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第三章 怒涛の一日目 ⑥

「学校側は、この試験の自由度を高めたかったんでしょうね。ある程度定められたルールを守りつつ、どう解答を集めていくのか。それは受験生の発想力次第。面白いじゃない」


 柊は不敵に笑う。

 まるで、負けるところなんか想像すらしていないみたいだった。


「……ていうか柊、そんな大事なベルノを、シャンプーなんかに使ったの?」

「あら。勝つためには必要よ。髪の艶や指通りがいつも通りじゃなかったら、集中が乱れて思考力は三〇%減だわ。これは無視できない損失よ」


 涼しい顔で言い訳を並べる柊。

 ふぁさ、と髪をはためかせた。


 確かに、その長髪は枝毛もなくストンと腰までまっすぐ伸びている。

 光沢のある美しい銀色は、高級なシルクみたいだ。日頃のケアの賜物だとは思う……が。


「二千ベルノも、無視できないと思うけど」

「そうね。……でも、髪だけは、譲れないのよ。昔、大切な人との、思い出だから」

「そ、そう、なんだ……」


 相変わらず飄々と言ったように見えたけど、どこか寂しそうにも見えた。

 その淡い色の瞳には、その『大切な人』が映っているのだろう。

 柊にそこまで言わせる人に興味があったが、簡単に聞いていい話題じゃないような気がして聞けなかった。


「心配しないで。これは自分で課したハンデ。抱えた上で合格してみせるわよ」


 柊は勝気に笑うと、両手にパンパンの買い物カゴをぶら下げてのっしのっしと歩き始めた。

 ……あれ、本当に五日で食べる気なのか?


 僕も五食入りの袋ラーメンをカゴへ放り込むと、柊の後を追ってレジへと向かった。

 二つあるレジは無人だった。商品に見えないタグでもついているのか、買い物カゴをレジに載せた瞬間に金額が画面に映し出された。二四ベルノらしい。やっぱり安い。


『ベルノを支払ってください』


 画面から事務的な音声が発せられる。

 操作方法がイマイチわからず、とりあえずスマホをあちこちに当ててみたものの、何も反応してくれない。


「……あ、もしかして」


 ふと思い立って、スマホの『ベルノ』を開く。

やっぱりあった。まだ画面の確認はしていなかったけど、『ベルノ』を開いた先に、残高と『ベルノ送信』『ベルノ受信』というアイコンが並んでいた。

 僕は、『ベルノ送信』をタップ。すると、電卓みたいな画面が開いた。きっと、支払う金額を入力するんだろう。二四と入力し、エンターを押す。

 チャリーン、と軽快な音。支払いは無事できたみたいだ。さっきまで金額が表示されていたレジの画面は『支払い完了』となっていた。


 僕はレジの隣に平積みされていた大きなビニール袋を一枚剥ぎ取り、その中へ買ったラーメンを放り込む。

 隣の柊も同じように袋へ詰めているが、四枚くらい使っている。

 可憐で気高さすら覚える風貌に反して、袋をパンパンにして商品を詰め込む姿は、なんかものすごく主婦っぽい。


 少し時間がかかりそうだったので、僕は先にレジを出て、自動販売機へ。

 目的は、飲料じゃない。

 自販機の隣にある、ゴミ箱だ。

 僕は、投入用の丸い穴が二つ空いている蓋を外し、中身を確認。


「あったあった」


 奥の方に沈んでいた、二Lのペットボトルを拾い上げる。誰かが捨ててくれてて助かった。


「神代くん、ちょっと……あなた、何をしているの?」


 いつの間にか、柊が僕の後ろに立っていた。両腕には大きく膨らんだビニール袋。

 その顔は、困惑に満ち満ちていた。まるで、理解不能な奇行を目の当たりにしたみたいに。

 ポーカーフェイスな柊でも、そんな顔するんだな。


「何って……水筒用のペットボトルを調達してたんだよ。明日もきっと暑いし」

「……。あなた、正気? 飲み物くらい買えばいいじゃない。売ってるんだから」

「柊こそ何言ってんのさ。節約だよ」


 購買の水は、五〇〇mLで一四ベルノだった。

 しかし、受験生には一人一人にコテージがあてがわれているのだ。

 そこには当然水道もあるはず。水はタダだ。


「僕が欲しいのは容器だけだ。一四ベルノも使ってられない」


 どこの誰が口をつけたモノかわからないが、そんなこと洗えばどうでもいい。

 それより、ベルノの浪費の方が命を削る。


「まさか、あなた……今買ったその袋麺だけで五日間乗り切るなんて言わないでしょうね」

「言うよ。当然じゃんか」


 五日間で、二四ベルノしか使用しない受験生は、きっと僕だけだ。

 正答数が同じだった場合、残ベルノが多い方から特待生に選ばれる。

 なら、ベルノは極力使用しない。

 僕は、それを突き詰める。


「僕は、絶対に、特待生にならなきゃダメなんだよ」


 確かに、僕は面と向かって戦うことを避けるきらいがある。それは自覚もしてる。

 戦うことは、悪だから。抗うことは、怖いから。

 でも、やれる範囲でやれることを怠ってきたつもりもない。それは、この試験でも同じだ。


 それがたとえ、常識的にはあり得ないことだったとしても。

 命には、決して代えられない。


「……ちょっと、目が怖いわ。合格するだけでも狭き門なのよ。目標は高すぎても意欲を削ぐだけだと、アルフレッド・アドラーも言っていたわ。特待生のことは一旦忘れて、体調を崩さないよう食事と睡眠はしっかり摂った方がいいわよ」


 柊は、呆れたように、


「――死ぬわけでもあるまいし」


 それは、決定的な溝だった。

 命を悪魔に握られている者と、そうでない者の。


「そもそも、常盤城の倍率は一%を割るわ。今回の受験者が六〇人と言うことは、特待生どころか、合格者が出ない可能性だって大いにある。まずは、確実に解答を七枚以上集めることを優先しましょう」

「わかってるよ。まぁこれは、保険だよ。そもそも僕、少食なんだ。心配しないで」

「嘘ね」


 しん……と。

 僕たち二人の間に、嫌な静寂が流れた。

 柊の切れ長の瞳は、値踏みしているように細められていた。


「イカサマは許さないわよ」

「ケースバイケースなんでしょ?」

「……実に素敵ね」


 柊は、軽く息を吐く。


「まぁいいわ。誰にでも事情はあるものね。悪かったわ」


 彼女は踵を返して、購買から食堂を通って出口へ向かう。


『さっきの光輝クン、いい眼をしていたよ?』


僕の後ろでふわふわ漂うフェリスが、そっと耳打ちしてくる。


『目的しか見えてない、危うくて、濁った眼。うんうん、順調に狂ってくれてて何よりだよ』

『おかげさまでね。どうもありがとう』


 精一杯皮肉ってやり、僕は柊の後を追う。

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