2 事情聴取
あの後、とにかく、他の魔物が来ないうちに撤収、と取るものもとりあえず、少年だけ担いで森から出た。
荷物のところまで戻り、少年の腕の止血をした後、彼の引き取り手を探して村に戻ったのだが。
「あの、この子の家ーー」
知ってますか、と言い切る前に、相手は顔を背けて歩いていってしまった。話しかけるのは数回目だが、皆が皆こんな感じで、まともに取り合ってくれる人がいない。
排他的ここに極まれり、今に始まったことではないけど、未だ気絶中の少年を抱えて途方に暮れる。とにかく腕の治療をしたいので、家くらい教えてほしい。
いや、もしかしたらこの子には家がないのかもしれない。この小さい村の中では全員が知り合いだ。加えて、無駄に団結力が強いので、気絶した村の子供を私が連れているとなれば、もっと騒ぎ立てられるはずだ。それが、塩対応で済んでいる。
つまり、この子は私と同じく村人から疎ましがられる存在。ボロボロの服とやせ細った体を考えると、浮浪児だろうか。
となると、私の家に連れて帰らなければならないのだろうか。できれば面倒なので勘弁願いたいなぁ。
でも、せっかく助けたのにここに放って行くという選択肢はない。
また長くため息をつきながら少年を背負い直す。行きよりもずいぶんと重くなった足で村を出た。
◆◆◆
少年が目を覚ましたのは、もう空が橙色に染まる頃だった。
薄暗い部屋の中、机で本を読んでいると、ベッドで少年が起き上がる気配がした。
「…………ぁ、ここは……」
「………」
すっと立ち上がり、手元のカンテラを持ってベッドに近づく。
「ええっと…………おはよう?」
何と声をかければいいのか迷った末に出てきたのは、語尾が不自然に上がった場違いな言葉だった。そういえば、まともに人と話すのはいつぶりだろうか。思い返すと、カンテラを持つ手に少し汗がにじむ。
さっきは会話になる前に逃げ出された相手と、ちゃんと話せるだろうか。
彼が目をこすり、こちらに視線を向ける。きちんと焦点を合わせた少年は、一拍おいてさぁっ、と顔色を悪くした。
「……あの、あんたは………」
「私は『守り人』。いくつか聞きたいことはあるけど、まず傷は大丈夫?」
顔を強張らせた少年に、ゆっくり、できるだけ優しい声で問う。彼は数秒瞬きをしたあと、思い出したように包帯が巻かれた右腕に視線を向けた。
「あまり深くはなかったから普通に処置したけれど、激しい痛みはある?」
「……」
少年はふるふると首を横に振る。体の怠さは、頭痛は、熱は、と確かめて、ようやく安堵の息をついた。
何しろ、私は他人の手当はほぼしたことがない。数回、お母様のを手伝った事があるだけだ。
自分のことならすぐに分かることも、他人のこととなれば途端に難しくなる。
ともあれ、体が大丈夫なら、聞きたいことは山ほどある。水差しからコップに水を注いで、彼に手渡しながら聞く。
「………えっと、じゃあまずどこから来たの?家族は?村の中で探してみたけれど、見つからなかったの 」
「………家族はいない」
皆死んだから、と呟くように言う少年の瞳はどこか虚空を睨んでいて、何の感情も浮かんでいないように見えた。私は、何も言うことが出来ない。ただ、そう、とだけ相槌を打った。彼はおもむろにコップを傾けて、水を飲み干す。ぐい、と口を拭いながら目線で先を促した。私はやや躊躇いがちに切り出す。
「………何であの時、森の中に入ったの?」
「……………妹が、魔物に連れて行かれたからだ」
「!?」
待って。どうやって攫ったというの?
それは、森の外に魔物が出てしまったということ?
それから。
さっき彼は言った。
————『皆死んだから』
つまり、彼の妹はもう、殺されている……………?
一気に血の気が引いた私を見て、少年が補足する。
「俺たちは、自分から森に入ったんだ」
「……なんで?」
結界が破られたという最悪の事態ではなくて、少し安堵する。でも、森に立入禁止だというのは、見れば分かったはずだ。
「食べるものがなかったんだ。両親が死んでから、家を追い出されて頼れるところが無かったから。森の中なら果物や食べられる植物があるだろうと思って森に入ったんだ」
「……………魔物がいるとは、知らなかったの?」
知っていたなら、入るはずがない。
そんな私の内心を見透かしたように、少年は薄く笑みを浮かべた。
「知ってたよ。でもあのままじゃ確実に飢えてた」
それなら、いちかばちかで命を繋いだほうがましだと。
瞳を揺らす私に、彼はまた失笑を漏らす。
「なあ、魔法が使えるってことは、あんたお貴族様だろ」
「………ええ」
質問ではなく、確認だった。戸惑いがちにどうして、と聞くと、村人が噂していたからと帰ってきた。この王国では、魔力を持つのは貴族だけだ。隣国では平民にも魔力持ちがいるらしいが、この国では魔力があるとなれば、即貴族だとわかる。
「あんた、生まれてから今まで、数日何も口にできないって経験したことないだろ」
「……………」
私は口をつぐむしかない。私には、彼の経験したものがどれだけ苦しいことなのか、想像もつかないから。
とげとげしい視線も、甘んじて受け入れるしかない。
うう、この会話、胃がキリキリする…………。
いや、がんばれ私。
とにかく魔物のことは聞き出さないと。
「そ、それで、どこで魔物に襲われたの?」
「二つ目の柵を超えてすぐのところだ。一回目はそこまで進んでなかったから大丈夫だった。二回目も、三回目も。けど森に入るのが毎日になって、少しずつ奥まで入っていくようになったんだ。そこで、さっきの狼に襲われた」
「………ヴォーグのことね」
森にいる魔物の中では、あまり強くはないが知能は高いほうだ。柵のところで待ち伏せされていた可能性もある。
もしかして、今日もそうだったのだろうか。
「それ、何日前の話?」
「6日前だ」
6日。意外と最近だ。だが、小さな子供が魔物から逃げながら生きていられる期間ではない。たとえどんな奇跡が起こっていようとも、彼の妹の死はほぼ確実だ。
いや、それ以前に彼は確信をもって、死んだと言った。
ぎゅう、と知らず手を握りしめながら、問う。
「……………どんなふうに、襲われたの?」
「どうもこうも、一瞬で飛び掛かられて、妹は喉を掻き切られた。反撃の暇もなく、適当にあしらわれて気を失ってる間に魔物は妹と一緒に消えてたよ」
俯いて、少年は吐き捨てるように言った。
一気に語られた内容の重さに呼吸が浅くなる。胸の中に、ずんと重さを主張する何かが入りこんだみたいに。それを何とか外に出そうと二、三回深呼吸する。でも、それは何としてでも出ていかないと主張するように、胸底にべったりと張り付いていた。
ここまで、少年は一度も泣いていない。ただ、きつく握りしめられた手とかすれた声が、痛々しかった。
「……………ごめんなさい。嫌なことを聞いて」
ただの自己満足にすぎない謝罪をすると、少年は黙って首を横に振る。
今日は、ここまでにしたほうが良さそうだ。
彼に気づかれないようにそっと息をついた。
切り替えて、明るい声で呼びかける。
「ところで、お腹は空いてない?」
おずおずと顔を上げた少年は、こくりと頷く。
「スープでも作って持ってくるわ。ちょっとここで待っててね」
すっと椅子から立ち上がりながら、ふと気になったことを尋ねる。
「それから、あなたの名前は?」
「……レノ」
「そう。———レノ」
できるだけ、優しい声を意識して呼びかける。
「よく、頑張ったわね」
家族を失って一人になったとき、誰も味方になってくれない辛さは、私もよくわかってるつもりだから。
せめて、私はこの子の味方になってあげたい。
目を見開いたレノの頭を、さらりと軽く撫でてもう一度微笑んでから、扉のノブに手をかける。
「いい子にしててね」
「……ああ」
がちゃり、と扉を締めて歩き出す。スープにはどんな具を入れようかと考えながら。
◆◆◆
「あら」
思ったより響いた声にすぐに口をつぐむ。ドアを音が立たないように静かに閉めた。スープを作っている間にレノは寝てしまったようだ。少し遅かったかもしれないと反省しながら、サイドテーブルにトレイを置いてベッドの中を覗き込む。
先ほどまではこわばった表情が多かったが、その寝顔は年相応に無防備で、あどけなかった。
そして、その目元にはかすかに涙の跡が残っていた。
「おやすみなさい」
本当に小さな声をかけ、ふっと微笑んで、静かにベッドから離れる。
必要なくなってしまった食事を回収して、静かに部屋を出た。