7 街へ
朝はいつも、日の出とともに目覚める。
今日も同じだ。片腕で少し苦戦しながら身支度を済ませ、いつも通りキッチンへ行く。
「レノ、おはよう」
「おはよう」
レノは既に起きていた。野菜を切っているところを手招きして呼ぶ。
「あの、今日も髪を結ってほしいのだけど………」
「ああ、分かった」
私は椅子に座る。その後ろに回ったレノが、髪を梳きながらまとめる。その度に、少しくすぐったくて、でも心地良い。
「ほら、出来たぞ」
「ありがとう」
レノはひとつ頷いて、もとの作業に戻った。卵をかき混ぜて熱したフライパンに流し込み、炒めておいた野菜と一緒にくるくると巻いていく。すっかり手慣れていて、あっという間にオムレツの出来上がりだ。
その間に私はスープをよそっておく。パンと一緒に配膳して、席に座った。
「「いただきます」」
最近は、こうして一緒に朝ごはんを作ることが多い。食べるときも、他愛ないことをたくさん話して、楽しくご飯を食べられる。
「ん、おいしい」
「でしょ?」
「魔物の肉を食べるって聞いたときはびっくりしたけど」
「この魔物だけはおいしいの。でも、初めてなのによく美味しく料理できたわね」
「フィリーネの雑な感想が案外当たってたから」
「雑って何よ」
「いや、料理の参考にって味の感想を聞かれて、ただおいしいって答えられたところで困る」
「えー、だって本当にすごくおいしいんだもの」
「まあ確かに臭みとかないよな。肉も柔らかいし。特に気を遣わなくてもなんとかなってたかも」
「ああ、なるほど。そういうことを答えればよかったのね」
「次からはそうしてくれ」
ところどころに軽口を混ぜた、他愛のない会話。
レノと一緒に暮らし始めて手に入れた、かけがえのない日常だ。
お母さまが亡くなってから今まで、ずっと一人で味気ないご飯を食べてきたから。料理だって、自分しか食べる人がいなければ自然おざなりになる。毎晩明日を楽しみにして眠れることが、どれほど人の心を助けるのか理解した。
「「ごちそうさまでした」」
この後、普通なら家事なり森の見回りなりを始めるが、今日は違う。
今日は、街に行くのだ。
◆◆◆
「はい、これ通行証ね」
「ありがとうございます」
愛想のいい門番の男性に手を振ってから街に入る。
分厚い城壁に開けられた暗い門をくぐると、一気に空気が変わる。土の匂いは消え、代わりに人ごみの喧騒が耳に入った。目の前にはたくさんの人々が往来している大通りがあり、所々に露店が開かれている。
「こんな田舎にしては大きな街だな」
「ここカヌエアは戦争のとき物資の集積所に使われていたそうだから」
ここでも戦争だ。遥か昔の出来事でも、比較的国境から離れていても、その影響は残っている。
その名残として街が栄えているのはいいことだが。
「こっちよ、ついてきて」
大通りを一気に突っ切って、裏路地に入った。村の家々よりも高く大きな建物の間を縫うように進む。レノはキョロキョロと周りを見回しながら付いてきた。大通りは人が多すぎて動きにくいし、はぐれやすい。少し薄暗い、入り組んだ裏道は、近道として使えば便利だ。覚えるのには大分時間がかかったが。
しばらく進んだところでそれなりに人通りが多く太い道に出た。すぐそこの店に入る。扉もなく半分露店のような店だ。中には服がたくさん積み上げられている。
ここは服屋だ。それほど高価ではない庶民的な服を扱っている。それにしても売り方が雑ではあるが。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
店の人に軽く挨拶を返して、狭い店内を見る。適当に服を引っ張り出してみたが、どれも大人用だ。もとの山に戻して店主を見る。
「あの、この子にあう服はありませんか?長袖長ズボンで上下二セットずつ欲しいんですけど」
「ちょっとお待ち」
がさごそと店主が奥の方の山から引き抜いてきた服を物色する。
「レノはどんなのがいい?」
「………これと、これが動きやすそうだ」
「うん、ならこの四枚でお願いします」
レノが選んだものに適当に二枚付け足して店主に差し出す。
「あと、外套を一枚お願いします」
「お嬢ちゃん用かい?」
「はい」
「ならこれか、そこに積んであるやつの中に………」
店主はまた山を漁って取ってくる。この店内でどこに何があるか、どうやって覚えているのだろうか。
ともかく、適当に丈夫そうなのを一枚買って羽織る。代金はまとめて払って店を出た。
「………なあ、さっきの服代……」
「ああ、気にしなくていいわよ」
服は比較的高価だ。布があまり安くないので、貧乏人は古着を着回したりする。
もっとも私はそれほど懐が寒いわけではない。
「それに、私だってきっちり自分で稼いでいるし」
ふふん、と胸を張って付いてくるように促す。
次にやってきたのは小さな路地裏の店だ。控えめな看板がかけられたドアを開けて中に入る。
「いらっしゃい、久しぶりだね」
「ええ、こんにちは。買い取りをお願いします」
右肩にかけた手提げの中から、革袋をひとつ取り出してカウンターに置く。店主の老婆が中を取り出して吟味し始めた。名をカリザの婆やという。と言っても私が勝手にそう呼んでいるだけだが。本名は知らない。
革袋の中身は、魔石だ。フィリーネは魔物狩りで得た魔石を、一カ月おきくらいでこうして換金して生活を回している。
「いつもよりちょっと少ないね。その怪我も、どうかしたのかい?」
「ちょっと事情がありまして」
曖昧に笑って誤魔化す。左腕の包帯は外套で上手く隠せていると思ったのだが。
目敏い店主は、私の後ろに立っているレノに目を止めたが、すぐに視線を手元に落として硬貨を数え始めた。
「まあ、いいさ。ただ、死ぬようなことはするんじゃないよ。あんたが来なくなったらあたしは少なからず困るんだからね」
「…………はい」
苦笑して頷きながら、心の中ではごめんなさいと返す。無茶をしなくて済むのは余裕があるときだけだ。約束は守れそうにない。
でも、そう言ってくれたことは嬉しかった。
「ありがとうございます」
「…………あんたも、不思議な子供だね」
それは今に始まったことじゃないけど、付け足される。
「はい、今日のお代。大銀貨四枚と小銀貨二十枚だよ」
硬貨を数え終わった婆やが革袋を返してくれる。中を見ると、硬貨がぎっしり詰まっていた。
「では、また一カ月後に」
「ああ。婆やを待ちぼうけさせるんじゃないよ」
「ふふ、大丈夫ですよ」
少しの嘘が混ざった希望を言い残して店を出る。最後に手を振ると、婆やは適当に振り返してくれた。
「次は?」
「んー、そろそろ昼ごはんにしよっか」
再び裏路地に入り、最初の門のあたりに戻る。
いつも通り、昼時を狙って食べ物の露店が増えていた。歩きながら食べられるものが多く、どこも賑わっている。
「レノはどれが食べたい?」
「………どれでもいい」
「もう」
こうやって聞いても、決まってレノからは答えが返ってこない。どれでも、というのが一番困るのだが。
「フィリーネが好きなのでいいよ」
「………ならそうするけど」
自己主張が薄いのも考えものだ。私はまだレノが何を好きなのかも知らない。反対に、この二週間で私の好物はある程度レノに知られている。レノ曰く、私はすぐ顔に出るのだそうだ。私だけ見透かされているようで悔しい。
とりあえず、露店でサンドイッチを二つ買ってレノに渡して、私は自分の分にかぶりついた。
貴族なのに行儀が悪いなんて気にしない。どうせ誰も知らないのだ。
あ、いや、レノは知っているが。
散々貴族らしくないところを見られているので今更だ。
「食べながらちょっと歩こうか」
東西南北の門のうち、私たちが入ってきたのは北側の門だ。そこから東門へ城壁に沿って歩く。
しばらく経つと、荷馬車の車列が見えてきた。
「北門よりもやけに人通りが多いな」
「こっちの門は領都に近いからね。対して北には国境と小さな村がぽつぽつあるだけだもの」
有り体に言えば、ド田舎にわざわざ行く商人は少ないということだ。
そして、人が多ければ店が充実する。
「目的地はあそこよ」
辻に建つ大きな店の看板を指さす。
「……郵便、局?」
「正解」
最近、レノはかなり文字が読めるようになってきていた。王国の公用語の読みはほぼマスターしている。こちらも本人の努力でぐんぐんと成長したものだ。
「どこに何を送るんだ?」
「行き先は領都ね。国境の状態に関する報告書。一カ月ごとに送る決まりなの」
ガチャリとドアを開いて店内に入る。
「発送です、お願いします」
「どのようなご依頼ですか?」
カウンターの人に封筒を渡すと、いくつか必要事項を確認される。
「あて先は領都のオルコット家に。速達便でなくて構いません。出来るだけ紛失しないようお願いします」
「承りました。小銀貨八枚です」
カリザの店で受け取った収入の何割かはこれに持っていかれる。いつものこととは言え、やはり高い。
その分信用がおけるのがこの商会だが。
軽く店員に会釈をして、店を出る。
「守り人はオルコット家の管轄なのか?」
「ええ」
オルコットは代々国境の守りを任される一族だ。『守り人』はオルコット家の人間か、オルコット家が選んだものがなる決まりだ。最近は後者が多いと聞くが。
そういうことをかいつまんで話すと、レノはまた質問する。
「国境の報告が一カ月に一回で良いのか? 国防ってもっと厳重なものかと」
「守り人の役割もだいぶ形骸化してるから」
昔は最前線を支える一翼だったが、今は戦争中ではないし、何より守り人が私だ。
「もともと本家にはあまり期待されてないのよ。子供だしね。いてもいなくても変わらないくらいにしか思われてないわ」
「……………いてもいなくてもどっちでも良いくらいに軽視されてる役割だから、子供なのにフィリーネが務めてるのか?」
「まぁ、そうね」
こちらは必死で毎日やってるというのに、腹立たしいことだ。
「さて、そろそろ次に行きましょう」
「次はどこなんだ?」
「ふふ」
いたずらっぽく笑って人差し指を立てる。
「レノが好きそうなところ」
◆◆◆
「ここは…………」
「香辛料を売っている店よ」
私たちはカリザの店から少し歩いた、比較的大きな店が並ぶ区画へ来ていた。
店内には様々な香辛料が瓶詰めにされてずらりと並んでいる。
「レノは最近料理を頑張ってるから、興味あるかなと思って」
「ああ、これで料理本に載ってたやつも作れる」
レノは目を輝かせて店の中をくまなく見て回っている。
近くの村には香辛料を売っている店など無く、買うならこの街まで来なければならない。温暖なこの国はともかく、他国では香辛料はものすごく高価だそうだ。
「ねぇ、料理は好き?」
「……うん。今までやったことはなかったけど、最近は楽しい」
「そっか」
なら、ちょっと奮発して買ってあげよう。レノの料理が上達すれば、私だっておいしいご飯が食べられる。私は自分で作った料理よりレノが作ったものの方が好きだし。
だから、これからも――――
これからも?
違う。
レノは、ヴォーグの巣を見つけるために私の家にいるだけだ。巣を見つけて、形見を見つけて、用が済めばいなくなってしまう。上手くいけば、あと数日。
そうしたら、私はまたひとりきりだ。
家に帰っても、誰もいない。
誰かと話すこともない。
毎日ただやらなきゃならない事をするだけで、明日を楽しみにしながら眠りにつくこともない。
突然突き付けられた未来は、ひんやりと冷たかった。いや、そもそも誰かに突き付けられたものでもない。今まで私が見ないふりをしていただけだ。
スカートを握りしめてうつむく。
「…………どうかしたのか?」
レノが声をかけてくれたが、私はふるふると首を横に振った。
嫌だ。
まだ、一緒にいたい。
一人になるのが、どうしようもなく怖い。
こんなに満たされた感情を思い出してしまったら、また空っぽになってしまったとき、我慢できる自信がない。
私、こんなにレノとの生活を楽しんでたんだ。
こんなに嫌だったんだ、一人で毎日を過ごすことが。
どうせなら、自覚したくなかったなぁ、こんなこと。
だって、また一人になったときにきっともっと辛い。
行かないで、と縋れたらどんなに良いだろう。
ひとりにしないでと、子どものように泣いて駄々をこねられたら。
でも、それはできない。
やってはいけない。
レノには、きっとたくさんの選択肢がある。
色んな未来を選ぶことが出来る。
だから、森の奥に縛り付けてそれを奪ってしまってはだめだ。
私は、守り人なんだから。
『ちゃんと、守り人として人を守る。皆が明るい未来の夢を見られるように』
そう、約束したじゃない。お母さまと。あのときの私と。
だから、レノを守らないといけない。
大丈夫、私ならできる。
笑え。
心配なんかさせちゃだめだ。
無理やり口角を上げる。
「何でも、ないわ」
きっとうまく笑えているはずだ。声は少しかすれてしまったけど。
「大丈夫」
大丈夫。
私は強い。
ちゃんと、お母さまと約束したとおりにできる。
人を助ける。
魔物から守る。
守り人としてふさわしいように、努力を続ける。
だからきっと、またひとりになっても大丈夫。
「欲しいものは見つかった?」
「………ああ」
話をそらして問いかけると、レノは納得しきっていない顔のまま、手の中のものを見せてくれた。
「…シナモン?」
こくりとレノが頷く。
「これで何かお菓子でも作ってやるから、元気だせ。な?」
「!」
顔に出ていただろうか。
思わず頬を手で押さえると、レノは年上のお兄さんの顔で笑った。
「……うん」
何だか無性に安心して、へらりと笑う。まだ不安は晴れないけれど。
レノは珍しく、ぽんぽんと頭を撫でてくれた。




