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真昼の星

作者: 星野紗奈

どうも、星野紗奈です。

ちょっと違う作風で試したやつが公開できる状態になったので、投稿しておきます。

表現の関係上あんまり改行したくなくて、読みにくかったらすみません。


それでは、どうぞ↓

 馬鹿な女がいる、と思った。


 水泳の授業で着替えてプールサイドに出てから、アンクレットをつけっぱなしだったことに気がついた。今更更衣室に戻って教師に目を付けられても面倒だと思って、こそこそとそれを取り外し、ベンチの影にそっと押し込んだ。ざらついた床と擦れて、ちゃり、と音がした。


 ばちゃん、と波立って、光の粒が舞う。


 何かが足りていない違和感を覚えたまま放課後になって、やっと思い出したアンクレットの存在に息をつく。ちょうど水泳部が片づけを終える頃に顔を出すと、見覚えのある顔を見つけて安堵する。中に入ってもいいかと尋ねると同級生は、本当はよくないんだけどさ、ぶっちゃけ戸締りに戻ってくるまでの間だったら誰でも出入り自由みたいになってるんだよね、と笑って見逃してくれた。


 少しずつ水面に近づいてきた濡れたシャツは、淡く色づいていたはずのカーディガンを重々しくまとわりつかせている。


 同級生は何か思い当たる節があるような言い草だったが、よくわからないまま先へ進んだ。教師が見回りと称してやって来るのを恐れて早々に用を済ませて帰ろうとしていたのだが、踏み込んですぐに足を止めた。プールサイドに裸足の女が立っていた。制服のままだった。


 呆然としたような様子だった。白く伸びた足の輪郭を張り付いたスカートの薄い布が鮮明に描き出す。透けた髪の一本一本が仕込まれたようにぱらぱらと開く。死体のように脱力し、玩具のように揺られていた。

ただ、その瞳だけはじっと上空を見つめていた。


 他者が踏み入れたのにも気づかず、先客の女はまだ明るい空を見上げながら時折すっと足をずらして動く。意思を持って体を動かしているのではなく、その視線以外には何一つ頼るところがなくふらついているようだった。

そして数秒後、風に押されるがまま背中から水中へと落ちていった。


 馬鹿な女がいる、と思った。



   *



 カーディガンを両手でめいっぱい絞ってから、開いてばたばたと振る。その度に生温い風が足首を撫でる。雫が跳ねてアンクレットに滴った。


 何をしていたのかと訊くと、彼女は星を見ていたと言った。


 水面は先ほどの衝撃の余韻に浸るかのように不規則に揺らめいている。あまり触り心地の良くない足の裏から、蝉の音が水中にまでくぐもって響いているのを感じる。空は、天体観測にはまだ遠い青さに思えた。


 見えないじゃん、と口に出せば、彼女は控えめに唇を突き出した。

見えないよ。でも、あるの。


 湿ったシャツの向こう側で、胸の肉が皺を寄せる。薄緑色の下着の肩ひもがすると落ちて、肩に中途半端に突っかかった。彼女はそれを直すのを後回しにしてカーディガンを振り続けている。


 馬鹿な女がいる、と思った。


 彼女との会話はそれきりだった。指先でそっと触れて巻きついたアンクレットを確認すると、ベンチから腰を上げてその場を立ち去った。濡れた足が妙に気持ち悪くて、早く拭ってしまいたかった。



   *



 ばちゃん、と波立って、光の粒が舞う。


 友人からメッセージが届いたのは、風呂に入った後だった。ドライヤーの音に紛れて通知音が耳に入った。台風のために学校へ避難したのはよかったが暇だから来てくれ、なんて呼ばれ方をされてはたまらなかった。真っ先に思い浮かんだ相手が、なんて言われてはもっとたまらなかった。家を出てからアンクレットをつけ忘れたことに気づいたが、既に雨風を受けて服の裾が変色しており、今更取りに戻ろうとは思わなかった。


 濡れた手の甲がてらてらと光る。髪に跳ねた水がぴちょんと雫を落として波紋を描く。尻餅をついても表情一つ変えず、遊戯の後に放置された人形のように佇んでいる。


 校内は異様なほどの静けさを保っていた。誰も彼もが絶望と不安の縁に立たされているというわけではなさそうだった。ニュースキャスターが淡々とした口調で台風の通過を告げたのを聞くと、好奇心にそそのかされた友人と二人で校舎を出た。数時前の豪雨と強風は呆気なく息をひそめ、満天の星空が演出されていた。しかし、友人は腕時計をちらちらと見てから、飽きた、とシンプルな三文字を紡いで早々に室内へと戻って行った。一人きりで校庭の隅の段差に座り込むと、左の上空に浮かんだ砂時計のような星座が右の建物の影に隠れてしまうまでぼうっと眺めていた。


 朝日が服の裾から覗く生白い足を照らし出す。体のラインが見えないだぼっとした服の奥で、薄い腹が膨らんだりへこんだりを繰り返しているのを想像したが、あまり現実味が湧かなかった。

ただ、その瞳だけが生気を帯びて空を見上げていた。


 朝日が昇って来て初めて、校庭が小さな湖と化していることに気がついた。水面は皺ひとつなく穏やかだった。ふと足首がむず痒くなって指を伸ばしたとき、ぱた、ぱた、と不自然なリズムで足音が近づいてくるのに気がついた。振り向くより先に、影が視界に入り込んでくる。


 馬鹿な女がいる、と思った。


 鏡面が割れる。跳ねた水滴が爽やかな輝きを含んでこちらに向かって飛んでくる。避ける間もなくズボンに丸く染みができた。朝の眩しさに目を細めながら逆光の中の人影をじっと見つめたが、まるで動かなかった。砂時計が途中で倒れてしまったような居心地の悪さだった。



   *



 もう少し早く来ればよかったのに、と口に出せば、彼女は控えめに唇を突き出した。

 見えないけど、ちゃんとそこあるの。それでいいの。


 くぐもったバイブレーションは、友人の帰宅を告げていた。放っておけば乾く、と言って彼女は濡れた服のまま真似するように腰を下ろした。着崩れた服を直すとき、首元の隙間から一瞬見覚えのある薄緑色が見えた気がした。


 どうしていつも、と言いかけると、水滴が飛んできた。彼女が犬みたいに首を振ったのだった。それが死んでいるようで生きているような動きだったので、もう一度同じ問いかけをする勇気はなかった。


 ぶぶ、と再び僅かな振動音が聞こえる。今度は家族からだった。彼女の方をちらと見たが、相変わらずぼんやりした表情を浮かべている。ふとまた足元の物足りなさが気になりだして、早々に立ち上がった。


 馬鹿な女がいる、と思った。


 手で光を遮りながら、うんざりしたように空を仰ぐ。校門を出て、なんとなくで歩き出したことをひどく後悔した。この世の素晴らしさを歌うように、太陽が燦燦と輝いている。コンクリートから放出される熱に紛れて、彼女の髪の匂いを思い出す。星なんて、見えるはずもなかった。



   *



 馬鹿な女がいる、と思った。


 気がつくと、高校を卒業してから早数年が経過していた。重なるのは数字ばかりで、久しぶりに再会した友人たちは一目で区別できるほど変わらない様子だった。一瞬、談笑と談笑の間のフレームで彼女の姿が視界に映り込む。彼女が同級生だったと認識したその時だけは、何故か不思議なくらい新鮮な気持ちだった。


 見えないとわかっていながら、見ようとし続ける。


 どうして彼女が同窓会の場に顔を出したのか、分からなかった。ずっと隅でお酒をちまちまと飲み進めている彼女を横目にしても、やっぱり話しかける勇気はなかった。そのせいかどうかはわからないけれど、解散する頃には彼女はかなり出来上がっていた。自覚はなかった。酒のせいにすればなんだってできる悪い大人になっていた。


 倒れる羽目になるとわかっていながら、見ようとし続ける。


 部屋に招くと、彼女は躊躇なく奥へ進んで行く。家主に確認もとらずにベランダに繋がる窓を開けて、外へ出る。懐かしさを纏った彼女の髪が夜風でなびく。そのまま手すりにもたれかかるように彼女は顎をあげる。先ほどまで上空を虚ろに漂っていた目線が星空につなぎとめられる。しかし、その瞳は泳ぎ続けている。


 馬鹿な女がいる、と思った。


 上空に広がるのが彼女の求めているものではないということを理解したとき、突然恐ろしくなった。彼女の探している星がどういうものなのか分からなかったし、彼女は多分分かってもらえないことを分かっていた。世界はずっと平行線だと知っていた。


 震える睫毛が。広がる髪が。うなだれる細い指先が。揺れるワンピースの裾が。緊張感のないふくらはぎが。何もかもが彼女を引き留める術を持ち合わせていないことが恐ろしかった。

 死ぬとしても、きっと彼女は、見ようとし続ける。


 ベランダへ向かう途中、何かに引っ掛かったような感触がして、ぷち、と音が弾けた。かつてはあれだけ気にしていたものがなくなったというのに、今はそれほど気にならなった。裸足のまま片足をベランダに踏み入れて、彼女の腕を掴む。そのままぐいと引き込み、一緒に部屋の中へ倒れ込む。サンダルが数秒遅れてぱたぱたと落ちる。床に散らばったビーズのいくつかが腕に喰い込んで痛かった。


 このままじゃ、駄目になる。


 一緒に暮らそう。静寂の中、唯一引き出せたのはそんな言葉だった。無意識に強く握り込んでいたせいで彼女の腕が桃色に腫れていたが、彼女は泣かなかった。その代わり、唇をきゅっと結んで、少しだけ目を細めた。その瞳に何が映っていたかは、私にはわからなかった。


 死んでほしくない、と思った。 


 馬鹿な女がいる、と思った。

ありがとうございました(*'▽')

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