04
幸い会場は広い。他の集団に紛れ込むのはたやすかった。そこでふと今日の主催者であるホフマン卿トビウスを確認する。
近くにはよく知る人物もいた。彼が話している相手はセシリアの上官であるルディガーだった。
珍しく前髪を上げ、いつも無造作な鳶色の髪をきっちり整えている。
着ているのはさすがに団服ではなく、定番のコートとウエストコート。中にはシャツを着込み下はブリーチズに合わせ黒のブーツという組み合わせだ。
ネイビーを基調とした色合いに、袖口と裾には金の刺繍が施され、白いジャボが首元を覆っている。
嫌味なく着こなしている姿はルディガーの立場に関係なく人目を引いた。現に何人かの女性たちは彼に視線を送っている。
話しかけたい者もいるのだが、それを許さないとでも言いたげにルディガーの横にはトビウスの娘のディアナがぴったりと付き添っていた。
「ああもガードが堅いと近づけないわよね」
「せっかくアードラーがいらっしゃっているというのに」
恨めしげな女性たちの声が耳に届く。
ディアナは赤みがかった長い茶色の髪を綺麗にまとめあげ、主役と言わんばかりに着ている深紅のドレスも一際豪華で華やかなものだった。フリルとレースがふんだんにあしらわれ薔薇を連想させる。
しかし本人は牡丹を意識したのかもしれない。ホフマン家の徽章はシンメトリーになっている二本の牡丹だ。「花中の王」とも言われる牡丹はこの屋敷のあちこちで見かけた。
現に重厚感あるボレロにもディアナの髪の色と同じ銅糸でホフマン家の徽章があつらわれている。彼女のお気に入りで普段から羽織っており、見る者が見ればお馴染みだ。
主催者を差し置いて着飾ってくるほど、皆弁えていなわけではない。ここはトビウス、そしてディアナのホームだ。
「そういえば、ディアナもアスモデウスに接触しているって話よ。これは噂じゃなくて、彼女からそれらしい話を聞いたの」
ふと耳に飛び込んできた発言に、セシリアは顔を向けそうになるのを堪えて、意識だけを集中させた。
「どうしてディアナが? 彼女は十分に綺麗で何人もに求婚されているんでしょ?」
身分も金銭的にも彼女にはなにも不自由していそうにない。しかし人間は欲深い生き物だ。
「夢中になっているアードラーがなかなか靡いてくださらないからじゃない?」
皮肉めいた言い方だった。セシリアが視線を戻すと、ルディガーのにこやかで温和な表情にディアナは嬉しそうにしている。
セシリアはじっと彼女を観察した。ディアナは女性にしては背が高い方だが、細身で背の高いルディガーにもよく釣り合っている。
きりっとした目元が、気の強そうな印象を誘う。彼女の自信がそうさせているのもあるのだろう。締められたウエスト、肌は血色さがあまりなくむしろ色が白い。
そして隣にいる男は、とてもではないが迷惑そうに話していた面影は微塵も感じられない。
だから、どうだというのか。セシリアは自分を叱責する。
彼がどのような相手と付き合おうと、自分の立場も決意も変わらない。遊びでも、本気でも。結婚も同じだ。
もうひとりのアードラーであるスヴェンが妻のライラと結婚したきっかけは、最初は国王陛下の命令で期限付きの形だけのものだった。
それがいつのまにかお互いにかけがえのない存在となり、想い合うのに至って結婚生活を営んでいるんだから、ふたりは幸せだ。
一方で、もしかすると陛下からの命令でライラと結婚したのはルディガーだったかもしれないとの考えが後から過ぎった。
可能性を考慮していなかったわけではないが、ルディガーが結婚する現実だって十分に起こりえるのだと実感した。
だから自分も改めて覚悟しなくてはならない。
セシリアは不自然ではない程度に彼らに視線を送る。アスモデウスと接触した可能性があるというディアナの情報がもう少し欲しい。あとで上官に話を聞いてみようと決める。
その際、ふとルディガーと目が合った、気がした。距離は十分に取ってある。
セシリアはすぐに目を逸らした。
自分が今日、ここに来た目的は情報収集だ。よっぽどの危害や危険が上官を襲わない限り、最後まで赤の他人を通さなければ。セシリアは再び群衆に溶ける。
ひとしきり様々な話題を拾って話を聞き、セシリアは会場の外に出た。中庭に面した廊下の手すりに体を預け、情報を整理していく。冷たい外気が、逆に心地いい。
アスモデウスに関しての噂は様々なものがあった。
青年の姿で現れるが、それは最初だけ。実はアスモデウスは蛇になるのだと。またアスモデウスが出現すると雨が降るなど、挙げだしたらきりがない。
どこまでが面白おかしく付け足されているのか。真偽はどうでもいい。そもそもアスモデウスの存在など空想上のものだ。
しかし実際にアスモデウスに会うため、ドュンケルの森に足を運んだ女性もいると聞いて危機感を覚える。
今日、はっきりと名前が挙がったのはドリスと呼ばれる娘と主催者の娘であるディアナだけだが、あそこは薄暗く人目も少ない。獣だって出ることもある。
やはり警備の手配を再度するべきか、と考えを巡らせたときだった。
ふと人の気配を感じ、セシリアは素早く後ろを振り返る。
そこには先ほどアスモデウスの話題に厳しい口調で口を挟んできた、アルツトと名乗った男がいた。仮面を身につけその表情は読めない。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
意外にも体調を気遣われ、セシリアは目を丸くする。すぐに彼から目線をはずした。
「いえ。外の空気を吸いたかっただけです」
「なるほど」
聞いておきながら、あまり興味はなさそうだ。だから今度はセシリアから尋ねてみる。
「……あなたは?」
「俺も似たようなものだ」
会話と呼ぶには互いに短いやりとりだ。しかしアルツトはなにげなくセシリアとの距離を縮めてくる。
セシリアは身の振り方に迷った。こういう場で彼女に声をかけてくる男性は珍しくない。けれど、この男の雰囲気はどこか違う。
さらに彼はアスモデウスの話にわざわざ口を挟んできた。なにか知っているのか、その件で自分に接触してきたのか。
セシリアは改めてアルツトの視線を受け止める。仮面の奥の瞳は漆黒で揺るがない。
彼は優雅に、かつ無遠慮にセシリアとの距離を真正面から縮めてくる。手すりを背に自然と追い詰められる格好になった。