第4話 レンブランドから見た婚約破棄後のエリーゼ
「筋肉男レンブランドから見たエリーゼ」
王城の重たい扉をくぐったとき、正直なところ、俺は勝ったと思っていた。
何にって、そりゃあエリーゼにだ。
俺は彼女との婚約を破棄し、セザンヌ姫と新しい未来を選んだ。しかも姫はすでに俺の子を身ごもっている。王家との繋がりもできるし、立場は盤石。すべてがうまくいった――はずだった。
けれど、あの会議室にエリーゼが座っているのを見た瞬間、胸の奥がぐっと苦しくなった。
ふかふかの椅子に小さく収まった小柄な体。俺の知っているエリーゼは、どこか控えめで、親の言いなりに見える子だった。口数も少なく、表情も薄い。正直、婚約者としては物足りないと思っていた。
けど今日の彼女は違った。
しっかりと背筋を伸ばし、きょろきょろと部屋を見渡して、まるで観光客みたいに目を輝かせていた。
あんなに生き生きとした顔、今まで一度も見たことがなかった。
(……なんだよ、そんな顔、今さら見せやがって)
胸の奥で、ひとつ、何かがひび割れる音がした。
でも俺は、ぐっと拳を握って、気持ちを押し殺す。
エリーゼはもう、俺の女じゃない。これからはセザンヌ姫と生きていく。それが俺の未来だ。
会議が始まった。
ヘンリー殿下の冷たい声が響き、俺は堂々と答える。嘘はついていない。すべて事実だ。
セザンヌ姫もまた、小さな声で同意した。
俺は、セザンヌ姫を守る。それが俺の、筋肉に誓った使命だ。
ウイリアム殿下も、格好いい台詞を吐いて、場を綺麗に収めてくれた。
すべて順調、そう思っていた――エリーゼの番が来るまでは。
「ええ、私は……すっきりしました」
彼女は、晴れやかな顔でそう言った。
驚いた。
怒りでも、悲しみでも、恨みでもなく、まるで解き放たれた鳥みたいに、にこにこと微笑んでいる。
俺はその笑顔を、どこか懐かしいと思った。
昔、まだ子供だった頃、一緒に小川で遊んだ日のことを思い出す。
あのときも、彼女はこんなふうに笑っていた。
(……嘘だろ)
不意に、胸の中で後悔が芽生えた。
こんなに自由で、こんなに眩しいエリーゼを、俺はちゃんと見ていなかったのかもしれない。
親が決めた婚約だから。
あいつは地味だから。
どうせ俺には似合わないから。
そんなふうに、勝手に決めつけて、向き合わなかった。
(本当のエリーゼを、俺は知らなかったんだ)
ふわりと、エリーゼが立ち上がる。
まるで新しい世界に飛び立つ鳥のように、軽やかに。
「お二人には……お幸せに、って言っておきます!」
その言葉は、刃のように胸に突き刺さった。
優しいのに、冷たかった。
祝福の言葉なのに、まるで「さようなら」と言われた気がした。
ウイリアム殿下が拍手し、セザンヌ姫が涙ぐむ。
ヘンリー殿下も頷く。
そして俺だけが、その場に取り残された気がした。
エリーゼは、俺なんかよりずっと強かった。
俺なんかより、ずっと自由だった。
(……くそ)
何に怒っているのか、自分でもわからなかった。
ただ、彼女の笑顔がまぶしすぎて、目を逸らしたくなった。
会議が終わり、エリーゼが去っていく。
その背中は、もう二度と俺のものではない。
小さな体に、無限の未来を詰め込んだみたいに、頼もしく、遠くへ遠くへと歩いていく。
俺は立ち尽くしていた。
隣ではセザンヌ姫が心配そうに俺を見上げていたけれど、手を握り返すことができなかった。
(エリーゼ、お前は……本当に、強くなったんだな)
心の中でだけ、そっと呟いた。
これでよかった。
きっと、これでよかったんだ。
エリーゼは、もう俺なんか必要としない。
彼女は彼女の未来を、自分の足で歩いていく。
それを祝福するのが、せめてもの償いだろう。
でも――
できることなら、あの笑顔のまま、どうか幸せになってくれ。
もう、誰にも泣かされることなく。
もう、誰にも縛られることなく。
(じゃあな、エリーゼ)
心の中でそう言って、俺は静かに目を閉じた。