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もしもの想像

 分水領の分かれ道、選択と決断、分岐の結果として……徳川慶喜の名は江戸以降の記述が少ない。少なくても日本史の教科書に、明治以降の活動について、彼の動向を気にする物は無い。だから分水領のもう片方、もしもの歴史は想像力……ともすれば妄想で補うしかないのだが、それを補う『史実』ならある。それは――


 時は明治十年、場所は鹿児島、起きた事変の名は『西南戦争』――不満を抱いた士族の多くが参戦した、明治最後の内乱である。

 中心になった……いや『なってしまった』のは西郷隆盛。かつて新政府軍として旧幕府軍を打倒し、そして江戸城無血開城で、新政府代表として対談に臨んだ男。徳川慶喜を討つべしと開戦派だったが、説得に応じた男だ。そんな彼が――


「西郷……皮肉なものだな。倒幕の立役者の君が、武士を率いて反乱を起こすなんて……」

「……彼の本意では無いだろう。彼の元に集った者たちは、新しい体制への不満について、反旗を翻すきっかけが欲しかったのだ。西郷も……そのエネルギーや活力を、国のために生かせないかと模索してくれていたのだが……」


 西郷隆盛は倒幕後、新政府から離れ鹿児島へ戻っていた。そこで自らの経験や知見を、次の世代に引き継ごうと教鞭きょうべんをとっていた。少なくても戻ってすぐのころは、新政府側も西郷らの活動を容認していたのだが……時間が経つにつれ、問題が起き始める。

 西郷の教育機関は、確かに有効に機能していた。優秀な人材を次々と輩出はいしゅつしていた。その人材たちが有能だった故に、鹿児島の実権を握りるまで時間はかからなかった。

 結果的に鹿児島は、西郷一派が力を持つようになった。時には、新政府の意向を無視したり、下手をすれば独立するような機運も高まっていたという。事態を重く見た新政府は『視察』の内偵を送ったのだが――この内偵の存在の露呈と捕縛・尋問が致命的な事態を引き起こした。


「生き残った者の証言によれば、内偵の人間から証言を得たと。我々新政府が『西郷を『刺殺』せよ』と指示を出したと……」

「そんな指示は……『視察』を『刺殺』と誤解しただと……?」

「えぇ。それが『西郷隆盛の暗殺計画』と解釈されて……西郷本人にも、ついに制御が出来なくなった……そんな所でしょう」


 冗談みたいな話だが――実際内偵の人物が、苛烈な尋問により『シサツ』と、発言した所までは史実のようだ。それが『刺殺』なのか『視察』なのかは、現代でもはっきりしない。

 作者個人としては……暗殺するにしても、殺害の方法まで指定する『刺殺』と表現するのは違和感が強い。十中八九『視察』の方だと思う。

 ただ……新政府に対して、鹿児島勢力は疑心暗鬼になっていたのだろう。組織の中心人物たる西郷隆盛を暗殺すれば、勢力を落とせるのも確か。高まっていた不信と不満を、暴発させるには十分すぎた。


「しかし、酷い内乱になったな……鹿児島勢約1万3千人が参加したらしいが、各所から不満を持った士族……元武士たちが合流して、最終的には3万を超えていたようだ」

「我々新政府は、様々な方面で武士が持っていた特権を撤廃してきました。これ以上武士が衰退する前に決起するには、最後の機会だったのでしょう」

「理屈は分かるが……しかし、参加する方も節操がないな。倒幕の名士の元に集うか」

「……中には『武士の世を終わらせた奴の下につけるか!』と、合流を拒んだ士族もいるでしょうけどね」


 地元鹿児島のみならず、日本全国にその名を刻み、現代日本史にも必ず名の出る人物となった西郷隆盛。江戸時代を終わらせ、徳川の世を終わらせ、武士の時代を終わらせた。

 有力な人物なのは確か。けれど同時に、武士として『西郷隆盛の下につく』のは、拒否感を持つ者もいたに違いない。大規模な反乱ではあったが……すべての不満を持つ武士が立ち上がった、との断言は言い過ぎだ。


「もし……いや、絶対にありえない妄想の話だが――もしもトップにいたのが『将軍様』だったら――」

「……冗談じゃすまないですよ。旧体制の象徴、武士の世の象徴が旗印になっていたら……もっと人員も規模も拡大していたに違いありません。恐らく、各所で武装蜂起が発生して、日本中が新政府と旧幕府で分断されて……」

「すまない、妄想や冗談にしても笑えないな。それに、こうした分断と消耗を嫌ったから、徳川慶喜も、西郷隆盛も、江戸城を戦場にしなかった……そのはず、なのにな」


 新しい時代のために。少しでもより良い未来のために。そのための対話、そのための江戸城無血開城。血で血を洗うのではなく、手を取り合えた瞬間もあったのに……時代の無常にため息が漏れた。

 空気を変えるために、あえて大袈裟におどけて言う。


「ま、絶対にありえないですけどね。今じゃ徳川慶喜は静岡に引きこもって、悠々自適に暮らす趣味人ですし。今から政治的に復帰なんて……無い無い」

「人望もすっかり失ったようだしな。新政府発足直後は、政治的手腕に期待して復帰を願う声もあったが……その直後に釣りに誘われたとか」

「民衆や、かつて仕えていた士族に対しても同じ態度だそうです。おかげでこんな『もしも』を気楽に想像できる――」


 そこまで口にして、役員たちは気づいてしまった。

 なぜこうも……『徳川慶喜が何もしなかった』理由に。


「ま、まさか……今の冗談を現実にしないため、だったのか……?」

「……何がです?」

「徳川慶喜は……江戸城を去ってから、何一つ日本の運営に関わらなかった。人望も失い、完全に落ちぶれ、頼る者はいない。我々新政府だって……『武士の反乱』が起きたにも関わらず、徳川慶喜は一切関与していないと断言できる」


 時代からの落伍らくご。時代の移り目にせわしなく動く人々を尻目に、己の世界に閉じこもるかのような徳川慶喜。人望を失い、野心も無く、ただただ趣味に生きる姿は、数多の人間から彼への関心を奪った。

 それこそが――徳川慶喜『最後の政治』だった。


「もしも……もしも誰かを哀れに思い、施しをしていたら? もしも助言を乞われ、新政府に参画さんかくしていたら? そうして人望を集めていたら……旧幕府や士族の面々が『最後の将軍』の元に集って、新時代への不満の受け皿にしないと、言い切れるか……?」

「……それは」


 倒幕側にいた西郷隆盛でさえ、不満を持った武士たちが受け皿にしたのだ。受け皿がもし『江戸を終わらせた男』と『最後の将軍』に変わっていたら……

 また、そうした疑惑や疑念は……本人にその気が全く無かったとしても、どうしても生じてしまうものだ。たとえ徳川慶喜が日本を良くするために、新政府に仕えようとした所で『幕府復権の野心があるのでは?』と、疑惑を持たれるに決まっている。


「新しい時代、新しい日本の足を引っ張らないために……慶喜様は何もしなかったのか……」

「考え過ぎ……と言いきれないのが、なんとも」


 古い時代の象徴として、そして時代の終わりの象徴として……『最後の将軍』は何もしなかった。新時代の到来に軋轢はつきもの。新政府の負担になるのを避けるために、徳川慶喜は『何もしない』選択した。多くの人の恨み言を耳にしながら、そんな人々が生きる国の未来のために、まるで世俗に無関心なように振る舞った。

 それは矛盾した務め。より良い日本の未来のために、誤解と汚名を負いながら……何一つ反論も弁明もせずに、新政府からも、人々からも遠ざかる事。それこそが、徳川慶喜最後のまつりごと――


「……重い物を、背負わされたな」

「今まで将軍が背負っていた物ですよ」


 彼はもう頼れない。これからは、自分たちが日本を背負っていくしかない。奔放に見えた将軍の背中は、最後まで……日本を想う愛国者の姿だった。

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