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第六章 叛逆の四日目 ⑨

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 時刻は午前八時まで遡る。


 僕たちは、足利たちの元から去った後、作戦会議をするべく柊のコテージへ向かっていた。

 どんよりとした曇り空の下を歩く、その道中。

 居住区画の端に位置するコテージの軒先で、心細そうに膝を抱えている少女が目に入った。


 それは、太陽がよく似合う天真爛漫な少女――小日向だった。

 彼女は僕らに気がつくと、ゆらゆらと力なく手を振ってきた。


「や、お二人さん。やつらのとこ行っとったんか?」

「……そうね。追い返されちゃったけれど。あなたは何を?」

「なんも。強いて言うなら自己嫌悪」


 小日向は、今にも降り出しそうな灰色の空をふと見上げる。


「……ウチのところにも来たよ。やつらのメッセージ。二万ベルノで救ってやる、ってやつ」

「どうして行かなかったの?」


 言いながら、ほとんど答えはわかっていた。

 だって、どこか遠いところを馳せるような彼女の瞳からは、一筋の涙が伝っていたから。


「はは。変なこと聞くなぁ。おでんちゃんを騙して足蹴にしたやつらに(くみ)するなんて、考えられへんやんか」

「……そうだね」


 それに、足利が、僕たちに解答を横流しする可能性のある小日向を迎え入れるとも思えない。

 小日向の運命もまた、織田紫音と共に地獄へ接続されたのだ。


「でも……やけどウチ、そのせいで、不合格になるんやね。……あぁ、バカみたいや」


 彼女は、抱えた膝の中に顔を(うず)める。

 その声に、弱々しい揺らぎが混じっていく。


「ウチ、ほんまに声優になりたいんやろか……もう、なんにも、分かれへん」

「……ねぇ、小日向」


 僕は、すっかり表情の隠された彼女へ、そっと問いかける。

 それは、慰めでも同情の言葉でもなくて。

 勧誘だ。


「僕に、協力してくれないかな」


 小日向は、おもむろに顔をあげる。目元が真っ赤だった。


「僕はこれから、足利たちに一泡吹かせてやる。君さえ良ければ、手を貸してくれないかな」


 闘争。抵抗。敵対。応戦。逆襲。反撃。言葉はなんだっていい。

 僕は、このままおとなしく負けてやるつもりはない。


「……断るわ。やるだけ無駄やんか、そんなの。おでんちゃんが失格になった時点で、ウチのハッピーエンドはないんやから」

「これから僕たちは、足利グループから解答を聞き出してみせる……って言っても?」


 小日向の表情は変わらない。諦めが泥のようにへばりついている。


「手に入れた解答を、君にも教えると約束する。とりあえず合格だけはしておいて、織田のことは試験が終わってから彼女に直接相談すれば良い。なんたって、試験に合格しても、入学は任意だからね」


 失格してしまった織田紫音と連絡を取ることはできない。

 だったら、どちらでも問題ないような選択肢を持っておいて、彼女と相談の上で進路を決めれば、きっと後悔は少ない道が拓けるはずだ。


「……そんなこと、ウチは好かん。どの面下げて、おでんちゃんに『ウチだけ受かりました〜』なんて言えばええの」


 もちろん、これが道徳的に取り辛い選択肢であることなんかわかってる。

 でも。


「多分だけど……織田なら、祝ってくれるんじゃないかなとは思うけど」


 織田紫音は、優先順位を間違えず、冷静に判断を下せる人間だ。

 感情や恩義に流されず、それでいて、無視するわけでもない選択肢を考えられる人だ。

 小日向を助けた僕たちよりも、見かけ上有利な足利たちに付き、

 その上で、僕たちに解答を流せばいいと、泣く小日向へ諭したように。


「ちゃうねん、あの子はあれで案外傷つきやすい子やねん。きっとウチだけ受かったりなんかしたら、おでんちゃんは……」

「もし逆の立場だったら?」

「え?」


 僕の問いかけに、小日向は怪訝そうに瞳を揺らした。


「もし小日向が不合格になって、織田だけが受かってたら」

「……そら、めっちゃ悲しい。羨ましい……けど、最後には、応援すると思う」

「だったら――」

「でもそれは!」


 小日向は、食いかかるように立ち上がると、


「それは、紫音ちゃんが本当に声優になりたいって知っとるから! だから!」

「君だって、なりたいんでしょ」


 響き渡るような芯のある叫びを抑えて、僕は突きつけるように言う。


「小日向の声……すごく良く通るよ。今だってそうだ。滑舌も良い。それって、普段から鍛えてないといけないんじゃないの?」

「そうね。私も声帯模写はできるけれど、声量だけは真似できるものではないわね」


 僕に被せるようにして、柊が後押しする。


「弛まぬ努力あってこその一芸。誇って良い能力だと思うわ」

「で、でもそれは、ただ、おでんちゃんと一緒に……」

「それは違うよ、小日向」


 未だ自分を認められない彼女へ、僕ははっきりと告げる。


「君は、声優になるって目標のためにトレーニングを積んだ。それは、その事実だけは、何があっても揺らがないよ」

「……、」

「それに、別に声優になんてなれなくて良いって思ってるなら、さっさとこんな試験失格になってるでしょ。失格の条件なんていっぱいあるんだ。……なのに君は、律儀にルールを守って今日まで参加してる」


 小日向の顔が俯き、垂れた前髪が表情を覆い隠す。


「小日向だって、絶対に声優になりたいはずなんだ。……だったら、戦わなくちゃダメだ。戦わないと……何も得られないんだから」


 小日向は、まだ顔を上げない。

 だけど、静かに。絞り出すように、口に出した。


「……いや、ウチはただ結論を先延ばしにしてただけや」

「……でも、」

「神代くんにとって、『戦う』って何なん?」


 遮るように、小日向は目を伏せたまま問うてくる。


「戦争のないこの日本で。堕落してても生活が保障されてるこの環境で。それでも身を削って戦わなあかん理由って、何やと思う?」


 戦う理由。

 今朝までの僕だったら、きっと一つとして答えられなかっただろう。

 戦わない理由にばかり縋り、逃げ続けていたはずだ。


「……そんなの、決まってるだろ」


 だけど、今は違う。

 もう僕は逃げない。

 憧れる自分になるため。助けたい人を助けるため。死の呪いを跳ね返すため。


 全部ひっくるめて。

 一つの目的に帰結する。


「生きるため、だよ」

「……!」


 小日向の瞳が、僕を捉える。

 モノクロに曇った表情が、徐々に晴れていくのを感じた。


「……それ、紫音ちゃんも同じこと言っとった」


 頭上の空は灰色に澱み、

 だけどその少女からは、確かに光が射し始めた。


「タイパで物事を選ぶ時代だからこそ、愚直に一つのことを突き詰めた奴は輝けるんや、って」


 だから彼女らは、夢を追いかけた。

 努力を尊びながら、怠惰な性格すら『個性』で済ませる世の中で。

 本当の意味で、今を生きるために。


「――あぁ、そっか、ウチ今、半分死んでたんやな」


 小日向は、おもむろに立ち上がる。

 そして、意志を宿した瞳で、僕に微笑みかけた。


「……ウチは、何をすればええの?」

「決まってる。――声優志望の小日向が、できることだよ」


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