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第3話:アリス・アシュレイ


「見て! ダリウス様に頂いたのよ!」


 私は鏡の前でくるりと回り、ふわりと広がるドレスの裾を楽しげに眺めた。純白の生地に金糸の刺繍が施され、光を受けて繊細な輝きを放つ。まるでおとぎ話のお姫様そのもの。


「まあ、なんてお美しいのでしょう、アリス様!」

「まるで光の精霊のようでございます!」


 侍女たちは口々に称賛し、私の周りを囲んで手を叩いたり、感嘆の声を上げたりしていた。


「でしょ?」


 私は誇らしげに腰をひねり、裾をひらりと持ち上げてみる。金糸の刺繍がきらめき、ますます特別な気持ちになった。


「お姉さまはどこ? お姉さまにも見ていただきたいわ!」


 軽い気持ちで口にしたその言葉に、部屋の空気が一瞬止まったような気がした。私は気にせずくすっと笑う。


「あら、もういらっしゃらないんでしたわね」


 私が笑うと、侍女たちも「まあ、アリス様ったら」と微笑んだ。


 お姉さまは伯爵家の長女として期待されていたけれど、結局は家の役に立たなかった。ダリウス様との婚約を破棄され、みっともなく逃げ出してしまったのだから。


 まあでも、そのおかげで私はこうして皇族の一員として選ばれ、ダリウス様に愛されているのだ。お姉様がいなくなって少しだけ面倒なこともあったけれど、そこは感謝してあげなくっちゃね。


「ダリウス様は、アリス様のことを本当にお慈しみになられていますね」

 侍女のひとりがうっとりとつぶやく。


「それはそうよ、だってダリウス様は私を選んだのだから」


 私は少し得意げに、ふんわりとした袖口を整えながら言った。


 お父様もお母様も、この婚約を心から祝福してくれた。

「お前が皇族の妃になるとはな」とお父様が誇らしげに言えば、お母様も満足げに微笑み、「これでアシュレイ家の名誉も安泰ね」と喜んだ。


 まさに理想の未来だ。


「アリス様、このティアラも合わせてみてはいかがでしょうか?」

 侍女のひとりが、繊細な宝石が散りばめられたティアラを差し出した。


「まあ、素敵!」


 私はそれを両手で受け取り、そっと頭に乗せる。鏡越しに見える自分の姿は、まるで絵画の中の王妃のようだった。


「本当に、お姫様みたい……」


 侍女たちが感嘆の声を漏らす。私は幸福感に満たされながら、鏡の中の自分に微笑みかけた。


 今の私はきっと誰よりも幸せだった。

 



 

 今宵は、ダリウス様との婚約が決まってから何度目かの夜会。

 煌びやかなシャンデリアが夜空の星のように光を放ち、会場を華やかに照らしていた。貴族たちは煌びやかな衣装をまとい、優雅に談笑しながらワイングラスを傾ける。流れる音楽は心地よく、まるで夢の世界のようだった。


 私はダリウス様の腕をしっかりと組み、幸せな気持ちに浸っていた。


「アリス、お前の美しさは宮廷の宝だ」


 囁くようにそう言われ、私は思わず頬を染める。


「もう……ダリウス様ったら。そんなことを言われたら、私、嬉しくなってしまいますわ」


 ダリウス様の腕にそっと寄り添いながら、私は満面の笑みを浮かべた。周囲には私たちを羨望の眼差しで見つめる貴族たち。彼らの視線が私を女王のような気分にさせる。


 談笑の合間に、貴族令嬢たちのひそひそ話が耳に入る。


「あれが、ダリウス殿下の姫君なのね」

「殿下が選ばれた方ですもの、きっと素晴らしいお人柄なのでしょうね」


 私は満足げに胸を張り、ダリウス様を見上げる。やっぱり皆、私のことを認めてくれているのね。


「ねえ、ダリウス様、私たち、とてもお似合いだと思いませんこと?」


 少し甘えた声で尋ねると、ダリウス様は優しく微笑んで「そうだな」と頷いた。その瞬間、心がぽっと温まる。


「では、今夜のダンスはずっと私と踊ってくださいますわよね?」


 そう言って首を傾げると、ダリウス様は私の手を取ってくれる。彼の指先は優しく、温かかった。


「もちろんだ、アリス」


 ダリウス様の手を引かれ、私は優雅に踊りの輪へと足を踏み入れる。彼と踊るたび、私はまるでお姫様のように扱われる気がしてならなかった。


 そんな私たちの様子を、令嬢たちは微笑みながら見守っていた。


 ……少なくとも、そのはずだった。


「でも歩き方ぐらい何とかならなかったのかしら」

「皇子妃ともなれば、もう少し振る舞いを学ばないとね」


 どこからか、そんな声が聞こえてきた。


 私は足を止め、ちらりと視線を巡らせた。誰が言ったのかはわからないけれど、その視線の冷たさだけは感じ取ることができた。


「ねえ、ダリウス様? 何か変なことを言われてしまいましたわ」


 不安げに見上げると、

「お前の美しさに嫉妬しているだけさ。お前は何も気にしなくていい」とダリウス様は微笑んでいた。


 その言葉に安堵し、私はまた彼と踊り始める。


 そうだ。何も気にする必要なんてない。

 私にはダリウス様がいるのだから。

 

 

 


 優雅な音楽が響くなか、私はダリウス様の腕にしっかりと寄り添いながら、軽やかに舞った。ダリウス様のリードは完璧で、私はただ身を預けるだけで美しく踊ることができる。


「アリス、今日も可憐だな」


 彼の低い囁きに胸が高鳴る。私は笑顔を浮かべ、わざと甘えるように腕を絡めた。


「ダリウス様ったら……そんなに褒めたら、私、調子に乗ってしまいますわ」


 くすくすと笑いながら、ほんの少しつま先立ちになって彼の耳元に囁く。


「ずっと一緒に踊ってくださるのでしょう?」


 ダリウス様は「もちろんだ」と微笑んだ。私の心は満たされ、まるでこの夜会の主役になったような気分だった。


 だけど、その気分が一瞬にして砕け散る出来事が起きた。


 気分が高揚しすぎていたのか、少し大胆なターンをした拍子に、隣のペアのドレスの裾を踏んでしまったのだ。


「あっ!」


 どこかの令嬢が悲鳴を上げ、バランスを崩して派手に倒れ込んだ。


 場内の空気が凍りつく。周囲の貴族たちが息をのんだのが分かった。

 いくつかの視線が、私を責めるように向けられる。

 なぜ? いつもなら、転んだ誰かを笑って、みんな私の見方をしてくれるのに!


「な、なによ! おおげさに転んだりして!」 


 私は思わず、転んだその令嬢に声を張り上げた。

 けれど、みんな冷たい視線を私に向けるばかりで、誰も私を庇ってはくれない。


 それどころか、令嬢は怒りで頬を紅潮させながら、ふんっと鼻を鳴らした。


「皇子妃ともあろうお方が、ずいぶんお行儀が悪いこと。宮廷の舞踏会にふさわしい立ち居振る舞いを学ばれたらいかが?」


 周囲の貴族たちが忍び笑いを漏らす。


「ほらね、言ったでしょう? 彼女は美しいけれど……」

「やっぱり教養が足りないのよ」


まただ。また誰かが私のことを――

全身がカッと熱くなる。こんな侮辱を受けるなんて、信じられない。


「なによ! 私を笑い者にして……!」


ぎゅっと拳を握りしめた私の横で、ダリウス様が深く息をついた。


「どうしたんだ、アリス? 君らしくもない」


 君らしく? 私らしいってなに?

 私は驚いて彼を見上げた。ダリウス様がこんな風に私を咎めたことなんて、一度もなかったのに。


「アリス、今日はもう、帰ろう」」


 ダリウス様は薄く笑うだけで、それ以上何も言ってくれなかった。


 私は……私は悪くなんてないのに。





 ある日、庭園を散策していると、華やかな談笑の声が耳に入った。視線を向けると、ダリウス様が貴族の令嬢たちと楽しそうに言葉を交わしているのが見えた。彼の周りには、品の良いドレスに身を包んだ令嬢たちが集まり、そのひとつひとつの言葉に微笑を浮かべている。


 私は迷わず駆け寄った。ダリウス様の隣こそが、私の居場所なのだから。


「ダリウス様!」


 弾むような声で呼びかけながら、彼の腕にしがみついた。


 けれど――その瞬間、彼の表情が険しくなった。私の手を振り払うことこそしなかったが、その指先に僅かな力がこもっていた。


「アリス、今は話している途中だ。邪魔をするな」


 静かに告げられた言葉が、まるで氷のように冷たく感じられた。


 息が詰まる。そんなはずがない。いつもなら、私が近づけば優しく微笑んで迎えてくれるのに。


「……でも、殿下?」


 すがるように見上げても、ダリウス様の目は私ではなく、周囲の令嬢たちへと向けられていた。


「お邪魔したかしら?」と、ひとりの令嬢が微笑む。優雅な振る舞いの奥に、どこか私を試すような視線が感じられた。


「いや、気にするな」とダリウス様が短く答える。


 私の手はまだダリウス様の腕に添えられたままだった。けれど、その手がまるで場違いなもののように思えて、そっと力を緩める。


 まさか、こんなふうに拒絶されるなんて。


 令嬢たちの視線が痛い。まるで私の立場が以前とは違うと告げるように。 


「殿下はきっとお疲れなのね」


 私はそう言い聞かせるように呟くと、小さく微笑みを浮かべた。


 でも、胸の奥では何かがじわりと溶けていくような、不安が広がっていた。






 最近はイライラすることが増えた。

 以前までは屋敷に戻っても、ダリウス様は頻繁に顔を見せに来てくださったのに……。最近は足を運んでくださらないのだ。


「お茶を持ってきてちょうだい」


 いつものように侍女に命じたのに、彼女は一瞬だけ戸惑った。

 前ならすぐに運ばれてきたはずの紅茶が、なぜか今日は遅い。


「エリシア様から引き継いだ業務がありますので……」


 私は眉をひそめた。


「じゃあ、ドレスの裾を直して」


「申し訳ありません、エリシア様がされていた作業の代理をしておりますので、すぐには……」


 エリシア、エリシアってなんなのよ!


 お姉さまがいた頃はこんなことは無かったのに。


「なんでみんなちゃんと優しくしてくれないのよ、ダリウス様に言いつけてやるわよ!」


 苛立ち混じりに声を荒げると、侍女たちは視線を交わし、苦笑いを浮かべた。


「申し訳ございません、アリス様」


 その笑みが、どこか私を哀れむように見えて、胸がざわついた。





 その夜、広間の隅で何気なく目をやった先に、見覚えのある金色の髪を見つけた。


 ダリウス様だった。


 彼はまた貴族令嬢たちと楽しげに談笑していた。ひときわ華やかなドレスを身にまとった女が、彼の腕にそっと触れる。くすくすと笑う彼女の声が、まるで小鳥のさえずりのように響いていた。


 嫌な気分になった。


 別に、ダリウス様が女性に優しいのは今に始まったことじゃない。彼は紳士的で、誰にでも分け隔てなく接する。そんな彼だからこそ、私は愛されているのだ。


「ダリウスさまぁ♪」


 思わず駆け寄り、彼の腕にしがみついた。いつものように微笑んで、私を抱き寄せてくれるはず。


 けれど——。


 ダリウス様の手が、私の肩を強く押し返した。


「もう、うんざりだ」


 その瞬間、私の全身が凍りついた。


 彼の瞳が冷たい。今まで一度だって、こんな風に拒絶されたことはなかったのに。



 彼は小さくため息をつき、まるで目障りな虫を見るような目で吐き捨てる。


「アリス、お前は愚かな女だな」

「え……?」


 唇が震えた。


 周囲の貴族たちは、驚きと興味の入り混じった視線をこちらに向けていた。誰かが小さく笑った気がする。ひそひそとしたささやきが、耳に突き刺さる。


 たった今、告げられた言葉が、あまりにも不可解で、

 意味のあるものに聞こえない。


「ダリウス様……」


 必死で微笑もうとしたのに、顔が引きつってしまう。


「私、ただ……」


 ただ何が言いたかったのだろう。今まではそれだけで彼が受け入れてくれたのに。


 でも、ダリウス様は私を見ようともしない。まるでそこにいることが迷惑だと言わんばかりに、くるりと背を向け、貴族令嬢たちとどこかへ行ってしまう。

 

 ……行ってしまう!

 


「なによ……! あなたは私の婚約者でしょ!」


 しぼりだすように出した必死の訴え――だけど彼は、結局振り返ることは無かった。


 頭が真っ白になった。足元がふらつく。どうして、こんなことに。


「で、殿下はきっとお疲れなのよ……」


 自分に言い聞かせるように呟いた。

 でも、心の奥底で何かが崩れ落ちる音がした。


 脳裏に浮かぶのは、ダリウス様と並んで歩いていた頃の光景。

 その光景がまるで絵画のように美しく、そして残酷だった。


 こんなの、夢よ。悪い夢なの。


 誰か、夢だと言って――


 私の視界が滲み、ぼやけていく。涙がこぼれそうになるのを必死でこらえながら、足早にその場を離れた。


 廊下をさまよい、誰もいない隅で身を寄せる。堪えきれず、ついに涙が頬を伝った。


 悔しい。

 悔しくて、仕方なかった。


 何が悪かったの? 私の何がいけなかったの?


 こんなはずじゃなかったのに。私はダリウス様に愛されるはずだったのに。



「なんだ、ダリウスの奴、もう飽きたのか」



 突然、頭上から気だるげな声が降ってきた。


 驚いて顔を上げると、そこには優雅に微笑む男がいた。


「……だれ?」


 涙に濡れた瞳の向こうで、彼の姿が揺れる。


 見覚えのある顔。何度か社交の場で目にしたことがあるその顔は、いつだって私になんの感情もない目を向けていた。

 それは今だって変わらない。


 第三皇子——ゼッぺル。


 そんな彼が、私の前に片膝をつき、ゆっくりと手を差し出した。


「こんな場所で泣いていたら、人目に触れますよ?」


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