一つ目の分水領
時は江戸時代末期――日本は大きな分岐点に立っていた。
旧幕府軍と新政府軍の戦闘は佳境を過ぎた。『鳥羽・伏見の戦い』を優位に進めた新政府軍と比較し……旧幕府軍の15代将軍『徳川慶喜』は江戸城へ撤退。勢いを増す新政府軍は、錦の御旗を掲げ、朝敵討つべしと攻め上がる。緊張が高まる中……両組織の内部は選択を迫られていた。
まず旧幕府側の事情を明かそう。組織のトップ、十五代将軍の『徳川慶喜』は既に戦意を失っていた。江戸城を離れ、自主的に謹慎を始めていたのだ。
当時の日本、天皇家は信仰が強く、その敵であると宣言する『朝敵』の汚名が致命的だった。加えて政治的に対立こそあったが……天皇家、徳永慶喜の両名は、悪感情を持ってはいなかったとの話もある。何より一番の理由は――『海外勢力の介入』を恐れていた。
(フランス、イギリスに出張られれば、後の日本に影を落としかねん……)
旧幕府軍はフランスの、新政府軍はイギリスの支援を受けていた。今のところは、常識的な貸し借りで済んでいるが、もし江戸で大規模な戦争に入れば、外国からの軍事介入に発展しかねない。
悪材料はまだまだある。日本の大都市たる江戸が焼け野原になれば、経済的にも大打撃だ。崩壊からの復興にも、人手も資金も大量に必要になる。そこで大々的に、外国から借金でもこさえようものなら、いよいよ外国に日本を奪われかねない――
それは一族のプライドより、真に日本の未来を優先する選択。幕府内には『徹底抗戦すべき』と吠える、主に会津藩が構成する主戦派もいるが、慶喜の決意は固かった。
一方……新政府側も意見が割れていた。江戸の町を戦場にするリスクは、新政府側も把握している。意外かもしれないが、新政府軍を支援するイギリスも、開戦に反対していた。
彼らの目的は、終戦後の交易にあった。もし江戸の街を焼けば、流通や経済への打撃は必至。運悪く港が焼けようものなら、貿易どころではなくなる。軍事介入の危険も認知しており『旧幕府討つべし!』と語気を荒げる者ばかりではない。
が……それでも新政府側としては、開戦に向けて準備が進んでいた。
「旧幕府を、旧体制を徹底的に焼き払ってこそ、民にも新しい時代を告げる事が出来る。江戸城の落城こそ、真に新たな時代の狼煙となろう――」
古い体制、古い時代の象徴を、徹底的に新政権が破壊しつくす……人類史でよく見られ、そして非常に効果的な政治的手法である。戦火が広がれば、江戸の町も焼け野原になるだろうが……必要な犠牲と割り切るしかない。主戦派はそう考えていた。
そう、新政府軍も割れていた。『旧幕府討つべし』との『主戦派』と、国家としての疲弊を避けるために『旧幕府の降伏を受け入れるべき』と主張する『停戦派』に二分されていたが……主戦派の勢いが強い。組織を主導する人物の一人、西郷隆盛が強く戦闘を主張していたのである。ただ前述の通り、イギリスをはじめ停戦派からの反対の声も強かった。
「いくら事前通達するとはいえ、江戸の町を焼くのは……人民からの反感を買うのではないか? それに……既に将軍、徳川慶喜は江戸城を離れている。既に降伏した相手に対しての過剰な攻撃は反発を生むぞ」
「そうだ。何より西郷君、君は……君はかつて一橋派として、慶喜様を14代将軍に推していたじゃないか。今でこそ立場が別れ、敵対してこそいるが……将軍は将軍なりに、この国の未来を憂いる事が出来る方だと、良く知っているはずだ。きっと今回の自主的な謹慎も、ここで血を流すべきではないと……態度と行動で示しているのではないか?」
黒船に乗ってペリーが来訪した直後、日本国内は荒れに荒れた。その最中に13代将軍は倒れ、次の将軍を立てる必要に駆られた。その際に西郷隆盛の属する島津藩一派が、一橋慶喜……後の15代将軍となる方を、政治的に後押ししていたのである。もっともその流れは、井伊直弼の強権によって阻まれてしまったのだが……
そう、新政府軍の西郷隆盛と、旧幕府軍の徳川慶喜は知り合いだった。いやそれどころか、共に国を憂いる同志であった。
なのに、あぁ……運命とは、かくも残酷なものなのか。立場の違いが、しがらみの違いが、国の未来のためにと生きる二人を、対立させていたのだ……
思う所はあるはずだ。西郷隆盛に、新政府軍の面々が呼びかける。しかし彼は頑なに意見を変えなかった。
「いや……慶喜は討つべきだ。大政奉還を忘れたか?」
「「……」」
大政奉還とは……将軍が持っていた国の政を行う権限を、天皇家へと返却する行為の事だ。一般的には、これで徳川家の権限が失墜したとする意見も多いが……このような解釈もある。
確かに、国を治める権限を天皇家へ返した。と言う事はつまり『これからは天皇家が日本を統治して下さい。我々徳川家は返却したのでもう知りません』と突きつけるような物。そんなことをされても、二百年以上徳川家に、政治を委任していた天皇家は……自力で日本を運営する事が出来ない。ましてや開国により、外国との軋轢で悲鳴を上げている状態で、いきなり『国家運営の権限』を返却されても対応不能だ。
となれば結局、天皇は徳川家の政治家を頼るしかない。つまり大政奉還した所で、徳川家の政治的権力基盤は、打撃を受けないのだ。事実上大きな変化が無いのである。では、何故そんな無意味な事をしたのか? 答えは当時長州・薩摩藩の反乱が、すぐそこまで迫っていたからだ。
この時長州、薩摩藩は同盟を組んでおり『徳川家は天皇を無視して独裁している!』と名実を掲げて攻撃寸前だった。
が……ここで『大政奉還』すなわち『徳川家は天皇へ権限をお返しする』とされてしまえば、この口実が無力化してしまう。何せ『自分から権利を返した』のだから、独裁者との主張は無理筋だ。
だが、実際は政治的権限を維持されており、このままでは時代は変わらない。そこで新政府は、岩倉具視ら天皇貴族側の力を借り、薩長同盟は働きかけて……最終的には新政府、旧幕府軍は軍事衝突し、この盤面に至っていた。
その経験があるからこそ、西郷の主張は説得力を持つ。
「あの方はキレる。間違いなく。近場で見て来た自分が、良ぉく知っとる」
「だから……いや、だからこそ生かしておけない、と」
「うむ。いっそこれが前の……まだ十代だった14代将軍であれば、降伏を受け入れる事も考えた。だがあのお方は、いつか自分らが立ち上げる政府を、崩し得る知恵がある。現に今も、勝ち目のない無謀な戦は避けておられる。いっそ愚かでいて下さったら、このまま開戦か降伏の受託か、自分も迷わずに良かったが」
一度は担ぎ上げ、共に国の未来について語らった相手。苦楽も共にした場面もあるからこそ、脅威になると熟知していた。古い政府をセンセーショナルに排し、民の人心を掴むと同時に『未来への憂い』になりかねない存在を、ここで抹殺しておきたい心情……複雑に絡み合う思惑と感情に、旧幕府から一人の使者が訪れる。
男の名は勝海舟。敵陣に一人飛び込み、そして『江戸城無血開城』を実現させた立役者。多くの人間が迷う中、血を流さぬようにと、己も命を賭けて訴えた。
かくして――一度目の分水領の話は終わる。
江戸の町は戦火を回避し、旧幕府の多くの人間が刀を置いた。一部人員……会津藩を中心とする主戦派は、ここで将軍と袂を分かち、最後まで交戦を続ける事になる。函館の五稜郭が戦場となり、白虎隊が腹を切った。いくつかの出血と悲劇もあったが、彼らにも刀を置く機会はあったのかもしれない。ただ、それを今更、ここで非難するのも無粋であろう。彼らにも信じる理想や未来があったのかもしれない。それを……推し量る事は出来ないが、彼らにもまた、この江戸城無血開城は分水領だったのだろう。
ここまでが、一般にも知られる歴史。多くの人が知る一つ目の分水領の話。
これから語るはもう一つの想像、もう一つの分水領。徳川慶喜が果たしたやもしれぬ、ある責務と選択について語ろうと思う……