序章 後悔と転生
処女作です。
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夜は静かだった。
王都の喧騒すら届かぬ断崖に築かれた白亜の塔。かつて最強の魔術師が住まい、数多の魔導書と術式が眠るこの場所も、今や訪れる者などいない。
その中央、壁一面に書架を張り巡らせた研究室で、40代前後の初老の男が一人、窓際の椅子に腰を下ろしていた。
ユリウス・フォン・クラウゼル――帝国との大戦を停戦に導き、魔王すら退けた史上最強の魔術師。その名を知らぬ者は王国どころか世界中を探しても存在しないと言われる生ける伝説。
しかし今、その栄光に満ちた存在は、ただ一人、月明かりを背に沈黙していた。
「……こんなにも、世界は静かだったか」
久方ぶりに発された声はしわがれていて、とても聞き取れるものではなかった。
彼の目は、遠い過去を見つめていた。
掌を広げる。かつて万物を灼き尽くした炎も、大地を裂いた雷も、今この手にはただの残滓にすぎない。力は衰えてなどいない。むしろ、その魔力は老いてなお増し続けていた。
それでも、心を満たすものは、何一つなかった。
「私は、何を得たのだろうな」
かつては、魔術を極めることが人生のすべてだった。知識を求め、術式を解き明かし、誰も到達できなかった領域にまで至った。魔術の頂きに至り寿命すら超越し、死すら拒絶する身体を作り上げた。
だが、ふと気づけば――自分の傍には、誰もいなかった。
不死となり孤独になったのではない。
最初から誰一人、私の傍にはいなかった。
今になって思い返す。あの時こうしていれば良かったと。
学園時代のクラスメイト達。自分に話しかけ、共に学ぼうと話しかけてくれた。
それに私は、冷たく言い放った。
――「第一階梯の君と話して、僕に何のメリットがあるの?」
今も耳に残るその冷たい声。脳裏に焼きついた、彼らの傷ついた表情。
笑って差し出された手を、当時の私は切り捨てた。
学園の後輩から告白されたこともあった。
――「君と交際して、僕にどんな学びがあるの?デメリットしかなくない?」
笑って投げ捨てたその言葉の裏で、彼女がどれほど傷ついていたか、今の私には痛いほどわかる。
帝国との戦争を停戦へと導いた時、救国の英雄として持て囃された。
英雄という地位に多くの美女がすり寄ってきた。童貞もその時に捨てた。
だが、そこに心の触れ合いなど一切なく、後から魔術しか能がないと美女たちに笑われる始末。
我ながら情けないが、その時から女性嫌いとなり更に魔術に傾倒した。
10年がたつ頃には史上三人目の第七階梯到達者、覇魔階梯術師になった。
国王ですら私に頭が上がらなくなった。
誰もが敬語で話し、敬ってくる存在。
歴史の教科書に名が乗る偉人。
そうして研究に没頭している間に一人で育ててくれた母の遺品が届いた。
気付いたら死んでいた。死に目にすら会えなかった。
聞いたところによると、長らく闘病生活を送っていたらしい。
母の遺品には手紙が残されていた。
20枚にも渡る便箋。
ユリウスの成功が誇らしいと同時に心配だと書かれていた。
魔術の事となると時間を忘れてしまうから、
ちゃんと食事を取っているのか、ちゃんと寝てるのか。
この世で唯一、身を案じてくれた存在。
一言も会いたいという言葉は書かれていなかった。
気軽に会える立場じゃないと、慮ってくれたのだろう。
それでもこの大量の遺書を見れば、最後に一目でいいから会いたいという気持ちが感じ取れる。
対等に話せる人はこの世から誰もいなくなった。
「私の人生は、間違っていた」
魔術を心酔し、己の力に酔い、人との繋がりを無駄と切り捨てた。
だがどれだけの国を救っても、どれだけの魔術を極めても、心の穴は埋まらなかった。
今更になって、ようやく気づいたのだ。孤独は、力で満たせるものではないと。
家族も友もいない。傍にいてくれる者は誰一人おらず、王族ですら私の目を見て話さない。
人は、失うことによって、大切なものに気づくという。
私はすべてを失ってようやく、気づいた。
「やり直したい……ただ、それだけなんだ」
声は震えていた。
友と語らいたい。
一人で魔術の勉強ばかりしていた私に、手を差し伸べてくれた彼らと笑いあいたい。
放課後に意味もなく寄り道をして、誰かの誕生日に小さなプレゼントを贈りあったり、時には意見を違え、全力でぶつかりたい。
恋がしたい。
意を決して告白をしてくれた彼女の手を取り、どんな人なのかちゃんと向き合いたい。
彼女の事をもっと知りたい。
そして出来る事なら触れるだけで胸が高鳴るような、そんな人と出会い、何気ない日常を分かち合いたい。
両親に会いたい。
研究ばかりで最期の時に顔も出さない息子をどう思ったのだろうか。
何も返せなかったことを謝り、心からの「ありがとう」を伝えたい。
だから私は、研究した。時間魔術という規格外魔術。
――だが、時間を戻すことは、新しい世界を創ることに等しかった。
第七階梯の時間魔術は、確かに完成した。
だが、発動するには世界中の人間の魔力を集めても到底足りなかった。
机上の空論でしかなかった。
生涯を魔術に費やしたのに、私の真の願いが叶わないと知った時は絶望した。
やり直しが叶わないのならば、せめて。
ユリウス・フォン・クラウゼルとしてでは無くとも、普通の人生を送りたい。
まっとうに友を作り、
まっとうに恋をし、
まっとうに親孝行をする。
そんな新たな人生を生きたい。
ならば――次の手段は、ただひとつ。
「転生だ」
己の魂を、術式により未来の新たな肉体へと転送する。
再生魔術、封印魔術、そして魂魄魔術、数多の規格外魔術。そのすべてを重ねて初めて、可能となる術。
だが、これは不完全な術だ。
臨床試験もできない完全未知の魔術。
もしかしたらこれで終わりになるかもしれない。
それでも――。
最後の詠唱を唱え、私は静かに目を閉じる。
涙が、頬を伝って落ちた。何十年ぶりだったか、それすらも思い出せない。
光が世界を包む。
もう私は、最強でなくてもいい。
ただ――もう一度、誰かと生きたい。
光が視界を満たす。耳鳴りが世界の終わりを告げるように響く。
そして私は、すべてを手放し、
かつて捨て去った“普通の人生”を、再び掴みにいく。