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第7話:幕が上がる前に



「公然の前で婚約を破棄する?」

「そうだ。いい余興になるだろう?」


何の余興だ?と俺は思わず眉をひそめた。

ダリウスの私室に呼び出された俺は、そんなとんでもない話を聞かされることになる。


彼は椅子に深く腰掛けながら、グラスの中の酒を揺らし、愉快そうに笑っている。まるで面白い遊びを思いついたかのように。


「生意気なあいつにたっぷりとお灸を据えて、完全に突き放してやろうと思ってな」


ダリウスの発言に、何を話せばいいのかわからなくなる。

彼は本当にわかっているのか?

彼がやろうとしていることが、単なる『お灸を据える』程度では済まないということを。


「お前だってあいつに付きまとわれてうんざりしてるんだろ?」


そうだな。

こんな面倒ごとに煩わされることなく、ただ平穏に過ごせれば、俺としては問題なかった。


「さっさと婚約解消すればいいだけの話じゃないのか?」


でも、アリスが寄ってたかって弄ばれ、絶望する姿を見たいわけじゃない。


「それじゃあつまらんだろう? ぎりぎりまで希望を持たせてやるんだよ。そうして、幸せの絶頂から突き落としてやる。ふふ、想像するだけでゾクゾクするな。あいつの絶望に歪む顔ってのは、見ものだろうな」


……性格が、歪みすぎてるな。


俺は内心でため息をついた。 ダリウスはきっと、アリスが底の底まで落ちない限り満足しない。

そういう男なのだと、改めて理解した。


「どうせお前も、あいつのことは嫌いだろ?」


「嫌いではないが、特に好きというわけでもないな」


「だったら問題ないな」


「兄上」


「なんだ?」


俺は考え直せ、と言いかけた。だが、それ以上言葉が続かなかった。


ダリウスの冷たいまなざしを受けて、悟ったのだ。

こいつは本気でそう思っているし、何を言っても変わらない。

俺の声が届くような相手ではない。


「近日中に事を起こすから、楽しみにしてくれよ。きっと楽しい催しになるぞ」


嬉々として言うダリウスに、俺は何も答えず、部屋を後にした。


アリス――彼女がこの先、貴族社会で生きていく道は、俺も模索していた。

あわよくば、ダリウスと少しでも歩み寄れるのなら、それが最善だと思っていたが――


「もはや軌道修正は不可能だな」


この物語を作った作者がいるのなら、きっとアリスをどんな手を使ってでも貶めるようにプロットを組んでいるのだろう。

我ながら難儀な状況に陥ったものだ。



「軌道修正? なんの話?」


「おわっ!?」


驚いて後ずさる俺の前に、アリスが突然現れた。

いつの間に!?


「ダリウス様のご様子はどうだった!? 私のことを何か言ってなかったかしら?」


どうやら部屋の前で待ち構えていたらしい。

俺の気持ちなど知る由もないアリスは、勢いよく詰め寄ってくる。


「いや、急に現れるなよ……」


「そんなことはどうでもいいのよ! ダリウス様は、私のことを何か……!」


必死に俺を見上げるアリスの瞳は、どこか期待に満ちていた。

まだ、あんな奴のことを想っているというのだろうか。


(……本当に見る目のない女だ)


「何も言ってない。ただの世間話だったな」


そう言うと、アリスの顔が一瞬、曇る。


「そ、そう……」


口元をぎゅっと結び、悔しそうに目を伏せる姿が妙に子供っぽくて、俺は思わず苦笑した。

しかし、その笑みも長くは続かない。

先ほどのダリウスとの会話を思い起こせば、目の前の女の未来には、わずかな希望も残されてはいないのだから。


「なんだか難しい顔をしてるのね」


「兄上とはいろいろと難しい立場だからなぁ」


「まさか私とあなたのことを勘違いされてないでしょうね!?」


「は?」


どうしてそうなる。


「ありえないだろ」


「ふ、ふん……そうよね。だって私にはダリウス様が……!」


うん、そういう問題ではないんだが。


(何もかも話してやりたくなる)


「アリス」


「な、なによ」


「……いや、なんでもない」


ダリウスが君を貶めようとしている、と言ったところで、

今の彼女がそれを信じるはずがない。


何を言っても、彼女は「ダリウス様がそんなことをするはずがない!」と信じて疑わないだろう。

どれほど無残な目に遭わされても。



彼女が傷つくとわかっていながら、見て見ぬふりをするほど俺も冷酷な人間じゃない。

猫には餌をやるタイプなのだ。


「……アリス」


「さっきからなに!?」


「また俺の部屋に甘いものでも食べに来るか?」


——本当に、餌をやるぐらいのことしか思いつかない。


「え? えっと……だ、だめよ。ダリウス様に勘違いされちゃうわ」


口ではそう言いながら、恥ずかしそうに目をそらす。

頬がわずかに紅潮しているのが見えた。


……のんき、だよな。

それでも、彼女はそういう人間だ。


この世界がどれほど残酷でも、アリスはまだ"自分の幸せ"を信じている。

——だからこそ、彼女の結末を考えると、俺の胃が痛くなるんだ。


「冗談だよ。兄上のこと、よろしく頼む」


そう言い残し、俺はふっと微笑んで踵を返した。


アリスの困惑した視線が背中に突き刺さる。

何か言いたげな気配を感じたが、振り返るつもりはなかった。


このまま顔を合わせていれば、無駄に情が湧いてしまう。

それは、俺にとっても、彼女にとっても、きっと良くないことだ。


喉の奥に引っかかった言葉を押し殺し、俺は足早にその場を離れた。


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