52話 燕尾服とメロンパン
【天十郎が、燕尾服に着替えてやって来た】
可愛いドレス姿の夏梅は一段と華やかで美しい。天十郎が声も出せずに、立ち止まってしまった。「天十郎、いい女だろ?」僕は耳元でささやいた。夏梅がベビースマイルでこっちを見ている。天十郎は明らかに動揺している。感情を隠すように天十郎は夏梅に話しかけた。
「こんなに細いのか?」ウエストを触っている。
「触るな、天十郎をどうにかしろ」僕は叫んだ。
その声に蒲がやって来たが、蒲は何も言わずに黙ったままだ。
「あれ?コルセットをしているの?」天十郎はまだ言っている。
日美子さんが
「これからゲストの着付けをして来るから、ドレスを汚さないようにね。蒲、天十郎君、夏梅に何も食べさせないで、飲み物は、飲ませてもいいけど、ストローでね。時々むせて吐き出すから、ゆっくり飲ませるのよ」
「面倒だな、お前」天十郎は夏梅を軽く小突いた。
「これ、幼児帰り禁止よ。夏梅は食べさせなければ、ドレスが汚れないから、わかった?今日の君達の一番の重要課題だから」
日美子さんは天十郎と蒲を指さした。
「今日、一日は夏梅のお守ですか?」
「俺も?落ち込みますよ」
「そうだよ。エスコートが終わったら、ずーと夏梅担当」
「うそー」
「嫌だなんていわせないわよ。君達が一緒に住みたいというから、みんなで協力してあげているのに、その不満そうな顔はなに?」
「いえ、なんでもありません」
「しっかり、見守っているのよ。わかっていると思うけど、男の近くはだめよ。会場が騒ぎになるから、しっかり捕まえておくのよ。放置すると、あちこち放浪するから」
「放浪なんか、しませんよ」夏梅が抗議した。
「そうかしら?」
「逃げているだけです。今日の日美子さんはとても怖い」と、いいながら、夏梅はドレスがうれしいのか、何度も鏡をみている。
夏梅の人生、すべてが逃げる事で成り立っている。その言葉の重たさを知っている日美子さんは、感情があふれて来るのを、うつむいて我慢しているようだ。夏梅の肩をなでると部屋を出て行った。
そのあと、鏡を見ている夏梅に天十郎が「逃げるとか言うなよ」と言いながら、携帯のカメラで夏梅を撮りだした。しまいには、お嬢様と執事パターンで二人ではしゃぎ、大笑いをしている。
しかし、慣れない女性のエスコートを義務付けられている蒲だけは、不機嫌だ。
「お腹がすいたら、メロンパンを買って来たから、これを食べていろ」天十郎がメロンパンを出して来た。
「あまり好きじゃないけど」
夏梅は興味なさげにメロンパンを受け取った。
【天十郎はメロンパンを夏梅に渡すと】
鏡の前で衣装チェックをしながら夏梅に
「可愛くねえ。嬉しい!とか言ってみなよ」
「…」返事のかえって来ない、夏梅に天十郎は仕方なさそうに
「はいはい、メロンパンではなくて、なにが好きなのかな?」
「クリームコロネ」
「どうして、ベタベタ好きなのよ」
「そう言われても…」
その時
「おい、夏梅は大丈夫か」蒲が驚いたように声を上げた。
振り向いた天十郎は、メロンパンをボロボロこぼしながら、口にほおばっている夏梅をみた。
「わぁー。こいつ。こぼすなよ。日美子さんに怒られるだろ」
蒲が夏梅を抑え込もうとしている。天十郎も夏梅のそばにかけより
「しっかり噛め。口を大きく開けろ。口をちゃんと閉めろ。メロンパンをちゃんと口まで運べ、手の筋肉使え」と叫んだ。
夏梅は「うん」と答えているが、知らん顔だ。
「まったく、汚い食べ方だな。メロンパンの上だけ、はがして食べればいいのに、口が小さいのか?そういえば歯も小さいな。蒲に比べると乳歯みたいだ」
天十郎はあきれながら、口の中を覗いている。
「そんな殺生な」夏梅はもがいている。
「夏梅、天然記念物もんだ」天十郎はため息をついた。
「おい、誰だ、夏梅にメロンパンを食わせたのは」蒲が天十郎を責めるように言った。
「俺だけど」天十郎は何事も起こっていないかのように答えた。
蒲は気が付いていないが、天十郎は、メロンパンを食べている夏梅の口の中を、平気で覗いている。
幼いころから一緒にいた僕でさえ、そんな事は出来ないのに…。




