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A班ファイル

A班 外ファイル ― 幽霊は船で宝をさがす ―

作者: ぽすしち

警察官といっしょに事件にとりくむ《警備官》たちのはなしを、《A班》シリーズとしてかいているのですが、こちら(短編)には、こぼれ話的なものを置こうかと移動いたしました。 自分でもわかりやすいので、以後も《外ファイル》はこちらに置くとおもいます。連載のほうにブクマつけてくださった方、申し訳ございません。。。。。



1.


 マイクがそこを通ったときに、テーブルをはんさんでむかいあう二人をみつけた。

 レイはやさしげにほほえみ、女に顔をよせている。女の方もレイをみあげ、いとしげなまなざしでその顔をつぶさに観察している。


 ここに、レイの婚約者であるバートが現れたばあい、どうなるのだろうか?


 だが、残念ながら、あの独占欲の強い男の姿はいまはない。

 バーカウンターにむかってビールをたのむと、それを持って二人がすわるテーブル近くに腰をおろした。



「ほんとうに、いいのかしら?」

「もちろんです」

 女がテーブルにあるレイの手をなで、感謝するわ、とじっとみつめた。

「でも、恋人におこられない?」

「平気ですよ」

「それに、お友達もいらっしゃるし」

「ええ、とっても頼りになる友達なので、安心してください」

 レイが自分の右手をなでる女の手を、左手でやさしくたたいた。その、男にしては細い手首にはまる銀色の腕輪を、意味ありげに指先でなでかえした女が、このときを待っていたように微笑んだ。

「それなら、お願いしようかしら」

「まかせてください」

ふたりともゆっくりとたちあがり、女がレイの頬にキスしたとき、黒髪の男がふたりのそばに立つのがみえた。


「レイモンド、さがしたぞ。こちらの《お年寄り》は?」


「なっ、ケビン!」

 『お年寄り』な女を手でしめした黒髪を、レイがしかるようによぶ。

「 ―― すみません、ヴァレット夫人。ほんとうに失礼な男で」


「その失礼な男に紹介はナシか?」

 片手をパンツのポケットにいれたまま、ケビンは老婦人の顔を見た。


 レイがさらに顔を赤くしてなにかいいかけると、先に女が、右手の甲を上にして『失礼な男』にさしだした。


「アリス・ヴァレットよ。船旅を一人で楽しんでる気楽なおばあさん」

 おおきすぎるブレスレットがさがる細くしわだらけの手を下から支えるようにうけとった男は、老婆の顔をみたまま、その甲にキスをおくった。


「ご無礼があったらおゆるしください。なにしろ田舎者なので。―― ケビン・スミスです」

 キスされた手をそっとはなされた女は満足したようにうなずき、レイにもうなずいてみせた。手の込んだレース編みのショールをはおり、首元も手首もかくすようにレースのあしらわれた古い型のドレスをきている。きれいに色のぬけた白い髪はまとめて、小さくのった帽子の中におさめられているようだ。


「それじゃあ、おばあさんはこれからお昼寝するわ。送ってもらわなくてもひとりで帰れるから」

 レイが送ろうと申し出るまえに言い切ると、ゆっくりとしっかりした足取りでテーブルをはなれていった。


 その背がみえなくなると、先にケビンが口をひらく。

「 ―― おまえ、ここでいったい何人の女にナンパされてんだ?」

「ナンパじゃないってこのまえも言ったよね?船旅なんだから、顔見知りになればおたがい自己紹介くらいするんだって」

「おまえは自覚がないだけだ。―― ただでさえ目立つのに、まったく、なんで船旅なんて思いつくんだよ。よくバートが許したな」


「 だからあ、・・・ぼくはただ、マイクと二人で旅行に行きたくて、バートはちょうど《研修》があって抜け出せないから・・・」


「 ああそりゃいい。あいつがいたら台無しだもんな。  なあ、ほんとバートと結婚すんのか?考え直すならいまだぞ。 それに、―― もしかしたらこの航海中に、あいつが《研修》先で、事故にあうかもしれないし」


「なんで? まったくもう、そういう不吉な事口にしないでよ」


「だって、軍の実地訓練に参加してるんだろ? なにがあるか、わからないって。 なあ、―― マイク?」



 さっきからずっと目が合っていたので、そろそろ呼ばれるだろうとは思っていた。

  レイはこちらの存在にまったく気づいていなかったようで、びっくりしたように振り返る。



「 ―― いや。 かなり過酷な訓練だとしても、あいつなら平気な顔で帰ってくるだろう」


 半分のこったビールをテーブルに置いていえば、「そうだよ」とレイがおこったようにケビンをみる。



「だいたいバートのはなしじゃなくて、ヴァレット夫人にたいする・・・」レイはなにかに気付いたようにテーブルによってむかいに座ると、こちらの手にある飲みかけのグラスを見て、残念そうな顔をみせる。

「マイク、・・・これからプール行こうかとおもったのに、もう飲んじゃったの?」

 たしかに、今日の朝からいっしょに泳ごうと誘われていた。

「これぐらいで溺れたりしないさ。どっちかっていうと、すこし酔ってるぐらいのハンデがあったほうがいいんじゃないか?」実際、これぐらいで酔ったりはしない。

 余裕の態度にレイがすこしむっとする。

「やっぱりはじめから勝った気でいるんだ? あのね、ぼく泳ぐのは得意なんだよ」

「現役の警察官と体力勝負しようっていう意気込みに免じて、ビール二杯分のハンデをつけてやる」

 このこたえにかわいく口をまげたレイは、着替えてくるから待ってて、とかわいく命令して足早に去った。そのムキになった様子はこどものころとかわらない。


 残されたこちらの顔を「ゆるんでる」と指摘したケビンが、さっきまでレイが座っていた椅子にこしかけ、おもしろそうにこちらの顔をのぞく。


「プールに誘われたのがそんなにうれしいのか?」

「いや。バートのことをあれこれ言うあんたがおもしろいだけだ」

 おもしろいと思っているのはほんとうだった。

 この前、レイに永年ながねんからみついていた《事件》がようやくおわり、そのときに警察官たちに、重要なことを示唆してくれたこの男は、バートの父親が所有し、バートの婚約者であるレイが働いているレストランの、『支配人』であるらしい。

 バートいわく、『レストランの付属品』の男。


 普段レストランでは、黒髪をきっちり後ろへなでつけ眼鏡をかけ蝶ネクタイ姿の男は、くせのある髪をおろし、眼鏡もかけず、リネンのシャツをはおりコットンのパンツ姿で口調もくだけ、別人のようだ。


「ほんとうに結婚は考え直した方がいいと思ってるんだ。レイモンドはアルゴスとバートをいい人間だと勘違いしてるし。知ってるよな?バートはレイモンドのことになると常識も分別もあったもんじゃないし、犯罪者になってもおかしくない。―― だろ?」

 それは、レイに危害をくわえた犯人を殺しそうになり『犯罪者』になっていたかもしれない《こちら》にむけてだされた言葉のようだった。


「・・・帰ったら、ベインに頼んであんたの身元を調査しようと思ってる」この男も知っている治安維持部署の警察官の名前をだす。

「どうぞ。こっちはなにも困らない」

 余裕の笑みをかえされた。ケビン・スミスなどといういかにも偽名くさい名前のくせに。

「そう言うと思ったよ。―― おれはバートに、あんたには、あまりかかわるなっていわれてる」

「あいつ、自分はあのレストランにかかわれないからって、ずっとすねてるんだ」

「それは、・・・まあ、たしかにあるかもな」

 残りのビールを飲み干すこちらをケビンは黙って見守り、「あんたはおれのこと信用してるのかな?」とためすように口にした。


 返事のかわりに空のグラスをおいてやると、それにふたをするよう手をかぶせ、二杯目はやめておくんだな、とわらって首をふる。

「レイに泳ぎを教えたのはおれだよ。ハンデは一杯でじゅうぶんだ」

 わらいながらたちあがると、片手をポケットにいれてレイが去った方とは逆に消えて行った。







2.


 マイク・ベネットは警察官という職についている。


 いまのところ独身。すこしばかり仕事に身をいれすぎてきたせいで恋人とよべる相手もいないまま、それなりの出世をして、仕事仲間からの信頼はあつい。


 が、なにしろ私生活が寒々しい。


 指摘してくれたのは、警察官仲間で軽犯罪部所属の若者で、いまさらだろ、とせせらわらったのは、いっしょに仕事すること多い、警備官A班所属の若者だ。


「おれがみたって、おもしろくもなんともねえ」

 その警備官の若者はまだ二十代になったばかりで、みためは十代にしかみえない若々しい男なのだが、楽しめる趣味など持っていない、といいきるほど『おもしろみ』がないやつだ。


「うわ。ケンに言われるとか、やばいよ」

 ケンのとなりにいるザックという警備官の新人にもわらわれる。

 照明がいい具合におとされた店のバーカウンターの横。立ったまま酒を楽しむ客のための丸く小さなテーブルが置かれ、そのうち二つをこのグループが占領していた。

 ザックの言葉に警察官で軽犯部のジャスティンも、うれしそうな笑い声をあげた。

「だろ?いっしょに飲んでると、たいてい声をかけられるのはマイクで、おれがそのおこぼれにあずかろうって前に断っちまうんだ」

「おまえは『おこぼれ』をひろいすぎだってことに早く気づけよ?」

 ジャスティンのむかいにいる警備官のジャンがほほえむようにさとす。

「どういう意味だよ?おれだってひとりでいればそれなりに声がかかるんだぜ?そりゃマイクやおまえといっしょだと、どうしても『おこぼれ』ってかたちになるだけで、」

 いつものようにジャスティンとジャンに、ケンとザックが加わったやじりあいになったところで、店のくらがりにいる客たちが一斉に顔をあげるのがわかった。


 みんなの視線をあつめた人物は、この店のオーナーといっしょにこちらのテーブルにむかってくるところだ。オーナーでもあり歌姫でもある《ごつい男》は、いつものように赤いドレス姿で途中のテーブル席にもあいそをふりまきながらも、腕をからめてあるく『連れ』を紹介しようともしない。ひとりの客がその『連れ』に握手をもとめるようたちあがると、前にでて代わりにじぶんが握手した。


「さすが客商売やってるだけあるな」ジャスティンが感心したようにグラスをもちあげたとき、先にたどりついたオーナーのアメリが、そのぶっとい腕をテーブルにのせ、一息ついた。

「 みんな、ご機嫌いかが? 」

 アメリはすてきなドレス姿になるのが趣味の、いかつい男だ。かわいい女性の心も持つが、男性としてのからだを鍛えることもおこたらない。

「とってもいいよ。店の改装おめでとう」ザックが代表してこたえると、よくできたとでもいうように、首のうしろをつかまれ熱いキスを頬にもらう。

「ケンにはもうキスはいらないっていわれてるからしないわ。でも、ほんと、ありがとう。みんなの協力もあって、素敵に改装できたわ」

 普段から警備官たちが世話になっているこの店の改装資金をだしたのは、普段この店を破壊することが多いケンだが、ほかのみんなも作業をすこし手伝っていた。

 改装しても、店が誇る歌のうまい女たちのステージでの早変わりのショーもバンドも変わっていないのだが、「なんだか変な客層がはいっちゃって」とアメリがこちらをみているテーブル席の客をちらりとふりかえる。

「ほら、プレオープンのときに、バートといっしょに来たレイが、オードブルとか仕切ってくれたでしょ? どうやらあのとき写真をとってゴシップ誌に売ったバカがいたみたいで・・・」いいながらずっと腕をからめたままの『連れ』である、そのレイを振り返る。

「ここに来てあえば知り合いになれるなんて考えてるのよ」あたしの許可もなくレイと握手なんかさせないわよ、とアメリは横にならぶレイの細いからだをかかえこむ。


「みんな、うちのレストランの予約がとりたいだけだよ」でも、ぼくは予約うけたらだめだっていわれてるし・・・、とレイは首をふるようにアメリに言う。

 眉をあげて口をすぼめたアメリは、いいかけた言葉をのみこみ、「 ―― とにかく、うん、こんなとこでレストランのこと切りだされても、絶対に予約受けたりしちゃだめよ?」といいきかすように隣の男の腕をつかむ。

「わっかてる。このまえ一回うけたら、ケビンにものすごく怒られたよ・・・」

 ケビン?とザックが眉をよせるのに、店にいる眼鏡の男だ、とジャンが説明する。


「うちのお店は、ケビンのおかげでまわってるんだ。方針とか経営とかのむずかしい基盤はぜんぶ彼任せ。・・・ぼくも経営者として名前だけ彼の横にのせてもらってるけど、恥ずかしいくらい経営とかのほうはわかんないから」あかくなったレイが肩をすくめる。


「それでいいんだ。おまえは料理のほうを取り仕切ってるんだろ?できることをすればそれでじゅうぶんだ」

 マイクがいつものようにグラスをかかげるようにして口にすると、レイではなくアメリが感激したようにマイクの首に腕をまわしてひきよせ、ザックにしたのよりも盛大な音でキスをおくった。

「こういうところなのよ。ジャスティンになくてマイクにあるのって」

 アメリの指摘にみんなが同意しながらわらったとき、「あのさ、ぼく、」とレイが突然せまいテーブルのむかいで身をのりだし、こどものようにマイクイへと顔を近づけた。


「旅行にいきたい。 マイクと」


 すかさずケンが、おれもいく、と手をあげるが、その手をレイにつかみおろされる。

「いままで、マイクと二人だけでどっか行ったことないでしょ?ずっとまえから、釣りでもスキーでもいいから、勝負しようって、言ってくれてるし、それ、しに行こうよ」

「・・・ああ、えっと・・・」

 期待をこめられた視線をうけた男はとまどった。

 たしかに、ずっとまえから口にしている覚えはある。

「どうせ、口だけだろ?マイクが楽しむためにどっか出かけるとか、するわけねえよ。警官仲間とだって、どっか行ったことねえだろ?」

 レイに拒否されたケンがつまらなさそうにきいてくる。

 こたえないマイクをみかねたようにジャンが「おれたちと違って時間の都合をつけにくいからだろ」とうなずきかける。

「たしかに、それもあるが、 ・・・どこに行けばいいのかわからん」

 ようやくマイクがだしたこたえにみんなが爆笑し、ほかの客の視線を集めたまま、みんなで顔をよせあつめた。


 そのときにできあがった計画が、今回のこの船旅だった。


 




3.


 マイクとしては、これがほんとうに実行されるとは思ってもいなかったのだが。



 なにしろ、レイとどこかに行くとなれば、絶対バートがまず文句をつけるだろうし、旅行となれば、数日だし、こちらも休みがとれるかわからない。

 だが、酒をのみながら計画を楽しんだ数日後には、笑いをこらえた上司からよびだされてじかに書類をわたされ、十日の休みがまず確約された。

 つぎに、レイの後見人をつとめ、バートの父親でもある実業家、アレクサンドル・アルゴスからよびだされ、彼の所有ではない大型客船のチケットを手渡されてしまった。

 いままで何度か会ったことのあるその男は、いままでにはみたことのない笑顔をうかべ、オフィスを訪れたマイクの肩をたたいた。

「レイから聞いたぞ。この船にのって楽しんでこい。おれの船だとバカ息子がどこかでのりこんでくる可能性があるからな」

 その『バカ息子』でありレイの婚約者でもある男が、まだこの旅行のことを知らないのが愉快だと楽しそうに笑う。なぜならいま、警備官の警察補助部隊の班長チーフたちは《研修》で、二週間ほど軍の施設に放り込まれているからだ。その間は個人的連絡はとれないという。

「レイが休みの間はレストランも休業だ。かまうもんか。この旅行は、ほんらいなら彼がもっと幼い時に体験できた普通の旅行なんだ。おもいついたとき、友達と休みをあわせて気楽に行く、ふつうの旅行なんだ」

 その『普通の旅行』でのりこむ船は、移動するホテルのような大型の客船であり、この国の西側の海をゆっくり北上していくつかの港に寄り、北に隣接する国まではゆかず、こんどは諸島にとまりながらもどってくる。

「途中で降りてしまってもいいが、おれはそっちはすすめない。いろんな意味で、船の中だけのほうが安心できる。乗客名簿はこちらで徹底的に確認しておくから気にするな。あのこの、―― 友達として旅行を楽しんでくれ」

 さいごにもういちどこちらの肩をたたくその顔は、レイという《息子》をおもいやる父親のものだった。


 そんなわけで、レイとマイクはこの旅行を企画した面々に見送られ無事に船に乗り、セミスイートとかいうこの船で二番目にひろい部屋にレイといっしょにはいったところで、「よお」と片手をあげる黒髪の男にでむかえられた。

 一瞬、その髪の色と気配にバートを連想したマイクはあの男に兄弟がいただろうか、と思考をめぐらせ、間ができた。


「いまの間で、おれが銃を撃ったら、あんたは即死だな」

「ケビンがどうしてここにいるの?」

 まるでマイクを守ろうとするようにレイが前にでる。それをおもしろそうにながめた男が休暇旅行だ、とマイクと目をあわせる。

「たまたま、この船をとってたら、おまえらと仲良し仲間が港の駐車場でさわいでるのが見えた。レイがこれに乗るんだったらこのランクの部屋しかないだろうと思ってさきまわりした」

 いや、この部屋の鍵は?とか、はじめから知っていたのだろう?とか、マイクはきかなかった。なぜならレイが先に、きいたからだ。

「ここの鍵どうやってあけたの?知ってたんでしょ?おじさんにたのまれた?」

「いいや、『偶然』だ」

 このこたえにレイはおこったように目をあわせていたが、あきらめたように息をはいてケビンから視線をそらした。


「いいよ、わかったから。とにかくここはぼくとマイクの部屋だから、ケビンはでていって」ドアをゆびさす。


マイクに眉をあげてみせた男はいわれるままドアをくぐった。みおくったレイがさっきまでの怒った顔から眉をさげた表情になり、やっぱりぼくが頼りないからかな、と先に運び込まれていたおおきな旅行鞄をつかみあげる。

 なるほど。ここの荷物運びに金をにぎらせてはいりこんだのか、とマイクはすこし安心した。とりあえずは、あの男がマスターキーを持っているわけでもなく、《特技》で部屋に侵入したわけでもないようだ。

「あの男、いつもレストランにいる男だよな?眼鏡かけてなかったけど」まえに事件についてヒントをもらったので調べはしないが、その正体はかぎりなくあやしい部類だと警察官としては感じている。


「おじさんが、『サイ』を買い上げたときについてきたんだから、店の付属品だってバートはいうよ。 でも、きっとほかから引き抜いてきたんだと思う。ぼくがあのレストランをうまくやっていけるようにね」

「だって、おまえほかのレストランでも雇われてたろう?」

 レイが職業としているフードコーディネーターというものがどういうことをするのかは、よく知らないが。

「うん。でも、 ―― けっきょくどこにいっても、みんなぼくが必要なんじゃなくて、おじさんのところとつながりたいっていうか、・・・おじさんに会いたいんだよ・・・」

 首をふって、あのときアメリの店で口にしたのと同じようなことを言う。


 レイは六歳のころ両親を事故で亡くし、その父親の親友だったアルゴスが後見人という形で彼を引き取ったのは、当時かなりの話題となり、引き取ったこどもの美しい外見のせいで、人目もひいた。おかげで、いまではアルゴスの息子といえばレイモンドのことだと考える風潮もある。が、実際の息子はあの無愛想なアルバートだ。

 アルゴスがひきとった数年後、レイが誘拐され傷つけられて、その後しばらく表にでられない状態になったとき、事件は表に出なかったため、世間的ないいわけは、アルゴスが彼をボートにのせて海にゆき、岩礁にあたり瀕死の重傷を負わせたというものだった。裁判は公開されない様式ですまされたことになり、不起訴となったという彼の、実際にやつれた様子をめにした人々はその嘘を信じた。

 そこからまた、レイが自分の意思でまた表に出るようになったのは、アルゴスたち家族のささえもあったが、いちばんは彼の勇気だと、身近な者ならみんなが思っている。だが、本人はいつまでたっても、自分に自信がもてないようだ。


 たしかに、ゴシップ雑誌でも新聞でも、レイの名前の前には《アルゴスの息子》という正しくない冠がつけられる。一度だけ、ただしくほんとうの息子につけられたときもあったが、それは警備官であるバートが《爆弾魔》の爆弾でふきとばされそうになったときと捕まえたときだ。

 レイは、人々の記憶に残るできごとに、アルゴスもバートも自分の力で名前がでるのに、自分だけいつも、そのアルゴスとバートのおかげで名前がでると思っている。






4.


 マイクが与えられた部屋で荷物をあけおえてでると、リビングのむこうにあるバーカウンターで、テーブルに置かれていたオレンジなどの柑橘類を、器械のレバーを押して搾っているレイがいた。あたりは柑橘類のいい香りでみたされる。

 船にのってすぐでむかえに現れた船長に、《大人》としてアルゴスの名前をだしてあいさつをしたレイは、つぎには《礼儀》として、厨房で料理長に挨拶をした。

 あなたのリクエストにはなるべくこたえます、という緊張気味の若い料理長に、メニューいがいのものは頼まないですよ、と笑顔をかえし安心させ、そのかわり、と、あの搾り器を借りだすのに成功していた。まあ、レイならば刃物だって借りられただろう。


 窓の外には青い空があり、ソファまでゆくと、むこうまでひろがる海も視界にはいる。

 横から、はい、と搾りたてのジュースをわたされる。礼をいってうけとったそれをソファでゆっくりと味わう。となりに同じ飲み物を手にこしかけたレイが、夕陽をながめにあとでデッキにいこう、とさそってくる。


「あと、船内の施設もイベントもたくさんあるみたいだから、みてまわろう?」

「よし。だけどまず、この景色をもうすこし楽しんでからでもいいだろ?」

 マイクがグラスをかかげるように窓のむこうをさす。レイがすこし口をあけるように、窓の向こうではなくマイクをみながら息をつき、「ぼく、・・・マイクのそういうとこ、ほんとかっこいいっておもうよ」と熱をおびたような目をむけてくる。


 その視線をさえぎるようにレイの頭をつかんでかきまわす。

 どういうわけか、レイはマイクにひどく憧れがあるようで、こちらの言動にときどき思ってもみないような反応をみせられ、気恥ずかしいのを通り越して、動揺してしまう。

 

 それは、『子どものころに自分をたすけてくれた刑事』という理由からだと考えて、レイのこの率直すぎる賛辞をしかたなくうけいれていたのだが、 ―― このごろ、ようやく気付いたことがある。


 頭をかきまわされ、髪がぐしゃぐしゃになったレイはこどものように笑っている。小さいころお父さんにやられたのといっしょだ、と、よろこぶ。


 ―― こういうことだ。


 レイがマイクに憧れているのは、少ない記憶の思い出の中にある、『父親』と同じぶぶんをさがしているのだ。


「・・・ま、六歳の子がいても、おかしくない歳ではある・・・」

「なに?」

 窓の向こうの景色をカメラにおさめていたレイがふりかえる。

「いや。あとで、ケビンもよんで、あいつにおれたちが仲良く並んでる写真をとらせてやろう。―― いいか、レイ、ケビンがこの船に乗ってるのは偶然か指令かはわからないが、おまえの仕事仲間ってことにかわりはないわけだし、おまえもあいつも自分の領分をしっかりつとめてるからあのレストランは名をあげたんだ。それとも、あいつのことが嫌いなのか?」


「ぜ、ぜんぜんそうじゃないよ、ちがうんだ。ケビンは、心配したおじさんからいわれてぼくのこと助けてくれてるってのは、わかってるんだけど、・・・ぼくの出張先とか、打ち合わせ先とかにも、よく現れるから・・・けっきょく、・・・相手もぼくよりケビンとはなすことになって、うまくまとまるんだよ。だから、レストランがうまくいってるのは、ぜんぶケビンがいるからなんだ・・・」手にしたカメラをバーカウンターにおいてよりかかる。


「そうか。・・・おまえは、それらの仕事を一人でやりたかったんだな?」

 ソファからながめていると、レイはまさしく仕事に悩める若者だ。


「・・・たよりないってのは、わかってるよ、初対面の人はみんなぼくの顔みてちょっと固まるから・・・」


「いや、そりゃおまえみたいな、―― 」『造りのいい顔』や、『美形』という言葉はレイにはいつも拒否される。


「わかってるよ。子どもっぽいからでしょ?ケビンに言われるよ。だから自分みたいな歳の『おとな』がいっしょのほうがいいって」


 こちらの表情をよみとってレイがすこしわらい、彼、あれでも三十後半だよ、と教える。


「・・・うそだろ?」自分より絶対に五つは下だと思っていたのに。同年代か、上ってことか?


「尊敬してるし感謝もしてるけど、・・・ぼく、ケビンにいつも・・・嫉妬してるんだよ・・・」

 口にしてはいけないことを言っているようにうつむいた。


 レイはまだ、二十とちょっとしか生きていない若者だ。仕事のできる仲間にもつ感情としてそれは普通だろう。だが、そう言ってもきっと、彼は納得しない。


「・・・それなら、おまえがあいつの歳になったときに、いまのお前と同じ歳のやつに『嫉妬』されるぐらいになってりゃいいさ」これぐらいの言葉しか思いつかない。


 だが、レイはいつもの熱いしせんでこちらをみつめ、がんばるよ、と宣言した。

 自分がレイと同じ歳くらいのころは、こんな素直さはどこにも持ち合わせていなかったな、と反省しながら、鷹揚にうなずいてみせた。








5.


 船の中のカジノはなかなかの人でごった返していた。ここは陸にあるカジノとはちがい、客の身ぐるみをはがそうとは考えていない。楽しんで時間をつぶすための娯楽施設だ。


 なのに、そこでチップの山をつくり人に囲まれている男がいた。

「よお、マイク。どうだ?」

 こちらを見つけ微笑む。レストランで会う時とは全く別人のようなしゃべり方をする。


「人生初の船旅ってやつを楽しんでる」


「そりゃいい。おれもだ。あとでいっしょに飲もう」

 このまま勝てたらおごってやる、と腕をたたかれた。



 ―――


 初日の夜に、ケビンに対する態度を反省したいから彼を夕食に誘っていいか、とレイがマイクにきいてきた。

 もちろん了承すると、じゃあ船内のレストランにいこうと、三つ揃いのスーツ一式を渡された。

「そうか・・・ドレスコードがあるのか・・・」普段そんなクラスのレストランに縁がないので考えもしなかった。船旅ときいて思いついたのは、せいぜい水着と日焼け止めくらいだ。


 レイが用意してくれていたスーツや上等な革靴は、おそろしいほどサイズがちょうどで、生地の質感や靴についていたブランドの名前を確認して、この一式の値段に寒気がした。

「ローンをくんで返していいか?」

 リビングでレイにきくと、首をまげて変な顔をされた。

「ぼくからプレゼントだよ。気に入らなかった?」

「誕生日にはいつも高い酒をもらってるだろ?」たいてい顔を合わせられないから、警察署の受付に誕生日の朝に届けられるそれは、『マイクのファン』からの贈り物で、そのとき運よく夜勤明けになる同僚たちの喉を潤す『命の酒』とよばれている。


「誕生日のお酒はみんなで分け合って終わりだって知ってるよ。・・・この旅行につきあってくれたお礼をしたいんだ」

「 ・・・なあレイ、おれは《付き合い》でここにいるわけじゃない」

「じゃあ、出会って十年以上経ってる記念とか、・・・とにかく、なんでもいいんだ。―― ぼく、男友達あんまりいないし、こんな二人旅行とか、ほんと、うれしくて、自分にできるお礼とか思いつかなくて・・・ケンに相談したら、こういうのでいいんじゃないかって」

 悲しそうにうつむくレイをみていたら、自分が『子どもからのプレゼントに文句をつけた父親』になった気分になってくる。

「・・・わかった。ありがとう。たしかに、こんな豪華な客船なんだから必要だし、おれは思いつかなかったよ」

 ようやく顔をあげ、ぼくすこしは役にたった?ときくのは『褒められたりない子ども』そのものだ。もちろん、とうけあい、そのあとのレストランでの食事は、人生で一番消化が悪いものとなった。


 彼が悪いわけではないが、レイはどうしてもその容姿が目立つ。


 そこに加え、あの高級レストランの受付にいる男だ。二人の正装を目にした時点でいやな予感はしていたが、席に案内されるまでにほかの客の視線が集中し、それは食事がおわるまで続いた。



 ――――



「ああいうとき、警察官なんていう職業はやっかいだな」

 ケビンがグラスを手にし、カウンターで横にならぶマイクにわらいかけた。カジノであのまま勝ったらしく、むこうに立つバーテンダーにはずんだチップは高額紙幣だった。

「あのレストランでの食事のとき、まわりが気になって味がしなかったろう?」

「アルゴスから乗客の身元は保証されてるが、正直、どんなことがおこるかわからないからな」

「そうだな。『ひかりのこ』事件には関係なくとも、犯罪を計画してるやつはどこにでもいるだろうし。それに、―― ここじゃあ、あんたは銃ももってない」

「・・・あんたは持ってる、みたいな顔をするんだな」

「人より優位に立つのが好きなんだ。嘘でもいいから、そういう顔をする。  ―― とにかく、感心したってことを言いたかったんだ。レストラン中の視線を集めているってのに、レイはいつも通り気づかない。おれは気づいててもしらんふりしてて、あんただけまわりに警戒しながら食事して、だけどレイには気付かせなかった」


 マイクは肩をすくめビールを飲んだ。

 あのレストランで食事をしながら、ゆっくりと正直に自分の態度を謝るレイと、それをうける男の様子は、近くでみているとなぜか聖堂教の『聖辞典』にでてくる《遣い人を惑わす悪鬼》の場面をおもいださせ、マイクはずっと落ち着かないままだった。だが、それをこの男にいうと、喜ばれるような気がして口にしたくない。

「おれだって、レイのことはなるべく傷つけたくない。だけど、あいつはあのとおりボンヤリしすぎだから、誰かが教えなきゃいけない」


 たしかに。

 レストランで食事あとのコーヒーを飲んでいた時、席に連れとナフキンを残し『挨拶』にきた男がいた。

 すこし太り気味のからだを窮屈そうにサイズの合わないスーツにおしこみ、どこかの訛りのある言葉で、自分はあなたたちのレストランの『サイ』を何度も訪れていてあの店のファンで、と、男が説明したあたりでマイクは立ち上がり、「いまはプライベートなので」と、自分の席にもどるよう暗にしめしながら、これ以上おしゃべりできないことを謝った。警察官として培ってきた有無を言わせない目つきと、もったいぶったしゃべり方で。

 男はマイクを二人の『護衛』だと感じ取ってくれたようで、二人と握手だけしてそそくさと席に戻った。「さすがだな」と言ったケビンに、「でも、お店のファンだっていってくれるんだからさ、もっとはなしをきいてあげたほうが・・、」といいけけたレイは、二人の視線をうけて口をとじた。


「おれたちが一緒ならまだとめようもあるが、いまみたいに一人で図書室に行ったりしてると、必ず声をかけられて、ひどいときは連絡先のメモを十枚近く持って帰って、おれにこの人たちの予約をとれないか、なんてききやがるんだ」

 心底いやそうに口をまげたケビンは、もちろん予約なんてうけないけどな、とハエを払うように手をふった。

 その連絡先をわたしてくるあいてだって、ほんとうに予約が取れるとはおもっていないだろう。ただ、レイとはなす機会がほしいだけだ。


「―― あの婆さん、油断できない人種かもな」

 グラスをあおったケビンが、きのうレイといたアリス・ヴァレットのことをさしているのはすぐにわかった。

「油断って・・・あんなお年寄り」

「名簿にのってない」

「・・・・なに?」

「きのうまで」

「ああ、新しく乗船してきた・・・いや、まてよ。きのうは港に寄ってないぞ」

「アルゴスのおかげでおれはこの船のことをいろいろ調べることを許されてる。乗客名簿にも目は通し済みだ。だがおれの記憶にあんな年寄は残ってなかった。そうしたら、今日になって船長が、『ミスに気付いたのでなおした』なんていいやがった。―― この船のチケットは中央劇場とおなじように取るってしってるか?」


 チケットを渡されただけのマイクは首をふる。


「アルゴスなら簡単にとれるだろうが、一般人はめんどうな手順をふまないとこの船にはのれない。客数が少なめで高級な路線でやってる船はほかにもあるが、乗客の身元がいちばん確かだからあのおやじはこの船に決めたんだ。自分がもってるばかでかい客船じゃなくてな」

 あいつの船は金さえ払えば国外逃亡予定の犯罪者だってのせるからな、とにやついた顔でグラスをふる。その顔をじっと見つめてしまったマイクはごまかすように、「『ミス』ってどういうことだ?」と確認する。

「名簿への記載忘れだ。なにしろぜんぶ手書きだからな。ないとはいいきれない『ミス』だが・・・」

「なにか納得できないことがあるのか?」


 ケビンがうれしそうな顔をむけ、話が早くてたすかる、とこちらのビールと自分のグラスに追加を頼んだ。バーテンダーがずいぶん離れたのをみはからい、器械が調子悪くなるんだよ、とカウンターをこつこつ指でたたく。


「・・・まさかあんた、レイに追跡装置つけてるとかじゃないよな?」

「いや、集音器だ。バートがこんどの研修に出る前に、レイにわたしたブレスレットがあるんだ。それを器械つきにすりかえた。なんだよ、口があいてるぞ。船をおりるときに戻すから問題ないだろ?」

「・・・おれはきかなかったことにする」

「ともかく、その器械のおかげで、レイと接触した人間の会話は盗聴できるんだが、あのばあさんといっしょにいたときだけ、音がうまくひろえなかった」

「きのうか?」

「いや、きのうよりまえにレイは《ヴァレット夫人》に会ったっていうんだ。図書室近くで声をかけられたってな。確認したらその日、集音できてないところがあった。時間軸でいくとそこが初めてあのばあさんに会ったときみたいだから、あのばあさんが集音機の『妨害電波』をだしてる可能性がたかい」


 追加の飲み物がちょうど運ばれて来てケビンは口をとじる。

 妨害電波?マイクは二杯目のビールに口をつけ想像した。

「なんのために?」あんな年寄りの女性が、そんな電波を発する装置をもっていることさえ想像しにくい。


 さあな、とケビンはあっけなくこたえ、わかってるのは、とマイクとめをあわせる。

「―― ほかの客とちがってあのばあさんは、レイとずいぶん話し込んでる」


 それはマイクも気になっていた。あのとき近くのテーブルできいたかぎり、レイはあの夫人に『恋人』のことと、『友達』のことを話しているようだ。基本的にレイは会話があまり得意ではない。仕事ではかなりうまくまわる口も、プライベートで初対面の人に対してはあまりひらくことはなく、ましてや個人的な話など、数回しか会っていない相手にしゃべるなど普段ならありえないが・・・。


「でも、旅行に来てるんだから、レイでもすこし気楽な会話を楽しめたのかもしれないしな」

 あのときテーブルでむかいあっていた二人のようすは、《老女とやさしい孫》だった。


「おいおい。年寄りってだけでずいぶん警戒があまくなるんだな」

 ケビンはばかにしたようにグラスに口をつけるが、きっとこの男も迷っているのだろう。決め手があればあの老女をレイから遠ざけるのは簡単だが、理由もなくそんなことをすれば、この旅行をただ楽しんでいるレイは悲しい顔をする。


「 ―― 意外だな。あんたも、レイには嫌われたくないってことか?」

 口にしてからマイクは後悔した。

 ケビンはこのうえなくいやらしいわらいをうかべている。

「 《嫌われて》いいんだ。あいつにはもっと。 レイに嫌われてる人間なんて希少な部類になるだろう?おまけに、あいつはおれのことを《嫌いだ》とおもったあと、あの夕食のときみたいに、《反省》っていう名の《ゆるし》をすぐ、おれにもとめてくる。 ―― 言っただろ?おれは人より『優位』にたつのがなによりすきなんだ」

 勝ち誇ったような顔で、なにか秘め事を暴くような低い声の男は、マイクの顔をみてその反応をあきらかにおもしろがっている。


「・・・あんたのこと、バートが信用できない理由がわかった気がするな」

「あいつのはただの『やきもち』ってやつさ。頭の中身が子どもだから、レイのすべてを独占したいっておもってる」

「・・・まあ、それは、・・・たしかにな」

 このこたえにさっきまでとはまったく異なる笑顔をみせたケビンがグラスをあわせてきた。




 





6.


 プールには日光浴を楽しむ人たちが居眠りし、気休めに、水に浸かっている。

そこをとりかこむようにつくられたデッキには、ほどよい間隔でパラソルのついたテーブルと椅子がおかれている。

 先ほどまでプールでタイムを競い合っていたマイクとレイは、そのパラソルの間に置かれた椅子でくつろいでいた。

 さて、どう切り出そうか。

 プールからひきあげたレイには、すぐパーカーをはおらせた。彼の背中には幼少期に負わされた無数の傷跡がのこっていて、それを好奇の目にさらすのは許されないし、マイク自身がそれをめにすると、どうしてもなさけない顔になってしまうからだ。

 むかいで運ばれてきたジュースをうれしげにストローでかきまわすレイには、いまのところ二勝二敗だ。もちろん、手加減はしていない。ケビンの忠告どおり、ハンデはいらないほどレイは泳ぐのがうまかった。

「 なあ、レイ、あの、ヴァレットさんなんだが、ひとりでこの船に乗ってるのか?」

「そうみたいだよ。ぼくが会う時はいつもひとりで船内を歩いてるし」

「何号室にとまってるんだ?」

「しらないよ」

「・・・しらない?だって、あんな仲良さそうに」

「ねえマイク、むこうは女性のひとり旅だよ?そんな簡単に泊ってる部屋の場所を、初対面の男になんて教えるわけないでしょ?」

「・・・・・」レイは本気でそう考えているのが、その目から伝わる。

「えーっと、・・・じゃあ、・・・どういう『女性』なのかききたいもんだ。あのお歳で『一人旅』ってのはめずらしいだろ?自立してるってのはじゅうぶんわかるが、どうしてこの船で旅行してるんだ?」

 自分たちの船旅と違って、彼女にはどこか目的地があるのかもしれない。

 ところがレイは、ぼくたちとおなじだよ、とストローでピンク色のジュースを飲んだ。

「船をゆっくり楽しみたいからこの旅行にしたんだって。亡くなった旦那さんがむかし船乗りだったから、船と海に思い入れがあるみたいだよ」

 ようやく情報をひとつてにいれた。

「死んだ旦那が、こういう旅客船の乗組員だったってことか?なるほど。それで、『一人旅』なんだな」思い出にひたるために。

「彼女に初めて会ったのも、図書室の隣にある《娯楽室》のところでだよ」

「『娯楽室』?」そんな部屋あっただろうか?

「ほら、図書室の横に、むかし喫煙所だったっていう五角形の部屋があったでしょ?」

「ああ、となりのビリヤード場とつながってる部屋だな」

 球をつく音がひびく隣には、壁に木箱のようなベンチがついた五角形のしゃれた空間があった。たしかに部屋のそとには金のプレートがついていた気がする。

「金のプレートには『娯楽室』ってあって、下に当時の説明が書かれてるんだ。その下の白いプレートには『写真館』ってあるよ」

「そうか、あの、白黒写真でいっぱいの部屋か」

「むかしはあの五角形の場所が喫煙所で、娯楽室であるビリヤード場の入口だったから、プレートがあそこについてるんだって、ヴァレット夫人がいってたよ」

「うん?ちょっと待てよ。それってこの船の『むかし』ってことか?だってあの写真じゃあ、百年いじょう前だぞ?この船ってそんなに古いのか?」

 あしもとが急に抜けたような不安におそわれて身をのりだす。

 レイがわらいながら、ちがうよ、とグラスをサイドテーブルにおく。

「この船って、ほら、中央劇場といっしょで、『ふるきよき』時代の雰囲気を売りにしてるでしょ?だから、ヴァレット夫人の旦那さんがのってた時代の船をモデルにしてるんだって。で、あの『娯楽室』は彼女の旦那さんがのってた船にあったのをそのまま真似てあるらしくて、あそこでビリヤードの音をききながらあの写真を眺めると『懐かしい』時代にもどった気がするんだって言ってたよ」だからいつもあのあたりで会うんだよ、とつけくわえた。

「なるほどな。あのひとが若いころの客船なら、数が限られてるな・・・。なんていう船かなまえはきいたか?」

「うん、―― えっと・・あれ?忘れちゃったな。おかしいな、なんだっけ。あ、でも、ここの図書室の中に、『資料室』があるから、そこで調べればわかると思う。ぼく、あとであそこ行くから調べてくるよ」

「いや、それはいい」

 ケビンに任せれば、あっという間にその船の名前もわかるだろう。

 レイは出番をうばわれたように、つまらなさそうな顔をした。


「―― それよりレイ、ききたいことがあるんだが」

 レイにすすめられて頼んだ赤い色のジュースを、ひとくちのむ。意外にうまかったのでそのまま感想を口にすると、自分がほめられたかのようにレイがよろこぶ。

 その頭を、うでをのばしてなでそうになってごまかす。彼はもう、頭をなでられてよろこぶ歳ではない。

「これは、・・・友達として気になったからきくんだが、・・・おまえ、あのひとに何をたのまれたんだ?」

「あ、・・・・」

 言葉がつまったように顔を真っ赤にしたレイが、目を合わせたままかたまる。

 彼はきっと、いままで友達に、《ごまかす》なんてしたことないんだろう、とため息がでそうになる。


 レイは実際、同年代のほかのこどもにくらべて『とろい』とバートがむかし言っていたのをおもいだす。そんなこどもが、犯罪にまきこまれ、十歳から十三歳まで完全に隔離された状況下で『静養』し、その先からはずっとバートという『護衛』がついた状態でこの歳になってしまったのだ。

 たしかに、元から素直で純粋な性質だろうが、そのうえで、だいじな年月を同年代の中でふつうに過ごすという体験を逃してしまい、マイクにいわせれば『場数』をふんでいない。


「あのとき、おれは近くに座ってたから『すこし』きこえたんだが、なにか、たのまれてただろう?」


『それなら、お願いしようかしら』

『まかせてください』


 レイにしてはめずらしいほどはっきりと自信ありげな口調だった。

「いや、なにか仕事をうけたっていうんなら、おれは関係ないし、口をだすところじゃないが・・・」

 

『 それに、お友達もいらっしゃるし』

『ええ、とっても頼りになる友達なので、安心してください』


 たしか、そうくちにしていたはずだ。

「もし、彼女からなにか頼まれてて、おまえがそれを一人で実行しようっていうなら、それはそれでいい。でもな、―― せっかくこうしてふたりで旅行してるんだから、それをふたりでやって、ふたりの思い出にするっていうても、あるだろう?」

 このセリフは、多少、《かっこいい年上の男》を意識して言ってみた。めがあった若者の顔があっというまに赤くなり、成功したことをしめす。

「・・・マイクって、ほんと、どうしてそうかっこいいんだろう・・・。ぼく、やっぱりはじめから相談すればよかったよ」

 くんだ両手をもじもじとからめながら顔をふせた。

 どうやら、彼の自尊心を傷つけることなく、はなしをひきだせそうで安心して、グラスに残った赤いジュースをのみほした。

 それをみとどけたレイが、そうっと、はなしだす。

「・・・じつは、ヴァレット夫人が、『探してほしいものがある』って」

「さがしもの?船の中でなにか落としたのか?」

 レイがあたりをみまわし、声をひそめる。

「ねえマイク、このはなし、内緒にしてほしいんだ」

「『ないしょ』?」

 マイクの職業上、それは《よくない》単語だ。

「ヴァレット夫人と約束したんだよ。おおごとにはしないって」

「いったい、どういう頼まれごとなんだ?」

 きゅうにいやな感じになってきた。

「それが・・・宝さがしなんだ。この船のなかに、大事な宝があるから、それをさがしてほしいって」

「なんだ、・・・そうか、『宝探し』か・・・」

 おもわず、ふきだすような息がもれそうになり、ごまかすようにグラスのなかの氷を一つとりだして、噛み砕いた。

 

 それはきっと、普通の子どもなら、どこかのキャンプに参加したときにやらされる『宝探し』ゲームのことだ。大人が隠しておいたお菓子やなにかの『宝』を、だされたヒントや地図をもとに、キャンプ地そばの森の中などでさがしまわるのだ。

 旅の退屈さをまぎらわせようと、あの老女がおもいついたのか、レイという素直な好青年にであって、いたずら心をくすぐられたのか。どちらにしても、いっしゅんよぎった物騒な考えとはほど遠いものだ。


「引き受けたときには、マイクもいるし大丈夫って考えたんだけど、これってぼくが勝手にひきうけたものだし、 ―― ほら、マイクってぼくとちがって、すぐ友達できるから、この話を相談しようと思ったときも、・・・プールよこのラウンジで女の人となかよくしゃべってたから邪魔しちゃいけないっておもって・・・、ケンにもこの旅行で、マイクのいい《お相手》が見つかるかもしれないからって言われてるし、その、えっと、とにかく、ひとりでやってみようかなって思ってたんだけど、 なかなか探すためのヒントがてにはいらなくって・・・その、いまさらだけど、『宝探し』、てつだってくれる?」

 首をかたむけてこちらの顔をのぞきこむその頭を、つかむようにしてかきまわしてやった。









7.


 きれいに髪をまとめあげ、廊下ですれ違う客室乗務員とはすこしちがう色味の制服をきた女性に、レイは片手をあげてみせた。

「こんにちは、ローラ。今日はどうかな?」

「こんにちは、レイ。今日も残念ながら先にいらっしゃったかたがいます」

 言葉遣いは職業を意識したものだが、その顔はとろけるようにレイをみつめている。

「そっか、今日もダメだったか・・・」

「予約とかはできないんですか?」

 レイの横からきくと、初めてこちらの存在に気付いたように顔をふりむけた。

 図書室と、すぐ横にある資料室の受付をするローラは、レイから紹介されたマイクに、職業的ではない、いい感じの笑顔をむけた。

「 むかし予約制にしたら、ちょっと問題がおこりまして。―― なので、いまは予約なしで、先着順。こちらに署名いただいて一名さまのみということになっております」

「一日、ひとり限定で?」

「ええ。なにしろ古くて貴重な《資料》なので」

「時間も限定ですか?」

「時間ではなく、数が限定です。『資料一覧』の中からみたいものを二つまで選べます。書物の場合は手袋をはめていただいて丁寧な取り扱いをこころがけていただくようお願いして、中の様子はカメラでずっと撮っています」

「なるほど。すこし研究者みたいな気分を味わえるから、人気があるんですか?レイが楽しみにしてるのに、いつも先をこされてるみたいで。―― それとも、だれか特定の人が毎日きてるとか?」

 マイクの言葉のとちゅうから笑みをうかべていたローラは首をふり、手元のノートにめをおとした。

「正直、こんなに資料室の人気があがるのは初めてです。たまたま船好きな人たちがかちあったのかしら?レイのほかに、三名のかたが先をあらそうようにしていらっしゃるんです」

「そりゃ・・・盛況だ。 その人たちの名前は、・・・もちろん教えてもらえませんよね」

「もちろん、できません。が、・・・」ローラは腕についた小さな時計に目をやった。

「いくら船好きだといっても、資料はいつか見終わりますでしょ? あらいやだ、わたし司書と話さないといけないことがあったんだわ」すこし失礼します、と受付の札を倒すとこちらに意味ありげにほほえみかけて、図書室の奥にきえていった。

 マイクはレイにとがめられながら、さきほどローラがわざとひらいたまま置いて行ったノートをのぞく。

 すると、受付の左奥にあった資料室の銀色のドアがひらき、いらだったような足取りの女がでてきた。赤みがかった茶色のショートカットで服装もパンツスタイルでいかにも活発という印象。だが歳はマイクより上だろう。シャツのポケットからのそいている眼鏡は、老眼鏡かもしれない。女は誰もいない受付のカウンターを横目で見て、そばに立つマイクもついでのように見て通り過ぎた。

 そのマイクにいきなり頭をかかえこまれたレイが、どうしたの?とくぐもった声できく。

「・・・いま通り過ぎた女性、・・・このまえレストランで、おまえたちの店のファンだとかいって握手した男のテーブルにいたな」

 マイクの腕から顔をだしたレイが、女の後姿を追い、覚えがないなあ。と首をかたむける。


「まあ、いい。とりあえず部屋にもどって作戦をたてよう。なにしろ『お宝』がおれたちを待ってるんだからな」



 「ほお。海にきて『お宝』ってことは、海底に眠る財宝か?」


「ケビン!?」

 その気配もない突然の現れ方に、マイクも正直びびった。


 レイはあげてしまった声をおさえこむよう両手で口を押えている。

 図書室の奥からちょうどローラが姿を現し、図書室入口の注意書き《おしずかに》をゆびさし、にっこりわらいかけてきた。レイが小声であやまり、三人はおいやられるようにそこをあとにした。







8.


 今日の天気は曇りだったので、きれいな夕陽をみようとこの時間デッキにでている人たちはあまりいなかった。

 レイが主張した『内緒のはなし』ならば、ここが安全だろうとケビンがすこしばかにしたような顔で、風があたるいちばん上のデッキにきたのだ。


 マイクは、さっきからずっと胸が痛んでいた。

 レイはこの『宝探し』を本気でやろうとしているのだが、この男はきっと、ひとことでこの『宝探し』を否定するだろう。


 ―― くだらない、とか、子どもの遊びだ、なんて言うなよ


 どうにか先に言っておきたかったが、そんなひまなくここに移動してしまった。

 忠告するように送った視線は、ケビンはわかってうけてるはずだ。その証拠に、ケンがよくする、にやけた表情をうかべている。


「で?どういうことなんだ?」

 なにかよくないことをした生徒をまえにした教師のように、両手をひろげてみせた。

 レイがしっかりと顔をあげ、マイクにしたのと同じ説明をはじめた。図書室横で会った老女と知り合い、いっしょに写真をながめ、お茶にさそわれ懐かしい船旅のはなしをされ、三度目に、探し物をたのまれたこと。


「―― でね、それをさがすてがかりが、資料室にあるんだけど、それが閲覧制限になってて、なかなかみられないんで困ってるんだ」

「それを確かめるのにさっき行ってみたんだが、ほら、レストランで挨拶しにきた男がいるだろ?あの男といっしょにテーブルいた女性が資料室からでてきた。―― どうやら、その女性とあの『挨拶男』、それとほかにもうひとりが、資料室の開放時間すぐにやってくるらしい」

「へえ、さすが警察官だ。情報をおさえるのがはやいな」

 ケビンのそれはあきらかに嫌味だ。ノートをのぞいたことをいっているのはすぐにわかった。

 

 マイクをかばうように前にでたレイが、「ほんとは、」と風にまけないよう強い声をだす。

「―― ほんとは、ぼくだけでしなきゃいけないんだけど、マイクが手伝ってくれるって言ってくれたんだよ。だけど、ヴァレット夫人の探し物をはやくみつけるためにも、ケビンも力をかしてほしいんだ。わかってるよ。けっきょくぼく、・・・一人じゃなにもできないんだ。ケビンが口にださないけど、いつもそう思ってるのは知ってる。・・・こんなふうに旅先でもきみに迷惑かけるつもりなんて、なかったんだけど・・・その、」

「おれが、・・・いつ迷惑かかってるなんて言った?」

 その声は低かったが、マイクには、はっきりとききとれた。

 え?とききなおしたレイにはきこえなかったのかもしれない。


「―― いまさらだろ。気にするな。おれも手伝う」

「ほんと!?」

「そのかわり、ひさしぶりにおれともプールで勝負だ」

「うん、いつもありがとう、ケビン」

 こどものようにだきついて感謝を口にするレイの頭をなで、髪に唇をつける男の表情を観察してしまい、マイクは気まずくなって目をそらせた。

「あと、もちろん探しだした『お宝』は、こっちにも取り分があるんだろうな?」

 さっきまでの表情が見間違いだったかのようにだされた質問に、レイのわらいごえがひびく。

「お礼はするって言われたけど、『取り分』なんてないよ」

「海で探すのに、『財宝』じゃないって?」

 ちらりと意味ありげに視線をおくってきた。どうやらこの男があの老女に抱いた疑念は消えていないらしい。

「だって、ヴァレット夫人に頼まれた探し物って、旦那さんがのこした日記帳なんだよ」

「『日記帳』?」

 眉間をよせた顔をケビンがこちらにむける。

「おれも、レイに聞き返した。なんでも亡くなったご主人の日記帳が、ここの資料室に『資料』として保管されてるらしいんだ」

 それをさがすために、レイは資料室にはいりたいのだが、いまだにそれがかなわず困っている。


 ケビンが眉をつめたまま、異議があるように片手をあげる。

「おかしいだろ。なんであのばあさんの旦那の日記なんかが、《資料》にはいってるんだ?」

「この船をつくるときに、旦那さんがのってた船はもう廃船になってたんだけど、参考にするのにまるまる買い取られたんだって。そしたら、中にまだ乗組員の残した私物なんかもあったみたいで、乗客名簿とか、レストランのメニュー表とかといっしょに資料扱いで紛れ込んだみたい」

「返してもらえばいいだろ。個人の日記なんて」


 マイクもレイにそう言った。

 だが、はなしは簡単ではなかった。


「それが、その日記の存在を知ったのがつい最近なんだって。彼女、いまはご高齢のひとがお世話になる施設にはいってるんだけど、旦那さんがお世話になってた弁護士から電話があって、旦那さんからの手紙がみつかったって。その手紙に日記のことが書いてあって初めて知ったんだって」

「手紙は、旦那の死んだ母親の遺品の奥深くにねむってたらしい」息子から、その妻あてにきた手紙を、どういう気持ちで母親はかくしたのだろうか。


 ケビンもなにか感じ取ったらしく、また眉をしかめた。



「そういう理由で、彼女は、おおごとにしたくないんだよ。 とにかくその日記帳を手にとって目で確かめてみたいんだよ。ね?彼女にとっては大事な『宝物』なんだから」

 しめくくるようにレイが、だから取り分はぼくらにないよ、と困ったようにわらい、つけたした。

「 ―― ぼく、彼女のやくに立ちたいんだ」


「・・・わかった。そういうことなら、おれも無償ではたらいてやる」

 ケビンが仕方ないというようにうなずくのに、レイがもう一度抱き着いて感謝を口にしている。それに片腕をまわした男はマイクと目をあわせ、うなずいた。








9.



 意外にもケビンの部屋はマイクたちの部屋から二段下の階にある普通クラスの部屋だった。

 アルゴス経由で部屋をとっていればもっといいクラスだろうから、この男がいう通りこの旅行はほんとうに偶然か、あるいは、単独で動いているか、だ。


 部屋は狭いが一人旅にはじゅうぶんだ。ベッドのすぐよこに置かれた椅子にこしかけ、自分もほんとうならこの広さの方が落ち着くのに、と部屋をみまわしながら、先にいいたいことを言っておく。

「レイになんの薬を飲ませたのかは、今回はきかないでおいてやる」

 三人でとった夕食のあと、レイは眠くてしょうがないからと早々に部屋へひきあげ、マイクが様子をみにいくと、上着を脱いだだけでソファで眠っていた。

「今日もプールで、あんたとはしゃぎすぎたんだろ」

 自分は関係ないというように片手をふった男は紙の表紙がついた厚い台帳のようなものを小さなテーブルの上におき、そばのベッドにこしかけた。

「これが、ここの『資料室』の一覧表だ」

「一覧表?―― これをどうやって借りだしたのかはきかないが、できれば、一覧よりも日記を借りてきてほしかったな」

 マイクがその台帳に手をかけると、ケビンがわらいをこらえるように首をふった。

「おれもそうしたかったが、まあ、とにかく目をとおしてみろよ」


 厚紙をひらくと、びっしりとかきこまれた手書きの文字と数字が目にとびこんだ。

「それには、この会社がいままで買い取ったすべての船に残ってた品がかきだされてる。手書きの品目表だ。《買い取り》は古くは百ニ十年前からで、最近では四十年前。どんどん書き足された結果この分厚さだ」

「まさかぜんぶ?書き残してあるのか?」

 たしかに、それならこの紙の厚さは納得できる。

「そこに書かれたフォークや便器なんかは、客船協会が運営する陸にある資料館ってところにおさめられていて、すべてをマイクロフィルムにとってる。横に、番号がふられてるだろ?」

 たしかに、品目の横にナンバーがふられている。

「ここの資料室にはそのマイクロフィルムが納められてるから、専用の器械でそれを見ることができる。だが、レストランのメニューだとか、航海日誌だとか古い日記、当時の図書室にあった本なんかは、『お客さまが気楽に眼を通せるように』ってことで、実物をいくつかこの船に置いてあるそうだ」

「そこにヴァレット夫人の旦那さんの日記があるんだな?」

「たぶんな」

「『たぶん』?」

 マイクの復唱にいやな顔をして、とにかく一覧でさがしてみろ、とマイクに命じた。


 台帳の厚く黄ばんだ紙をゆっくりめくってゆく。どこまでいっても食器類だ。シーツや枕なんてものをすぎると、今度は船の設備らしきものの記載になる。みかねたケビンが手をだし、ばさりと数ページぶんとばしてめくった。

「・・・ああ・・・えーっと、こりゃあ、本の題ってことか?」

 品目欄に、ご丁寧に一冊ずつ、作者まで記入されている。数枚めくると、こんどは航海日誌が船の名前を記載されて続き、そして、『日記』とかかれ、通しの番号をふられたものが続いた。

「・・・なにかの間違いだろう?」

 通しの番号は、二百を超えている。『日記』が二百冊いじょうあるのか?


 間違いならありがたい、とケビンはベッドにすわりなおす。

「買い取った船には、数か月かけて海洋をわたる客船もあったし、だいたいむかしの船ってのは夜することがなかったんだろうな。船長のほかにも乗客や乗組員なんかが残してった『日記』ってのがかなりあるらしい。ほんとならゴミとして処分してもよさそうだが、図書室の本といっしょになって保存されてたんだ」 『日記帳』ってやつで、いまのノートなんかとちがって、本みたいに立派なつくりなんだろ、となげやりな調子でつけくわえると、「だから、」と続けた。

「―― まずはそこにならぶ『日記』の中から、どれがアタリなのか見当をつけて、つぎに番号を申請して、ようやく資料室でそれが手元にくる。 だが、《実物》がこの船にない場合もあるし、運よくそれがこの船にあって中を確認したって、それがいったい誰の日記なのかは、当事者かその近辺のやつにしか、わからない」


「そうか・・・日記だから中に自分の名前なんて書かないし、手掛かりはほかの人間の名前か、せいぜいのってる船の名前くらいなのか・・・」


「まあ、いちおうは古い順だろうな。番号が若いほど、古い船からひきあげた日記だろ」


「じゃあ、あのご婦人の旦那ってことは・・・最後のほうか?」

 マイクが指で一覧をたどっていると、部屋に備え付けの電話が鳴った。


 受話器をとったケビンが、気取った声で対応して、感謝の言葉で受話器をおく。

「もうすぐPCがつながる場所になるそうだ。おれはヴァレット夫人の身元を確認してくる」

「まだ疑ってるってことか?」

「あのばあさんがほんとうは海の上での薬物売買をかくすために、こんな芝居をうってるってことも考えてる」

「おいおい、いくらなんでもそりゃあ・・・」

「レイが、ばあさんの旦那がのってたっていう船の名前を聞きなおしたら、はっきり思い出せなかったらしい」

「あ~・・まあ、お歳だし、そういうことも、あるんだろ」

「ばあさんの ―― ブレスレットみたか?」

 ほそい手首にぶかぶかの。

「上質のダイヤモンドがびっしりついた細工のこまかいブレスレットだ。服装は古くてやぼったいが、帽子についたブローチも質のいいサファイアだ」

「そりゃ、おれも思ったが、こんな船に乗るくらいのお年寄りなんだから、ながい人生のなか、それぐらい手にいれるだろ?なにしろ旦那は船乗りだし、いっしょにいられる時間がないぶん、そういう贈り物をしてるんじゃないか?」

「あんたは恋人にそうやって値の張る贈り物をして、そんでそのままわかれるタイプだな」


 いいかえそうとした口をとじ、一覧表に目をもどしはなしももどす。


「―― とにかく、先にこの一覧表の中からどれがアタリなのか見当をつけて、それからあの『挨拶男』の夫婦に事情をはなして、資料室の順番をゆずってもらうか?」

「だめだ」

「なんだよ。まさか、その二人の身元も確認するつもりか?」

 とうぜんだというようにふかくうなずいたケビンが、指を一本たてる。

「それに、資料室をおとずれるやつがもう一人いるのも気になる。―― なあ、マイク、あのばあさんがほんとうに旦那の日記をさがしてる善良な年寄だとしても、そんな大事なさがしものをするのに、船で初めて会った若造にたよるか?」

「それは・・・」

 たしかに気になっていたことだ。

「そうだな、・・・もしかしたら、あの『挨拶男』たちも、ヴァレット夫人に頼まれてるのかもな」

「それなら、いいんだが・・・。まあ、ともかく、レイは自分だけが頼りにされてると思ってるんだろうから、このことはまだ黙っておこう。なにしろおれたちは『頼りになるお友達』だからな」

 むけられた笑みを目にしたマイクは、なぜか自分がこれで、犯罪の片棒をかついでしまったような気分になった。








10.


 つぎにつく港でおりる客が多いせいか、船の中は落ち着かない雰囲気になっていた。

 あと数時間をここで過ごさないと損とでも考えたのか、ラウンジのテーブルはうまり、バーカウンターにも『船の味』を覚えておこうという客たちがいる。


 きょうはレイから朝食の誘いがなかったのでまだなにも口にしていなかったマイクは、ラウンジある軽食スタンドに足をむけ、ホットドックを買ってからようやくその空間の込み具合に気が付いた。

 席に座るのをあきらめ、バー近くにある立ち飲み客用のテーブルに移動しようとしたとき、こちらの名をよぶレイがかけよった。

「おはよう。今日は朝食いっしょにとれなくてごめんね。朝から資料室行ってみたんだ。そしたらなんと、はじめてとれたから、これからいくよ」

「・・・はいれるのか?資料室に?」

「うん。ローラにおめでとうって言われたよ。ちょっとこもるから、悪いけど昼ごはんもいっしょにとれるかわからないんだけど・・・」

「ああ、そりゃかまわないが、」そこまで言ったとき、ラウンジのはずれから、こちらをじっとうかがっている帽子をかぶった男と視線があった。


「―― ってことは、おまえもまだ朝飯を食べてないってことだな。それならもうひとつホットドックを買ってくるから、ちょっと待っててくれ。そのあと資料室まで送ってくから」

 レイの肩をたたき、男のほうへ足をむけようとしたら、すでに姿は消えていた。

 振り返ってレイが無事なのを確認してから、おいかけるかどうか考え、やめることにする。きいていた話と違い、どうにもこの船には『身元』があやしい人物が多いらしい。


 ラウンジのテーブルで待つレイに買ってきたものをわたすと、かじりつきながら考える顔になる。

「ここの資料室に、ヴァレット夫人が探してる日記あるかなあ。それにあたるといいんだけど・・・」

「まあ、たしかにかなりのクジ運が必要だな。彼女からなにかヒントになるようなこと、きいてないのか?」

「もともと、船の仕事のはなしをあまりしない人だったみたいなんだ。だから、陸に戻ってきたときにも、寄った港とか、海がどんなだったかってことしか聞けてない。 でもぼく、それでどんな旦那さんだったのかイメージはわいたよ。日記の中に『アリス』って名前が出てきたら確かだよね。 うん、だいじょうぶ。頼まれたんだから、ちゃんと考えて、しっかりさがすよ」

 レイは自分にいいきかせるようにして、残りのホットドックを口におしこんだ。

 こちらとしては、そんなあやふやな状態をただはげますように、肩をたたいてやるぐらいしかできない。 それでも、それにうれしそうな笑顔をかえし、やる気十分なこぶしをふってみせてレイは資料室の中に消えて行った。


 受付の前を通ると、ローラも嬉しそうに、よかったわ、とマイクに微笑んだ。


「ありがとう。今日はレイの競争相手がこなかったのかな?」

「ええ。めずらしくほかの三人がた、どなたも」

 ということは、もしかしたら今度の港でおりるのかもしれない。


「―― そういえば、その三人のうちに、小太りじゃないがっちりした男がいるでしょう?帽子をかぶってるかも。そいつ、もしかしたら、おれの知り合いかもしれないんですが・・・」

「ああ、やっぱり?」

 ローラはどこか安心したようにつぶやいた。


  おい、まてよ。 『やっぱり』?


「じつは、―― わたしもこの図書室の責任者として、あなたたちがどういう方かは、事前に船長からきいて知っていました。でもまさか、レイがこの資料室に何度も来るなんて思ってもみなかったけど。 そのうえほかに三人も来て、ここは大盛況。 でも、それぞれの個人情報をほかに教えるなんて違反はしていません。 ―― でしょ?」

 いたずらっぽく目をむけられ、この前盗み見たノートを思い出しながらうなずく。

「とくに、・・・あの三人にレイのことを伝えるなんて絶対にしません。 なのに、あの体格のいいひと、・・・あなたのことを口にしたのを聞いたから・・・」

「おれのことを?」

「あのかた、資料室が先にとられていると、いつもここで、ぶつぶつ文句をいってから帰るんです」


『いったいこの資料室には何冊日記があるんだ?おまけにまた変な若いのまで来るようになっちまった。・・・なあ、あの若造といっしょにいるのが警察官だからって、あっちに特別配慮とかしないだろうな?』


「―― どうやらレイのことは知らなくて、あなたの職業は知ってるみたいだったから、すこし気になっていたの。 『同業の方』ってことでしょう?」

 安心したようなローラの質問にうなずいてみせ、足早にケビンの部屋をめざした。


 資料室の中にいる間は、レイの心配はしなくていいと、すこしあせっている自分にいいきかせ、たどりついた部屋のドアを何度もたたくが反応がない。


 突然、ポケットから振動が伝わり、取り落としそうになりながら久しぶりに携帯電話をつかみだす。

『 ちょっと船をおりることになった 』

「はあ?どうしたケビン」

『 船の中の通信状態が悪くてな。しかたないから一度、おかにでて、しっかり確認する。船がでるまでにはもどる。が、―― どうした?なんかあったか? 』

 どうやらこちらの焦りが伝わったらしい。

「―― 資料室に来る三人のうちの一人が、おれの職業を知ってる。今日おれとレイのことを見てくる男がいたんだが、どうやらそいつだな」

『 ・・・あんたは、そいつを知らないんだな? 』

「見覚えはない。が、―― 目つきは普通の商売してるって感じじゃなかった」

『 いまレイは? 』

「資料室だ。だからいまのうちにあんたと手分けしてその男をさがそうかと思ったんだが・・・」

『 わかった。なるべく早くもどる。安心しろ。《普通の商売》じゃない人種だったとしても、おれが顔をしらないくらいのザコだ 』

「・・・どういう意味っ、おい、きこえるか?」

 耳に当てた通信機器は、もう何の音もださなかった。


 あきらめてつぎにしなければならいことを考えようとしたとき、左腕をつかまれた。

「 っつ、 ば、 ヴァレット夫人?」

「まあ、どうなさったの?そんなに驚かれて。振り返ったらこんなおばあさんで驚かれたのかしら?」

「い、いえいえ、その、考え事をしてまして・・・」

 していたが、まわりの気配をわすれるほど、油断していたつもりはない。

 老婦人は上品に微笑み、つかんでいた腕をなでるようにやさしくはなすと、レイといっしょではないのかとたずねた。

「・・え、ええ。彼はきょうは資料室へ」

「まあ、それじゃあようやく日記をみることができたのね?」

「あー・・それなんですが、どうやらその、『日記』もいろいろあるようですし、この船にのっているのかも、定かでないようなので・・・。失礼ですが、この船旅の間に探し当てなきゃならないわけじゃあ、ないですよね?」

 マイクの質問に夫人はなにかたくらむような微笑みをうかべてみせた。

「『宝探し』には制限時間があったほうが、楽しくなるでしょう?―― それに、わたくしはレイに探し出してほしいの」

「もちろん、彼はがんばっていますが・・・」

「それなら安心ね。 ああ、もうすぐつぎの港に着くわよ。あなたは降りなくてもいいのかしら?お友達といっしょに」

「・・・・ええ。おれは、陸に用はないんで」

「わたしは、ここの半島にある古い灯台を見に行ってくるわ」

「お気をつけて」

 にっこりと微笑んだ老婦人の背を見送りながら、彼女を『油断できない』と表現した男の言葉をおもいだす。




  『 降りなくてもいいのかしら?お友達といっしょに 』





  ―――  どうして彼女は、ケビンが船をおりることを知っている?










11.



 さきほどから、船内放送がくりかえされている。

『 携帯電話をお使いの方は、いちど船をおりて、おためしください 』


 港についたというのに、船の中はいまだ通信状況が安定せず、甲板にでてもつながらないという。

 マイクの携帯電話も、ケビンからの通信が切れたきり、どこにもつながらない。

 船員たちにとって『携帯電話』はそれほど必要ではないようで、船の無線には問題ないこの現状で、いらついているのは船に残っている乗客たちだけだった。

 この港の停泊時間は、まだ四時間ほどある。


 腕時計で時間を確認したマイクは資料室に寄ってみることにした。図書室の受付前を通りローラに挨拶すると、マイクは室内には入らないようと注意される。この厳しい定員制限の理由は、二人で利用したカップルが中で『信じられないこと』をして、資料の日記を『ひどい状態』にしたからだという。

 その、ひどい状態の日記が目当てのものではありませんように、と願いながらドアをノックした。ドアをあけて顔をだしたレイの眼が、真っ赤だった。


「―― どうした?」

「なんか、泣けてきちゃって」

 読んでた日記をさし、会えない人への愛しさがあふれててさあ、と鼻をすする。


 遠目でもみえたびっしりと紙をうめつくす文字はひどく達筆で、時代をおもわせるつづり文字だった。どうやら目当ての日記ではないようだ。

 あとどのくらいかかりそうか確認して、読み終えるぐらいに迎えにくるから、と約束する。


  船をおりたケビンは今頃、資料室をたずねる三人とヴァレット夫人の身元を確認しおえてるだろう。だが、連絡もとれないというのは、どうにも落ち着かない。

 あの三人のうち『挨拶男』たちも船をおりたのだろうか?マイクの仕事を知ってるあの男も?

 乗客が少ないいまのうちに、さがしだし、自分もできることをしたほうがいいだろうか?それとも、動かないほうがいいか?

 連絡がとれないというのは、こういうことだ。


 「―― よっし」

 気をとりなおして、この落ち着かない気分をまぎらわせることにした。






 船に乗り込んで、まだ一度しかつかったことがないトレーニングルームは、休憩時間の船員たちでにぎわっていた。

 ロッカールームでいっしょになった顔なじみの客室係によると、どうやらこの港はほかに比べ停泊時間が短いらしく、船員たちにとっては観光というより、休憩を楽しむ港になるらしい。

 受付をすませ、マイクは海のかなたを見ていられるランニングマシーンをめざす。


 電源をいれてゆっくりと足をならすようにあるきはじめ、速度をあげてゆく。

 数キロ走ったところで、隣をつかいはじめた男が「まさかこんなとこにあんたがいるとはな」と前をみたまま口にした。

「―― 冗談かとおもったぜ。クロイス州重犯罪部のマイク・ベネットが、若くてかわいい男の子と旅行中とはな」


 鼻をならすように言って視線をよこす男は、こちらの職業を知っている『ご同業』のあの男だ。帽子をとり、ジョギング姿になると、マイクよりも若いことがわかった。からだつきもそれなりにきたえてある。


「おれのことを知ってるってことは、『うち』で世話したことがあるってことか?」

 前をむいたまま走るマイクのそれに、わらった男が、ねえよ、と否定。

「じゃあ、どうしておれのことを知ってるんだ?」しかも、レイのことは知らないときてる。

 横でマイクと同じ速度で走る男は、あんた有名だからな、と嫌味でなさそうに言った。


「―― おれ、あんたの縄張りじゃないところで、探偵をやってるんだ」

 そう言って西の方にはりだした諸島地方の名前をだした。


「まあ、警察官も警備官も憧れたけど、自分の能力だけで勝負しようと思ってね。仕事柄もあるけど、いちおう、《そっち方面》の人物情報もおさえてあるさ」

 ひどく得意げにマイクのほか、クロイス州の重犯罪部の刑事の名前をいくつかだした。

 たぶん、検察の記者会見をきいておぼえたくちだろうと思ったのだが、なんと、犯罪について意見を交わす《メッセージ》のページがあり、そこで知り合った『同業者』と、現役警察官の名前と顔を教えあうのだ、と説明する。

 へえ、と軽く聞き流すふりをして、これは『問題』として上司に提言しないと、と考える。

 これ以上『自分が知らない方面』に顔と名を覚えられるのはごめんだ。


 マシンの速度をあげてみせ、アラン・マーシュだ、と名乗った男は、言いにくそうに「あんたの若い恋人だが、」ときりだし、あわててつけたした。

「いや、別にそういう情報は他へ流すつもりはない。あんた、かなり実績もある刑事みたいだし、ファンも多いしな。おれはゴシップ雑誌がきらいだから興味もないが、でも、―― それにしても・・・あの子目立つだろ?」ゴシップ誌の対策は平気か?と妙な心配をしてくれるの人の好さに、マイクは笑いがこぼれてしまう。

 この男は、その『若い恋人』に資料室の予約をとられ、文句をつけにきたはずだ。

「ありがたい心配をどうも。―― で?ほんとはおれに何を言いに?」

 息はあがってきたが、まだまだふつうに話はできる。

 

 マーシュはこちらに首をふりむけてから、あんたの恋人マニアか?ときいた。


「『マニア』?」

「客船マニアかって聞いてんだよ」じゃなきゃ、ここの資料室になんて用はないだろ?と続ける。

「その趣味でこの船旅にしたのかもしれないが、悪いが恋人に、しばらく資料室にいくのは我慢してくれって言ってくれよ」

「 ―― どうして?」

 マイクより速く走っている男は、息をきらしながら、「仕事がすすまない」とこたえる。

 仕事?

「つまり、探偵の?」

「そういうことだ」


 つまり、ケビンが考えた通り、この男はあの老女の日記の調査を頼まれているわけか。


「依頼人は、ヴァレット夫人か?」

 このマイクの言葉に心底驚いた顔をむけ、マーシュはランニングマシーンから落ちた。


「うそだろ?何で知ってる?」

 機械のうしろでよろめきながらも体勢をなおし、マイクをみかえすと、首をふりながら、やっぱあんた噂通りだな、と納得したようにわらう。

 マイクも機械の電源をおとし、どうこたえようか考えながらおりると、負けを認めたようにあいての男が両手をひろげた。


「あんたのいう通り、依頼人は、―― イザベル・ヴァレット夫人だ」いったいどこで情報をてにいれたんだ?ときかれるのに、息を整えるふりで動揺をかくす。

 

 イザベル?名前を使い分けてるのか?


 マーシュは視線をはずさない。

 当然だろう。彼への依頼を知っている男が同じ船にいるのなら、探偵として仕事がやりにくくなる場合もあるし、なによりプライドが許さないはずだ。

 息をはき、マイクは微笑んで見せた。

「・・・そうだな。とりあえず、先にききたいのは、・・・その、ヴァレット夫人、どんな人だ?」

「はあ?あんた探偵のシュヒギムってのを知ってるだろ?」

 マイクより先に息が整いだした男は、困った顔をしている。どうやら、《かけひき》や《さぐりあい》を得意とする性格ではなさそうだ。


 マシンにかけていたタオルをとりあげて、腕の時計をみた。レイとの約束まで、まだ時間はある。

「喉がかわくほどじゃないが、からだは動かした。ビールでもどうだ?」

「・・・まあ、あんたと飲めるなんてこの先ないだろうから、飲んでもいいが、買収はされないぜ」

「買収するのは、おれじゃない」

「はあ?」

 顔をしかめたマーシュの背をたたき、もう一度ケビンと連絡をとってみようと考えた。









12.



 みたこともない紫色の液体にはストローと果物が刺さっている。おまけにクラッシュアイスがグラスの半分を埋めていた。

 じつは、アルコール弱いんだよ、とその飲み物を頼んだ男は、マイクの表情をみて、おれの地元のカフェじゃ夏場人気だぜ、とかかげてみせた。


「先に言っておくが、おれはなにも、おまえの仕事の邪魔をしようと思っちゃいない」

 デッキにあるテーブルについてすぐにマイクは前置きした。


 そのうえでマーシュの言う『若い恋人』の名前をつげ、彼の後見人は、あの、実業家のアルゴスだと教えると、半開きだった口からはうめき声がもれた。

 いくらゴシップ誌が嫌いと言っても、探偵でアルゴスのことを知らない者などいないだろう。

「じゃあ、あの子がアルゴスの跡取り息子か?」

「・・・いや。息子は、もっと機嫌の悪そうな顔をしてて、レイと婚約してる」

「あん?じゃあ、なんであんたと船旅なんか」

「おれは見守り役だ。彼はいままで旅行らしい旅行をしたことないんでね」

「ああ、そういやあの子、 ―― たしか船の事故で・・・」

 なにか思い出したらしく、そのままストローに口をつけ、思案顔になる。

 紫の液体を半分吸いあげてから、「これは、彼のトラウマをのりこえる旅なんだな」とひとりで納得したようにうなずく。

 レイがむかし犯罪に巻き込まれたのを隠すため、アルゴスが考えた《いいわけ》である、『船の事故』は、こうやって一般には浸透している。

「・・・そうか。あんな弱そうなのに、あの子、強い男なんだな。いろいろ誤解して悪かったよ」

「誤解がとけたところで、あらためて聞きたいんだが、―― ヴァレット夫人はどういう人だ?」

「・・・・・」

 紫にひたった氷をかきまわし、マーシュはひらきかけた口をとじ、先に、どうしてヴァレット夫人を知ったのか教えてくれ、とグラスをかたむけ、氷をかみくだいた。

「―― レイが、この船の中で夫人に会って、頼みごとをされた」

「っはああ?あのばあさんが、これに乗ってるって?冗談。ありえねえだろ」

 マーシュは腰をうかしかけた。

「おれも見たよ。―― 彼女にしてみればレイは暇つぶしかもしれない。でも、レイにとっちゃ、じぶんが見込まれて頼まれたことなんだ。だから、『日記』をさがしに、ああやって資料室にも通ってる。 ―― おまえがうけた依頼も同じってことだな?」


 目のあった男はじっとマイクをみかえし、息をつくと、目をとじるようにうなずいた。

「―― それで、あの子も資料室に通ってるってことか。・・・だが、こう言っちゃ悪いが、いますぐやめさせろ。あの子はこんなことに巻き込んじゃだめだ」

 

 まきこむ?


「いや、でもレイは彼女の役にたちたくて、」

「それ、赤っぽい髪の女に頼まれたんだろ?」

「・・・赤?」白ではなくて?


 グラスをテーブルに置き、刺さっていたオレンジにかじりつきながら、マーシュは足を組み、背もたれに身をあずけた。

「その女の旦那はすこし太り気味で、いつもサイズのあわないシャツを着てる男だ。ベンダー夫妻だよ。レイって子は、女房のほうの、短い赤茶髪の女に頼まれたんだろ?じぶんたちだけじゃ手がたりないから、『日記』をさがすのを手伝ってほしいって。 きっと弱弱しくすがったりしたんだろうが、とんでもないぜ。 あの女、おれより先に日記をみつけたら、ぜったいにそのまましらばっくれるはずだ」


 図書室からいらだったように出てきた女と、レストランであいさつにきた男を思い出す。


「・・・ちょっと待ってくれ。―― あの夫婦も、『日記』目当てでこの船に?」


 マイクの質問に、ほっとしたように相手はわらった。


「ああ、そこまでは知らなかったんだな。―― あの夫婦の妻のほう、キャサリン・ベンダーが、イザベル・ヴァレットの姪なんだ」

 これでわかったろ?というような顔に、まったくわからないマイクは顔をしかめた。

 その反応に、自分の説明が悪かったと感じたのか、オレンジの皮をもてあそびながらマーシュは続けた。


「だから、―― レイは、ヴァレットを名乗ったキャサリンにこの船で会って、資料室にある『日記』をさがしてくれって頼まれたんだろ? ―― これは、・・・あんたを信用したから話すけど、―― おれの依頼人、イザベル・ヴァレットはいま田舎の施設にはいって残りの人生を楽しんでる。 数か月前、ヴァレット家が処分を検討してる屋敷から、秘密の場所に隠してあった箱がみつかって、財産管理をしてる弁護士がそれをあたらめた。 中にはイザベルのひいひいばあさんであるエリザベス宛の手紙と表にだしたくない書類。それと、ひいばあさんである《アリス》宛の手紙があった」

「『ひいばあさん』?」

 マイクはその単語をなぞった口をふさいだ。


 ああ、そうさ、とマーシュはなんともいえない顔でうなずく。

「どうやら、旦那がアリスあてにだした手紙を、エリザベスが隠したらしくて、何通も箱にあったって。 イザベルがいうには、エリザベスってのが、意地の悪い姑で、気にくわなかった嫁のアリスに宛てた息子からの手紙をかくしたんだろうってさ。 ―― で、その隠された手紙のことを、どうしてイザベルの弁護士が、彼女に知らせてきたかっていうと、」

「『日記』のことが書いてあったんだな?」

 今度は説明がうまくいったようだと、満足そうにうなずいたマーシュはグラスに残る氷をストローでかきまわす。


「きっと、キャサリンは自分の先祖の日記だから、どうしても読みたい、とか言ったんだろう?でも、―― 目的は、そういう感傷的なことじゃないんだ」

「え?」


「その『日記』には、愛するアリスに、《特別なプレゼント》を贈るって書いてあったらしい。ああ、そのアリスの旦那ってのが、当時の貴族では珍しかった実業家だ。北の大陸で、エネルギー開拓にかかわったり、政治家と親交もあったらしいんだが、それのせいで、政治家が失脚すると、かかわってたエネルギー事業から追いはらわれるどころか、新政府派に捕まりそうになって、どうにか船に隠れて出国した。 その船の中でかいた日記が、どうやらこの船にあるらしいんだ」

「この船に『日記』があるのは確実なんだな?」

 それが確かなら、あとはアタリをひくだけだ。

「そこは、イザベルが手をまわしてさぐったんだ。おれはその情報を持って、この船にのった。ところが、彼女の『姪夫婦』もいるのにすぐ気づいた」


 あー、とマイクが質問で手をあげる。

「つまり・・・おまえは依頼を受けたときに、その『姪夫婦』のことを知ってたってことか?」

「イザベルに、ベンダー夫婦の写真と、おれじゃない探偵作成の調書をわたされ、『この二人に気をつけるよう』忠告をうけた」

「どうして?」


 ここで、さすがに探偵の顔に迷いが浮かんだ。

 グラスに手をのばし、ストローをぬくと、そのまま口をつけ、こまかい氷をほおばる。かみくだきながら、情報をまだこちらに流すべきか考えているようだ。

 

「ここにいたんだ」

 弾んだ声が後ろからした。

 あわてて腕時計をみるが、約束の時間より前だ。

 だがレイは、来るって言ってたのに来ないから心配になって、と言い訳のようにくちにして、初対面の男に、礼儀正しくあいさつをした。


「レイ、こちらは、・・・マーシュさんだ。トレーニングルームでしりあった。 ―― 探偵をしてるそうだ」

「ええ!すごい!」

 本心から感嘆したレイは握手をもとめ、自己紹介をした。

 大きく喉をうごかして氷を飲み込んだ男は、なぜか立ち上がり、しどろもどろに挨拶しながら握手した。

 その様子に笑わないようにしながら、「約束の時間はまだだろ?」というと、すぎてるよ、と返される。

 レイが口にした時間に、マーシュも自分の腕時計を確認し、うなずいた。


 マイクの時計は、ひどく遅れている。そしてなぜか、ヴァレット夫人に腕をつかまれた場面を思い出す。


「・・・レイ、悪いけどマーシュさんとすこしはなしたいことがあって」ちょっと待っててくれるか?と聞く前に、レイはなにか感じ取ったのか、先に部屋に戻っていると微笑み、あとで、夕食を一緒にどうですか?と探偵の顔をみあげた。

 とまどったマーシュの視線をうけ、これでまた、ケビンに怒られるなとおもいながらも、マイクはうなずいてみせた。


 去ってゆくレイの背を見送った探偵が、音がしそうな勢いでふりかえった。

「だめだ。やっぱりすぐに彼を遠ざけろ。あの女に騙されてるなんて、腹がたってみてられないし、こんなゴタゴタにあんな子を巻き込みたくないね」

「『ゴタゴタ』?」

 マーシュは疲れたように椅子に腰をおとし、何もなくなったグラスの中にオレンジの皮を落とした。

「―― 言っただろ?『日記』にはアリスへの《プレゼント》のことがかいてあるんだ。そのプレゼントは当時エネルギー開拓で一儲けした旦那が贈った『特別』なもので、どうやら宝石類らしいんだが、それはアリスどころか、ヴァレット家には届いていなくて、どこかに隠したまま、旦那は死んだ。 その隠し場所のヒントが、その『日記』にあるだろうから、おれは自分で動けないイザベルに雇われて、代わりにそれを読みにきたんだ。そんで、あの姪夫婦はイザベルより先に、その宝石を見つけようと思ってこの船に乗ってる」

「早いもん勝ちなのか?」

「ベンダー夫妻の借金を何度か肩代わりしたイザベルは、これ以上何もださないし、ヴァレット家の相続人から夫婦をはずしたんで、正統な手順じゃ何も得られない。 けど、もし先にその《プレゼント》を見つけることができたら?」

「それで、『しらばっくれる』って言ったのか」

「おれとあの夫婦で、どっちが先にアタリをひくかで、まいにちお互いのようすをうかがってるんだ。―― そこになにも知らないレイを引っ張り込むなんて、やっぱりあの女、ほんとがめつくてやな女だぜ」

 テーブルの上で拳をにぎりこむ。やはり、どうにも『ひとのいい』探偵だな、と思いながら最後の質問をした。

「なあ、その『日記』のことをベンダー夫妻はどうやって知ったんだ?」

「施設のイザベルのところに《ご機嫌うかがい》で行ったときに、弁護士からの手紙を盗みだしたらしい。とにかく金が必要だから、必死なんだ。手段もえらばないとおもうぜ」

「じゃあ、・・・たとえば、むこうもお前みたいな探偵とか、助っ人を雇ってると思うか?もしくは、この『日記』のことをほかに知ってるやつがいて、この船に乗ってる可能性は?」

 これに噴き出すようにわらい、マーシュは手をはらった。


「ベンダー夫妻は人を雇う余裕はないさ。だいいちこんな話、どこかにもらしたら、先を越される確率があがるだけだぜ?断言するが、『日記』の秘密を知ってるのは資料室に通ってるおれたち三人と、あんただけだ」

 ゆびをむけられたマイクは、時間のおくれた腕時計をおさえながら考えた。


 じゃあ、あの アリス・ヴァレットは、 なにものだ?







13.


 とりあえず、ケビンと相談したかった。

 時間をあわせた時計を確認すれば、この港をはなれるまでまだ一時間ほどあるが、まだもどってこない。

 船員にきけば、まだ携帯電話がつうじない状況に変わりはなく、原因もわからないままだという。

 期待もせずに携帯電話をとりだしてためすと、なんと、呼び出し音が鳴った。五回目ほどでその音が切れ、『マイクか?』というなんとも不機嫌な声がでた。


「よかった、つながったな。ちょっと問題がいろいろでて ―― 」


『 ああ、 こっちも  《 ッガン!!》  っくっそ  』 


「・・・いまの音は、いったい、 なにやってんだ?」


『 すきでやってるんじゃ  《 ッダ ゴン! 》  ねえんだよ! 』


 そのあとに続いた音を耳にして、やっぱり、と思うと同時に血の気がひいた。


「銃撃戦してるのか!?どうして?」


『 っくそ、だからすきでこうなったわけじゃ、   っが   っと  』 

 ブツッツ



 通信は切れ、あとはなんの反応もなし。


 あやうく携帯電話を床にたたきつけそうになり、息をととのえて怒りをやりすごす。


 ゆっくり怒りの息を吐き出しながら、手近な椅子をひきよせ座る。みまわしたウッドデッキのテーブルは、いつのまにか人でうまりだしている。




 いったん、あの男のことは忘れることにした。


 ケビンの職業がなんであろうとも、簡単に死にそうな人間ではなさそうだし、どうやら彼は、『銃』で応戦しているようだった。

 あと一時間もあれば『片付けて』もどってくることもありうる。

 ともかく、もう先にもどってくるだろうあの老婦人をみつけて、じかに質した方がはなしは早そうだ。


 ほんとうはやりたくなかいが、船長のところへゆき、アルゴスの権威をかりてケビンとおなじように乗客名簿に目をとおし、船の無線経由で警察署に確認をとってもらえるようにして ―― 。


 とたんに、ボオオオオ、という出航の合図。


「・・・ばかな・・・」

 腕時計をみてから、近くにいたひとに時間を聞く。かえったのは自分の時計の針がさすよりも、一時間すすんだ時間だった。








14.


 レイの顔があがり、ぼくがマーシュさんを迎えに行くよ、とマイクのスーツをたたいた。

 うまく結べていなかったタイをなおされたところだった。

 腕時計の時間をさっき合わせたばかりだが、もう一度レイに確認する。

「・・・悪いな。すぐに合流する」

「うん。あのね、マイク、きいてほしいことがあるんだけど・・・」

「おれもある。 ―― が、食事あとでもいいか?」

「うん。わかった」



  ――――


 着替える前。

 船長に会ってケビンが乗り遅れたことを伝えると、驚いたことに「スミスさんからは途中乗船する連絡をもらっています」とかえされた。

 意味がわからなかったが今はケビンはどうでもいい。

 

 アリス・ヴァレット夫人もさっきの港で戻っていないだろう、と聞くと、ヴァレット?と口にした船長が、なにか思い出したかのように手をうった。

「そうだ。ヴァレット夫人。 まえスミスさんにも確認されて、《あのとき》はなにか勘違いしてしまいまして。 ―― わたしが乗客名簿に記載し忘れていたのは、イザベル・ヴァレット夫人の姪ごさんのキャサリン・ベンダー夫人でした」

 ヴァレット夫人ではなかったんです、というのに、マイクは意味がわからなかった。


 そのあと船長がこどもに説明するようにゆっくりはなしてくれたのだが、もともとこの会社の船は代々『ヴァレット』家がよく利用していたのだが、最後の『ヴァレット』であるイザベルももう高齢で乗ることもないと思われたところに、そのイザベルの姪だというベンダー夫妻の予約がはいった。船長は夫のベンダー氏の名前は記したが、妻の名前を記載しわすれていたところに、ケビンからなぜか『ヴァレット夫人』の名前はどこだ、ときかれ、記載ミスに気付き、あわてて『キャサリン・ベンダー』の名を追加したという。

 わかるでしょう?というような船長の笑顔を、マイクはにらみかえしてしまった。

「―― それはつまり、ケビンがきいた『アリス・ヴァレット』は乗船してないということですか?」

「ええ。だから、『ヴァレット夫人』はのっていなくて姪の『キャサリン・ベンダー』が乗っているのに、乗客名簿に記載してませんでした。スミスさんに聞かれて、なんだかヴァレット夫人と混同してしましたが、乗っているのは『ベンダー夫人』ですよ」

 彼女はずっと船にのっていますよ、とこどもにいいきかせるようにゆっくりと発音された。

「それじゃあ、・・・この船には『ヴァレット夫人』はのっていなんですね?では、・・・えらくお年の一人旅の女性客はのっていませんでしたか?」

 まさか、あのアリス・ヴァレットは密航か?

 今回はそういうお客様はいませんよ、と手をふる船長が、そういやスミスさんもアリス・ヴァレットなんて名をだしたけど、イザベルっていいたかったのでしょう?、とわらう。

「ほら、なにしろ『アリス・ヴァレット』は娯楽室のところに写真があるんで、見たひとは頭にのこるんでしょうね」

「娯楽室、の ・・・?」

 レイが、夫人にあったというあの場所か?

 マイクはあそこですこし見た白黒の『写真』たちをおもいおこしながら、アリスは変装だったのか?と、あのしわだらけの婦人のことを考える。


 ―― ちがう。いま、船長が・・・・


「『写真』の下に、小さく表示してあったでしょう? ヴァレット氏が事業開発にとりくむため当時の大型汽船で出発する直前の写真が。奥さんのアリスが横にいるやつですよ。たしかに美人で記憶に残りますよね」

 イザベルとは似てないですけど、という声を背中に『娯楽室』をめざした。


 図書室のローラにうわのそらであいさつを返し、たどりついたそこで、白黒写真のひとつに、あの、『アリス・ヴァレット』を若くした女が美しくほほえんでいるのを確認し、マイクはその場にしゃがみこんでしまった。



 ―――



 とりあえず、新しく知り合った探偵と食事をとるのを楽しみにしているレイには黙っておくことにして、先にベンダー夫妻を探すことにしている。


 マーシュにも、ただ、先にレイと食事をはじめててくれと、着替え前に内線で伝えてある。



 気慣れないスーツとはきなれない靴で、船内をさがしまわる。

 船長に確認した番号の部屋にも、資料室にも夫妻はいない。船内の娯楽施設やプールやトレーニングルームにもいない。

 デッキにでてみまわしながら、腕時計をみる。

 びっくりするほど時間がすぎていて、あきらめて一度レストランにむかうことにした。

 ここはひとつ、マーシュの手もかりることにしよう。


 すでに何度か利用しているレストランの受付は、マイクのこともすっかり覚えていた。

 急ぎ足で近づくのを見つけると、ああ、となにかいいたそうに寄ってきた。

 きゅうに、嫌な予感におそわれる。


「ベネット様、本日のご予約で、」

「そうなんだ。レイとマーシュさんが先に来てるだろう?」

「―― いえ、それが、いらっしゃらないので、ご予約の日にちを間違えたのかと思っていたところでした」

「・・・・きて・・ない?」

 頭がまっしろになった。

 あの『探偵』を人がよさそうだと判断し、すぐに信用した自分をぶんなぐってやりたかった。



 





15.


 走ってマーシュの部屋に着く前に、ジャケットは脱いでレイに直してもらったタイもはずした。

 すんなり顔をだすとはおもわないし、だいいちこの部屋にまだいるとはかぎらないが、船が陸についていない限り船内にいることに変わりはない。

 

 ヴァレットもベンダーもどうでもいい。とにかくレイを無事に見つけ出すことにだけ集中しようとおもいながらドアをノックし耳をつけると、低くながいうめき声があがった。


 鍵のかかっていないドアをすんなりひらいてはいれば、ベッドの足元、口にタオルをまかれたマーシュが転がっている。スーツ姿でしばられた手足がそれぞれベッドとローテーブルの脚に結わきつけられていた。

「っれ、レイが、」

 タオルをとったとたん話そうとするのを手をたててさえぎる。ローテブルの上によく知る文字のメモがのっていた。


『 マーシュさんから聞いてください。ぼくはベンダー夫妻と資料室に行ってきます 』


 あのくそアマ、と手足を自由にしてやったマーシュが後頭部に手をやった。

「―― 油断してたのがわるかった。相手は素人だしあんな」

「いきなり頭を一撃か?」

 のぞきこんだ頭はかわいた血のあとがある。落ちているタオルも赤い。


「いや・・・レイかと思って、その、つい確認しないでドアをあけちまったんだ・・・」

 ところが立っていたのはベンダー夫妻で、はなしがあるといいながら部屋にはいってきた。


 マーシュを、叔母がやとった探偵だと気づいていたようで、『このままでは、船が就航している間に見つけられるかわからない。一番いい手は資料室を管理してる図書室の受付の女から鍵をうばい、資料の保管庫を三人で一斉にさがすことだ』

 手をくまないかと提案してきた。


「分け前を旦那が五分でいいって言ったらそっから夫婦でもめだして、弱気な旦那にいかりくるったキャサリンが、フルーツのはいったガラスの器をふりあげて、―― おれになげつけた」

 倒れて一度気が遠くなったあとに、ドアがノックされてレイがきたという。

「おれの返事がないからはいってきちゃって、そんで、―― 」

 マーシュに駆け寄ってきたところを、女がナイフをレイの顔に近づけ、―― レイにとりおさえられた。


 浴室で頭を洗うマーシュは説明を続ける。

「おれは、あの子が、あんないい動きができるのに驚いたけど、ベンダー夫妻はレイのこと知ってたみたいで、ガクゼン、ってかんじでへたりこんでたぜ。で、そしたらレイが、どういうことですか?って、おれの傷手当したり、割れたガラス片付けながら、二人のはなしをきいてやってさ。いや、あいつらは自分に都合いいことしか言わないし、おれはずっと『正しい情報』をレイに教えたんだぜ?なのに、―― 」


 じゃあ、ぼくがローラに頼んでみましょう


 マイクは思わず笑ってしまった。


「おいおい、笑い事じゃないからな。あいつらが先に日記をみつけるなんて腹が立つし、レイだってまたあの女になにされるか、」

「でも、おまえをしばったのは、レイだろう?」

 マイクの質問に、なんでわかった?とマーシュは口をあけた。やはりこの男は『ひとのいい探偵』で間違いない。

「あのロープの結わき方は船をやってる人間のだし、本気で締め上げてなかった。口のタオルは噛ませないでおおってあるだけだし、頭の下には痛くないよう別のタオルがしいてあった」

「・・・なんだか、レイが謝りながらしばりあげて、マイクが来るまでこのままでいてくれって言うからさ・・・。乗務員に先にみつかったらもちろん、ベンダー夫妻にやられたって証言するつもりだったけどな」


 浴室からもどったマーシュは椅子に座って待っていたマイクをみて、不安そうな顔をした。


「なんでレイを助けにいかない?そりゃ確かに資料室はカメラがまわってるから安全かもしれないが、あそこでレイがあいつらに《つかわれてる》と思うだけで腹がたたないか?」

 新しいTシャツをかぶりながらドアへむかう探偵に、たぶん急がなくて平気だと伝えてやる。

「あと、もう一度スーツを着たほうがいい。たぶんそのままレストランで食事になるから」

 マイクもジャケットを着なおして、ポケットから丸めたタイをとりだした。







16.


 夜の図書室は雑誌や新聞などのコーナーをのぞき、閉鎖となる。

 受付のカウンター近くに人垣があり、レイと、そのまわりにいる乗務員たちは、制服と装備から『警備担当』だとすぐにわかった。


 レイはこちらに気付くとまっさきにマーシュの名を呼び、謝りだした。

「ほんとうにごめんなさい。痛くなかったですか?」

 なんともないさ、と答える探偵を置き、マイクは警備担当たちのほうへ足をむけた。大きな男たちの中心にはローラと船長がいて、なにやら話し込んでいたが、マイクをみつけ、二人ともあんどしたような顔をする。


「資料室に、閉じ込めましたか?」

 マイクの問いにうなずき、船長はここから一番近い警察署と連絡をとるから、と警備員たちとどこかへむかい、ローラはいたずらっぽい笑みをむけて指先にある鍵をまわしてみせた。

「資料室内で『信じられない』ことをされてから、外からしか鍵がかけられないようにしてあって正解だったわ」


 レイがベンダー夫妻を伴って現れ、ローラの肩に腕をまわすと、あの二人をとじこめたいんだけど手伝ってくれる?とささやいた。

 ローラが『日記』をさがすふりで奥の保管庫にはいってゆきそのあと続くようにベンダー夫妻が『閲覧室』にはいったところで、保管庫がわのドア外からカギをかけ、レイが閲覧室側のドアにカギをかけた。

 保管庫から図書室側にでたローラはすぐに船長に、レイからきいた『傷害事件』を報告。かけつけた警備担当者二人とベンダー夫妻は、このまま警察のむかえがくるまで資料室の中で仲良くときをすごす。

 




 あらためて席をとってくれたレストランの受付の男にそろって礼を言って、男三人で気分のいい食事となった。

 食後に移動したバーのテーブル席。

 マーシュは愉快でたまらないように、レイをほめ、ベンダー夫妻もこれでおわりだと、宣言した。

「―― だからレイ、悪いけど『日記』さがしは、あとは任せてくれないか?おれは、―― そりゃもちろん報酬が目当てで仕事をしてるが、日記にかくされたお宝からの取り分はなくて、『宝探し』をしてみたいと思ってこの仕事をひきうけたんだ」

 ヴァレット夫人との契約に、宝が見つかった時の報酬はしるされていないという。

「やっぱりおひとよしな探偵だな」

 マイクはほめるつもりで口にした。


 レイは、マーシュとマイクを見比べるようにしてグラスを両手でつつむと満足そうな笑みをうかべて、「それが・・・あったんだ」とうなずいた。

「・・・『あった』?」 なにが、とききかえすマイクに、「『きいてほしいことがある』って、言っといたでしょ?」とレイが顔をかたむけた。

「あー・・・うん」たしかに。


「きょう、やっと資料室に入れて、で、読んでた日記に、『アリス』のことがでてきて」



 マイクの背中に寒気がはしる。



 マーシュが、アリス・ヴァレットのことか?と身をのりだす。

 うなずいたレイは、だから、とマーシュをみた。

「ごめんなさい。 ―― この日記は『アリス』に返そうと思うんだ」

 そういってレイはジャケットのポケットから大振りな手帳をとりだした。

 マーシュは困惑した顔でマイクに、イザベルのことだよな?ときいてきた。


 答えたくないマイクはその『日記』は勝手に持ち出したのか、とレイに確認する。

「アリスのだんなさんものだって確信した時点で、ローラに事情を説明して、船長にも持ち出し許可をもらってあるよ」

 マーシュが口笛をふいてレイの手際をほめる。マイクはくちもとをなでながら、もごもごときりだした。

「レイ、・・・その、アリス・ヴァレットっていうのは・・・」

 

 そのとき、船内放送がながれた。


『 お客様におしらせいたします。本日、特別海上イベントとして、すばらしい花火がうちあげられます。 北の方角、船の進行方向をごらんになっておまちください 』



 花火?そんなイベントあるのか?

 マイクはマーシュの顔をみるが、相手も困惑した顔でみかえした。

 放送は続いた。


『 こちらのイベントは我が社の古き友人、ヴァレット夫人からみなさまへの贈り物として催されるサプライズイベントでございます 』



 わあ、きいた?うれしそうにレイがまっさきに立ち上がる。

 走りついたデッキの手すりにつかまると、なぜか『日記』をつかんんで、それをおおきく左右にふった。

 おくれてレイの横に立った男二人は、レイが笑顔をむける先、むこうの一段下のデッキからこちらにキスを送る《老婦人》をながめた。


「・・・あのご婦人は・・・アリスのそっくりさんか?」

「そうだといいんだが」

 どうやらマーシュはなかなか適応力があると感心する。


 すると、その老婦人のもとに、クラシカルな襟元のつまったスーツをきた老紳士があゆみより、みあげたこちらへ微笑んで手をふると、妻の手をとり、集まり始めた見物客の間をぬうようにして、姿をけした。


 横のマーシュが、おおきく深い息をはきだす。

「なんてこった・・・その日記は、レイがいったように『アリス』にかえしたほうがいい。イザベルには見つからなかったって報告をいれるさ」



「そりゃいい考えだ」


 その声にふりむくと、先ほどまでいたレストランの受付の男が、腰の高さで銃をかまえて立っている。

「ヴァレット家の『日記』に関心があるのは、一族だけじゃないってのを知らなかったみたいだな」

 いいながらレイに背後からより、見慣れた営業用の微笑みをうかべる。

「バーナル様、こちらにその『日記』を渡していただけますか?おっと、探偵は動かないように」

 マーシュの気配で銃口をレイに近づけた。


「おまえは誰に雇われてるんだ?」

 マイクの質問に鼻でわらう。

「そこのケチな探偵といっしょにするなよ。 おれはこの船をつかってこれからちょっとした商売をする予定なんだが、ベンダー夫婦がレストランでおもしろいことをはなしてるのが耳にはいったから、小遣いかせぎでもしようと思っただけだ」


 商売?とマーシュがくやしそうに聞き返すのに、おれからのプレゼントの花火は楽しんでるか?と男はまだ続くそれをさした。


「海上で船が停泊するのに、ちょうどいい目くらましになる。みんな花火に夢中で多少変な音がしたって、小さい船が寄ってきたって、 ―― 気にならないだろ?」

 なるほど、とマイクは探偵におしえる。

「 ―― この船に違法薬物クスリでも積んであったんだろ。それをこの花火にまぎれてお迎えにきた『小さい船』に移す『商売』をたくらんでたんだろうが、ベンダー夫妻のはなしてるお宝の『日記』を耳にして欲がでた彼は、それも奪ってから、『クスリ』といっしょに途中下船することにした、ってはなしだ」


 さすが警察官だな、と銃口をレイの腹につきつけた。

「だから、その『日記』はこっちにわたしてもらおう」

 ぐい、と筒の先をおしつけられたレイは、くやしそうに口をとじ、動こうとしない。


 みかねたマイクが、レイ、と名をよび、渡したほうがいい、と小声で伝える。

「 ―― っでも、これはアリスの」

「わかってるが、言わせてくれ。おれは、おまえが無事に生きてる方が大事だ」

「・・・・・」

 レイはなさけないほど眉をさげ、一度うつむいてから、『日記』を男の手にわたした。


「これでおれたちに用はないはずだ。 ―― このまま見逃してやるから、レイをはなせ」

 マイクの言葉に「そりゃありがたい」と笑った男は日記を片手にあとずさりし、まだうちあがる花火を楽しむ人たちのなかにまぎれこんでいった。

 マーシュがすかさずあとを追う。


 マイクはうなだれたままのレイにより、肩をつかんで大丈夫か?と頭に顔をよせた。

 のぞきこんだ眼が潤んでいる。よほどくやしかったにちがいない。


「わるかった。でも、さっきアリスに『日記』をみせてやれただろう?」

 うん、とレイがこどものようにうなずいたとき、たて続けに花火がうちあがり、このイベントも終わりが近いとつげる。




 マイクの耳が、花火ではない大きな音を、ひろったが、とりあえず空を指さした。

「みてみろ。ヴァレット夫人がおまえに感謝をこめて企画した花火だ」

「え?でもさっき」

「賭けてもいいが、これは、あの男たちが『企画』してた花火なんかじゃない」だからといって、ほんとはヴァレット夫人でもないが、という言葉はのみこんだ。



 それでもレイは、なんだか読み取ったような顔で、わかった、と空をみあげた。

 子どもが、父親に『これ以上はきくな』という表現をされ、それを受け入れたように。


「 ―― もう少ししたら、ケビンも戻るから、部屋で飲みなおしだ」


 レイは、ものすごくいいプレゼントをもらったような顔になってだきついた。

 マイクは、この旅でなんだか板についてきた自分の『父親役』に、複雑な気分をあじわいながら、レイの背中をたたいてわらってみせた。





 


17.


 部屋にレイを置いてむかったのは船の左後方だった。

 またしても警備担当の乗務員たちと、それにかこまれた船長がいて、困ったようなおもしろがっているような顔をむけられる。

「船長生活において、今回の航海は記念日になりそうですよ」

 おもしろさが勝っている声をかけてくると、もうすぐ海上保安官がやってきます、と見下ろした黒い海に浮かぶ、小さなゴムボートを指さした。


 マイクものぞきこむと、ボートには三人の男が倒れていて、その中に、さきほどレイに銃をつきつけた男もいる。


「『途中乗船』した男はどこにいきました?」


 マイクがきくと、にやりとした笑いがかえる。

「 ―― お部屋に戻られましたが。あ、いちおうお伝えしておきますが、スミスさんはなにも、海で薬物取引をするギャングの船を乗っ取ってここまできて『途中乗船』されたわけじゃあないですよ。 ―― わたしがまた、『勘違い』していましてね、最初から乗船されてました」


 でしょう?ときかれ、そうかもしれませんね、とこたえる。


「おれも今休暇なんで、変なことにはまきこまれたくないのでね。 ―― あの、ボートに倒れてる連中は、こちらの乗員たちが片付けたんでしょう?」

 船長の隣に立つ警備の男が、もちろん、とわらってうなずくのに、マイクは礼を口にしてそこをあとにした。



 レイたちの部屋にゆくと思った通り、ケビンがさっぱりした顔でソファに居座っている。

 驚いたことに、マーシュもそろっていた。


「おつかれさん。 ―― あんたのことだから、てっきりマーシュは追いはらうかと思った」

「おもったよりつかえる男だった」

 ケビンはバーカウンターに座ったマーシュに、ピンク色の液体がはいったグラスをかかげてみせた。

 ほめたのかけなしたのかわからない評価をうけた男は気にした様子もなく、ケビンとおなじピンク色の液体のはいったグラスに口をつけた。


「『日記』は取り返したんだろ?」

「―― 海の底だ」

「・・・なに?落としたのか?」

「あのバカのせいでな」

 むかえにきたゴムボートにクスリの梱包を放りなげ、最後にはしごを垂らし自分も乗り移ろうとした途中で、マーシュに追いつかれた男は、とっさに『日記』をボートに投げた。が、ボートではずんだ『日記』は、あえなく海へ。


 だがなんとマーシュがとっさに飛び込み、一度は回収されたそれを、はしごにぶらさがった男が(マーシュをねらって)撃った弾でふたたび海へ。


 高笑いしながらボートにとびのった男は、そこで待っていたケビンに殴られて、ビニールシートの下に隠されていたお迎えにくるはずだった仲間の横に並べられた。


「あの男だけ、顔が変形するぐらい殴られたけど、『日記』はかえってこないしな」

 マーシュがレイに『日記』のことを説明すると、あなたが無事でよかった、と喜ばれ、いっしょに現れたケビンには、頭痛は治ったの?と心配そうに額に手をあてた。

 マーシュのあっけにとられた顔をみながら、今回の片頭痛はひどかった、と首をふるケビンには、すぐに「お酒はしばらく禁止だよ」と命令がくだった。








18.


 マーシュがマイクの分のグラスに氷と酒をついで渡してくるのに、それでレイは?となかなか現れない理由をきく。


「とにかく、ちょっとまっててくれってことだ」

「あんたがこないと、って言ってたな」ソファでジュースを飲む男がマーシュの横にすわったマイクをさす。


 おれが?とグラスに口をつけたとき、レイがようやく部屋からでてきて、マイクをみとめ、なんだか口をひきむすんだ。

 三人の男の視線をあつめ、ええと、とだした声が小さい。


「―― 今回は、ぼくが気安くうけた『日記』のせいで、いろいろ迷惑かけちゃって、」


「おれは仕事でひきうけた」

「おれは関係ない」

「迷惑なんてうけてないが」


 三人からいっぺんにでた返事に、でもその、ともじもじと両手をあわせる。

「これから・・・かけるかもしれなくて・・・」


「これから?もう終わったろう?」

「『日記』だってないんだ」

「あとは、残りの船旅を楽しむだけだ」


 またそろった三人のこたえに、レイが困ったように顔を赤くした。


「あの、マイク、ぼく、・・・泥棒でつかまるかもしれないんだ・・・」


「・・・どろぼう?」

 隣のマーシュも首をかしげマイクと目をあわせる。


 ソファのケビンだけがいきなり大笑いした。

「そりゃあいい!初めての船旅でいったい何を盗んだのかいってみろ」

 

 それにからだを固まらせたレイをみて、マイクは立ち上がってそばにいった。

 あきらかに、緊張している。


「 ―― どうした?なにがあったんだ?平気だから説明してくれ」


 ここでようやくケビンも、レイの様子に気付き、笑いをおさめた。

 


 レイはマイクに背中をおされてケビンのむかいのソファに腰をおろした。


「あのさ、・・・『あった』って、いったでしょ?」

「ああ、アリスの日記をおまえがみつけた」

 マイクはソファの横に膝をつき、レイの顔をのぞきこむ。

「日記を読んでて、ほんとうにアリスに対する愛があふれてて、すごく感動したよ」

 たしかに、レイは泣きながら読んでいた。

「それで、日記の中身が、終わりの方でなんだか物騒な感じになっていっちゃって・・・」


「政治のゴタゴタに巻き込まれたからな」

 マーシュの言葉に、ああだからか、とレイはうなだれた。


「もう手紙もだせないし、陸に戻れるかもわからないから、最後に、アリスに愛をこめて、この日記を『宝』として贈るってかいてあったんだ。最後に送った手紙にも、彼女に『宝』を残したって書いたから、わかってもらえるだろうって・・・」


「ああ・・・じゃあけっきょく『宝』は、あの『日記』そのものだったてことか・・・」


 夫から妻への愛がつづられた。


「だっておまえ、あの『日記』はローズにも船長にも了解をとったって」

「うん、だから、―― その『日記』から、・・・お宝を勝手にぬきとっちゃったんだ」

「・・・・ん?」

 意味がわからないマイクは思わずケビンをみた。だが、むこうも眉をよせてみかえしてきた。


「あの、『日記』にあった旦那さんの文も、すごく素敵で、ほんとはこんなことやっちゃいけないって思ったんだけど・・・バートにも見せてあげようと思って・・・かきうつしちゃったし・・・」


 覚悟をきめたようにずっとにぎっていたらしい紙をローテーブルにひらいてみせた。



『 

    愛するアリス

 

 今年のきみの誕生日プレゼントを探していたら、すごいものを手に入れたんだ。

 なんでも、この国の昔の王様が、奥さんに送る冠につけられるはずのものだったんだってさ。王様は先に亡くなって、実現しなかったのを、このぼくが手にして、愛する妻に送って、王様の心残りもはらそうってわけさ。

 いい考えだろう?ぼくのお妃さま?


 この石たちをそのままきみに見せたくて、どうやって君に届けようか、悩んでるところだよ。 

 ―― そろそろ、手紙も送れなくなるかもしれないし、船もまた乗り換えることになるだろう。手荷物どころか身体検査をしてくる船もある。

 まあ、いまのところはそんなこともあるけど、どうにかすこしずつ、きみのそばへ近づいているよ。

 

 このまえの手紙は届いたかな?きみは郵便事故だっていうだろうけど、ぼくの母が隠してるかもしれない。母は政治犯になったぼくを許してはくれないだろうからね。


 きみからの手紙はこのまえ郵便局留めでやっと手に入れたよ!あの郵便局ももう見張りがつきそうだから、 ―― 手紙はもう、書かなくていいよ。

 きみが料理を失敗したとか、エドワードがかわいいいたずらをしたとか、きみがくれる手紙はあたたかい愛にあふれていて、何度でも読み返してる。

 今日も月がでたらそれをみて、きみと息子の名をよんで、はなしかけるよ。

 

 こんな鉱石で、きみへの愛を示せたら、嬉しいけど、ぼくの愛は、その石よりも、硬く、美しく、そして永遠だってことを伝えたかった。


  愛してるよ。

  

 この日記を、いつかきみのそばで読み返せることを夢見て、きょうもきみへ愛を誓う。






                           君の王様より 


                                     』




  目を通したマイクは、眉のさがったままのレイにわらいかけた。

  

「なあレイ、他人の日記を書き写したくらいじゃ、『ドロボウ』にはならない」

「あ、だから、そうじゃなくって、」


「おまえ、これ読んでぬきとったのか?」

 驚いた顔でケビンが身をのりだした。


 マイクは、そんな驚くことじゃないだろう?とケビンの横に移動したマーシュに同意を求める。なのに、マーシュもなんだかあごをさすって、目をみひらいている。



「だから、マーシュさんの依頼主の、ヴァレット夫人に渡してもらおうと思ったんだ。でも、無断でぬきとっちゃったし、―― こういうのって、ほんとはやっちゃいけないんだよね?」

 いいながら、ポケットから丸まったハンカチをとりだし、テーブルに置いた。


 すかさずケビンが取ろうとするのに、レイがすばやく反応した。

「ダメ。これはマーシュさんに渡すんだから」

「おれが確認してやる」

「絶対数をごまかすでしょ?」

「・・・わかった。しない」

 ため息のようにこたえた男に、レイはハンカチを渡す。


 またテーブルに置かれたそれがゆっくりひらかれると、薄く丸い石たちがいくつもあった。


「―― なるほど。キャッツアイ・・いや、クリソベリル・・・アレキサンドライトか」


 ひとつをつまみあげたケビンが賞賛ともとれる声で透かし見た石を手の上でころがし、隣の探偵に渡した。


「この日記にある、『鉱石』でわかったってのか?」

 マーシュがレイに驚いた顔をむける。

 だって、と首をまげたレイが説明をはじめる。

「このときもう、彼はいろいろ諦め始めてるのに、この『日記』は彼女のもとへ届いて自分も『読みたい』って強く思ってるでしょ?それだけ大事なんだと思って、日記をなでてたら、なんかすこし不格好だなって気が付いて」


 どうやらここで一人だけわかっていないマイクをみて、ケビンが説明しはじめる。


「古い本の製本で、背表紙と本体の紙束の間に、『すきま』ができるのがある。本体の紙束を、背中にはったガーゼ状の布で糊付けして、表と裏の表紙ともつけるってやり方だ。背表紙と中身には、はじめからアソビがあって、古くなるほど、背に『隙間』があく」

「うん。そこをのぞいたら、ガーゼがへんに分厚くなってて中になにかつまってそうなのが見えたから・・・。一度解体して、背になるところに縦に並んでガーゼにはいってたこれを、抜き取っちゃったんだ・・・。でもこれって・・・マーシュさんの依頼人のイザベル・ヴァレット夫人に許可もらってないから・・・ぼく、訴えられちゃうかも・・・」


「許可とかいう前に・・・レイ、その、イザベルのことも知ってるのか?」


「だって、アリスにきいたから」


「はあ?じゃあおまえ、アリスが、・・・あのおばあさんが『幽霊』だって知ってたのか?」


「『幽霊』なんかじゃないよ。 ―― ちょっと心残りがあったから、この船に乗って、ぼくに頼みごとをしてきただけだよ」


「いや、だから、そういうだいぶ前に亡くなった人のことを・・・」


「ねえマイク、アリスには足もあったし、ぼくにキスだってしてくれたんだよ?あんなちゃんとしたご婦人を、『幽霊』ってよべるの?」


 アリスの部屋番号をマイクが聞こうとしたときといっしょだった。

 レイは本心からそう思っていて、マイクの礼儀を欠いた考え方をとがめている。


 

 ケビンが噴き出すのをこらえるように口をおさえた。


 マーシュが腕を組み、なにか感じ入ったようにうなずいている。


「とにかく、 ―― ぼくがしたのって・・・なにか犯罪になるよね?・・・もし、イザベル・ヴァレット夫人に、『宝石はもっとあったはずだ』とか訴えられたら、きっと、みんなにも、迷惑かけちゃうことになるよね・・・」


 勝手なことしてごめん、とレイが両手をにぎりこむ。


「 イザベルは訴えたりしないさ 」


 はっきりこたえたのはマーシュだ。


「もともとあのばあさん、さっぱりしてる性格だし、『日記』が海に沈んだのはおれの失敗だし、その『日記』からこれらの宝石を、 《機転が利くすばらしい頭脳》 で抜き取ったおれに対して、ひょっとしたら特別料金をだしてくれるかもしれないな。もしそうなったら、ここにいるみんなで、また旅行でもするか?」


「そういうことだ。 ―― まあ、『宝探し』は残念ながらこの探偵が勝ったってことにしておいて、ほんとの『勝者』のレイと、この宝石に、祝杯をあげないとな」


 ケビンが立ち上がり、マーシュをよびよせて、ルームサービスの注文をはじめる。


 立ったままのレイが困ったようにマイクをうかがう。

 なにしろ休暇中とはいえ、マイクは現役の『警察官』だ。


 それをよくわかってる男は、立っているレイに、なにかをいいたそうな目をむける。


「・・・おこってるよね?」


「おれが?なんで?」


「だって、この旅行、ぼくの考えで、勝手な事ばっかして・・・。ぼく・・・正直わかんなかったんだ・・・。旅行って、《楽しい思い出》になるっていうでしょ? ぼくはマイクといるってだけでこの船旅がその『思い出』になるけど、マイクはきっと、もっといい思い出があるだろうし、・・・とにかく、この旅行の思い出が、《ぼくの面倒をみた》ってものにだけは、なってほしくなかったんだ。 ―― ぼく、・・・マイクのこと勝手に、歳のはなれた『兄さん』みたいに思ってて・・・。ごめんね。・・・こんなことになっちゃって、台無しだったでしょ?」



 ―― そうか・・・『父親』だと勝手に思ってたのは、おれのほうか・・・



 ひどく恥ずかしくて、ひどく気分がよかった。

 おこられるのを待つようなレイが、立ち上がったマイクを子犬のような眼でみあげる。


「―― ききたいか?この船旅の、おれの感想を?」


 レイは覚悟をきめたようにうなずいた。

 



「  さいっこーだ!レイ! こんな思い出に残る船旅ほかにないぜっ!! 」








 残りの船旅は、寄港したところすべてで降りて観光客として楽しみ、男四人であきれるほど写真をとった。


 仕事場に戻ったマイクは日焼けをみんなにうらやましがられ、しばらく肩身の狭いおもいをすることになったが、その日焼けがうすくなったころにはケンが次の『旅行』を計画しはじめた。




 ふつうに友達と休みをあわせ、ふつうに楽しむ今度の友達たちとの『旅行』は、きっと、マーシュが住む諸島方面へゆくことになるだろう。






                 

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