01
ホフマン卿の夜会から数日後。ルディガーは城の執務室にていつもの机に向かい、厳しい表情で書類を見つめていた。そして目の前の副官に視線を移す。
「本当に行くのかい?」
「ええ」
セシリアは短く答える。ルディガーは深く息を吐くと書類を机に放り投げ、指を組んで彼女を見つめた。
「……あの男はセシリアが俺の副官だって気づいている」
「私もそう思います」
ふたりが話しているのは夜会で出会ったアルツトについてだ。ルディガーは彼とのやりとりを回想する。
「最初に俺が声をかけたとき、彼は迷いなく『ここで彼女になんの用だ?』と聞いてきた。初対面ならまず自分に用があると思うか、その旨を尋ねるだろう」
しかしアルツトはなんの疑いもなくルディガーがセシリアに用事があってあの場に来たのだと確信していた。それに他にも思い当たる発言がいくつかある。
「純粋な招待客ではなく、我々にわざと接触してきたのなら、彼の目的は一体なんだ?」
「それを今から本人に聞いてきますよ」
当然と言わんばかりに話をまとめるセシリアにルディガーは眉を寄せた。ルディガーが見ていたのはウリエル区の地図とある人物についての詳細だった。
「彼は私が訪ねて来るのを見越しています。そのためのヒントもわざと残したくらいですから」
「奴の思惑通りに動くのは癪だな」
ルディガーはまだ納得できていない面持ちだが、セシリアは先ほどから表情ひとつ変えない。
「なんであれ、今は情報を得るのを優先すべきです。ディアナ嬢から得られないのであれば尚更」
「そこを突かれると痛いね」
ルディガーは困惑気味に苦笑する。アスモデウスと接触したと噂のあるホフマン卿の娘ディアナだがルディガーの話によるとそんな話題はまったくでなかったらしい。
当然といえば当然か。
彼女と再度、接触する機会があるならそちらから探ってもよさそうだが、この前の夜会でルディガーが取った行動を考えれば難しいだろう。
彼がディアナと交わした会話といえば、当たり障りのないものばかりだった。
『私、最近綺麗になったってよく言われるんです』と話を振られたりはしたらしいが、自分に自信のある娘の発言としてはおかしくはない。
「元帥は彼女になんとお答えしたんですか?」
「『元々、君は十分に綺麗だと思うよ』ってね。あの場ではそう返すのがマナーだろう」
ディアナがどういったつもりでルディガーに言ってきたのかは容易に想像がつく。肯定してほしい、称賛してほしい気持ちがあるからだ。そこを悟れないほどルディガーも鈍くはない。とはいえ。
「……それであの仕打ちですか」
意識せずともセシリアの声に冷たさが帯びた。おかげでルディガーが苦虫を噛み潰したような顔になる。
「だから彼女は関係ないって話だったろ」
わざわざあのときの話を蒸し返しても今は得策ではない。ルディガーはわざとらしく咳ばらいをひとつして話題を戻した。
「俺も行けるときじゃ駄目なのか?」
どこまで本気か量り知れぬ上官の申し出をセシリアはすげなく断る。
「一般人を訪ねるのにアードラーであるあなたが動くほどではありませんよ。今日、元帥は城で面会と会議のご予定でしょ。私があなたに同行する必要がないので、むしろいい機会です。なにより彼は私を指名してきましたから」
「だから気に食わないんだ」
間髪を入れない切り返しにセシリアは肩をすくめた。
この後、ルディガーはスヴェンと共に隣国のバレク大臣と国境の軍部体勢についての話し合いをする予定になっている。
セシリアはルディガーの副官ではあるが、常に行動を共にするわけではない。むしろ席をはずさなければならない場面も多々ある。
ルディガーも感情だけで話しているわけではない。ただ、少ししか会話していないがアルツトの雰囲気は夜会に参加している他の貴族たちとはなにかが違っていた。
私情をまったく挟んでいないと言えば嘘になるが、彼の目的がセシリアなのだとすると彼女だけを行かせていいものか。
「ひとりで行くのを上官として許可できないと言ったら?」
「なら、非番の日にプライベートで訪れましょうか?」
セシリアの素早い返答にルディガーは言葉を詰まらせた。
上官としてセシリアの能力の高さもわかっている、信頼もしている。なら、これ以上迷うのは彼女の沽券にもかかわってくる。ルディガーはしばらくして前髪をくしゃりと掻いた。
「わかった、許可しよう。ただし今日中に戻ってきて報告を済ませるように」
「承知しました」
改めて背筋を伸ばし、しっかりと返す。セシリアは書類にあった情報を頭に叩き込み部屋を出た。
中庭をぐるりと囲んで建てられた城の構造上、国王の主な活動場所となる執務室や謁見の間などは城門から最奥に置かれている。
必然的にアードラーの部屋も王に近いところに配置されていた。他にも使用人たちの居住空間や食堂、大広間などいくつもの用途を目的とした部屋がある。
長い廊下につけられた窓はどれも高い位置にあり、そこから降り注ぐ太陽光を内部で上手く反射させ明るさを保っている。
いくつかの出入り口から中庭に出られ、中と外の橋渡し的な回廊は何本もの芸術的な柱とアーチ型の天井が見事だった。
外に出て、アルノー夜警団専用の厩舎に向かい厩役に声をかける。彼は馬房からセシリアの馬を馬具をつけた状態にして連れてきた。
馬は穏やかな瞳で主人を見つめると、ゆっくりとセシリアのそばに寄る。
「シェッキヒ。今日もよろしくね」
優しく顔の部分に触れると、鼻息で答えがあった。セシリアの馬は栗毛色で四肢や顔など所々白色になっており、人間年齢で言えば中年ほど。
少なくともセシリアよりは年上だ。やや気性が荒いところもあるが、年齢と共に落ち着いてきた。彼女の大切なパートナーだ。
セシリアは軽い身のこなしで馬に乗り、ゆっくりと歩みを進めた。