第4話:メタ視点の皇子
窓際で朝日を浴びながら、優雅に紅茶を啜る。
窓の外には、美しく整備された庭園が広がっている。咲き誇る薔薇の花、丁寧に刈り込まれた生垣、陽の光を浴びて輝く噴水。すべてが整えられた美しい景色だった。
こんな光景を、俺が住んでいた世界で目にすることはなかなかできないだろう。
だが、今の俺の関心はそこではない。
遠方の知人からの報せ——元アシュレイ家の長女、エリシアが隣国の皇族に拾われたという話を耳にした。
力尽きて倒れていたところを、たまたま通りがかった王子様に拾われたのだそうだ。
まったく、そんなうまい話があるかよ……。
「ま、ざまぁ系のお約束ってことだよな……」
気まぐれに読んだライトノベルの内容が、たしかそんな話だったのを覚えている。
まあ普通はそんなお約束が、現実に進行するとは考えないだろうが、俺自身が見たこともない中世ヨーロッパの世界観で聖王国第三皇子としての生を施された身である。なにか大いなる意図を感じざるを得ないではないか。
つまり、エリシアは順調に没落貴族から成り上がる道を歩んでいるようだ。ある意味で予想通りの展開。聡明な令嬢が理不尽に追放され、やがて強者の庇護を受けて聖王国へ反旗を翻す。
この国に残された妹の方はどうか——
順調に、ざまぁ展開の当て馬として落ちぶれているのだろうな。
愚かな第二皇子の気まぐれで持ち上げられ、そして捨てられる。読者が望むテンプレート展開に従い、やがては誰の記憶にも残らぬまま、静かに物語から退場していくのだろう。
「ゼッペル様? 何か面白いものでも見つけまして?」
背後のベッドから甘えた声がした。緩やかなシーツの揺れ、白くしなやかな腕が掛け布の隙間から覗く。
俺は口元に微笑を浮かべたまま、振り向きもせず紅茶を一口。
「いんや、ただ昨日の君との情熱的な夜のことを思い出していただけだよ」
「やだ、ゼッペル様ったら」
甘えた笑い声が響く。
軽く肩をすくめ、心の中で小さく笑った。
まあ俺は俺で、この地位を持って生まれ変わったこの人生を、大いに楽しませてもらうだけだ。
アリス? そんなものに気を向ける理由があるか?
王宮内の廊下を歩いていると、ダリウスが知らない女性と親しげに歩いているのが目に入った。
以前と同じ、傲慢で享楽的な笑顔。
「兄上、婚約者はどうしたんだ?」
軽い問いかけのつもりだったのだが、ダリウスの表情が歪む。
「あいつのことは言うな、ゼッペル」
「もう飽きたのかい兄上。いい加減一人に絞った方が無難だと思うんだがね」
「黙れゼッペル! あの女は詐欺師だぞ? 評判のいい姉の妹が、斯様な出来損ないだと気づけるものか!」
「兄上は罪深い男だな」
ダリウスは、それ以上の会話を不愉快と思ったのか、そばにいる女の腕を掴み、その場を立ち去った。
「こういうシーンは、ざまぁ系だと端折られるんだろうな……」
読み手に不憫なんて思われる悪役はいらない。ただ落ちぶれて、悔やんで、殺されるシーンを入れれば、読者は満足するのだろう。アリスに情が湧くような話は、ざまぁ系には必要ない。
だから、俺も本来は何もする必要はないのだ。
無いのだが……。
(兄上はちゃんと制裁されるんだろうか……?)
ああいう調子に乗ってるタイプは後半で不幸な目に合うのは鉄則だろう。
あるいは国家転覆なんかが起きるとかか?
そうなると俺も巻き添えを食らうのだが……。
嫌な想像をして背筋が震えた。
その夜、ふと静まり返った宮廷の一角で、嗚咽が聞こえた。
何気なく足を止める。
暗がりにしゃがみ込む小さな影。
アリスだ。
細い肩が震えている。
なかなか速いペースで、彼女の制裁が進行しているみたいだ。
だけど、なぜ泣いている。
悪役が悔しがって涙を流すシーンなんて、誰も望んじゃいない。
お前は姉を精神的に追い詰めた元凶であり、粛清されるべき定めなんだ。
そう、ただの悪役令嬢。読者に同情されることもなく、ただ惨めに終わる運命。
そう思いながら、ふと自嘲する。
(それでいいはずなのに、なぜ俺は足を止めてあいつを見ている?)
そこまで考えて、ああこれは、読み手にすら語られることのない、ただの俺の視点から見えるアリスそのものなのだと気づいた。
彼女の本質を、今この瞬間俺だけが見ている。
そして事実、この光景を「不憫だな」などと感じている。
何かの意図を感じる。ここは立ち去るべきだ。
俺は今の生を十二分に謳歌している。余計な面倒ごとは無意味で、無価値だ。
この女がどうなろうと、俺には関係のない話だ。
それでも——
「なんだ、ダリウスの奴、もう飽きたのか」
何を思ったか、俺はアリスのそばまで来ていた。彼女が肩を震わせ、弱弱しく顔を上げる。
涙に濡れた瞳が、戸惑いと共に揺れている。
「……だれ?」
こんなに哀れな表情をする女だったか?
いや、こんな顔を見せることすら許されないのが、悪役令嬢の役割だろう。
それなのに——
「こんな場所で泣いていたら、人目に触れますよ?」
そう言いながら、俺は自分の手が伸びていることに気づく。
何をやっているんだ、俺は。
こんなもの、拾ったところで得はないのに。
それなのに——
俺の手は、もう後戻りできない場所に差し出されていた。