公爵令嬢は退屈しておりますの。
あまり期待せずにお読みください。
「アナイス・オードラン! 今この場を以て、お前との婚約を破棄する!!」
その光景は、つい先日、寝る間も惜しんで読みふけった、恋愛小説を彷彿とさせる光景でございました。
*
その日、王宮では春の訪れを祝う伝統行事──春の日の真っ最中。
外が静かな夜の帳に包まれる中、王宮の大ホールは賑やかに、きらびやかに華やぎ、まさしく“春”そのもの。
数日前まで、今年の春の日は延期、あるいは中止かもしれないな、と囁かれておりましたが、無事、今年も開催に至ったことは実に喜ばしいことでございます。
毎年の事とはいえ、やはり春の日は特別な日。王族や貴族だけでなく、市井の方々もこの日を待ちわびておりました。
かくいうわたくしも、この日をずっと待ち遠しく思っておりました。
そんな喜ばしき祝いの日に、あろうことか“婚約破棄”などという場違いな出来事が起きたのは、果たして偶然だったのでしょうか。
婚約破棄を言い渡した青年の名はフィルマン・バロー侯爵。バロー公爵の二人のご子息のうちの一人──長男、すなわち未来のバロー公爵でございます。
そして、婚約破棄を言い渡された令嬢の名は、アナイス・オードラン様。ヴォレに土地を持つ、オードラン伯爵の愛すべき一人娘、でございます。
このお二方のご婚約が成立したのは、二年ほど前になるでしょうか。
王侯貴族の例に漏れず、政略的なご婚約でございました。
わたくしは幾度か、アナイス様をお茶会や刺繍会に招いたことがあります。婚約者であるフィルマン様との仲が特別不仲であると感じたことはございませんが、アナイス様がフィルマン様に恋心を抱いているようにも見えませんでした。
ですがまさか、フィルマン様が婚約を破棄するだなんて、誰が想像したでしょうか。
「わたくしが何をしたというのですか? このような場で婚約破棄だなんて……」
アナイス様はお強い方。
大勢の招待客が集う公式の場で、一方的な婚約破棄を告げられても、涙を見せるようなことはありませんでした。
「何をしただと……? お前は本当に怖い女だ。自分の罪にすら気づいていないとは」
今や大ホールに、春を祝う和やかな空気は微塵もございません。
誰もが皆、この婚約破棄に釘付けとなっております。
「お前がジャンヌに対し行ってきた度重なる嫌がらせを、僕が知らないとでも?」
「フィルマン様……」
その時初めて、フィルマン様のお隣に立つご令嬢が、声を発しました。甘くやわらか、それでいて小鳥のさえずりのような声。
──ジャンヌ・カルネ様。カルネ子爵の末娘でいらっしゃるジャンヌ様は、とても愛らしい容姿をお持ちです。
「ジャンヌ、怯えなくていい。僕は君を、守ってみせるよ」
「フィルマン様……」
見つめ合う二人の男女。
それはまさしく、愛する恋人同士の姿でございました。
勘の良い方であれば、もうお気づきでしょう。
この婚約破棄は、フィルマン様が婚約者であるアナイス様ではなく、別の女性──ジャンヌ様に恋心を抱いたが故に起きた結果、なのでございます。
「わたくしがいつ、その方に嫌がらせをしたと? 神に誓って申し上げます。わたくしは家名に泥を塗るような真似、決して致しません!」
「うっ」
アナイス様の迫力は、凄まじいものでした。
フィルマン様も言葉に詰まり、大ホールの空気は一瞬にして張り詰めます。
「むしろ糾弾すべき相手は、ジャンヌ・カルネ──あなたではないの?」
「ひどい……。わたしが一体、何をしたと言うのですか?」
「白々しい。フィルマン様がわたくしの婚約者であることは、周知の事実。だというのにあなたは、フィルマン様に近づいた。正直、フィルマン様との婚約などどうでもよいけれど、あなたの性格の悪さが気に入らない!」
「ひ、ひどい……」
「アナイス! 言葉を慎めっ」
ジャンヌ様は、今にも泣き出しそうなご様子。
その姿は、殿方の庇護欲をそそるのでしょう。
わたくしの背後から、「ジャンヌ嬢がかわいそうだ……」、なんて殿方の声が聞こえましたので。
ですがわたくしは、ジャンヌ様に同情できかねます。
だってアナイス様の指摘は、もっともですもの。
いかに純愛を盾に言葉を並べようとも、フィルマン様とジャンヌ様は、きちんと順序を守るべきでした。
特にフィルマン様。
いずれ人の上に立つ立場の者であるなれば、なおのこと。
「慎むべきはあなたでしょう! こんな恥さらしな真似、正常な人間ならばまずしないわ!」
「お前は誰に向かってそんな口をきいている!? 僕はお前の夫となる男だぞ。それなのに立てることもできないのか!」
「こんなぼんくら男のどこを立てろって言うのよ! 大体、わたくしとは婚約破棄するのでしょう? なら関係ないわ!!」
「そんなんだから、嫁の貰い手がないんだ! 僕が去ったら、お前は一生独身だぞ。後ろ指をさされながら年老いていくつもりか?!」
「あなたのような恥知らずと添い遂げるくらいなら、独り身の方が何万倍もマシよ!!」
大ホールはもう、お二方の独壇場でした。
ジャンヌ様でさえ、口をはさむことができないようです。
ですが、これでは収拾がつきません。
せっかくの春の日────あの方が尽力し、ようやく開催することができたというのに。
すべてが台無しではありませんか。
「これは一体、どういうことだ?」
誰もがこの場を収拾する手立てを見つけられず、困り果てていた折、その方は現れました。
「ヴィクトル殿下……」
誰が最初にその名を口にしたのか。
春を祝うめでたい日だというのに、その方──ヴィクトル殿下は全身を黒衣で覆っておりました。髪は黒、瞳も黒、故に黒王子、と呼ばれております。
それとは別にもうひとつ、異名ございます。
「この騒ぎは一体なんだ?」
殿下は通常装備の不機嫌そうな顔つきで、会場を見回し、そしてこの場の注目の的──騒ぎの原因であるフィルマン様たちをすぐに見つけました。
「殿下、お見苦しい所をお見せして、申し訳ございません」
先に謝罪の言葉を口にしたのは、アナイス様でした。
ヴィクトル殿下のご登場に、冷静さを取り戻されたようです。
「ですがすべて、終わりました。殿下のお心を悩ませるようなことは何も、ございません」
「勝手なことを言うな!」
アナイス様が穏便に事を済ませようとしたのですが、フィルマン様によって阻止されてしまいました。
「殿下! もしよろしければ立会人をお願いいたします」
「立会人?」
「そ、そうです!」
殿下は人の一人や二人、海に沈めていそうな目つき。
あの目を前にしても引かないフィルマン様は、中々に大物ですね。空気が読めないお方、とも言えますが。
「私は今この場を以て、アナイス・オードランとの婚約を破棄し、新たにジャンヌ・カルネと婚約したいと考えております」
「婚約破棄……?」
ここにきてようやく、殿下はジャンヌ様の存在に気づかれたようです。
ジャンヌ様は愛らしいそのお顔に、殿方の庇護欲をそそる恥じらいの笑顔を浮かべ、殿下にご挨拶します。
「ジャンヌ・カルネと申します。……ヴィクトル殿下」
「ジャンヌ・カルネ…………ああ、件の娘か」
殿下は一人、納得したように頷き、そして鋭い眼光でフィルマン様とジャンヌ様を見据えました。
「ということはつまり、この騒ぎはお前たちのせいなのか?」
「めでたい春の日に、このような騒ぎを起こしてしまったことは、申し訳なく思います。ですが! めでたい日だからこそ、私はジャンヌとの真実の愛を貫きたいと決心したのです! 殿下、私のこのささやかな願いを────」
「いや、知らん」
フィルマン様のセリフじみた口上は、殿下の容赦ない一言により、強制的に終了させられてしまいました。
「で、殿下? しかし私は────」
「しかしも何もない。愛だの恋だのといった七面倒な問題を、この場に持ち込むな。そもそもお前は、今日が何の日か、本当にわかってるのか? 春の日だぞ、春の日!」
「はい、存じております。ですから……」
「存じてるなら、こんな日に婚約破棄なんて下らない真似、するな! 俺が三日徹夜して、どうにかこうにか開催にまでこぎ着けた春の日だぞ! わかるか? 三日だ、三日の徹夜! 俺は三日も寝てない!!」
一国の王子でありながら、殿下は書類仕事に追われる忙しいお方。
ただ、この国の文官たちが仕事のできない役立たず、というわけではないのです。
単純に、殿下の仕事を片付ける速度が人間離れしているが故、なのです。他人に任せるよりも、自分で片付けた方が遥かに早い。
ならば自分でする。
いつだったか殿下はそうおっしゃい、その言葉通り、この国の誰よりも仕事に没頭する日々を送っております。
故に殿下はいつでも寝不足、常に不機嫌。
「ようやく安眠できるかと思えばこの騒ぎ! 呼ばれて来てみれば婚約破棄だと? 下らない。下らなすぎる! そんなもの、自分達の夜会で勝手にやれ。王族主催の催し時にするとは、お前は正気なのか? それとも何か? 俺に恨みでもあるのか?」
「い、いえ、恨みなど……」
「なら黙って大人しく、このめでたい春を祝え。────いいな?」
「は、はい……」
フィルマン様は、完全に戦意を喪失していらっしゃいます。
それも無理からぬこと。
殿下に面と向かって逆らえる方は、この国に数える程しかいません。実のご両親である国王夫妻か、王太子である兄上────だけでしょうか?
ああ、だから殿下は“暴君”、と呼ばれているのでしょう。
「まったく……。ああ、そうだった」
半ば力づくで騒ぎを収拾させた殿下は、去ろうとした瞬間、何かを思い出されたようです。足を止め、フィルマン様とアナイス様を睨みつけます。
ご本人は睨みつけたつもりはないのでしょうが、周りの者からすれば、睨んでいるように見えてしまうのです。
殿下は損なお方ですね。
今のヴィクトル殿下は、不機嫌な面構えと寝不足、それから日頃の不摂生も相まって、とても一国の王子には見えません。
本来は、絶世の美男子と謳われる王太子殿下に勝るとも劣らぬ美丈夫ですのに。
「忘れているようだから教えておくが、お前たちの婚約は、個人が勝手に破棄できるものではない」
「そんなバカな!」
「ほんとに忘れてるようだな……」
フィルマン様とジャンヌ様は心底驚いているようですが、落ち着きを取り戻したアナイス様は、殿下のおっしゃいたいことがわかっているようです。背筋をぴんと伸ばし、先程の取り乱しようが嘘のよう。
さすがでございます。
「フィルマン・バロー、アナイス・オードラン両名の婚約は、国王陛下から直々に賜ったもの。陛下の許可なく、解消などできるわけがないだろう。当然、破棄などもってのほかだ」
「あ……」
「そうなのですか、フィルマン様?」
あの顔は、完全に忘れていた人間の顔ですね。
この国の婚約のすべてがそうである、というわけではありませんが、由緒正しいお家柄同士の場合、伝統的に陛下を通して婚約式を執り行います。
フィルマン様の生家であるバロー公爵家は、中々の歴史を有しておりましたので、伝統にのっとり陛下の御前で厳かに婚約式を終え、その後、盛大に婚約パーティーを開かれました。
わたくし、その婚約パーティーに招待されましたので、よく覚えております。
「ではどうすれば良いのですか? 私たちは真剣に愛し合っているんです!」
「いや、知らん」
殿下は心の底からどうでもよいのでしょう。
あのご様子から察するに、体力的にも精神的にも限界が近いのです。
「殿下!」
「…………アナイス嬢、君はどうしたい?」
フィルマン様の必死の形相に心を動かされたのか、それとも先程から黙ったままのアナイス嬢が気になったのか。
殿下が声をかけたのは、アナイス嬢でした。
「わたくしは……正直、どちらでも構いません。この婚約は、家同士が勝手に決めたもの。フィルマン様に対し、特別な感情は抱いておりませんから。ですが今回の騒動で、この方とこれ以上関わることは、わたくしにとって負にしか働かないことに気づきました」
「つまり?」
「正式に婚約解消を申し出たいと思います。お願いできますでしょうか?」
「なるほど」
現在、わが国には国王陛下も王太子殿下もご不在。
通常であれば、国王陛下がお戻りになられてから、という流れになるのですが、ヴィクトル殿下は国王代理、という肩書をお持ちです。
「いいだろう。だがまずは────手順を踏め。話はそれからだ」
「承知致しました」
アナイス様が深々と首を垂れ、場が一気に静まり返ります。
フィルマン様とジャンヌ様は、なんというか蚊帳の外、という感じでした。
「殿下、どちらへ?」
「寝る」
今度こそ大ホールを出て行こうとするヴィクトル殿下は、気遣う従者にすら愛想を見せません。
そういうところが、黒王子、と呼ばれる所以。
そして偉そうに横柄な態度をとるが故に、暴君、と呼ばれてもいるのです。
ですがわたくしにとっての殿下は────、
「エリーズ!」
大ホールを出て行く直前、殿下が呼ばれました。
わたくしの名を。
「はい、殿下」
わたくしはドレスの裾を持ち、駆け出します。
申し遅れました。
わたくし、エリーズ・セルヴァンと申します。
皆さまが恐れる暴君黒王子ヴィクトル殿下の婚約者を務めております。
*
大ホールを出て、どこまでも続いていそうな王宮の廊下を歩き続けます。
わたくしの隣には、今にも倒れてしまいそうなヴィクトル殿下がいらっしゃいます。
「殿下は何故、わたくしを呼ばれたのですか? もしかして、兄が体調を崩したことをお聞きになられたのですか?」
今宵の春の日は、通常であれば婚約者である殿下がパートナーとなるはずでしたが、ご覧の通り、殿下は非常に疲れております。
なのでわたくしは、今宵のパートナーを実兄に頼みました。人の多い場所を極端に嫌悪するお兄様は心底嫌そうな顔をされましたが、わたくしとお父様、それからお母様に頼まれてしまえば、首を縦に振るしかないのです。
ですが残念なことに、兄は久しぶりの人混みで体調を崩し、早々に帰宅してしまいました。
あそこまで人混みが苦手となると、将来、セルヴァン公爵家を継いだ後、どうされるおつもりでしょうか?
「そのことは聞き及んでいるが、理由は別にある」
「まあ、なんでしょう。教えてくださいますか?」
他にどのような理由があって、わざわざわたくしを呼んだのか。
とても気になってしまいます。
わたくしが殿下を見上げれば、殿下は立ち止まり、わたくしを真っ直ぐに見下ろしたかと思えば、
「その顔だ!」
「い、いひゃいれす、れんか」
殿下がわたくしの頬を思い切り引っ張りました。
しかも両方の頬を。
「扇子でうまいこと隠していたようだが、俺が気づいていないとでも思ったのか? 騒ぎの最中、ずっとニヤニヤしやがって」
「まぁ……バレていましたの?」
殿下がようやくわたくしの頬を開放してくださいましたが、まだ痛みが残っています。
それにしても、さすがは殿下です。頬をさすりながら、殿下の目敏さに感心してしまいます。
「大体おかしいと思ったんだ。お前が春の日を楽しみにするなんて……。この騒ぎを予想していたな?」
「春の訪れを祝うための日を待ちわびぬ者はいないと思いますわ」
「お前の場合は違う。……お前が随分と楽しみにしていたから、必死に準備したというのに、結局はこれか」
「まあ、殿下……。わたくしのために無理を?」
そんなことを言われて喜ばない乙女が、この世にいるでしょうか?
わたくしが嬉々として殿下に詰め寄れば、殿下は不機嫌な顔つきのまま、「ああ、まあ」と素っ気ないお言葉を返してくださいました。
「────本題がずれたな。どこで知った?」
「何をでしょうか?」
「フィルマン・バローが今夜婚約破棄をすることを、どこで知った?」
殿下が真面目な顔つきになられました。
こういうときの殿下に、いくら甘えてみても無駄です。誤魔化しは通用しないのです。
「知った、というよりも、勝手に憶測を立てたにすぎません。──フィルマン様が婚約者であるアナイス様ではなく、別の女性に傾倒しているというお話は、淑女の間では常識も同然。ですがいずれ熱も冷め、アナイス様との結婚を受け入れると思っておりました。腐っても貴族────特にフィルマン様は跡取りですから」
けれどわたくしたちの予想を裏切り、フィルマン様のジャンヌ様への熱は増していくばかり。
最近では夜会に、婚約者ではなくジャンヌ様をパートナーに選んでしまう始末。
「殿方は移り気。凧のようなお心を無理に繋ぎとめようとしても、かえって糸が絡まり、切れてしまうだけ。風が止み、持ち主が回収する日を待てば良い、と考えておりましたが、いよいよフィルマン様がジャンヌ様との秘めたる愛を隠さなくなってきましたので、そろそろ行動を起こすのではないか、と」
「それが今夜だと?」
「候補はいくつかございました。ご自身が主催する夜会や、アナイス様をパートナーとしてエスコートしなければならない、公式の催し事──可能性は極めて低かったのですが、穏便にお三方だけでお話をし、婚約を解消する場合。……いろいろ考えすぎて答えが出なかったのですが、ある恋愛小説と出会ってしまいましたの」
「恋愛小説?」
「はい。その恋愛小説の最後の場面で、今まで散々主人公に悪いことをしてきた意地悪な悪役令嬢が、大勢の前で婚約破棄を言い渡されるんです。すべての悪事を暴露され、断罪される最高潮の場面。わたくしはこれだ! と思いましたの。アナイス様でしたら、穏便に事をお済ませになると思うのですが、常に注目を集め、自分が世界の中心でなければ満足できないジャンヌ様でしたら、絶対に今夜、春の日を婚約破棄の舞台に選ぶと思いませんか?」
わたくしが早口にまくしたてれば、殿下はひとつ、嘆息なさいました。
何かおかしなこと、言いましたでしょうか?
「殿下?」
「いや、いい。なんでもない。そうだ、これがお前だったな」
わたくしは殿下のおっしゃいたいことがわからず、小首を傾げました。
すると殿下は困ったような笑みを浮かべ、わたくしに問うたのです。
「────楽しかったのか?」
その問いに対するわたくしの答えは、とっくの昔に決まっておりました。
「ええ、とても!」
わたくしが力いっぱい答えると、殿下はまた、嘆息なさいました。
「物語の中で読んだ婚約破棄とはまったく異なるものでしたが、だからこそ良いのだと思いました。台本などどこにもない、まるで即興劇のよう! わたくし、久々に胸の高鳴りを感じました」
自らの愛こそがこの世で最も美しく高潔であると信じて疑わない公爵令息と、そんな彼に寄り添う可憐ながらもしたたかな棘を隠し持つ子爵令嬢、そして最後の最後に自らの自由を勝ち得た伯爵令嬢。
物語には登場しない、血の通った人間の一部始終。
「わたくし、こんなにも心躍った春の日を、生涯忘れないと思います」
「それは良かったな。……こんなことのために、俺は三日も徹夜したのか……」
「わたくしのせいみたいにおっしゃいますけど、わたくしのことがなくても、殿下は春の日のため、尽力したと思いますわ」
「…………なんでそう思う?」
「だって殿下ですもの」
「……なんだそりゃ。意味わからん」
と言いつつ、殿下は嬉しそうでした。
「お前は本当に、風変わりな公爵令嬢だよ」
「そうでしょうか?」
「そうだろう。婚約破棄をあんなにもニヤニヤしながら見てる人間が、普通だとでも?」
「わたくしにとっては、これが普通ですもの。あ、別に他人の不幸が嬉しいわけではないのですよ? ただ面白いことや楽しいことが大好きなのです。だって殿下──」
繰り返される、単調な日々。
期待を胸に夜会やお茶会へ足を運んでみても、いつも通りに終わってしまう。
この日々は愛おしく、けれど時折、思ってしまうのです。
「公爵令嬢は退屈しておりますの」
素直な気持ちを殿下に告げれば、殿下はまた、嘆息なさいました。
お読みいただきありがとうございました。
せめて暇潰しにでもなれば幸いです。