『最後の養生茶』
午後の光が傾きはじめた頃、古びた民家の居間に、ほのかな湯気が立ちのぼった。
「お久しぶりですね、課長。こうして面と向かってお話しするのは、何年ぶりでしょうか」
篠原美智子は、丁寧に茶を注ぎながら静かに微笑んだ。机の上には、艶やかな磁器の茶碗が二つ。中には、わずかに濁った、濃い黄土色の薬草茶が注がれている。乾燥させたウコン、ドクダミ、そして見た目に似た“何か”が煎じられていた。
「まだ、体調が優れないんだって? 本当に大丈夫か?」
かつての上司・三浦浩一は、落ち着かない様子で笑い、湯気に顔をしかめた。
「はい。でも、今日は来ていただけて嬉しかったんです。……課長に、感謝の気持ちをお伝えしておきたくて」
「感謝……?」
「ええ。課長があのとき“切ってくださった”おかげで、私は、本当の意味で人生を見つめ直せました」
篠原は、自分の茶をひと口だけ啜った。三浦も、それにつられるように茶碗へ手を伸ばしかけたが、彼女はすっと手を差し出し、首を振った。
「大丈夫です。そちらは課長の分ですが、まだ熱いですから、少し冷ましてからのほうがよろしいかと」
——その直後だった。
篠原の手から茶碗が滑り落ち、畳に茶がしみこんだ。身体が小さくひとつ痙攣し、白目を剥いたまま、彼女は音もなく崩れ落ちた。
—
数時間後、警察が到着し、第一通報者である三浦は事情聴取を受けることになる。
「毒物反応が出ました。アコニチンです。非常に強力な神経毒です。……被害者が日常的に薬草を扱っていた記録はありますが、この量では事故とは考えにくいですね」
「でも俺は……あの茶に、口すらつけていない!」
「しかし現場からは、あなたの指紋が付着した瓶が見つかっています。中身は……トリカブトの抽出液のようです」
目を見開く三浦。誰が、なぜ、どうやって?
真実が明らかになるのは、もう少し後のことだ。
——篠原のノートパソコン、「死後開封」のタイトルがつけられたフォルダがあることを、まだ誰も知らない。