もう一つの分水領
江戸時代は終わった。武士の時代も終わった。江戸は東京となり、戊辰戦争も終息しつつあった。
かつて15代将軍として、権勢を振るった徳川慶喜も……今は静岡にて隠居生活を送っている。贅沢は出来ないが、悠々自適に暮らせるだけの財はあった。新政府も、過剰な財の没収はしなかったのだ。
御付きの人間もいないが、それで困る事もない。隠居生活はこれで二回目。14代将軍の座を巡る権力争いの際、慶喜は一度敗北している。彼にとって質素な暮らしは、未経験では無かった。
だが……当時の世間は、彼の事をそうは見ない。政権を譲ったとはいえ、当時の旧幕府の人員は、徳川慶喜がキレ者との評価を下していた。そんな彼の所に今日もまた、救いを求める人間が訪れていた。
「よ、慶喜様……どうか御慈悲を! どうか……どうか……!」
みすぼらしい姿で、必死に頭をさげる一団がいた。元はそれなりに質の良い和服に見えるが、ところどころに穴が開いていて、諸行無常、没落を感じさせる恰好だった。先頭で土下座をするのは亭主だろうか? 妻と子供も連れていて、男に合わせて地べたに額を擦りつけた。
「刀は質に入れました。家財もいくつも売り払いました。武士として奉仕を続けていましたが、もう食い扶持もありません……将軍様、どうか施しを……」
憐みを誘う声が、ボロボロの男から溢れる。恐らく彼は新しい時代に適応できず、落後してしまった武士だろう。そんな彼らに対して、元将軍は飄々と言ってのけた。
「そこの、そこの少年。将棋は出来るか?」
「へ? え? えぇ? あー……」
突然の問いかけに、両親も子供も大困惑。物乞い相手に対して、徳川慶喜が調子を変えずに手招きした。
「うむ? ほとんど知らぬと見える。せっかくだしどうだ? 一局指して――」
「ふざけているのですか⁉」
頭を下げていた元武士が、烈火のごとく吠えて見せた。ちらりと見えた眼差しの奥に、怒りと憎悪が燃えている。明日の食い扶持を求めて、プライドもかなぐり捨ててやって来たのに……そんな親を無視して、子供に将棋を指さぬかと誘う……煽っていると誤解されるのもやむなし。だが慶喜は本気だったのだろうか? 相手の反応を見て、残念そうにしゅんとした。
「興味はないか。そうかー……では囲碁ならどうだ?」
「あぁもう! もう良いです! ほら、お前たち! 行くぞ!」
「暇ならまた来るといいぞー」
「二度と来るかクソ将軍!」
かつての将軍を罵倒して、物乞い達は立ち去った。最後の一言は聞いたのか、軽く肩を落としている。しばらく立ち尽くしていたものの、気を取り直した徳川慶喜は、ガサゴソと雑貨入れに手を入れた。
今は静岡で、自由気ままな生活を送れているが……江戸城を無血開城直後は、厳しい監視が付けられていた。やる事もなく暇を持て余していた彼は、様々な趣味に手を付けていたのである。
「さて……庭の池でも描くか? いや写真も悪くないな。それとも……釣りにでも行くかね。鷹狩りは……うーん、あまり気分じゃないな」
その範囲は多岐に渡る。芸術だけでなく囲碁や将棋、さらに当時最新の、西洋技術にも興味を持ったと言う。写真に取られると『魂を取られる』なんて流言もある時世で、新しい物を次々取り込んでそうだ。
それは悠々自適なスローライフ。まだ若い時期に、政界から降りた一人の男の人生。歴史の表舞台から降りた彼は、その後趣味の世界にひたすら没頭したと言う……
「今日は油絵にするか。正直、まだまだ誇れる腕前では無いが……最初よりは上達したかね?」
趣味への没頭は長く続き、老成し、死ぬまで打ち込み続けたという。芸術的センスについては、晩年の作品は評価に値する域にまで達した。その気は無かったのかもしれないが、長年の努力と継続が実ったのだろう。
徳川慶喜……最後の将軍は政界を降りてから、世俗からさえも降りていた。江戸から明治への激動の中、世間の流れから隔絶された時間を過ごしていた。
が、それでも彼を訪ねてくる人間がいた。主にやって来るのは、時代の荒波に飲まれた元武士が多かったらしい。農民もいたし、中には旧幕府に所属した人間や、新政府の役員が助言を求めて来た事もあるらしい。しかしそのすべてを、飄々とあしらったという……
「慶喜様! 廃藩置県による混乱が……どうか新政府に戻り、力添えを!」
「新しいカネへの交換が遅れてしもうて……何とかなりませんか?」
「腹が……腹が減って、何でもいいから恵んでくだせぇ……」
様々な困難、様々な人々、様々な思惑で、徳川慶喜を頼り訪ねる人々がいた。記録によれば慶喜は、それらのほとんどを突っぱねたらしい。当然、無下に扱われた人々は、時に怒り、時に蔑み、中には『落ちぶれた将軍』と煽り罵った者もいたそうだ。
ただ……それも無理も無いだろう。激しい時代の荒波に巻き込まれる日本と、人々を尻目に一族が蓄えた財で、悠々自適に趣味に耽る生活。日々の糧を得る事さえ困難な人もいただろうし、妬み嫉みを買ってしまうのも仕方ない。
――歴史書にもよるが、徳川慶喜の後年の評価は、散々な物もある。
武士の時代を終わらせた戦犯。戦わずに白旗を上げた臆病者。表舞台から離れた後、あらゆる人間を無視した、遺産を引き継いだだけの引きこもり……
なるほど、それも一側面だ。かつて国の柱だった人間が、ここまで人々に無関心に振舞えば反感も買う。
けれど、その怒りや執着は長続きしない。何せ『やって来たところで適当にはぐらかされてあしらわれる』のだから、この人間と関わっても時間を無駄にするだけだ。だから……物乞いするにしても、助言を求めるにしても、人々は徳川慶喜を頼る事をやめていった。
時がたち、元将軍という肩書はあっても……徳川慶喜への関心は失われた。明治維新が進み、新しい世代の政治家や人間が、日本という国家を動かし始めた。武士な事を誇るだけの人間が落伍し、天皇を中心とした国へと生まれ変わりつつある。
それが徳川慶喜の、彼が最後に果たすべき責務を果たしたから。知られざるもう一つの分水領の結果だと考えるのは、作者の考え過ぎなのだろうか?