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02

 アルント城は街を見下ろせる山の高い位置にあり、街へ行くためには馬を使う必要がある。


 歴代に渡り増築を繰り返した結果、要塞を兼ねた石造りの頑丈な面と宮殿としての華やかさを併せ持ち、高さの揃わないいくつもの尖塔の青い屋根が目を引いていた。


 日光を浴びた城は黄金色に輝き、王家の威光を放つと人々の間では言われている。


 昼過ぎに先日も訪れたウリエル区に入り、最寄りの夜警団の屯所に馬を預ける。セシリアは頭の中にある地図を思い出しながら目的地に向かった。


 城を最北に、王都は四区画に分かれていた。ウリエル区は南東に位置し、南にはドゥンケルの森と呼ばれる、あまり人の立ち入らない場所も有している。


 アスモデウスと会えるという噂の森だ。


 アルント王国自体が自然豊かで広大な土地を持ち、おかげで食糧には恵まれていた。人々は穀物や野菜などを自分たちで育て、生計を立てていたりする。


 今日は天気が良くて助かる。春の陽気と呼ぶにはまだ肌寒さが残るが、日中は十分に温かい。角を曲がり、路地の奥にお目当ての場所を見つけた。


 広さはあるが装飾もなくシンプルな石造りの建物だ。玄関口にあたる正面はすっきりしているが、屋敷の奥は欝々とした緑が生い茂っている。扉が開けっ放しになっているのでノックができない。


「ごめんください」


 大きくはないが凛としたセシリアの声が通る。ちらりと視界に入る白のカーテンが風でかすかに揺れた。ややあって中から人がやって来る気配を感じる。


「はいはい、どうした?」


「こんにちは。マイヤー先生」


 ごく自然に話しかけたセシリアの姿を見て、出てきた男は硬直した。黒いコートを羽織り、青みがかった黒髪は癖がついて、右目にはモノクルを装着している。どこか抜けた雰囲気のある青年だ。


 彼の金縛りはすぐに解け、ふっと含んだ笑みを浮かべる。その表情にはたしかに見覚えがあった。


「やぁ。診察に来たってわけじゃなさそうだな」


「初めまして……と言った方がいいですか?」


 団服姿のセシリアの問いに男は笑う。あのときとお互いに姿も名前も違うが、どちらも確信している。


「そうだな。歓迎しよう。アルノー夜警団のルディガー・エルンスト元帥の副官であるセシリア・トロイがわざわざ訪ねてきてくれたんだ」


 セシリアは内心で警戒心を強める。アードラーともなるとその名は知れ渡っていても不思議ではないが、副官の自分のフルネームまで知っているこの男はやはりただ者ではない。


 彼は間違いなくホフマン卿の夜会でアルツトと名乗った男だった。セシリアの顔色を読んだ彼が、面倒くさそうに彼女を中へと促した。


「事情は中で話してやる。知っているだろうが、俺はジェイド・マイヤー。ここで医者をしている」


 内部は診療所らしくベッドもある。棚には多くの書物や瓶詰された薬草などが所狭しと並んでおり、鼻をつく独特の香りが漂っていた。


 隣にある大きめのソファに座るよう指示され、セシリアはおとなしく従う。いざというときのため、それとなく脱出のルートの確認も怠らない。


 部屋の中に視線を飛ばしていると、アルツトもといジェイドが質素なカップをセシリアの前に置いた。中には黒い液体が並々と注がれ湯気が立ち込めている。


 低い木製のテーブルを挟み、ジェイドも腰を下ろした。手にはセシリアと同じカップを持っている。


「ま、お互い妙な腹の探り合いはやめるとしよう。早速だが、どうしてここがわかった?」


 言葉通り、単刀直入なジェイドにセシリアはおもむろに口を開いた。


「ホフマン卿の夜会に呼ばれるのは、基本的にこの区域の人間が大半でしょう。一応、招待客の身元は約束されています。宿泊客について伺いましたが、あの夜に彼の館に泊まった遠方の人間にあなたらしき人はいなかった。ならウリエル区の人間です」


「それで?」


 ジェイドは口元に笑みを浮かべ、カップの縁に口をつけながらも聞く姿勢を取っている。


「あなたは名乗るとき、姓を言わなかった。あのような場所で、それをするのは本名だけれど素性を隠したいからか、ほかになにか意味があるからです。偽名ならむしろ名乗っていたでしょう」


「お前みたいにな」


 ジェイドが茶々を入れたが、それに関してはこの際無視する。


「あなたは別れ際にわざわざ繰り返し私に名前を告げた。まるで印象づけるように。『私はアルツトだ』と。言い方も引っかかりました。そして、アルツトという単語はどこかで覚えがあったんです。“Arzt”他国の言葉で医師を意味しますね」


 当てられて悔しいというよりジェイドの顔は楽しそうだ。カップを机に置いて体勢を改める。セシリアは淀みない説明を続けた。


「手を顔に近づけられた際、かすかに消毒液の香りがしたのもあって閃いたんです。わざとだったんですよね? それに元帥にかけた言葉から、少なくともあなたがこちらの正体に気づいている節があった。そうすると『次はストールくらい羽織ってこい』という発言もあなたの職業と合わせると納得できました」


「正しい指摘だったろう?」


 あのとき仮面から覗いていた瞳は今はモノクル越しに細められている。対するセシリアの表情は涼しげなものだ。


「ええ。ですが気づくのは医師であるあなたくらいですよ」


「お前の腕はたしかに細いが、余分な脂肪もなく筋肉があってしなやかだ。普通の貴族令嬢ではまずありえない。それこそ馬に乗り、剣を持つのが日常茶飯事でもなければな。次は隠しておけ」


 彼からのアドバイスは素直に受け取っておくとして、セシリアはジェイドをじっと見据えた。ウリエル区で医者として働いているのはふたりいるが、もうひとりは女性だった。


「こちらの説明は以上です。今度はそちらの種明かしをしていただけませんか?」


 セシリアは鋭い視線をジェイドに向ける。ジェイドは背もたれに体を預けわざとらしく姿勢を崩した。


「明かす種などないさ。俺は最初からお前を知っていたからな」


 まさかの返答にセシリアは目を白黒させる。瞬時に自分の記憶を辿ってみるが、この男に関して覚えがない。

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