第8話 父・レオポルト・バンダーム視点
父・レオポルト・バンダーム視点
(エリーゼと王家への想い)
書斎で、私は深いため息をついた。
今日という一日は、あまりにも目まぐるしかった。王都学園の卒業式――本来であれば、祝福に満ちた穏やかな一日となるはずだった。だが現実は違った。些細な恋愛沙汰から広がったスキャンダル、学生たちの動揺、大人たちの思惑の交錯。
我が娘エリーゼも、その渦中に巻き込まれた。
いや、巻き込まれたというより――
彼女は見事に、それを乗り越えたのだ。堂々と、誇り高く。
私は改めて、娘の成長を思う。
エリーゼは私に似て、感情をあまり顔に出さない。しかし、心の中ではきっといろいろな葛藤があっただろう。恋人と思っていた者に裏切られ、信じていた絆を踏みにじられ、それでもなお笑顔を浮かべていた。
強い娘だ。いや、強くあろうとしたのだろう。
――そんな彼女に、次なる試練が訪れた。
ウイリアム殿下からの結婚申し込み。
それも、ただの縁談ではない。バンダーム家を公爵家に引き上げるという、国家的な恩賞付きの政略結婚だ。
私は、書斎でエリーゼを待ちながら考えていた。
もし、彼女が「嫌だ」と言ったなら。
もし、彼女が「愛のない結婚は嫌だ」と涙ながらに訴えたなら――私は、どうしただろうか?
……わからない。
親として、貴族として、どちらを取るべきか。今も、答えは出ない。
扉がノックされ、エリーゼが顔を出した。
彼女は明るい顔をしていたが、内心の緊張は手に取るようにわかった。私は努めて柔らかい声で、彼女に告げた。
「ウイリアム王子から、結婚の申し込みが来ている」
その瞬間のエリーゼの顔――。
驚き、戸惑い、諦め、そして一瞬の覚悟。
すべてを悟った私は、苦笑を隠せなかった。彼女は、やはり賢い。状況を理解する速度が尋常ではない。
「断れますか?」
勇気を振り絞った問いだった。
だが私は、無情にも首を振った。陛下直々のお達し。貴族として、逆らうことはできない。
それでもエリーゼは、すぐに顔を上げた。
そして、すべてを飲み込んだ。
「いいでしょう。やってやりますよ。どうせなら、とびっきり華麗に!」
その言葉に、私は胸が熱くなった。
ああ、この娘は、私が想像していた以上に強い。柔らかく、そしてしなやかに。どんな嵐にも、折れることなく立ち向かう。
エリーゼ。
私の誇り、私の宝。
どれほど自慢の娘か――言葉では言い表せない。
**
一方で、ウイリアム殿下については、私は慎重な評価をしている。
あの若者は、間違いなく王族にふさわしい気品と才覚を持つ。
しかし、今日の卒業式での振る舞い――あれには少々、腑に落ちない部分があった。
浮気された被害者として、最初は同情を買う態度を取っていた。
だが、事態が落ち着くと、すぐに笑みを浮かべ始めた。あれは、演技だったのか?
それとも、打たれ強さの表れか?
どちらにしても、ただの「善良な王子様」ではない。
私は理解した。
ウイリアム殿下は、したたかだ。冷静で、計算高い。
感情で動くタイプではない。あくまで、国家と自らの利益を第一に考える男だ。
……まあ、それも悪くはない。
むしろ、そんな男だからこそ、国を背負う器になれるのだろう。
ただ――娘には、優しくしてほしい。
打算だけでは、エリーゼのような女性は、決して心を開かない。
ウイリアム殿下よ。
どうか、我が娘を大切にしてくれ。
彼女は強いが、同時に、誰よりも傷つきやすいのだから。
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政略的に見れば、これ以上ない好機だ。
バンダーム家は一代で公爵家に列せられ、領地も財力も増す。
先祖代々、誇り高くあれと教えられてきた私たちの家にとって、これほどの栄光はない。
私は父として、家長として、この流れを受け入れるしかない。
だが、私はエリーゼの幸せを、ただ一つ願っている。
たとえそれが、政治の駒であろうと。
たとえ、それが、国を背負う重圧であろうと。
彼女には、笑っていてほしい。
誇りを失わず、胸を張って生きていてほしい。
私は、エリーゼを信じている。
どんな未来が待っていようとも、彼女はきっと乗り越える。
華やかに、堂々と――誰よりも美しく。
だから私は、静かに誓った。
この先、どんな困難があろうと、バンダーム家はエリーゼを支え続ける。
父として、家族として、ただ彼女のために。
たとえ、王家であろうと――娘の幸福を脅かす者は、私は許さない。
娘よ。
新たな物語を、存分に謳歌せよ。
私は、どこまでも、君の味方だ。
――バンダーム家当主、レオポルト・バンダーム