第四章 邂逅の二日目 ⑪
『……ずいぶん上機嫌じゃないかい』
柊が帰ったあと、沸かしたお湯で袋ラーメンを茹でている僕へ向けて、フェリスが恨めしそうに言う。
そういえば、柊と話している間も、ずいぶんと静かだった。
昨日の、生焼けみたいな喧嘩をまだ引きずっているのかもしれない。
「別に。上機嫌ではないよ。お腹が空いてたから夕飯が待ち遠しいだけ」
『良いよね、人間サマは。食べる理由があって。食べなきゃ死ぬんだものね、仕方ない』
ふわふわ、と。フェリスは風船が風で流されるように台所からベッドへ漂っていく。
僕は、昨日フェリスが言ったことを思い出していた。
――餓死はしないけど、お腹は空くんだよ。
一体全体、どうしてそのような状態になるのか。
餓死することのない生命体が、それでも空腹を感じるのはなぜなのか。道理が通らない。
本当に、フェリスという存在は何なんだ。何を目的として、何を目指して生きる生物なのか。
大半の生物は繁殖が目的だ。人間だってそれは当てはまる。
まぁ、人間の場合は、もっと高次の欲求とかもあるだろうけど。
一方で、フェリスの目的は分からなかった。
人間が苦しむ姿を見る?
願いに翻弄される人間を見て嘲笑う?
考えれば考えるほど不思議だ。
そんなことをしても、彼女には一時の快楽しか得られないだろう。
だってそれは、人間がテレビ番組を見るのと大差ないだろうから。
――きちんと知りたかったから、納得のいくまで追求したの。
ふと、柊の言葉がリフレインした。
僕は、フェリスのことを何も知らない。
いや、知ろうとしていなかった。
僕を死へと誘う悪魔。その前提が強過ぎて、きちんと向き合っていなかった。
もちろん、彼女のこの呪いは、到底許容できない。
それに関しては計り知れない憎しみだって抱いているし、同時に、震えるほどの恐怖を抱いてもいる。
だけど。
一緒にラーメンを食うくらいなら、良いんじゃないか。
だって彼女は、お腹が空いているんだから。
「フェリス」
僕は、ベッドの上で伸びている彼女へ声をかける。
僕の心の声まで聞こえてくるはずだろうに、フェリスは返事をしなかった。
不審に思って、彼女の元へ歩み寄る。
まさか、一日中コテージにいたわけだし、寝落ちするほど疲れているわけもないと思うんだけど。
『ッ! 来ないで!』
僕が近づくと、フェリスは声を荒げる。
うつ伏せになって腕で顔を隠し、その表情は窺い知れない。
だけど。
声が、揺らいでいた。
どこまでも、普通の少女みたいに。
「……フェリス、泣いてるの?」
『泣いてないッ!』
ずび、と洟をすする音がした。
全然意味がわからないけど、少しの間だけ放っておくことにした。ラーメンが伸びてしまう。
お湯へ乾麺を投入してから、だいたい三分が経った。
火を消して、粉スープを混ぜ、小さな器に麺とスープを三分の一ほど取り分ける。
そろそろ落ち着いただろうか。
僕は、鍋と器を持ってベッドの方へ。小さなテーブルへ、それらを載せた。
「フェリス。いいよ。食べて」
うつ伏せの彼女へ声をかけるも、返事はない。
ともかく僕は、ラーメンを口に運ぶ。
完食した時にまだフェリスが手をつけていなかったら、そちらも食べてしまおう。
『たっ、食べる! 食べるよ! ちょっと待って!』
僕の心の声を聞いて焦ったのか、フェリスが目元をごしごし擦って起き上がる。
目元はキラキラ光っていて、明らかに泣いていたことが容易にわかった。
フェリスは『うるさいな』とぶつぶつ文句を言いながら、小分けにしたラーメンの器を持ち上げる。
そのまま、悔しそうな顔でズルズル啜り始めた。
『……んまい』
「チーズドリア以来だもんね」
しばらく、僕たちは無言でラーメンを堪能していく。
僕だって、今日は何もお腹に入れていなかった。待ちに待った夕飯なのだ。美味いに決まってる。
麺を食べ切り、スープまで飲み干した頃、勢いに任せて僕は問いかけた。
「……フェリスってさ、生き物なの?」
『何を言うか。フェリスは悪魔だよ。……悪魔って生き物なのかい?』
「いや、知らないよ……」
まさかの、彼女も理解していなかった。
ますます謎だ。
「親とかは?」
『そんな概念、存在しないかな』
「寿命は?」
『死んでないからわからないよ』
思ったよりも、聞いたことには答えてくれる。
拍子抜けというか、意外だ。
だけど、遅れて気がつく。今まで、僕が彼女に全然質問してこなかっただけなんだ。
「何で僕に呪いをかけたの?」
『願ったのは、キミだ』
「そうじゃなくてさ……」
どさくさに紛れて本質を聞こうと思ったものの、少しだけズレた回答が返ってくる。
「どうして、人間の願いを歪曲して叶えるのかってことだよ」
確かに、僕が特待生で入学したり、主席で卒業したりしようものなら、確かに彼女は「願いを叶えた」ことになる。
だけど、それは結果論にも近い暴論だ。
『それに関して、フェリスが言えることは何もないよ。フェリスは、命じられた行動をとっているだけだからね』
「……そっか」
わかったような、わからないような。
だけど、一つだけ言えることは。
フェリスは、自ら進んで僕に呪いをかけたわけではないということだ。
『あ、勘違いしそうになってるから言うけど、キミがフェリスに翻弄されてあたふたしてる姿を見るのは楽しいよ?』
「……今のは言わなくてよかったよ」
『下手に、本当は特待生にならなくても死んだりしないんじゃないか、とか希望を持たれても困るからね。フェリスは昔から一度も、呪いに関して例外を作ったことはない』
フェリスはそれだけ言うと、ふわりと浮き上がってベッドの方へ漂っていく。
「昔って、いつからだよ」
僕の問いと、フェリスがベッドに落ちるのはほぼ同時だった。
『……わからないくらい、昔だよ』
彼女はそれきり、僕に背を向けて寝転がってしまった。
僕は鍋と器を持って台所に行き、じゃぶじゃぶと洗う。
「そんなに昔から、君は存在してるのか」
『まぁね。でも、キミに取り憑けと命令されたのは、そんなに昔じゃない。ほんの一年ちょっと前くらいだ』
「……え?」
僕は洗い物を止めて、ベッドに寝そべるフェリスを覗き込む。
『理由も、キミにフェリスをけしかけた本人も言わないよ。言えないんだ』
それきり、彼女は何も話さなくなってしまった。
『……まぁ。ラーメンは、ありがとう』
照れくさそうな声が聞こえた気がした。




