『黙れという声』
春。
制服のサイズはひとつ大きくなったが、教室の空気は何も変わっていなかった。
みらいは黙って席に着き、ノートの隅に小さな丸を描いた。
かつて自分が言葉を発したことなど、誰も口にしない。
いや——覚えている。
けれど、誰もあえて触れようとしない。
話題にした瞬間、また“火”がつくから。
—
ある日、知らないアカウントから一通のDMが届いた。
「お前が三浦を庇ったせいで、加害者が生き延びた。自分が正義だと勘違いするな」
名前はなかった。
けれど、文体には見覚えがあった。
学校の誰か。教師かもしれない。親かもしれない。……もはやどうでもよかった。
スマホを落とした。
落ちる音が、やけに大きく聞こえた。
—
家に帰ると、ポストに週刊誌の切り抜きが貼りつけてあった。
「正義を誤解する子供たち」
「中学生の危険な投稿」
無記名。のりの跡。雨でにじみ、読めない箇所もある。
それを見た母は、ただ一言だけ言った。
「気をつけなさい」
——何に気をつけろというのかは、言わなかった。
—
その夜、みらいは自分の声を録音し、そして削除した。
声が残ることが、もう怖かった。
—
春は過ぎ、夏が来た。
教室の壁に貼られたポスターは、平和と人権をうたっていた。
「誰もが自分の意見を言える社会に」
みらいはその前を通り過ぎ、誰にも、何も言わなかった。
—
秋、文集に“推薦された作文”が載った。
「いじめはいけないと思います」
「私は、優しい人になりたいです」
それは、誰かの“求められた正しさ”だった。
みらいの名前は、どこにもなかった。
—
冬、みらいは教室を出た。
寒さよりも、背中に浴びる視線の方が冷たかった。
誰も彼女を呼び止めなかった。
そして彼女も、もう誰も呼ばなかった。
—
毒は、今も静かに広がっている。
誰の指にもついていて、
誰の心にも染みこんでいて、
けれど誰も、「それが毒だ」とは言わない。
なぜなら——
毒を指さす者こそが、次の標的になるからだ。