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第15話 バンダーム家当主視点 まったく……人生とは、わからぬものだ

バンダーム家当主、エドガー・バンダームの手記

「まったく……人生とは、わからぬものだ」


椅子にもたれ、グラスを傾けながら、私は深く息を吐いた。

琥珀色の酒が、今日の祝宴の余韻をかすかに反射している。


つい昨日まで、バンダーム家は財政難に苦しんでいた。

私の代でどうにか持ち直そうと努力してきたものの、

近年の不作や税収減少には抗いきれず、領地運営も逼迫していたのだ。


そこへ、天から舞い降りたかのような話が舞い込んだ。


——ウイリアム王子が、エリーゼに求婚した、とな。


耳にした瞬間、私は酔ってでもいるのかと思った。

いや、実際に昼間から飲んでいた気もする。だが、それでも現実だった。


ウイリアム・フォン・リュクス王子。

第三王子とはいえ、王家の血を引くれっきとした王族。

しかも、王宮でも名高い「きらり王子」。

その輝かしい存在が、我が娘に心を寄せ、結婚を望んでいる——。


これ以上の僥倖が、あるだろうか?


私の心は、歓喜に震えた。

家の再興、名誉の回復、未来への希望。

すべてが、一瞬で開かれたような気がしたのだ。


だが。


だが——。


「エリーゼ……お前は、それでいいのか?」


ふと、浮かんだ娘の顔に、私は胸を刺されるような思いがした。


無邪気で、人懐っこくて。

時にドジも踏むが、誰よりも周りを思いやる優しい子。


そんな娘が、急な結婚話に、本当に納得しているのか?

王族との婚姻。豪奢な生活。

表向きは華やかだが、その陰にあるものも私は知っている。


——自由を失うこと。

——権力に飲まれること。

——人間関係のしがらみに縛られること。


エリーゼに、そんな重荷を背負わせていいのか。

私は、自問した。

何度も、何度も。


だが結局、私は——自らを押し殺した。


「これも、家のため……いや、エリーゼの未来のためだ」


そう言い聞かせ、王宮へ返答を届けた。


エリーゼの表情は、決して明るくはなかった。

だが、断る素振りも見せなかった。

あの子なりに、覚悟を決めたのだろう。


それならば、父として、後押しするしかない。

バンダーム家の当主として、娘を送り出すしかない。


——そう、心を決めたはずだった。


けれど。


今日、教会での結婚式。

純白のドレスに身を包んだエリーゼを見たとき。

ウイリアム王子と指輪を交換する娘を見たとき。


私は、どうしようもない後悔に襲われた。


「本当に、これで良かったのか……?」


心の底から、そう思った。


エリーゼは笑っていた。

けれど、その笑顔の奥に、ふと影が差した気がしたのだ。

まるで、どこか遠い場所を見つめるような——。


ウイリアム王子は、完璧な微笑みを浮かべていた。

誰が見ても、理想の王子様だった。

だが、私は見逃さなかった。


あの王子の中に潜む、どこか狂おしいまでの執着を。

輝きすぎるその笑顔の裏にある、危うさを。


……まさか。


まさか、こんなことになるとは。


いや、まだ何も決まってはいない。

エリーゼが幸せになる道も、きっとある。

そう信じたい。


だからこそ、私は誓った。


——たとえ、どんなことがあろうとも。

——この命に代えても。


娘を守る、と。


バンダーム家の再興など、もはやどうでもいい。

領地の未来も、名誉も、栄光も。

すべて投げ捨ててもいい。


ただ、ただ。


エリーゼが、笑っていてくれるなら。


それが、父である私の、唯一の願いだった。


王宮で開かれた披露宴でも、私は周囲の貴族たちの歓声をよそに、

娘の様子ばかりを目で追っていた。


食事はきちんと取っているか。

無理に笑っていないか。

ウイリアム王子の態度は、不自然ではないか。


——過保護だと、笑われるかもしれない。


だが、父親とは、そういうものだ。


エリーゼは、時折、疲れたように目を伏せた。

それでも、誰よりも美しく、誰よりも健気に、

今日という日を全うしようとしていた。


「エリーゼ……」


私は、小さく名前を呼んだ。

誰にも聞こえないように。

ただ、祈るように。


どうか、幸せになってくれ。


それだけを、胸に抱いて。


私は、酒をあおった。

今夜だけは、酔いに身を任せてもいいだろう。

この痛みを、少しでも紛らわせるために。


遠く、披露宴の中心で。

ウイリアム王子が、エリーゼに優しく微笑みかける姿が見えた。


ああ、神よ。


どうか。


どうか——。


娘の未来に、祝福を。


私の手が、無意識に震えていることに、

気づかぬふりをしながら。


私は、グラスをそっと置いた。


——エリーゼの父、エドガー・バンダームの手記より。

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