4 始動
「ではまずは、状況を整理しましょうか」
食器の片づけを終えて、また私たちは机を挟んで向かい合っていた。
「あなたの妹が連れて行かれたとき、そのヴォーグは妹さんを連れて行った?」
「ああ、朦朧としてたけど、多分」
「その場で食べていないなら、巣で育てている子供のために連れ帰ったとみるのが妥当ね」
「なら、その巣がどこにあるか……………」
「そう、そこなんだけど」
ここまでヴォーグが出没しているなら、その群れの巣もこの近くにあるはず。
ばさりとここら一帯の地図を広げる。そびえたつ山脈と、それに沿って引かれている国境。そこから少し離れたところに村があり、村の周りには二重の半円を描くようなような二つの線がある。その外側、森の中にひとつつけられた点が、今いるこの家だ。
その中で、二重の半円を指で示す。
「これが、昨日私たちが越えた柵。ヴォーグが出たのは、多分この辺り。六日前に襲われたのはどの辺りか分かる?」
「………分からない。ただ、昨日のとこの近くだとは思う」
「そう………なら、あの辺りで待ち伏せして………ああ、でももう一度同じところに来てくれるかは分からないし………」
なら、根気で探すしかないだろうか。
あの近くでヴォーグの痕跡を探して、巣まで追っていく。ヴォーグを見つけて後をつけるのもいいかもしれない。
「見つかるまで何週間かかるかは分からないわね」
レノが驚いた顔をしたが、まあこの広い森で魔物を探すとなればそんなものだ。
ただ、出来るだけ早く見つけてあげたい。
遺体は形が残っているかも怪しいし、その形見とやらも野生動物に持ち去られてしまったりするかもしれない。
自分の都合もある。
それから、昨日残してきた死体も気になる。魔石を回収しなければ、他の魔物にそれを取り込まれれば強大化してしまう。
方針を決めて、顔を上げる。
「ひとまず、昨日のヴォーグの死体を見にいくわ。そこから痕跡を辿る」
◆◆◆
「待っててって言われてもなぁ」
ぽつりとこぼした言葉が大きな部屋に響いた。
今日はゆっくりしてていいよ、と慌ただしく出ていったあの少女には言われたが、ただ待っているだけというのも暇だ。結局、部屋に引きこもっていても仕方ない、と廊下に出てみる。天井を見上げると、つり下がった照明が等間隔に並んでいた。
おそらく、魔石を利用したものだ。先ほどフィリーネは魔力を流してこれを操作していたから。
初対面の子供を一人でここに残すなんて、フィリーネはこの家の調度品にどれだけ金がかかっているか分かっているのだろうか。照明だけじゃない。椅子も調理器具も窓ガラスも、貴族のものには劣るが、品質は十分良い。俺に盗まれるなり壊されるなりするかもしれないと考えなかったのだろうか。いや、するつもりはないけど。
廊下の途中に玄関がある。扉を押してみると、重い抵抗の後、ゆっくりと開いた。フィリーネは鍵もかけずに出て行ったらしい。少し呆れながら外に出る。
一番に目に入ったのは、目の前の森。この家から半径十メートルくらいの円を描くように立てられた低い柵の向こうには、急に高い木々が生えている。庭と森の間にくっきりとできた境界線に違和感を覚えて近づいてみると、柵には結界が施してあるのが分かった。道理で魔物を防ぐはずの柵が低いわけだ。かなり強力な仕掛けが、目には見えないがきっちり機能している。
そして、左手側、丈の短い芝の庭の中に、大きな塔が立っていた。寒々しい鼠色の、石造りの塔だ。近寄ってぐるりと周りを回ってみると、両開きの木のドアが一つある。外側から大きな閂がかけられていて、金具も木材もかなり古そうだ。
ふと、扉の横の壁を見る。そこだけやけに大きな石が使われていた。というか、石板、だろうか。刻まれている文字は風化して消えかかっていた。片言だが、口に出して読み上げる。
「守り人、は、国の守り手。彼の国が攻め来れば、これを退け、魔物が、王国の民を脅かせば、これを討て。汝の命を惜しまず、ただ一心に国に仕えよ」
汝の命を惜しまず、か。
石板の表面を軽くなでながら目を眇める。まだ十歳の少女にとんだ重荷がのせられているものだ。
ここからも遠く見える、長く連なる山々に視線を投げる。彼の国、というのはおそらく山脈の向こう側の帝国のことだろう。子供に任せるような仕事ではない。
彼女はどんな事情があってこんな暮らしをしているのだろうか。
そこまで考えて、頭を振る。
自分は妹の形見を取り戻すためにあの少女を利用しているだけだ。
彼女に気を許してはいけない。気を抜いてはいけない。
本当にこの石板通りの役目を、今もまだ彼女が担っているとしたら。
ひとつため息を落として、俺は家の中に戻った。
◆◆◆
「ただいま」
家の中に声をかけると、レノは少しためらいがちに「おかえり」と返してくれた。
「傷の調子はどう?しんどくはない?」
「大丈夫だ」
「そう、良かった」
また包帯を変えるときにも確認しなければ。
「あ、あと包帯変える前にお風呂にも入ってもらわなくちゃ」
「え、風呂?」
「ええ」
昨夜も今朝も余裕がなかったので、レノの体はお世辞にも綺麗とは言えないままだ。髪には土埃が付いているし、着ている服もあちこち擦り切れている。
「夕飯の前にお風呂に入ってきてほしい。服は用意するから」
こっちよ、と手招きをして廊下を進む。ドアを開けると脱衣所があり、その奥に浴場に続く扉がある。
「脱いだ服はそこの籠に入れておいて」
扉を開けて浴場に入り、浴槽のそばにあるボタンに魔力を流す。途端、浴槽の内側についている宝石からお湯が溢れ出した。どんどんと水位が上がっていく。
「魔法……………」
「ええ、便利でしょう。お湯を沸かして浴槽に貯めるのはこの魔導具がやってくれるわ」
お母さまが残した自慢の魔導具だ。今の私はまだこんなものを作れない。
「ここに石鹸があるから使って。包帯はなるべく濡らさないようにね。私は荷物を片付けておくから………」
「あ、いや、その、俺は後でいい」
「え?……あ」
首を傾げてレノの視線の先を見ると、ところどころ土と血がついた私の体があった。今日は昨日のヴォーグの解体もしたし、あちこち調べ回っていたからだろう。
「それに、疲れてるだろうし……………」
おずおずとしたレノの声に、ふわりと自然に笑みが浮かぶ。
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
私は着替えを取りに小走りで部屋に戻った。
◆◆◆
がちゃり、と重い扉を開く音が室内に響く。
「あら、まだ寝ていなかったの」
「……………なんとなく」
サイズが大きくてゆるゆるの服を着たレノが答える。
もう窓の外はとっくに暗くなっている。今日は早く部屋で寝るように伝えたのだが。
「傷が治るまではよく休まないとだめよ」
こくり、とレノは頷いたが、部屋に戻ろうとしない。
「あの……………この部屋は?」
「図書室よ」
手に持っていた本を棚に戻しながら告げる。
部屋の壁はほぼ本棚で覆われており、隙間なく本が詰まっている。真ん中には、読み書きするための机といくつかの椅子が置いてあり、そのひとつにすとんと座った。
「今日は、案内されなかった」
「ええ、あなたは普段使わないでしょうし、今日は時間がなかったから」
ここの本は、その半分ほどが魔法に関するものだ。古すぎて劣化が激しいものや、私にも理解できないものも多い。レノには教えては意味がないだろう。
「こんなにたくさん、何のために集められた本なんだ?」
「お母さまは、単に趣味のためだと言っていたわ。お母さまはもともと魔法の研究をしていて、この家でもそれを続けてたから」
趣味のためにこれだけの本を集めたのか、とレノが呟く。
本はとても高価だ。それこそ、貴族の中でもこれほど持っている者は少ないくらいに。
王国の平民の識字率は低い。数字は生活に直結するから読める者も多いが、文字は一部の富豪や商人以外は全く習わないことがほとんどだ。
「あなた、字は読める?」
「………少しだけ、なら」
その答えに少し考え込む。文字を読めるようになれば、レノの今後に絶対に役に立つ。
「あなた、ここの本を読みたい?」
ちらりと視線を向けて問うと、レノは呆れた顔をした。
「それで俺が本を傷めたらどうするんだ?この本にどれほど価値があるか分かってるのか?」
「う………」
そのあたり、私はあまり分かっていない。
もし破損しても、どうやっても責任は取れないぞ、としっかり釘をさされる。普通私が釘をさす側だと思うけど。
「……じゃあ、子供向けの本だけ何冊か貸すというのはどう?それならあまり高価ではないし、私は今後使う予定はない。あなたも将来のために覚えておけば便利だと思うけれど」
「そうだな。字は覚えておきたい」
読み書きができれば、就ける仕事の幅はぐんと広がる。日雇いの肉体労働ではなく、安定して稼げるだろう。
「なら、また適当なものを見繕っておくわ」
「ありがとう」
そろそろ部屋に戻りましょうか、と立ち上がる。
大きく重い扉にしっかりと鍵をかけた。




