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10 役目

前話と同じくレノ視点です。

フィリーネから、狭い巣穴の入り口に身を滑り込ませる。しばらくして合図があってから、俺も中に入った。


「うわ………」


中には想像よりも広い部屋が広がっていて、思わず声を漏らす。真っ暗な中に、フィリーネが灯したカンテラの火がチラチラと揺れた。手前には先ほどフィリーネが殺したヴォーグの死体が転がっている。


「こんなに広かったんだな」


「大人のヴォーグも入れるくらいでないとだめだもの」


フィリーネがカンテラを掲げると、やっと巣穴の奥が見えた。

まだ子犬ほどの大きさのヴォーグの子供が四匹、身体を寄せ合っている。三匹は寝ているが、一匹だけは身を起こして静かにこちらを見ていた。

ぎくりと身体が強張る。ガラス玉のような目にカンテラの火が揺れる。親を殺した相手だと認識しているのかどうかは分からないが、それは明らかに異物に向ける目ではない。


「おい、あれ………」


「ああ」


「?―――っ!?」


急にフィリーネが手を振る。投擲された剣の柄があの子供の額に直撃し、一撃で昏倒させた。


「えっ、死んだのか?」


「気絶させただけよ。まだ子供だから大した戦闘力はないけど、一応ね」


検分していた死体をどけながらフィリーネが言う。先ほどフィリーネの足に噛みついていたやつだろう。よく見ると、オッドアイに連れられて逃げていった個体だ。奥の子供よりは大きいが、まだ大人ではない。


「もう大人がいないんでしょうね。まだ子供でも戦いに駆り出されるなんて」


瀕死でも、最後まで離さなかったという。

このヴォーグが最後まで守ろうとしたものを、俺たちは殺す。

まだ何もできないような子供を。

今更ながらに身震いする。

目の前のものは、越えてはいけない一線のように感じた。


「………なあ、フィリーネ」


ごくりと唾を飲み込んで数秒逡巡してから、フィリーネの背中に声を掛ける。


「子供は殺さずに逃がすのはだめなのか………?」


「だめよ」


帰ってきた即答は、俺の願いをばっさりと切り捨てた。


「言ったでしょう? ここで根絶やしにしておかなければ村が危険だもの。それに、この子たちにはまだ自力で生きていける力がないわ」


この魔物だらけの森は、子供だけで生き抜いていけるほど甘くない。


「だから、ここで殺してしまったほうが、この子たちも苦しみが少ない」


この巣穴で飢えるのを待つよりも、一瞬で死んでしまえたほうがいい。


それは、そうだと思う。

飢えるのがどれだけ辛いのか、俺は身をもって知っている。

これが、ただの俺のわがままだということも。


けれどそれで、はい殺します、と言えるほど俺はまだ大人じゃない。


怖い。一線を越えてしまうのが。

もしここで子供たちを黙って見殺しにしたら、今日の夜はうまく眠れるのだろうか?

無理だ。

きっと今日も明日も明後日も、この胸の閉塞感は続くだろう。


覚悟は決めていたつもりだった。

けれど、妹の仇の仲間とだけ認識して殺すと決断するのと、実際に目の前にして殺すと決断するのとでは、全く重さが違う。


「何とか、殺さずに済む方法はないのか?」


「無いわ。庇護者を殺してしまった以上、この子たちは大人になれない」


大人を殺してしまってからでは遅い。けれど、そもそもフィリーネは大人を殺さなければならなかった。

最初から、どうしようもなかったのだ。

どう後悔しても、あの時俺がフィリーネに縋った時点で、この結果は決まっていた。


仕方がなかった。

そうすっぱり諦めてしまえたらどんなにいいだろう。

でも、できない。したくない。


ぐっと奥歯を噛み締めて、今度こそ腹をくくる。

最後まで手放さずに責任を負えるように。


大きく息を吸って、動かないフィリーネの背中に言った。


「なら、俺が育てる!こいつらが自力で生きていけるようになるまで!」


「この子たちはあなたの妹を殺したヴォーグの仲間なのに?」


間髪入れずに挟まれた疑問には、感情の色が無かった。


「大人たちは殺したのに、子供たちは生かすの? 親を奪っておいて今更優しくしたところで、この子たちはどう思う?」


「……っ」


「それに小さくてもこの子たちは魔物よ。大きくなれば牙を剥いてくるかもしれない」


矢継ぎ早に飛んでくる言葉に、何も言い返せない。


「育てると言ったところで、餌は? 住むところは? 自然に還すなら獲物の捕り方も教えなければなれない。それが、レノにできるの?」


「……それは……」


「断言できないのならやめておきなさい」


すっぱりと言って、フィリーネが振り向かないまま短剣を生成する。淡く光ったあとに形を結んだ短剣の切っ先が子供たちに向けられた。


「あの時、言ったわよね。覚悟を決めなさい。そうでないなら諦めなさい、って」


あの時よりも冷たい声が紡ぐ。


「あの時あなたは諦めないことを選んだ。だから、腹をくくりなさい」


「………っそれでも!」


フィリーネは正論だ。正論だけれど。

レノは人間だ。理屈だけでは納得させられない、感情というものを持っている。

その感情が訴えるのに任せて叫んだ。


「やってみなくちゃ分からないだろ!」


「………」


ゆっくりと、フィリーネが振り向いた。

無表情の顔には、呆れも、怒りも無かったけれど。


「………それでも、私の考えは変わらない」


「………あ」


その目を見て、分かってしまった。

フィリーネは、あの時俺が出来なかった覚悟を既に完成させてしまっているのだ。


「………私が、レノみたいに優しい考え方をできれば良かったのにね」


子供たちへゆっくりと歩み寄りながらフィリーネが言う。


「でも、私は『守り人』として魔物を切り捨てる判断が出来てしまうから。魔物と人、どちらも取れはしないと割り切ってしまえるから」


どこか懺悔するような言葉の続きは声に出されなかったけれど、明白だった。


それが役目を果たすのに一番確実だと納得したなら、フィリーネはこの子たちを殺せる。


けれども。


「それは、フィリーネがしたいことじゃないんだろう?」


出会ってから、ずっと聞きたかったことに触れる。


「………いいえ。そうするべきだと思う」


「そうじゃない。俺はフィリーネに聞いてるんだ」


「………?」


振り返ったフィリーネの深緑の瞳を覗き込む。

ずっと感じていた違和感。

この少女はいつも大きな決断をするときには、「『守り人』はどうするべきか」で動いているのだ。

そこに自分の感情が入っていないことに欠片の疑問も抱いていない。


「『守り人』に聞いてるんじゃない。フィリーネは、どうしたいんだ?」


「わたし………」


丸い瞳を揺らして、フィリーネが呟く。

そのまま黙り込んでしまったフィリーネに目線を合わせて、ゆっくり言い聞かせる。


「なあ、フィリーネは殺そうと思えば一瞬であの子供たちを殺せたはずだ。なのに何で一番最初にそうしなかったんだ?」


「それは………」


きつく握られたフィリーネの左手を両手で包む。

フィリーネが答えを出せるまで、じっと待つ。

しばらく視線をあちこち彷徨わせて、一度強く俺の手を握ってフィリーネは口を開いた。


「……わたしは、殺したいわけじゃ、ないけど……」


「うん」


「でも、殺してしまったほうが確実に人を守れて………守り人としてふさわしいから、そうしようと思ったの」


「うん」


訥々と零される言葉に、丁寧に頷く。


「今まで、そうする以外の選択なんて考えたこと無かったの。お母さまとの約束を守るためなら何だって良かったの。それだけが、生きる支えだったから」


ぎゅうっと手を握りしめて、フィリーネが瞳を揺らす。


「でもね、レノが来て、一緒に過ごすようになって、新しく考えたことがいっぱいある。一緒にどこか遠くに行って、色んなものを見てみたいな、とか。心配かけちゃうから、ケガしないようにしなきゃ、とか。――――私が選んでるやり方は、本当に間違ってない? とか」


「………」


「『守り人』として正しい事を選んできた自信はある。魔物を殺して人を守る。でも、それは本当に正しいことだった? 魔物は、人にとって都合が悪いだけで、何も悪いことしてないのに。魔物を殺すことへの罪悪感も、薄れさせてしまったら駄目だったのかもしれない」


今まで信じてきた基準が絶対ではないかもしれないと思ってしまったら、もうそこから目をそらすことはできなくて。

けれども、今までの考えをすっぱり捨てることも難しくて。


震える声で、フィリーネが吐露する。

フィリーネが背負っているのは、きっと十歳の女の子には重すぎる役目と責任感と、命を奪ってきたことへの負い目。


「ときどき、すごく不安になる。本当にこのままでいいの?って。でも、私は守り人の役目を果たすのにこれ以上の方法を知らない。魔物は、殺さなきゃならない。でもそれじゃ胸のもやもやは消えない。どうすればいいか分からない。今までそういう生き方しかしてこなかったから、何が正しいのか分からないの。だから、私は選べない」


ねぇ、どうすればいいと思う?


不安を隠しきれない迷子のような目で、フィリーネが問う。

これは軽い気持ちで答えてしまってはいけない質問だと分かる。

でも。


「フィリーネの好きなようにすればいいと思う」


「え?」


質問の答えになっていなくて申し訳ないが、俺には『守り人』がどうするべきかなんて答えられない。

それに、フィリーネの答えこそ俺の質問に答えていない。


「『どうしたいか』を聞いてたはずなのに、途中からまた『どうすべきか』の話に変わってただろ」


「え、あれ? あ……」


「フィリーネにとって『守り人』であることが重要なのは分かった。けど、俺が聞いてるのはそこじゃない」


言うの二回目だけどな。


「だから、最初の一言だけで十分だ」


少し戸惑うようなフィリーネに言う。


「殺したくはない。そう思ったんだろ?」


「……うん」


「じゃあそこからもう一回考えてみて」


殺したくはない、けれど殺すことは致し方ないことだともフィリーネは思っている。そしてこれまでは多分、後者に天秤が傾いていた。

いや、天秤にすらなっていなかった。

教えられてきたことに背くことを、フィリーネは考えすらしなかった。


今初めて提示された選択肢を、フィリーネはどう受け止める?


「守り人の責務っていうのはもちろんあるだろう。そこに俺は口を出せない。でも、差出口かもしれないけど、フィリーネの感情がどうでもいいとも俺には思えない。どこか、妥協点を探せないか?」


「……………………私は」


少しかすれてしまった声に唾を飲み込んで、フィリーネが芯の通った声で続ける。


「私は、この子たちを殺さなくていい道があるなら、そっちを選びたい」


「なら―――」


「でも」


先走ってしまった言葉の出鼻をくじかれる。


「もしその子たちを育てるのが危険だと判断したら、その時点でその子たちを殺す。これは、守り人として譲れない最優先事項」


「……うん、それでいい。十分だ」


よかった、と安堵に思わず顔を綻ばせると、フィリーネも強張っていた身体からふっと力を抜く。深緑をたたえる目が安心したように細められた。ずっと握っていた手をゆっくり外しながらフィリーネが言う。


「…………ねぇ、この子たちを育てる場所は私の家になってしまうけど、いい?」


「えっと………俺にとっては願ったり叶ったりだけど、いいのか?」


「さすがに人の住む結界の内側に魔物を連れ出すことは許可できないわ。私の監督下でやってもらわないと危険だもの」


「それは確かにそうか」


納得しながらも、結局はフィリーネに大きな迷惑をかけてしまうことに少し申し訳なく思う。

どうしてもこの子たちを助けたかったこと、フィリーネの考えが少しずつでも変われればいいと思ったのは本当だ。けれど、がむしゃらに動きすぎてその先を全く考えられていなかった。

さっきは聞き流してしまったフィリーネの言葉が耳に痛い。

自分より年下の女の子の指摘に内心落ち込んでいると、フィリーネが少し俯きながらおずおずと口を開く。


「その、私と生活するのは嫌ではない?」


「え、何で? むしろ迷惑に思うのはフィリーネの方だと思うんだけど」


きょとんとして聞き返すと、フィリーネは逆に目を丸くしてふるふると首を振った。


「ううん。私はレノと一緒にいられて嬉しい」


ふわりと笑って真っ直ぐに喜びを伝える言葉に、ぴしりと固まった。

そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、ストレートな言葉が照れくさくて、どう返せばいいのか頭が空回る。


フィリーネは俺の反応を見て、何拍か置いてから、やっと自分が何を言ったか分かったように顔を紅潮させた。はくはくと何か言おうとしているが、かすれて言葉にならない。


「……ぁ、う……ち、ちがうの、変な意味じゃなくて、えっと……その!」


耳まで赤くなったのを隠すように髪をいじりながら、


「今まで、ずっと一人だったから! だ、誰かといられることが嬉しいの。それだけ!」


「………そっか。そうだな」


誤魔化すように告げられた言葉に目を細める。胸をチクリと刺されたような小さな痛みから意識をそらして、落ち着かせるようにぽんぽんと肩をたたいた。


「ありがとう」


可哀そう、だなんて自分が思うのはなんだか傲慢に思えた。

フィリーネのこれまでを知らない身でそんなことを思うのは、必死に積み上げられてきたフィリーネの努力までも否定するようだから。


だって、俺なら嫌だ。

嫌なことがあったって、苦しいことがあったって、その中で頑張ってきた自分は誇るべきもののはずだ。

『もしあの時ああじゃなかったら、こんな事しないでによかったのにね』、確かにそうだ。

でも、その苦労がなかったら今の自分はいない。俺なら、お前は俺の何を知っている、と反発したくなるだろう。


フィリーネは優しくて強くて努力家で忍耐強くて、それ以外にもたくさん良いところがあって、俺はそれを否定するよりも褒めてあげたい。


俺がどう思ったってフィリーネのこれまでは変わらない。

今俺ができるのは、フィリーネのこれからが楽しくなるように手伝うこと。


「………ねぇ、ほんとにいいのかな」


ふと、フィリーネが不安げに呟く、


「何が?」


「私は選んでよかったのかな。守り人は、本来なら……」


ただ国のためだけを考えなきゃいけないのに。



―――『汝の命を惜しまず、ただ一心に国に仕えよ』



石板の文が不意に浮かんだ。

これは聞き逃してはいけないことだと直感が言う。

ヴォーグの子に限らず、きっとフィリーネはこれを基準に全部判断してきた。


「そんなことはない、と思う」


言い切りそうになって慌てて付け足す。

俺の主張にフィリーネが染まってしまっても駄目だ。俺はフィリーネに自分で判断してほしいから。


「守り人が守るのは国民なんだろう? フィリーネだって国民のひとりだ。守り人を続けるなら、自分のことも尊重してほしいと俺は思う」


「………でも、そんなこと言っていたら守り人は成立しない。軍人だってそう。自分のことを優先すれば、守れるものも守れない。土壇場なら尚更」


「そうだな、だけど」


それはそうしなければにっちにもさっちにもいかないときの話だ。


「そうしなければどうにもできない状況にならなかったら。どちらか一つを捨てなきゃならないような状況になる前に止められるような力があれば、いいんじゃないか?」


「………無茶言わないで。それが難しいんじゃない」


「やってみなくちゃ分からない」


「どうやってやるっていうの」


「分からないけど」


いよいよ呆れたようにフィリーネがため息をついた。


「理想論ね」


「ああ。でも、できるかどうかは問題なのか?」


挑むことには誰の許しもいらない。


「やる前から諦めるんじゃなく、目指してみるべきだ。出来なかったら、その時にまた次を考えればいい」


「………命に、次は無いのよ」


「だからこそ、だ」


だからこそ、最初から諦めたくはない。

命を諦めたら、もう次は無い。

どうにもならなくても、せめて最後まで足掻きたい。


「挑んだら取り返しのつかないことになる?そうかもしれない。でも諦めたときでもそうなる可能性はある。なら、後悔しない道を自分で選びたいんだ」


ああ、とそこで何かがすとんと腑に落ちた。

俺が今回フィリーネにここまで食い下がった理由。

フィリーネに苦しんでほしくなかったからだ。


フィリーネは、『守り人の責任はこれだから』と選んで、後から失ったときに後悔するような気がした。でもその後悔も、『守り人なんだから仕方ない』と片付けて。

この先もそうしていたら、義務と不自由と失ったものが降り積もって、フィリーネは守り人であることが辛くなるかもしれない。

でもフィリーネは生真面目だから、きっとそれを投げ出さない。苦しみながら、後生大事に抱えて生きていく。

ずっとずっと、どこかで命を落とすまで。


だから、俺はそれを止めたかった。


「フィリーネ、俺は自分のやりたいことを優先するのは悪いことじゃないと思ってる。他人を傷つけない限りはね。誰だってーー」


古今東西、どんな人種でも宗教でも民族でも。


「幸せになりたいって願うことは、当然に持ってる権利なんだ」


「もりびと、でも?」


「ああ」


それだけは、万人不平等なく与えられたもの。

そう俺は信じている。


「だから、自信がないなら俺にこっそり教えてくれればいい。どうすればいいか一緒に考えるから」


「………」


「大丈夫、この世界の中で半分くらいのことは、やってみれば案外何とかなる!」


「…………それは流石に過言でしょ。なんでそんなに自信満々に言えるのよ」


「俺はフィリーネより長く生きてるからな、人生経験があるんだ」


「たった一年やそこらでしょう。さっきも腰抜かしてたのに、生意気」


「生意気って普通年下に使わない? 確かにフィリーネより人生経験ないかもだけどさぁ」


「そうかしら? 話を聞く限りレノの人生は波乱万丈だけど」


「そんなことないよ。フィリーネみたいに重い役目背負ってるわけじゃないし、最近はただの居候だし」


「料理とかはしてもらってるけど?」


「あれは俺が楽しんでやってるからいいの」


「そっか」


くすくすと笑う姿にほっとしていると、不意にフィリーネがレノ、と名前を呼んだ。


「ありがと」


「……うん」



少しぶっきらぼうで、でも柔らかく告げられた言葉に短く返す。フィリーネは、また髪をいじりながらほわりと笑った。



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