或冬の日に選び取る
掲載日:2021/01/21
死が酷く美しい何かに見え始めたら、それは良からぬ前兆である。
穏やかな冬の日、私はレースカーテンから落ちた光溜まりに横たわっていた。
ヘッドフォンからは、静かなテクノポップが流れている。どこか心臓の鼓動音のようにも聞こえて、耳を塞ぎたくなった。
鳥は鳴いているだろうか。
風は巻いているだろうか。
相も変わらず、全く違った顔をして。
もしも、と考えることがある。人が一度だけ、自分の意思で全ての生命活動を止められるとしたら、どの瞬間を選び取るのだろうと。
それは、嵐が胸を渦巻く十代も半ばの頃かもしれない。それは、再起できぬほど他者に踏み躙られた時かもしれない。
それは、こんななだらかで温かな日のことかもしれない。
今、私の死は、まさしくこの身に降り注ぐ全てであった。まるで聖母マリアがかつてキリストにそうしたように、私は柔らかな死の腕に包まれていた。
酷く無機質で、恍惚とした粒子。
死が光であるなら。
光こそ死であるなら。
ここで目をつぶれば、私はきっと永遠に目覚めないでいられるような心地さえしたのである。




