第六章 叛逆の四日目 ⑩
小日向へして欲しい行動を伝えた後、僕と柊は彼女のコテージへ戻ってきていた。
これから雨が降り始める。となれば足利たちは食堂に集まるはずだ。
そこへ、小日向が鍛錬で鍛えた大声で彼らを糾弾する。
そうすれば彼らは、煩わしい批判や受験生の疑義の視線から逃れようと各コテージへ戻ることは容易に想像がつく。
もう一つは、解答を教える契約を結んでくれないであろう足利のコテージの前で、終日助けを乞う。
声優を目指す彼女なら、焦燥に駆られた少女の役を上手く演じてくれるだろう。
これらは全て、足利をコテージの中に閉じ込めることが目的だ。
「懸念があるわよ」
待ったをかけたのは、柊だ。
「足利くんが、一人でコテージに戻るとは限らない。お仲間の誰かと一緒に入ってしまうかもしれないわ」
「だったら、先に誰かが入ってしまえばいい。……ちなみに、柊、ピッキングは?」
「九歳でマスターしたわ」
「なんで小学生がピッキングの練習してるんだよ……」
「ともあれ、それは有効ね。彼、今朝は誰も泊まっていない旨の発言をしていたし」
足利のコテージの位置は、小日向が知っていた。
二日目の夜、織田や佐藤と一緒に足利グループと行動している時に見たそうだ。
「それで? 足利くんを一人でコテージに閉じ込めて、どうするつもり?」
「作戦のキモはそこだ。……足利が解答を購入する前に、ベルノを奪い盗る」
「どうやって?」
「解答を持ってきた先生に変装するんだ。幸い、ベルノの受け渡しは同じスマホだし、先生の服装もジャージだったよね。顔さえ隠せれば、いけると思う」
「でも、わかってるわよね? 注文したものが届くのは二〇時以降。受験者の私たちはその時間、自由に動けないわ」
「時間を誤認させればいい。そのための孤立だ」
僕は、自身の腕時計を掲げる。
「これに関しては、柊に任せきりになっちゃうけど……何とかして、足利の腕時計の時間をずらしたりできないかな? できなければ、他を考えるけど」
「目を瞑ってもできるけれど」
「さ、さすがに目を瞑りながらは嘘でしょ……」
彼女なら本当にできかねないとも思えてしまうのは、頼もしいやら恐ろしいやら。
「でも、まだよね。彼がお仲間とメッセージのやり取りをすれば、そこから時刻のズレに気づかれるかもしれない」
柊の言うことはもっともだ。
そちらの対策については、僕が動くつもりだ。
だけど、少しだけ言い淀む。
言葉には気をつけないと。鋭い柊に追及されたら面倒だ。
「当てがある。任せてくれないかな」
「……どうしてぼかすの?」
「説明しにくいから……かな」
「……確度は?」
「大丈夫だよ。信じて欲しい」
「……なら、言うことはないわ」
心配とは裏腹に、柊はあっさり引き下がった。
僕の目を見て、嘘ではないと判断したんだろう。
「じゃああとは、実行の瞬間の詰めに入ろうか」
僕は脱衣所から、Mサイズのジャージを持ち出す。
「小日向が足利のコテージ前で陣取って、足利の時計で二〇時直前になったら、変装した僕がベルノを回収しに向かう。それだけで騙せたらラッキーだけど、まぁまずあり得ない。だから、二段構えで行こうと思う」
「顔はどうやって隠すの?」
「注文した品を持ってくる先生って、帽子をかぶってたでしょ? 僕がジャージから仕立て直すよ。裁縫は得意だ、任せて」
「……そして、神代くんの正体を見破った彼が、テンション・リダクション効果で油断したところを、私が今度こそベルノを騙し盗る、と」
「うん。そのナントカ効果は知らないけど、作戦を失敗した僕が弱ったところを見せれば、彼はきっと調子に乗って注意力が鈍ると思う。そこを突くんだ」
足利信臣という男は、見るからに支配者側の人間だ。
それは頭のキレや持って生まれた威圧感などもそうだが、何より彼は、人の上に立ちたいという欲望が頭抜けている。要は、他人を明確に下に見ている。
割り込みされる人を慮らない性格。騙し討ちをされた織田たち。僕たちへ向けた態度。
そのどれもが、この世界は自身を頂点としたピラミッドだという前提を元に現出した行動と見て間違いない。
だったら、その優越感をくすぐってやればいい。
魅惑的な弱者が、苦し紛れの悪あがきすら見破られて地に伏せるその瞬間。
足利はきっと、冷徹にそれを見下ろす。冷酷に、勝者の味に溺れるだろう。
だからきっと、その後に訪れた柊に気付けない。
「……正直驚いたわ、神代くん。あなたがここまで変わるなんて」
「いや、まだまだだよ。前の僕なら、自分の力だけでこの盤面をひっくり返せたかもしれない」
「いえ、能力じゃないわ。……その、心持ちの話よ」
柊は、長く美しい銀髪を指で梳かし、切なげに目線を落とす。
「それなら……私も腹を括るわ」
まるで、しばしの別れを惜しんでいるような、影の落ちた表情だった。
「腹を……括る?」
「ええ。この作戦は、私がベルノをいただくことが要。絶対に足利くんにバレてはならない。となれば、万全を期して、私自身も変装した方が良い」
柊は、絹のような銀髪を宝物のように優しく手で受け、
「髪を染めるわ」
信じられないことを口にした。
「昨日朱肉を持ってきたのは、おそらく赤川先生。彼女は帽子からわずかに赤い髪の毛がはみ出していたわ。それを演出するの。……購買に、製菓用の食紅が売っていたわ。あれの水溶液を沸騰させて髪を三〇分も漬けておけば、真っ赤に染まるはず。幸い、私は色素も薄いしね」
「で、でも……」
柊は、髪を大切にしている。
ベルノの使い道も定まっていない初日の段階で、高級なシャンプー類を購入していたほどだ。
それなのに。ただの染髪ですら髪を傷めると言うのに、応急処置的な乱暴な方法で赤い色素を入れてしまえば、そこは修復不能なほどダメージを受けるだろう。
それを、彼女は受け入れた。
「大切な人との、思い出なんじゃないの?」
「神代くんはどう思う?」
返されたのは、斜め上の言葉。
じっ……と。柊の釣り目がちな凛とした瞳が僕を射抜く。
「毛先だけ赤くなった、私」
「うーん……それはそれで、かっこいいかもしれないけど。ツートーンカラーってやつだよね」
「罪な人ね、神代くんは」
柊は、可憐に笑った。
「問題ないわ。私たちが合格するためだもの」




