できないわけではない。

だから、今日、彼女が帰った後、俺はこっそりとその障壁を解除し、代わりに、彼女の「無機物に残る微細な魔力の痕跡を感知する能力」を活かした、より繊細な感知結界に切り替えておいた。警備の強度自体は変わらないが、植物への影響は少ないだろう。

大したことじゃない。俺にとっては、研究の延長線上にある、単なるシステム変更だ。だが、明日朝、それに気づいたレリアがどんな顔をするか……想像すると、少しだけ、心がざわつく。

翌朝。

俺が温室で「不朽草」の培養状況を確認していると、レリアがいつものようにやってきた。彼女は一歩足を踏み入れた瞬間、微かに目を見開いた。

「あれ……?なんだか、今日の温室、いつもより空気が澄んでいる気がします。植物たちも、昨日よりも生き生きとしているような……」

レリアは不思議そうに呟きながら、周囲の植物たちにそっと触れていく。その顔に、微かな驚きと、そして確かな喜びの色が浮かんでいるのが見て取れた。彼女は、すぐに感知結界の変更に気づいたのだろう。

俺は平静を装い、クリスタルボードの数値に目を向けたまま、素っ気なく答える。

「気のせいだ。気のせい。植物の成長は日々変化するものだ」

だが、レリアは俺の言葉を信じず、にこりと微笑んだ。彼女はまっすぐに俺の目を見て、透明感のある声で言った。

「ありがとうございます、リオネル先輩。きっと、先輩が私のためを思って、結界を調整してくださったのですね」

その言葉に、俺の心臓が不自然に跳ねた。見破られた。いや、彼女には、最初から分かっていたのかもしれない。俺が彼女の言葉を気にしていたこと、そして、こっそり障壁を調整していたことなど。

「馬鹿なことを言うな。単に効率を追求しただけだ」

俺は、そう返すのが精一杯だった。相変わらず、素直な言葉は出てこない。しかし、レリアはそんな俺の態度を気にする様子もなく、ただ嬉しそうに、何度も「ありがとう」と繰り返した。

その、飾り気のない笑顔が、俺の心の中に、温かく、確かな光を灯していく。

俺は再び、不朽草の解析データに目を向けた。彼女の力が、明日も、明後日も、この世界を照らす光となるように。俺は、その光を守るために、ここにいる。そして、彼女のためにできることを、これからも、俺なりに続けていくだろう。

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